リツコは試行していた。
右手を口元にあてて何かを考え、そして思いついては手元のノートに書き込んでは頭の中で簡単にシュミレートを試みる。
出てきた結論を乱雑に書き殴り、いくつかの可能性を書き出してはまた思考する。
それを何回か繰り返していたリツコだが、その手が止まって今度は長めの思考に没頭した。
カタカタ、とマヤがキーボードを叩く音がしてはいるが、それがリツコには気にならない程集中していた。
無意識の内にブツブツと呟き、一人で頭を振ってはまた何事か呟き始める。
それはすでにリツコのルーチンワークと化しており、故にマヤの方も気にはしない。 逆にリツコの邪魔にならない様、キーボードを音が立たないタイプに変えたくらいだ。

しばらく思考を続けていたリツコだったが、やがて大きく溜息を吐くと顔をパソコンの方に向けた。 そして今度は別の作業に取り掛かる。
これもリツコにとってはいつもの事で、考えに詰まると一旦別の仕事に意識を向けて気分を入れ替えていた。
深く長く考える事が無駄とは思わない。だがリツコはそうする事で思考が一方向に固定されてしまうのを嫌った。
全く違ったジャンルの事から新しいきっかけが生まれるのを期待してのそれだったが、 今やどちらかと言うと、時間を少しでも無駄にしない為の手段になっていた。

技術部長たるリツコには仕事が多い。
「部長」であるが為に部下を管理する立場でありながら、部下以上に研究・開発にも関わらなければならない。
出来るだけ仕事を部下に割り振ってはいるのだが、如何せん技術部最大の仕事はエヴァに関する事である。
存在自体が現状の技術を遥かに超えている為、それを何とか「理解」は出来なくても「使用」出来なければならない。 だがその「使用」自体出来る人間がネルフ、ひいては世界にほとんど居ない。
故に部長のリツコが先頭に立って研究しなければならず、その為わずかな時間でもリツコは無駄にしたくなかった。

瞬きも忘れたかの様に、モニターを睨みながら手を動かす。
しかし不意に視界がかすみ、已む無くリツコは一度手を止めて眼の筋肉をほぐした。
眼を閉じて椅子の背もたれに体を預けて全身の筋肉を緩める。 背中の筋肉が固まっているのが自分でも分かり、リツコは大きく息を吐き出した。

「先輩、どうぞ。」
「えっ?ああ、ありがとう、マヤ。」

声を掛けられて振り向くと、マヤの持つカップから香ばしい匂いが漂っていた。
差し出されたコーヒーを受け取り、温かいそれを一口飲んで人心地つく。

「ちょっとは休憩しないと体壊しちゃいますよ?」
「そうかしら……そうね。」

マヤの言葉に反論しかけるが、思い直して素直に頷いた。
確かに最近働き過ぎだ、とリツコはカップに口を付けながら自分で思う。
驕りでは無く、自分の代わりが務まる人間はいないのだが、それでも一日くらい居なくても技術部は回る。
分野が異なる為に代わりは出来ないが、マヤもまた相当な実力を持っている。 でなければリツコの片腕にはなり得ないし、情報技術関係だと勝るとも劣らない。
彼女ならきっと自分が休んでも一日二日はカバー出来る。
そう考えてリツコは顔を上げた。 そしてそこには女子高生でも通りそうな幼い顔があった。

……やっぱり休めないわ。

表情には出さず、内心でリツコは呟いた。
部署全体をまとめるには如何せん威厳が足りな過ぎる。 これでは年長組は指示に素直に従いまい。

(これでミサトとほとんど変わらないのかしら?)

歳は一つしか変わらないはずなのだが、どう見てもミサトの方が遥かに大人に見える。 そしてそれは単なる見た目の問題では無い。

(やっぱり生きてきた環境の違いかしらね……)

親を目の前で亡くし、自分の力だけで生きてきた者と過保護に近い形で易しい空間で生きてきた者。
ミサトも望んでそうなった訳では無いが、それで得た物も多いようにリツコには思われた。

「さて、と……」

愛用のネコの絵が描かれたカップを置いて大きく背伸び。 そして首を軽く回して肩をほぐすと、再びパソコンにリツコは向かった。

「それじゃそろそろ再開しましょうか?」
「そうですね。」

束の間の休息が終わり、先に片しておきますね、とマヤはリツコのカップを持って流しに向かう。
そしてリツコはキーボードを叩き始めたところで、来客を告げるベルが鳴った。











第拾四話 冷たい部屋


















「は〜い。」

チャイムに返事をしながら、僕は玄関に向かった。
ロックを外してドアを開ける。相手の確認もしないで不用心だって怒られそうだけど、気にしない。 このマンションにはネルフ関係者しか住んでないし、諜報部がマンションの入り口でチェックしてるはずだから。 まあ、それでも多少は注意した方が良いんだろうけど。
で、玄関を開けると同時に足元に紙袋が転がってきた。

「あーしんどかった。」
「お帰り……ていうか何で家に?」

人の家に着くなり荷物を放り出して床に腰かけたアスカに聞いてみる。 いくら隣同士だからってアスカの荷物をこっちに持ってこられてもねぇ……

「両手が塞がってたからに決まってんじゃない。カギ開けられなかったのよ。」
「さいですか……」

一回荷物を下に降ろせばいいものを、と思ったけど口には出さない。
いや、別に良いんだけどね。
それ以上何か言うのも面倒だったから、適当に転がってる紙袋を拾い上げてまとめる。 ロゴを見ると第三新東京市唯一のデパートとそのテナント。結構高そうなイメージのある店だけど……

「どうしたの、これ?確か今日はデートとか言ってなかったっけ?遊園地に。」
「ん?ああ、遊園地にも行ったわよ。だけどなーんか面白くなかったのよねぇ。 誘った奴もイマイチだったし。
だからお昼からそっちに行って買い物してたのよ。」

すっきりした感じで床に寝そべる。顔を見ればそれなりに満足してるっぽい。
やっぱり女の子は買い物が好きなんだなぁ、と一人で勝手に納得しながら僕は両手一杯の荷物を端に寄せた。
その紙袋を見ながらふとある疑念が頭をよぎった。

