周囲の評価をもらって
初めて社会人になる
現場に入れてもらい、制作に参加する作品を持たされ3カ月で1本完成させなさいというところから、僕の仕事は走り始めました。できたらオンエアするからというのです。基本的に指導は1回のみ。コンテが上がったら見てもらい、フィルムが上がったら見てもらう。撮影の指示の仕方を教えてもらうのも最初だけでした。あとは聞きにおいでと言われますが、そんな暇はないほど追われるので、自分でやるしかない。
現場にいる仕事人の半数は僕よりずっと若いけれど一人前でした。入社後いきなり演出家という肩書だけもらった男は右往左往している(笑)。その約1年間がきつかったですね。一緒に働いている人間、直接の上司、その人たちを自分の仕事でいかに説得できるか、存在感を示せるか。まずこれが一番大事だと思います。同僚が「なかなかよかったよ」と評価してくれて、こいつは給料に見合う仕事をしていると認めてもらった時、僕たちは何者かになるんです。
僕が長年習っている空手の世界では、色帯を付けている初心者なら、実力がなくても誰もとがめないし門弟扱いもしません。基本は教えますが、段を取るまではお客さん扱いです。しかし何年かかったとしても黒帯を取ったら途端にすべてが変わります。そこからは選手権なのですね。
だから厳密に言えば、所帯を持って家を建て、休まず会社に通っていたとしても、それは会社員かもしれないが社会人とは言えないと思う。自分のスキルで世間を渡っていくことができるようになった人を社会人と呼ぶのです。
30歳に目標を置く
僕が生きてきた映画の世界はある意味で職人の世界ですから、技術が重要であったのは確かです。しかし、いくらかサラリーマンの経験もし、また制作を通じて多くの会社員たちと仕事をしてみて、僕は今しみじみと30歳までの社会人自立説を伝えたい。また、お叱(しか)りの意見を覚悟で言えば、さまざまな学校でスキルを身につけるのではなく、仕事の現場に出てこいと言いたいのです。
よく世間で言われているような成果主義とか弱肉強食ではありません。弱者を淘汰(とうた)することを僕は良しとしない。そこまで行きたくはない。ただ自分のできることを自覚し30歳くらいまでに、周囲にも評価されるレベルまでには持っていって、家族を養い暮らしを立てていって欲しいと思う。年を重ねていくと、能力も落ちプライドも高くなって、基本が身につかなくなりますからね。
僕たちは小中学校の時代から、「あなたが主役だ」「個性を伸ばそう」と言われて育てられてくるわけです。家庭でも学校でも、どこかでその考え方がベースにあって、自分は特別なのではないかと夢見がちに成長してくる。ところが社会に出た途端に、「個性だなんだという前に、当たり前のこともできないのか」と理不尽な現実に突き当たります。確かに個性の前に必要なのはスキルなのです。(談)
おしい・まもる ●映画監督。1951年東京都生まれ。83年『うる星やつら オンリー・ユー』で劇場映画初監督。84年『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』、89年『機動警察パトレイバー 劇場版』、93年『機動警察パトレイバー2 the Movie』など数々の劇場作品を制作。95年『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』は日英米で同時公開され、海外の著名監督に大きな影響を与えた。2004年公開の『イノセンス』は日本アニメーション映画初のカンヌ国際映画祭オフィシャル・コンペティション部門出品作品。08年『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』公開。09年『宮本武蔵−双剣に馳せる夢−』原案・脚本 。近著に『他力本願[仕事で負けない7つの力]』『ケルベロス 鋼鉄の猟犬』(共に幻冬舎)などがある。公式サイトhttp://www.oshiimamoru.com/
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