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「見える才能をスキルという」
 押井守が語る仕事-1
写真
「偶然」に食らいつく

映画作りに興味はあっても
まったく当てはなかった

 大学時代に映画の面白さにのめり込んで、とにかく映画以外のこととは縁を切って見まくっていました。映画代を得るために肉体労働のアルバイトをし、そのうちに見るだけでは満足できなくなって自分で撮り始めます。仲間と暗い自主映画を数本作りましたね。誰も僕の映画を理解できるものか、とか思いながら(笑)。思い返せば幼い頃から映画監督になりたいという漠然とした願いは持っていたような気がします。

 ところが結婚をすることになり、6年通った大学を卒業せざるを得ない(笑)。知人の紹介で、従業員が3人しかいない小さなプロダクションに入れてもらい、ラジオのディレクターの仕事を担当しました。3時間以上の番組を十数本作る。スタジオで収録や編集をし、取材に出たりレコード会社を回って素材を集めたり、何でもやりましたが給料が出なくなって退職。

 次は広告会社の下請けで、ラジオやテレビのCM放映をチェックするアルバイトたちを管理する会社へ。とにかくラクなんですけど何のスキルも習得できないし、自分は一生これでいいのかと思っていました。ただ、ここで夕方アニメーションの「科学忍者隊ガッチャマン」の放映をアルバイトの肩越しにほとんど見ていて、鳥海永行という監督とタツノコプロの名を覚えました。これがのちのチャンスにつながっていくのです。

 ある日道を歩いていたら、電信柱にタツノコプロの募集広告が張られていたように記憶しています。面接では、「ラジオのディレクターをしばらくやり、台本も自分で書き編集も手がけ、そして御社の『ガッチャマン』も全部見ています」と誇張も取り混ぜ、採用してもらえました。

アニメーションだって
映画には違いない

 僕が採用された時期は、同社が大学卒業者を入れて演出家専門として教育するゼミナールをスタートしたばかりだったこともあり、運にも恵まれました。ちょうどテレビアニメが爆発的に増えた頃で、会社はテレビシリーズを5本も回していましたから、それまで現場からたたき上げで育てていた演出家の数が、促成栽培をしないと間に合わなくなっていたのですね。

 本当のことを言えば実写映画にしか関心はなかったし、かつてアニメを夢中になって見たこともない。ただ、僕は何かやりたい目標に向けて一生懸命になるタイプではなく、放っておけば好きなプラモデルを作って一生終わっちゃうような人間なのです。だからもうこれが一種の専門技能というか、社会的な職業人としてのスキルを身につける最後のチャンスかもしれないと思いました。

 当時の演出部長は本当に太っ腹で、海のものとも山のものともわからない26歳の素人を受け入れ、現場の職人の中に放り込んでくれました。まあ、ベテランの職人さんにいじめられ、怒鳴られ、皮肉られ仕事をこなしました。僕の人生で一番頑張った時代(笑)。ひたすら彼らに認めてもらうしかなかったのです。(談)

おしい・まもる ●映画監督。1951年東京都生まれ。83年『うる星やつら オンリー・ユー』で劇場映画初監督。84年『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』、89年『機動警察パトレイバー 劇場版』、93年『機動警察パトレイバー2 the Movie』など数々の劇場作品を制作。95年『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』は日英米で同時公開され、海外の著名監督に大きな影響を与えた。2004年公開の『イノセンス』は日本アニメーション映画初のカンヌ国際映画祭オフィシャル・コンペティション部門出品作品。08年『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』公開。09年『宮本武蔵−双剣に馳せる夢−』原案・脚本 。近著に『他力本願[仕事で負けない7つの力]』『ケルベロス 鋼鉄の猟犬』(共に幻冬舎)などがある。公式サイトhttp://www.oshiimamoru.com/

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