「まさかとは思うんだけど、もしかしてこれ全部相手に払ってもらったとか?」
「はあ?当たり前じゃない。」

何言ってんの、ていう感じの声が後から聞こえてきた。
アスカに言わせると、アスカはデート「してやった」立場らしい。 だからデートの費用は全部相手が払うのが当たり前なんだとか。
でもこれ全部足したら十万は下らない気がする。 それでいてあの言われ様。心の中で僕は思わず相手に合掌した。

「それで、レイは?」
「綾波さんは……ネルフじゃない?」

苦笑いがついこみ上げてきた。
確かにここ最近は綾波さんを含めた皆で食事したりする機会が多くなったけど、 だからと言って僕が個人的に二人で綾波さんと一緒に居る事なんてほとんど無い。
彼女の方から誘う事はこれまでも―――多分これからも―――無かったし、 僕も基本的に用事が無ければ声を掛ける事は無い。 別に綾波さんが相手じゃなくても、僕は多分そういう感じの付き合いしかしないだろう。 カケルくらい仲良くなれば話は別だけど。
だからアスカに聞かれても答えられない。当たり障りの無い答えを返すのが精々だ。

起き上がってブーツを脱いでるアスカの背中を見る。
多分、綾波さんが僕らと一緒に過ごす事が多くなってるのはアスカが原因だと思う。
何て言うか、ホントいい「お姉さん」みたいだし。 だから尚更アスカが居ない家に、綾波さんが来る事は無い。きっと。

「それで、荷物はどうすればいいの?」
「ああ、そこに置いといて。」

言いながらガサガサと大量の袋を漁り始めた。 僕の目の前で茶色の、少しタイトなスカートに包まれたお尻が揺れる。
僕だってまだ高校生。周りでも色恋沙汰は良く聞くし、当然僕だって女の人に興味はあるし、誰かと付き合いたい と思うくらいには健全なつもりだ。ま、この前断っちゃったけどね。
つい眼がそっちに行ってしまったのに気付いて、慌てて視線を逸らした。

(そう言えばアスカって可愛いんだよなぁ……)

何かを探すアスカの横顔を見て、ふとそんな事を思う。
学校でも結構うわさだし、実際何人かアタックしたっていう話も聞いた。 見事に玉砕だったらしいけど。
アスカが可愛いのは知ってたけど、そんな風に意識した事は無かった。 同僚で、同じエヴァのパイロットで家も隣同士。毎日顔を合わせてるし、友達な感じが強い。
まあ、最初の出会いが出会いだったからそんなもんなのかもしれないけど。

『なんだ、とうとうお前も恋に落ちたか?』
(そんなんじゃないよ。)

シンの声と内容が全然合ってない。お前信じて無いだろ?

『そうでも無い。俺もお前が誰かと恋するのを望んではいる。』
(……お前からそんな希望が聞けるとは思わなかったよ。)
『傍から見てて楽しいらしいからな。他人の恋愛っていうのは。』

ああそうかい。それじゃ一生誰かと恋してなんかやれないね。少なくともお前が居る限り。
つい溜息が出る。僕の春はまだ遠そうだ。

「何一人でぶつぶつ言ってんのよ?」
「いや、こっちの話。気にしないで。」

ふうん、と興味なさげに相槌を打ったかと思うと、おもむろに手を僕に向かって突き出してきた。 手には紙袋が一つぶら下がってる。

「何?」
「お土産よ。アンタに。」
「僕に?」

珍しい……という程付き合いも深くは無いか。
デート相手のお金っていうのがちょっと気になるけど、もらえる物はありがたく頂いておこう。 それが賢い生き方だ。

「言っとくけど、そいつはアタシのお金だからね。」

それを聞いて安心した。何の気兼ねも無く頂戴出来る。
ありがたく頂きなさいよ、なんて声を聞きながら紙袋の中身を拝見。

「おっ!こいつは……」
「アンタいっつもおんなじ格好だからね。ちょうど良いんじゃない?」

はっきり言って僕は服にお金を掛けない。まあ、服に限らないんだけど。
僕が持ってるのは金銭的余裕が無かったから大体安い、それでいて流行に左右されない地味な服ばっかりだ。 だから冬なんかは上着は大抵毎日同じもの。流石に下着とかは毎日着替えるけどね。 それは高給取りになってからも変わらない。 服が欲しいと思わないでも無いけど、悲しいかな、そういう店に入る勇気があんまり持てない。 自分のセンスに自信も無いしね。
だからこのジャケットのプレゼントは嬉しかった。

「その、アスカ。
本当にありがとう。」
「どういたしまして。
レイにも買って来たんだけど……ま、いいわ。本部で渡すから。」

アスカの言葉も半分上の空で、僕は早速袖を通してみた。
うん、着心地も良いし、結構暖かそうだ。アスカのセンスだし、見た目的にも信頼できる。
でも高かったんじゃないの、って口にしそうになってそれを押し留めた。 こういう時にそんな話はするべきじゃない。折角アスカがプレゼントしてくれたんだし、感謝の気持ちだけを伝えればいい。

「うん、ホントに嬉しいよ。ありがとう、アスカ。」

もう一度感謝を口にする。嬉しさと、貧乏性故の若干の申し訳無さが入り混じってるけれど。

「ま、これからも遠慮無く色々と奢ってもらう予定だしね。 その前払いと思って受け取りなさい……」

そう言いながら、僕の横を抜けてアスカは奥の方に向かった。けどすぐ僕の後ろで動きが止まった気配がして、 僕も振り返ったところで納得がいった。 そう言えばコイツが居たんだっけ。

「いいよな〜、碇ぃ。中々戻って来ないと思ったらそんな良い物貰って。」

カケルがニヤニヤ気持ち悪い笑顔を浮かべて、羨ましいなぁなんてボヤいてやがる。 良かったな。良いからかい相手が見つかって。でも残念ながら僕は付き合ってやんないからな。

「……何でコイツがここに居んのよ。」
「失敬な。珍しく碇のバイトが休みで学校も休み。心の友と書いてシンユウと読む俺と碇が遊ぶのは道理だろう?」
「コイツが心友かどうかは知らないけど、まあそういう訳。
ちなみにコイツに対してはどれだけ礼を失しても構わないから。」

