花も嵐も踏み越えて、行くが男の生きる道
普天間の移設問題で、鳩山総理が窮地に立たされている。
昨日は、徳田虎夫氏訪ねて、徳之島を一部訓練施設にお願いに伺ったようだ。
徳田先生とは先々月、私もお逢いしたが、以前より元気になられている。
基地の騒音は、その場に住んでいるものでないとなかなかわからない。私の住んでいる大村市のすぐ近く、古賀島にも海上自衛隊のヘリコプター基地がある。
時折、ヘリコプターが飛んでいてバリバリと空気を引き裂くような音が聞こえる。
私の住まいは、少し離れているのでさほど感じないが、先日古賀島の公民館で住民から、それこそ険しい形相で「どうしてくれるのか」と迫られた。
飛行場のすぐ側の住民にとってはたまらない。
ましてや、普天間の住宅密集地では大変なことだ。
・・・・・どこかに移設できないものだろうか。
そうかと言って、総理も焦ることはない。
誠意を尽くして、ことにあたれば、いつかは必ず道は開ける。
小沢一郎幹事長の検察審査会の「起訴相当」の決議にも驚いた。事案としてはこのブログで何回か述べたが、政治家なら誰にでもある政治資金規正法の虚偽記載に過ぎない。
新聞、テレビも大きく騒ぎ立てる。
政権交代して7ヶ月、本当に毎日いろいろなことがある。
ふと思う。
花も嵐も踏み越えて、行くは男の生きる道、
泣いてくれるな ホロホロ鳥よ
月の比叡を一人行く
西條八十作詞の古い映画、「愛染かつら」の主題歌だ。
今こそ、鳩山総理、小沢さん我々も、一体となって花も嵐も踏み越えて、政権交代当初の理想に向けての頑張るべきときなのだ。
考えれば、14、5年前、私が初当選して細川政権が誕生、意気揚々と走り回っていたら、突然。社会党が連立を離脱、自民党と組んで選挙もなしで我々は下野した。
それから、再び長い自民党1党支配の時代に戻った。
あの頃、忘れられない思い出がある。
私たち新生党の一回生20数名が集まった。
その場に見えられた渡部恒三先生が、私たちに「異国の丘」を唄ってくださった。
今日も暮れ行く 異国の丘に
友よ辛かろ、切なかろ
我慢だ待ってろ、 嵐がすぎりゃ
駆る日も来る 春も来る
それから、次の総選挙に落選、次からは当選できたものの、いわゆる政治家としての野党生活、称して「橋の下」の生活が長い間続いた。
当時の同期生で残っているものは数人に過ぎない。