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「見える才能をスキルという」
 押井守が語る仕事-3
写真
ひとりよがりの罠(わな)がある

好きに作って成功する。
そこに落とし穴があった

 30歳になった頃、僕は人気漫画を原作として映画監督1作目を制作するところまで漕(こ)ぎ着けましたが、しかしこれは力不足で酷評されました。次こそは自分で納得できる作品を作りたい。そう思いつめて手がけた2作目も、また同じ漫画が原作です。もう二度と失敗することはできない。考え抜き、準備をし、精魂を傾けた作品『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』は高い評価を集めた。自分の力で成し遂げたその達成感はとてつもなく大きなものでしたね。

 ところが僕はこの状況でイケイケになってしまうんです(笑)。「なんだ、自分が好きなように作っても大丈夫じゃないか」と。監督としてやっていける自信がついて独立し、次は天使の卵を温める少女と、銃を持った少年が出会って廃虚をさまようという幻想的な映画を作りました。僕の思いをフィルムに焼き付けた愛着のある作品ですが、興行的には失敗し評価もさんざんでした。

 この時に僕は、何もかもから自由になって映画作りをしているんだと有頂天になり、その結果、お客さんの顔さえ忘れてしまっていたのだと思います。人を呼べない映画を作り、自分のやりたいことばかりを主張する僕からは映画関係者もみんな離れていき、とうとう電話がチリンとも鳴らなくなりました。

ほったらかし状態の
苦しい3年間が続く

 どこからも声がかからないから、たまに自分から顔を出しに行くと、プロデューサーやスタッフがみんな逃げてしまうんですよ(笑)。漫画の原作ではやりたくない、自分の企画で映画を撮りたいと思っていたから、また押井は難しい映画を作ろうとしていると敬遠されてしまう。たまに企画会議に呼ばれても、僕は自分の企画がいかに素晴らしいかわめき散らす。どこに行っても「素晴らしいのはよく分かったが、よそでやってくれ」と言われ、それが3年間も続きました。

 周りは分かってくれない。しかしすることがない。僕は自宅でウツウツとしてひたすら企画を作り、そしてコンピューターゲームをやりまくり、もうこのまま一生、映画監督はできないかもしれないという不安と闘いながら、重苦しい潜伏するような毎日を過ごしました。

 もう来月の家賃も払えないというところまで追いつめられ、あまりにも長い3年間を過ごして僕がやっと気付いたことは、自分の正義だけ声高に訴えていてもいい仕事はできないということでした。今考えてみれば当たり前すぎるけれど、若い頃から映画を見続け、好きで好きで仕方がなかったがゆえに、「自分の映画」に固執してしまった。大切なのは、相手の言い分に耳を傾けてから、その上で自分の考えも伝えるべきだったのです。

 相手の言うことを聞くのと、相手の言いなりになるのとは違う。単純なことです。かっこよく言えば、どう喜んでもらうか、商業主義とどう付き合うかをようやく学んだとも言えますね。(談)

おしい・まもる ●映画監督。1951年東京都生まれ。83年『うる星やつら オンリー・ユー』で劇場映画初監督。84年『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』、89年『機動警察パトレイバー 劇場版』、93年『機動警察パトレイバー2 the Movie』など数々の劇場作品を制作。95年『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』は日英米で同時公開され、海外の著名監督に大きな影響を与えた。2004年公開の『イノセンス』は日本アニメーション映画初のカンヌ国際映画祭オフィシャル・コンペティション部門出品作品。08年『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』公開。09年『宮本武蔵−双剣に馳せる夢−』原案・脚本 。近著に『他力本願[仕事で負けない7つの力]』『ケルベロス 鋼鉄の猟犬』(共に幻冬舎)などがある。公式サイトhttp://www.oshiimamoru.com/

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