まあ最後の補足は付け足すまでも無いか。アスカとは何回かしか面識は無いけど、もうすでに先輩に対する敬意のカケラも無いし。 てかコイツにそんなのは要らないな。
カケルはカケルで気にした風も無くて、アスカに「俺の分は?」なんて聞いて全力で否定されてる。

「何だ、俺には無いのか。残念。」
「いや、全然残念そうに見えないんだけど。」
「いいさ。所詮男の友情なんてそんなもの。今日はもう帰るわ。」
「え、帰るの?」

アスカに気を遣ってくれたんだと思うけど、何か申し訳無いなぁ。

「ああ、人の恋路を邪魔する奴ぁ、てな?」
「なっ……!!」

顔を真っ赤にしたアスカの全否定と思いつく限りの罵声がカケルに浴びせられてる。 いや、否定するのは構わないけどさ、そこまで思いっきり否定しなくても。
心のわずかばかりの寂しさは当たり前ながら周りには影響せず、 アスカの罵声を適当に聞き流しながら、カケルは帰って行った。
プシュ、と音がして外と中の境が現れる。
隣には肩で呼吸してるアスカが居て、何だか妙な空気が満ちてる。 前言撤回。余計な事して帰りやがって。

「……とりあえず、この荷物を向こうに持って行こうか?」

何か変な感じで照れくさい。んでそれを誤魔化す為かしらないけど、いつの間にか右頬をポリポリと掻いてた。

「え…あ、うん。お願い。」

大量の紙袋を両手に持って外へ。
カギは……別にいいか。隣だし、泥棒も入らないだろう。てかここに入れたら凄いと思う。
アスカがカギを取り出して、家のカギを開ける。
もうすでに日は落ちかけてて、玄関から見るとリビングはよく見えない。
電気をつけてアスカが奥に入って、僕がそれに続く。
途中でミサトさんの部屋が見えたけど、あんまり汚れて無くて、服も前みたいに散らかって無かった。

「んじゃ、ここら辺に置いとくよ。」

リビングの隅に紙袋を置いて、部屋を出て行こうとした。
だけどその時アスカが、あっ、と声を上げたんで足を止めて振り返ってみる。

「腕が……」
「ん?ああ、これ?」

左腕を上げてアスカに見せた。 まだ慣れて無い所為か、それともこれが限界なのかは知らないけど少し反応が鈍い。

「凄いよね、これ。見た目じゃ絶対分からないよ。」

リツコさん曰く、この義手は脳からの電気信号を受信してまるで本当の腕みたいに動かしてくれるらしい。 義手自体は別にもう特別珍しくもない技術みたいだけど、見た目と触った感覚は本物の腕みたいだ。
表面はエヴァに使われてる技術を少し流用してるんだとか。そのおかげでかなりリアルな物が作れたんだって。
流石に本物みたく自由に動いてはくれないし、さっき言ったみたいに反応は鈍いけど、 日常生活を送るには十分だ。もうずっと無いものとして生活してきたし、あれば便利、くらいな感覚だろうか。

「そっか……良かったわね。」

何だかその声は安心したように聞こえた。 いや、実際少し安心してくれたんだと思う。
アスカはずっと僕の左腕の事を気にしてた。 僕が片腕を無くしてしまったのは自分の所為だと、どこかで自分を責めてたんだと思う。 それくらいは僕だって分かる。
だから日本に来てからここに住み始めたんだ部分もあると思うし。勿論そんなものはほんの一部分でしか無いだろうけど。
だからこそ今みたいな言葉が出て来た。僕の本心も知らないで。 僕が実は喜んでたとも知らないで、ずっと罪悪感が心の中にくすぶってたんだ。
そう思うと、申し訳無くなって、少し胸が苦しかった。

「じゃあ、僕は戻るね。このジャケット、ありがとう。大切に使うよ。」

その苦しさから逃げる為に、僕はお礼だけを口にして今度こそ自分の家に帰った。







    a nuisance―――








ベルが鳴ったのを聞いて、リツコは腕時計に目を遣った。
時間を確認したのと同時にドアが開き、予定の人物は部屋の中に入ってくるとマヤを一瞥した。

「もうこんな時間?マヤ、悪いけど少し席を外してくれるかしら?」

リツコのお願いに、マヤは分かりました、と笑顔で応えると手早く荷物をまとめる。
愛用のノートパソコンを閉じ、椅子の上に置いていたクッションを持って外へ出た。
軽く空気が抜ける音がしてドアが閉じ、リツコは扉の近くに設置されているテンキーを操作してロックを掛けると、 ミサトに向き直る。

「これでいいかしら?勿論監視カメラや盗聴器の類も無いわよ?」
「いいわ。
じゃあ早速先の調査結果をお願いするわ、赤木博士。」

椅子にも腰掛けず、近くの壁に背中を預け、腕組みをしたミサトはリツコを博士、と呼んだ。
それは定時を回ってはいるが、ここには仕事として来ている、との意思表示。 それと同時に、リツコに逃げは許さないとの無言の圧力をも示していた。
無論リツコとてそれに気づいていた。それくらいの付き合いの長さはすでに経ている。
特に隠そうともせず、リツコは溜息を吐いた。

「結論から言うわ。
簡単に言えば『何も分からない』と言ったところかしら?」
「赤木博士。」

口を開こうとしたミサトだったが、それを手で制すると続きを口にした。

「勘違いしないで。『何も分からない』とは言っても、それは何も確たる結論が得られていない。 何も検証出来ていない、という事よ。 それらしい推論ならいくらでも立てられるわ。」
「……それでいいわ。
ならまずは最後の、あの初号機の自己修復の話からお願い。」

あの異常な、と最後にミサトは付け加えた。
その様子を思い出してしまったのだろう。眉間に皺を寄せ、ミサトは顔をしかめた。

「そうね……貴女も知ってるわね?エヴァが使徒のコピーだという事を。」
「ええ。」

短くミサトは答えた。そしてそれ以上は口を開かず、リツコの続きを黙って促す。

「それを考えると初号機が使徒の様に自己修復を行ったとしてもおかしな話じゃ無いわ。」
「でもそれにしては異常だったわ。速度も規模も。
そして何より、使徒とエヴァは一つだけ決定的に違う点がある。」
「S2機関ね。」

