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律令制とは、古代中国から理想とされてきた王土王民(王土王臣とも)、すなわち「土地と...

takenokonosato888さん

律令制とは、古代中国から理想とされてきた王土王民(王土王臣とも)、すなわち「土地と人民は王の支配に服属する」という理念を具現化しようとする体制であった。
年貢(ねんぐ)は、日本史上の租税の一形態。律令制における田租が、平安初期~中期に律令制が崩壊・形骸化したことにともなって、年貢へと変質した

こうして成立した年貢は、その後の中世・近世を通じて、支配層の主要な財源として位置づけられ、被支配層にとっては年貢を負担する義務が課され続けたのである。
鎌倉時代になると、商品経済が発展していき、貨幣流通が増加し、中には銭貨で年貢を納入する代銭納が行われるケースも出てきた。

地租改正により年貢は廃止されることとなる

①なぜ『土地と人民は王の支配に服属する』という体制を作り上げたのか?

②被支配層にとっては年貢を負担する義務が課され続けたのである。この義務なくしたらいいと思いませんか?

③銭貨で年貢を納入する代銭納が行われるケースも出てきた。←事の発端

④地租改正により年貢は廃止されることとなる。
なんでこの段階で『被支配層にとっては年貢を負担する義務』も一緒に廃止しなかったのですかね?

現状の税金と照らし合わしたら、税金の意味が全く理解できません

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kosyukaido10さん

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