鳩山由紀夫首相は、政権発足後初めての沖縄県訪問で、米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)移設交渉を巡る自らの発言撤回に追い込まれた。首相が掲げる5月末の決着まで1カ月を切っているにもかかわらず、政府はいまだ移設案を固め切れていない。タイミングを逸した訪沖は、普天間移設問題の司令塔不在とともに、首相自ら矢面に立たざるを得ない政権の「焦り」を浮き彫りにした。【中村篤志、仙石恭、横田愛】
日帰りの沖縄訪問で首相が突きつけられたのは、先の衆院選での自らの発言だった。首相は民主党代表として、普天間移設先を巡り「最低でも県外」と繰り返し表明。宜野湾市内での対話集会で、住民の一人は首相発言を振り返り、「県民は天にも昇る思いで(衆院選で)応援した。何が何でも基地を撤去してほしいとの思いからだ」と迫った。
これに対し、首相は4日夕、名護市内で記者団に対し「公約というのは、選挙時の党の考え方。(『最低でも県外』発言は)党としての発言ではなく、私自身の代表としての発言ということだ」と釈明。この日、明言した県内移設については「自分自身と県民の気持ちの中で、まだ乖離(かいり)がある」と語り、調整の難しさを認めざるを得なかった。
今回の訪沖で、首相は自らの発言への信を失った。公約に反する県内移設に理解を求めるなら、米国の了承を得た負担軽減策を示し、県民を説得していくしかない。しかし、政府が普天間機能の一部移転を検討する鹿児島県・徳之島の反対姿勢は強く、米国との本格交渉もこれからだ。戦略なき訪問が、自治体側の不信感をいっそう募らせている。
それでも、首相が訪沖にこだわったのは、自らが調整に動く以外に局面の打開が難しいとの危機感からだ。調整役を委ねてきた平野博文官房長官が、徹底した秘密主義を取った結果、関係自治体は疑心暗鬼を増幅。徳之島の3町長は、平野氏との会談について「不誠実な方に会うつもりはない」と拒否し、平野氏主導の移設交渉は袋小路に陥った。
先月30日、首相官邸の首相執務室。民主党沖縄県連代表の喜納昌吉参院議員は「鳩山さん、はっきり言いますよ。平野氏を切って内閣改造すべきだ」と切り出した。喜納氏は後任に菅直人副総理兼財務相の名前を挙げ、人心一新を要求。普天間迷走の「犯人捜し」が始まり、平野氏更迭論が勢いを増している。
与党内の足並みもバラバラだ。社民党党首の福島瑞穂消費者・少子化担当相は4日夜、東京都内で記者団に「沖縄の民意を受け止め、政治をやっていくべきだ」と苦言を呈した。普天間を含め「すべての政策に職を賭す」と退路を断った首相の足元はなお定まらず、月末の決着期限だけが迫っている。「まだ希望案にすぎない」(首相周辺)という移設案の行方と、首相の進退問題は直結する。
交渉にあたる外務・防衛官僚も政権の迷走に戸惑いを隠さない。4日、防衛省で行われた初の本格的な日米実務者協議は約5時間に及んだ。外務省の冨田浩司北米局参事官やドノバン米国務次官補代理らが出席したが、あと1カ月の期限に官僚からも「日米同盟を軽視したつけ」(外務省幹部)という首相批判が強まっている。
米軍キャンプ・シュワブ沿岸部(沖縄県名護市辺野古)を埋め立ててV字形滑走路を建設する現行計画の修正案として、政府が検討しているのが「くい打ち桟橋(QIP)方式」だ。くい打ち方式は海上に多数の鉄製くいを立てて上部に滑走路を造る工法で、現在建設中の羽田空港(東京都大田区)の第4滑走路(D滑走路)でも一部採用されている。
96年9月、当時の橋本龍太郎首相が沖縄を訪問し海上ヘリポート構想を表明した際、念頭に置いていたのが、くい打ち方式だったといわれ、00年から02年にかけて防衛庁(当時)が技術面の検証を行った。しかし、名護市などの地元建設会社から「下請けでしか仕事を受けることができず、工事による利益が薄まる」と強い反発が出た。沖縄県外のゼネコンやマリコンと呼ばれる海洋土木専門の建設会社でないと、高度な技術に対応できず、直接受注が難しいからだ。このため政府は地元の反対を無視できず、最終的に埋め立て工法が適当と判断し、今日にいたっている。くい打ち工法が再浮上していることについて、地元業者は「埋め立てでないと経済効果がない。納得できない」と反発している。
また、くい打ち方式は環境面での負荷が少ないといわれるが、影響が皆無とは言えない。鳩山首相が「海を埋め立てるのは自然への冒とく」と言い切ったことが、くい打ち方式への回帰につながっているとみられるが、政府関係者は「くいを海底に数千本打ち込む工事でサンゴを傷付ける上、滑走路の下の海面は日照がさえぎられる」と指摘している。
毎日新聞 2010年5月5日 東京朝刊