リツコの言葉に、ミサトは黙って頷いた。
使徒は自己の損傷を修復し、更にはより強固なものに進化する事が出来る。
それは人とて同じ事だが、その速度はケタ外れに早い。 そしてそれを可能にしているのは使徒が持つ永久機関であり、それが使徒とエヴァ、そしてヒトを区別していた。

「それに関しては、ほぼ答えは出てると言えるわ。」

そう言うと、リツコはミサトに数枚の用紙を差し出した。
そこには初号機の概略図、及びいくつかの計算式らしきものと表が書かれていた。

「運動にしろ再生にしろ、生命にとって必要な物を一言で表すなら何だと思う?」 「水、かしら?」
「そうね、それも確かに必要だけど、もっと漠然とした言い方で良いわ。
私の答えはね、エネルギーよ。」

言いながら、リツコは単純な一つの式を手近にあった紙に書いた。

「簡単に言えば、物質とエネルギー、例えば電気や熱は同等なの。エネルギーさえあれば質量は作り出せるのよ。」
「つまり、初号機が自己再生を行った事に何らおかしな点は無い、と?」
「ええ、初号機に残っていた内部電源を質量に変換し、また全身の筋肉の質量が減少してた事からその分を新たに足の方に回したのね。」
「そんな事が可能なの?」

ミサトは眼を細めた。睨みつけるような眼光がリツコを射抜く。
だがリツコは顔色一つ変える事なく、ミサトの眼を見つめ返した。

「可能だった、としか言いようが無いわね。コピーと言っても理解してるわけでは無いのだから。」

ブラックボックスの塊だもの、と付け加えたところでミサトは再び顔をしかめた。

「大丈夫なんでしょうね。今回はたまたまいい結果に働いたけど、次は手をつけられませんでした、じゃすまないのよ?」
「保証は出来ないわね。
でも私達はそんなものに頼らなければ、この戦いには勝てないのでは無くて?」
「頼らないといけないのは分かってるわ。でも出来る限り不確定要素は取り除いておきたいの。」

本当は怖いんじゃなくて?
内心でリツコはそうミサトは問いかけた。









十五年前の悪夢。セカンドインパクト。
その中心に葛城ミサトは居た。
極寒のブリザードが吹き付ける、広大な南極大陸の中心。その大深度地下施設。
五年の歳月と莫大な先進諸国の予算を掛けて建設された、巨大な球状の空間のそのまた中心となる施設の中で、 彼女は空を見ていた。

何も考えられず、何も感じない。ただ、ゆっくりと自分が何処かに運ばれているのは、揺れる視界のおかげで分かった。
ミサトの耳に音が響く。顔だけを動かして音がした方を見ると、天井が崩れていた。
あちこちに開いた、大きな穴。 まんまるな空に浮かぶ月が、真白なブリザードの間で光るそれが地下に居るミサトからも見えた。
そしてその明かりの下で動く何か、も。
ゆったりとした動作で動くそれが、ミサトには何か分からなかった。
だが徐々に空へと光が伸びていく。
完全に伸び切ったところで、ようやくミサトはそれが巨大な「ヒト」であると認識出来た。
ヒトというよりは、霊長類を思わせる何か。
腰は曲がり、両腕をだらしなく地面へと垂らしている。
上下に揺れる視界でそれをミサトは見ていた。

遥か地平の彼方を望んでいた「ヒト」は、やがてその顔らしきものを地面へと向ける。
人が望むより遥か上方から地上を見下ろす。

ミサトは体を無意識に丸めて、抱きかかえている誰かの胸元に顔をうずめた。
じんわりとミサトの体にぬくもりが伝わる。が、ミサトはそれに気づかずますます体を小さく丸めた。

ミサトを抱きかかえていた人物は、そっとミサトを下ろした。
金属の凍える様な冷たさがミサトに伝わり、ミサトは体を震わせた。
急激に戻ってきた感覚がミサトの意識をよりはっきりさせ、それによってますます寒さが体の芯まで沁みわたる。
両腕を掻き抱き、自分をギュッと力の限り抱きしめる。爪が皮膚に食い込み、あざを作る。 それでもミサトは力を込めた。

壊れてしまいそうになる。不意にミサトはそんな思いに駆られた。
それが寒さの為か、自身を抱きしめるその力故か、それとも他の何か、か。

そんなミサトに、わずかに暖かい何かが被せられた。
ふわりとした羽毛の付いた、見るからに暖かそうなコート。
ミサトに被せた誰かは、そのコートでミサトの体を包み込んでやる。
しかし、ミサトはその事に気付かず、顔を膝に埋め、小刻みに体を揺らした。

雫が、ミサトの頬に落ちる。
寒々とした景色の中、頬にだけ伝わる温もり。
震える顔を、ミサトはゆっくりと空へ向けた。

空は雲で覆われているにも関わらず、まばゆい光の所為で目の前の人物の顔さえ見えない。
まぶしさに目を細めたミサトの顔に、再び暖かい雫が零れ落ちた。

「おとう…さん……?」

逆光の為に顔はおろか、性別さえはっきりしない影。 だがミサトの口は父を呼んだ。

唐突に閉じる脱出用ポッドの扉。
突如として世界は暗闇に包まれ、ミサトは呆然と冷たい壁を眺めていたが、事態を把握すると、 激しく両腕を壁に叩きつけた。

「お父さん!!」

非常用の電灯が点き、オレンジに世界が変わる。
だがミサトの正面にあるのは冷たい、無機質な壁だった。

「お父さん!!」

叫ぶ様に父を呼び、ミサトは渾身の力でポッドの壁を叩き続ける。
両手の皮が赤く腫れ上がり、やがて血がにじんでもミサトは叩くのを止めない。
叩きながらも、ハッチを開けるスイッチを探すが見つからず、焦りばかりがつのる。

「あった!!」

狭いポッド内をまさぐり、ほんの数分でミサトは目的の物を見つけ出す事が出来た。
だが遅すぎた。

ボタンに手を伸ばした直後、強力な衝撃がポッドを揺らす。
後頭部に痛みを覚える間もなく、ミサトは意識を手放した。



「うっ……」

全身を襲う鈍い痛みに、ミサトはゆっくりとまぶたを開いた。
眼を開けたにも関わらず、視界は暗い。
意識を失う前に見つけたスイッチの事を思い出し、ミサトは手だけを動かして、ボタンを押した。
ハッチが、開く。
暗闇に慣れた目に光が差し込み、それと共に吹き付ける吹雪にミサトは顔を背けた。
海の上で揺れるポッドの足元は不安定で、ミサトは片膝立ちの状態で何とかバランスを取る。
コート一枚で、その下には何も着ていない。刺すような寒さがミサトの素足を凍えさせる。

