小泉総理再訪朝の舞台裏
(コリア・レポート No.448 2004年5月号から)
小泉総理の2004年5月22日の訪朝は決定に至るまで様々な謎と憶測を呼んだ。
●三つの非公式、公式交渉
昨年(2003年)12月に北京での平沢勝栄議員(当時拉致議員連盟事務局長)と北朝鮮側の鄭泰和対日担当大使と宋日模外務省副局長との非公式接触がすべての始まりである。朝日交流協会の役員の肩書で出てきた北朝鮮出席者らは平沢議員に拉致問題打開のため8人を帰国させる考えがあること、そしてそのために「5人の拉致被害者による家族出迎え案」を提案した。今年(2004年)4月の大連での山崎拓自民党前副総裁を加えた北朝鮮側との秘密接触もその延長線上にある。
北京同様に泰和対日担当大使と宋日模外務省副局長が交渉相手となったが、山崎氏らは5人が出迎える代わりに政府高官による出迎え案を提案した。山崎氏が指す政府高官とは福田官房長官を指してのことで、総理による出迎えは頭の片隅にもなかった。大連交渉の結果、北朝鮮側は山崎氏に2月以来途絶えていた政府間交渉に応じる意向を表明、5月4日から北京で日朝政府間協議が3か月ぶりに開かれた。日本側は田中均審議官と藪中三十二アジア太平洋州局長が、北朝鮮側は鄭大使と宋副局長が出席した協議は、3日間の日程を2日で、それも午前中で切り上げて、5日に終了してしまった。
協議は「突っ込んだ意見交換が行われ」(藪中局長)また、「進展があった」(宋副局長)とされた。日本側代表団が小泉総理に報告したのは5月6日、家族の帰国方法なども含めて「具体的な話があった」ことを認めた。小泉総理自身による家族出迎え案について「そういう話は一切決まってない」(藪中局長)にせよ、北京での政府間協議で小泉訪朝による事態打開案がどちらか一方から打診されたことは確かだ。
小泉総理の再訪朝に向けて最終的な詰めのため14日には田中、藪中両氏が訪朝し、15日に平壌で金総書記の懐刀である姜錫柱外務第一次官と会談する予定だった。ところが小泉総理は14日、この日の午前中に北朝鮮から「5月22日に受け入れる」との回答が届いたとして、平壌再訪問を発表した。
予定よりも早い「5月22日訪朝」は小泉総理に最も近い人物とされる飯島秘書官と在日朝鮮人商工人である尹義重氏のラインによるもので、平沢・山崎ル−ト、外務省ル−トの頭越しに行われたと言われている。尹氏は一時期朝鮮総連財政部に席を置いていたことがあると言われているが、現在は「サンフラワ−・ダイナミックス・インコポ−レ−ション」という貿易会社を経営している。小泉総理の出身地である神奈川県の川崎に在住していることもあって飯島秘書官との関係が取り沙汰されているが、飯島秘書官は尹氏との関係を否定している。尹氏が総連を去ったとしても今もなお総連関係者とも何らかのパイプがあっても不思議ではない。
●朝鮮総連の役割
そこで注目されるのが、許宗萬責任副議長を団長とする総連代表団が金日成主席の生誕節を祝賀するため4月10日に訪朝したことだ。代表団には神奈川県本部委員長も含まれていた。北朝鮮を離れる4月27日までの平壌滞在中に金正日総書記と接見したとの報道はないが、総連の消息筋によれば、許宗萬責任副議長が金総書記と単独面会している。金総書記は4月11日から18日までほぼ連日、軍部隊を視察、そして4月19日からは21日まで中国を公式訪問している。従って、接見は帰国直前にあったものと見られている。金総書記は総連幹部との会見は一切報道しないよう指示しているが、今回もその指示に基づき一切伏せられたという。
上記筋によると、許責任副議長は一昨年の9月17日以来、拉致問題で日本国内世論の反北朝鮮感情が激化していること、それにより総連が厳しい状況下に置かれていること、特に総連や朝銀が日本政府の締め付けにより組織的にも、財源的にも苦境に立たされていることを切実に訴えたという。事の重大さを知った金総書記は、総連を救うためにも日本に対する強硬立場を主張する軍首脳らを宥める一方で自ら直接小泉総理に会って、総連と在日朝鮮人の法的地位の保証を求めることにしたという。
北朝鮮が首脳会談を予定よりも早く、5月22日に定めたのは、5月28日からの総連第20回全体大会に合わせたことによる、と上記筋は明かした。総連大会では自民党総裁としては初めて小泉総理の祝賀メッセ−ジが披露されたが、「私は、在日朝鮮人の方々に対して差別などが行われないよう友好的に対応する」と述べたところでは、会場から拍手が沸き起こったという。小泉総理は金総書記との会談で食糧支援を行う、経済制裁を発動しない、国交交渉を再開する、そして在日朝鮮人の地位を守ることを約束したが、今回、早くもその一つを実行したことになる。