眩しさに慣れたところで、ミサトは光の方へ顔を向けた。
自分が居たはずの場所。どれくらいの時間が経ったのか、ミサトには分からなかったが、確かに少し前まで自分が 父と共に居た場所が視線の先にはあったはずなのだ。
だが、ミサトが見ていた場所には何も無かった。空へ立ち昇る巨大な二柱の光の柱の他には。

やがて柱が短くなっていく。
その光は次第に収束していき、そして何事も無かったかの様に消えて行った。
全てを飲み込んで。大地も、建物も、人も、そして父も。

力が抜けた様に、ミサトは両膝を突く。
ハッチの縁をつかみ、ミサトは頭を垂れた。
紅い雫がミサトの手の甲に落ちた。








先の初号機の様は、まさにエヴァが使徒のコピーだという事を思い起こさせるには十分過ぎた。
これまでもその事はミサトも頭に入っていた。それは間違いない。
だが。リツコは思う。
無意識の内にミサトはエヴァと使徒を完全に別の物として捉えていたのでは無いか。
自分が、父を殺したのと同じ物を使用しているなどと思いたくないが故に。
アレは使徒では無いのだと確信を持ちたいが為に、今もこうして自分に食い下がっているのではないか。

「どうなの?」

ミサトの声でリツコは思考の淵から帰ってきた。
悪い癖だ、とリツコは自嘲した。
心理学者でもカウンセラーでも無いくせに、こうやって誰かの心理を自分勝手に推測して、 あたかもそれが真実であるかのように思い込んで。 人の心など誰にも分からないと言うのに。例え、自分の事であっても。

「そうね……安心できるかは分からないけど、恐らくああいう事が出来るのは初号機だけだから。」
「不確定要素足り得るのは初号機だけ、という事?」
「ええ。さっきはブラックボックスの塊って言ったけど、それは初号機がテストタイプだからよ。 使える物は何でも使った、といったところかしら。そこから何が生み出されていくのかを調べる為にね。」

白衣のポケットからタバコを取り出し、リツコは火を点ける。
軽く吸い込み、灰皿を手元に寄せながら話を続けた。

「一方、零号機は完全に人の理解の及ぶ範囲で、弐号機以降は初号機から得られたデータから問題が無いと 判明したものを追加したシリーズになるわ。 当然そこには初号機の様な未知の部分は無い。」
「完全に制御が出来る、という理解で間違いないかしら?」

ミサトの確認に、リツコは頷いて応える。
それを見てミサトは、そう、とだけ返事をして佇まいを正した。

「それじゃ次の質問。


シンクロって何?」



















NEON GENESIS EVANGELION 
Re-Program



EPISODE 14




Don't Tell a Lie!



















「……質問が漠然とし過ぎてて分からないわね。」

そう言うとリツコは再びタバコを口元に運ぶ。 先ほどよりも深く吸い込み、そして天井目掛けて紫煙を一息に吐き出した。

「言葉通りよ。シンクロについてリツコが知ってる事を全部聞かせて貰いたいわね。」
「資料は全て貴女に渡した。そして必要な情報は貴女の頭の中に入っている。」

違うかしら?
念を押す様にミサトに確認すると、リツコは短くなったタバコをもみ消して新しく火を点けた。

「ええ。そんな事は知ってるわ。
にも関わらず私はわざわざここに来て技術部長たる赤木博士に尋ねている。」
「……つまり、貴女の持っている情報では解決出来ない問題が出てきた。」

眼で問うてくるリツコにミサトは頷く。
それを見て、リツコは喉の渇きを感じた。
無意識の内に膝の上に置いた手にも力が入る。

「いいわ。
ただ貴女も知ってる事をまた説明するほど私も暇じゃ無いの。 だから貴女の、その解決したい問題を聞かせてちょうだい。」
「なら、先の戦闘での初号機について説明を求めるわ。」

ミサトは視線をリツコの手先から顔へと移し、手近にあった椅子に腰を下ろした。

「本来、シンクロ率が高ければ高いほど生身と近い感覚で動く事が出来る。そうよね?」
「ええ、一概には言えないけれど、シンクロ率が高い方が動き自体は良くなるわ。」
「加えてA.Tフィールドの出力も大きくなる。
動きの事とも併せて、私はそれがイメージがエヴァへと伝わりやすくなる事に起因すると理解してるんだけど、どうかしら?」
「そうね。神経接続の親和度が上がる事によって伝達神経内の抵抗が減り、パイロットの思考がよりダイレクトにエヴァに 伝わるわ。だからエヴァの動きもスムーズに素早く、フィールドの出力もより上昇するわね。」

ダメージもよりそのまま伝わりやすくなるけれど。 最後にリツコはそう付け加えて煙を吸い込む。渇きはいつしか消えていた。

「……にも関わらず、先の初号機はシンクロ率が上昇すればするほど動きは鈍くなっていった。
更には最後、シンクロ率が最低を記録したのにA.Tフィールドの出力は過去最高を記録した。
零号機と弐号機が近づく事も困難な程に。
これはさっきの説明と明らかに矛盾してるわ。」

これをどう説明するのか。
ミサトはじっとリツコを見つめるが、リツコは小さく溜息を吐く事で応える。

「その原因なら私の方が知りたいわよ。
これまでの研究成果を全て覆してくれたんですもの。」

本当に技術者泣かせな機体だわ。
そう言ってリツコはもう一度大げさに溜息を吐いた。

「ブラックボックス。便利な言葉ね。」
「それと同時に私達にとっては屈辱にも等しい言葉だわ。」

ミサトの皮肉るような呟きにもリツコは気にした様子も無く言葉を続ける。

「いっその事パイロットの方に原因を求めたくもなるわ。
使徒のコピーたるエヴァンゲリオン。人が制御する為に使徒の脳とも言える部分を取り払い、 代わりに人を埋め込んで思いのまま操る為のシンクロシステム。 それに乗れるのは未成年の、それも心理的に不安定な思春期の子供だけ。
必要な技術とは言え、とんでも無いシステムね。」
「それが原因である可能性は?」

ミサトの問いかけにリツコは首を横に振った。

「それは無いわね。シンクロシステム自体は完全に人が作り出したシステムよ。
そこに初号機みたいな未知の領域は無いわ。」
「だけど、この前の戦闘で何らかの障害が発生していた可能性は否定できないわよね?」
「そしてそれを検証する事もね。」

立ち上がり、リツコはコーヒーメーカーからカップにコーヒーを注ぐ。
その内の一つをミサトに手渡すと、自身も一口含み、天井を仰いだ。

「幸か不幸か、初号機は自己修復によって再生出来たけど、装甲まではそうは行かないわ。 加えて衝撃でプラグ内の全ての機器が完全に損壊。例えシステムに障害が生じていたとしても確認のしようが無いわ。 ただ無意味にここで推論に推論を重ねるだけ。
予算も時間も無いのに、そっちを優先する事は出来ないわね。」
「そう……
それじゃあ……」
「それよりも」

更にミサトは疑問を口にしかけたが、それを今度はリツコが強い口調で遮った。

「ミサト、貴女最近家に帰って無いでしょう?」

リツコの指摘に、ミサトは気まずげに顔を背けた。
悪い事を咎められた子供の様に、ミサトは視線をリツコから逸らしたまま黙り込み、リツコは先と似た溜息を吐きだした。

「貴女、作戦部長でしょう?ましてパイロットは貴女直属の部下になってるはずよ。ケアも仕事に含まれる……」
「分かってるわ。」

そう答えて、ミサトは右手で自身を抱きしめる。自分を守るかのように。

「分かってるわよ。だから家にはあまり帰らないのよ……」
「アスカね。」

ミサトは肯定も否定もしないが、リツコはそれが正解だろうと当りをつけた。
先日の使徒戦。恐らくは過去においてもっとも死が近かったであろう戦闘。特にアスカにとっては。
初号機のあの姿は誰もに死を連想させた。そしてそれは最も死に敏感なアスカの精神に多大なストレスを強要した。
そのストレスの捌け口が、あの作戦の指揮官であったミサトに向かった。
直接的な衝突はしていないだろうが、あまり健全な関係では無いに違いない。

(元々無茶だったのよね……)

ゲンドウの指示とは言え、ミサトは当然反対したし、リツコもやがてはこういう結果になるだろうと踏んでいた。
アスカの心理とミサトの目的。それが見事なまでに対立した結果だ。もはや立て直しは難しいだろう。
とは言え、このまま距離を置いたままにも出来ない。一度近づいてしまった以上は。 例えそれが表面上だけのものだったとしても。

「とにかく、今日はもう帰りなさい。そしてアスカと話すなり何なりしなさい。」
「……そうね。そうするわ。」

ごちそうさま、とミサトはカップを置いて立ち上がる。
腰かけていたマヤの椅子を元の位置に戻すと、ドアのロックを解除して部屋を出たが、一歩外に出たところで立ち止まった。

「リツコ……」
「何?」
「……いや、何でも無いわ。」

何か言いかけるが、ミサトはお疲れ様、とだけリツコに告げて去った。
音がしてドアが閉まり、部屋にはリツコだけが取り残された。

「……何か気付かれたかしら?」

今日だけで何度目か分からない、深い溜息を吐くと、もう一度天を仰いだ。

「嫌なものね……親友を騙さないといけないなんて……」













     ―――fade away
















「ふ〜、食った食った。」

そう言ってお腹をさすりながら満足そうに食後のお茶を飲んでるのはミサトさん……
では無くてアスカだったりする。
そして目の前にはでかい空の寿司桶。しかも特上。
今日のお礼のつもりでアスカを夕飯に誘って、前に頼んだお寿司屋さんに出前を頼んだんだけど、 まさかこんなに早く無くなるとは思わなかった。 よくよく思い返してみれば、いっつも一緒にご飯食べる時一番食べるのはアスカだったっけ。 あの細い体の何処にあれだけ入るんだか。ま、それだけ訓練でエネルギー使ってるって事だろうけど。

お腹が膨れて眠くなったのか、テーブルに突っ伏したアスカに見られないように、こっそりと財布の中身を確認。 お金には困って無いとは言っても、一度に万単位でお金を使う事に僕は慣れてない。 だからこういう時は何となく不安になってしまう。 いい加減慣れればいいのに、と思うけど、どうも中々慣れない。 根っこの方まで貧乏性が染みついてるらしい。

「人のおごりだと気持ち良く食べられるわね〜。」
「普通は逆だと思うけどね。」

遠慮って言葉を知らんのか、って言ったら知らんって即答された。
別におごった事に後悔はしてない。してないと思う。多分……してない。

(急に自信が無くなったな。)
『うるさいわ。』

冗談はともかく、ケチな僕だけどこういうお金はなるべくケチらない様に心がけてる。
人間、いざという時に一番役に立つのは他人との関係だと思ってる。 そしてそれはお金で買える時と買えない時がある、とも。
「人の心はお金じゃ買えないわ!」なんてセリフをよくドラマとかで聞くけど、それは否定はしない。
否定はしないけど、肯定もしない。お金だけじゃ買えない、の方が正しいかな?
人間関係を構築する時のお金はケチらずに出して、それを好意的に見せかける。
出せない時も、何とか頑張ってみた「ポーズ」だけでも見せる。
勿論自分だけが出すのもダメ。特に日本じゃね。たまには相手にも出させてあげる。 例え最終的には自分の方が多く出すにしても。
そしてそういう出費はその場じゃなくて後々で効いてくる。
困った時に「いつも助けてもらってるしな」とか「お世話になってるし」みたいな感じでね。
「情けは人の為ならず」とは昔の人もよく言ったもんだ。

(相変わらず打算的な奴だな。)
『分かってるよ。
でも別に打算だけで動いてるわけでもないさ。』

僕がそういう風に考える相手っていうのは逆に「感覚」で選んでる。 良い奴そうだ、とか、仲良くなりたいとかね。
そして例え後々自分の利益になりそうでも、僕が苦手だって感じた相手とはそれなりの関係しか作らない。 付き合うだけで気疲れする相手とは親密になんてなりたくない。

(相手にも見透かされてるとは考えないのか?)
『別に。それならそれで構わないさ。それを僕に悟らせないならね。』

僕に不安を感じさせなければ、どう思っていようが構わない。 どうせ他人なんてそんなものだから。 表面的でも完全に本心を覆い隠せてくれてれば、僕には何の問題も無い。

(本気でそう思ってるのか?)
『……何が言いたいんだよ?』
(いや……)
「ねー、シンジ。」

妙に歯切れの悪いシンの奴が気になったけど、アスカの声で僕は意識をアスカの方に移した。

「何?」
「いや、えーと……その、腕の調子どう?」
「ん?ああ、夕方話した通り、快調だよ。後は慣れるのも時間の問題かな?」
「でもアンタってホントに怪我するわよね。
この間ので何回目よ?」
「えっと……何回目だろうね?」

あはは、と笑ってみる。正直数えるのも馬鹿らしくなってきてるし。
なんか、使徒が来る度に病院で目を覚ましてる気がする。 ま、もう嫌じゃ無いけどね。のんびり出来るし。体がなまるのだけが心配だけど。
ただ最近、意識を失う前の記憶が無いんだよね。この間の空から降って来た奴のもそうだし。 その内、頭が変な事にならないかが不安。

「ハッ!だから初号機は欠陥品なのよ。
あ〜あ、早いところ参号機とか出来ないかしらね。」
「僕は結構初号機気に入ってるんだけどね。」

というか、もう初号機以外乗る気がしない。むしろ乗っちゃいけない気がする。何となくだけど。

「ま、どうせ怪我するのはアンタだしね。」
「そうだね。他の人に迷惑掛けない様に気を付けるよ。」

確かに怪我するって事は初号機を壊すって事だし、そしたらリツコさん以下技術部の人の残業が増えちゃう。 僕が動けないからその分アスカや綾波さんの訓練にも影響しちゃうし、作戦部の人にも負担が増えるなぁ。
負担が減るのは保安部とかの人くらいかな。僕にべったり引っ付いとけば良い訳だし。

こうやって考えると確かに怪我するのは頂けないなぁ。周りに迷惑掛けまくりじゃ無いか。

「何一人で頷いてんのよ?」
「いや、ただ単に自分が怪我する事の影響を考えてるだけ。
そしたらホントに皆に迷惑掛けてるんだなぁと改めて思ってね。」
「アンタ、たまには自分の体の事を心配しなさいよ。
いっつも他人がどうのこうの言ってるけど、迷惑より心配するこっちの身にもなりなさいよ。」
「分かってるよ。それ込みで迷惑を掛けないって言ってるんだよ。」

口ではこうは言ってるけど、怪我をしても別に構わない、それどころか 心のどっかじゃ死んでも構わないと思ってる自分が居る。
怪我をする事は他人の興味と同情を引きつける。 それによって自分でも歪んでるって分かってる悦びを、僕は感じる事が出来る。
死んだら死んだで、それはそれで楽しみですらある。
毎日が楽しみでしょうがない小学生が明日を楽しみに眠りにつくように、 日々を懸命に生きる聖人がよりよい明日を目標にして床につくように、 僕は次の人生が楽しみでしょうが無い。
次は楽しい人生を送れますように、よりよい人生でありますように、と願って。

なのに、死にたくないと、今を生きていたいと思う自分も確かに居て。
矛盾を抱えているからこその生命なのだ、と哲学者めいた結論を適当に出して愉悦に浸って、次の瞬間に吐き捨てた。

「分かって無いわよ!」

アスカの声で下らない空想から帰ってくる。 見ればさっきまでテーブルに突っ伏してたのに、今は立ち上がってこっちを睨んでた。

「アスカの愛のこもった心配はちゃんと心に留めておくからさ。」

わざとそんな事を言ってみる。そうすればアスカは慌てて否定するか、適当に流すかして、雰囲気を変えてしまうだろうから。
でも何か怒らせる様な事を言っただろうか。それとも態度が不真面目に取られた?
確かに僕の事を心配してくれているのに、受け取る僕が真剣味が足りなかったかもしれない。

予想に反して、アスカはいつもの様に乗ってこなかった。代わりにますます目尻を釣り上げて、こっちを睨んできた。

「アンタ、自分がどうなってもいいと思ってんでしょ?」

アスカの言葉に背筋が凍り付いた。心が締め付けられて、呼吸すらも苦しい。
見透かされてる。ついさっきシンに言われた事が現実になった。
不意を突かれて、咄嗟に何も言えない。心の準備も何も出来て無かった。

「え、いや……」

自分でも動揺してるのが分かる。頭の中がぐるぐると同じ所を回って、何を言えば良いのか、どう言い訳をするか、 そもそも良い訳なんてせずに開き直ってしまおうか、考えがまとまらない。

「死んだら死んだで構わない、そう思ってんでしょ?」

顔を上げられない。アスカの顔を見られない。何もかもが看破されてしまったから。
どう取り繕っていけばいいのか、それが分からない。


……


大丈夫、僕はやって行ける。これまで通り、何事も無かったかのように、今までの関係を続けていける。
また仮面を被り直せばいい。今度こそ誰にも見透かされない様に。いや、上の仮面は少しずらして、はぎとられ易いように。
そうすればみんな勘違いしてくれる。一枚下の仮面が素顔であるかのように。
そうしてまた時が経てば、いつの間にか、今度こそ仮面が素顔に変わってくれる。自分でもはぎとれない、本物の素顔に。

「そんな事は考えてないよ。
だって痛いの嫌いだし。」

風呂入ってくる。そう言って僕は席を立った。その間もアスカの顔に少しも目を遣らない。
後ろでアスカが何か言ってるけど、全部無視。眼も耳も塞いで、心にも蓋を。

(……いいのか?)

シンの言葉も無視。流石に頭の中で響く声は無視出来ないけど、理解さえ拒めばそれも雑音と大差無い。
都合の悪い事からまた逃げるのか。
シンでは無い、碇シンジ自身からの声も聞こえる。けれど、それすらも僕は聞き流して。
そうして僕は生きてきた。

トン、と背中に軽く何かがぶつかった。
それはホントに軽くて、僕はよろけもしない。
だけど背中に掛かるほのかな吐息の温もりと、僕の胸に回された両の掌は、僕に確かな痛みを与えた。

「もうイヤなのよ……」
「……」
「誰もアタシを見てくれないのは……」

そんな事は無い。みんなアスカを大切に思ってるし、アスカの事を気に掛けてる。

「アタシを見てくれる奴が居なくなるのは……」
「そんな事は無いよ。僕は居なくならないし、みんなも居る。」

アスカの手に僕の手を重ねる。
暖房の効いた部屋の中。なのにアスカの手は冷たい。
その手を、僕は剥がしにかかる。だけどもアスカの手は僕から離れなかった。

「嘘よ。」
「嘘じゃないよ。僕だってまだやりたい事がたくさんあるし、ネルフのみんなだってアスカの事を気に掛けてくれてるじゃないか。」
「そう言ってママは居なくなった。そばに居て欲しい時には誰も居てくれない。」

背中から伝わるアスカの体温が更にはっきりと感じられる。
でもそれがアスカの体温が上がったのか、僕の体温が下がったのかは定かじゃなくて。

「本当に欲しいモノはもう手に入らないのよ。」
「その新しい代わりが僕なの?」

僕が本当に欲しかったモノも、もう手に入らない。代わりのモノも自分から捨てた。
そうしないと苦しかったから。

「アンタなら分かってくれる気がしたから……」
「……何を?」

今度は力を込めてアスカを引き剥がしにかかる。だけど剥がした手は今度は僕の手を握りしめて離さない。
その手を離せと誰かが言う。その手を握りしめろと別の誰かがまた言う。
離せ。離すな。すぐに離せ。絶対に離すな。
離さなきゃダメなんだ。じゃないと僕はダメになる。
本当に?
その声に耳を塞ぐ。
だけど、アスカの声に耳を塞ぐ事は出来なかった。

「寂しさを……」



その声に、僕はアスカを抱きしめた。
堪え切れない、その衝動に抗うのを止めて、甘い体温を全身で感じる。
視界が歪む。だけども止まらない。
僕は、抱きしめて初めて気付いた。アスカの華奢さに。 壊れそうなその細い体躯をなるべく傷つけないように、抱きしめる。
僕も、アスカも、何も言わない。 お互いに黙って強く、でもそっと抱きしめ合った。
寂しさを埋めてくれる存在を失わないように、でも砕いてしまわないように。

涙を拭ってアスカを見つめる。
そこには涙と鼻水で整った顔が台無しになってるアスカが居て。
それすら愛おしくて、僕らは唇を重ねた。









    a nuisance―――













「ただいま……」

ミサトは靴を脱ぎながら、奥に向かって帰宅を告げる。 だが、奥からは何の返事も無い。
玄関のカギこそ閉まってはいたが、リビングの電気は点きっ放し。 部屋の中も普段と変わらず、夏の様に暖房が効いていた。

「三尉のところ、か……」

アスカに何かあれば確実に自分の元に連絡が届く事になっているし、それが無い以上余計な詮索はしまい。
そう結論付けてミサトはキッチンの冷蔵庫へと足を向けた。

ミサトは冷蔵庫から冷えたビールを取り出すと、リビングの隣の自分の部屋に向かった。
ビールの口を開けて一口飲み、机の上に置いてジャケットを脱ぎ捨てる。
脇にぶら下げたホルスターから拳銃を取り出して、安全装置を確認した後、机の上に置いた。
ブラウスの上半分のボタンを外し、ミサトの胸元が露わになる。 窓から入る月明かりが、縦に走るミサトの傷跡を照らした。

再びビールの缶を手に取り、床に座って壁にもたれかかる。 大きく缶を傾けて一気に喉に流し込み、そして大きく溜息をミサトは吐き出した。

(リツコは嘘を吐いてる……)

もしくは隠し事か。
リツコの部屋での様子からミサトはそれを感じ取っていた。

シンクロの話に移った時、リツコは落ち着きをわずかに失っていた。極力平静を装っては居たが。
だがすぐに落ち着きを取り戻した。そしてそれは話の方向が隠された部分とは別の方向に進んだに他ならない。
シンクロに関しての秘密、だがシンクロ率の仕組みについては問題では無い……?
いや、とミサトは頭を振った。
リツコが平静を失ったのは質問が予想外だったから。 ならば知られたくない部分でも、その質問が予想されていれば対処するのは難しくは無い。

「分からない事だらけね……」

三佐と言っても形だけの物。機密に関わる部分はほとんど教えてもらってはいない。
調べようにもこの肩書きが邪魔をして、満足に動く事すら出来ない。
よほど自分に知られたくないのだろうか。だが何の為に?

「結局、今出来る事からやってくしかないのよね……」

ならば、アスカとの関係を少しでも修復しておこう。兵士が指揮官の手から離れていくなどあってはならないのだから。
深呼吸をして、心を落ち着ける。
暖かい室内で、壁からのひんやりした感触が頭を覚ます。
アルコールの所為か、火照った頬を壁に押し付け、それがミサトには気持ち良かった。

だが、突如としてミサトは目を大きくし、壁を見つめた。
正確には壁では無く壁の向こう側。壁に耳を付けた瞬間聞こえてきた女の子の、いや、女の声。
ミサトにとって聞き慣れた声ではあったが、発せられた、艶を含んだ声はミサトに取って聞き慣れぬものであった。

ミサトは、胸が締め付けられるのを感じていた。
ぽっかりと出来た埋める事の出来ない空白。
それが何を意味しているのか、分かっては居たがそれを敢えて否定した。

(昔に戻るだけ……)

そもそも、家に帰って来て「ただいま」と発する今の状況の方が、自分にとって異常なのだ。
命令とは言え、一人では無いこの雰囲気に毒され過ぎてしまったのだ。
だからこの忘れていた感覚を思い出してしまう。

ミサトは缶に残っていたビールを飲み干し、テーブルの上のホルスターと脱ぎ捨てたジャケットを身につける。
電気を消し、エアコンのリモコンを持って暗闇の中に立ち尽くした。


プシュ、と音がして玄関が閉じる。
部屋は徐々に冷気に包まれていった。











     ―――fade away


























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