「お疲れ様でした……」

息も絶え絶えでミサトさんに頭を下げる。 で、頭を下げたは良いんだけど、そしたら今度は今度で気分が悪くなった。はっきり言えば吐きそう。

「何よ〜、だらしないわね〜。」
「そんな…事……言われ…ても……」

頭の上から降ってきたアスカのバカにした言葉にも返す言葉が無い。精神的にも肉体的にも。

「確かにね。シンジ君は判断とか瞬発力は良いんだけど、スタミナがねぇ……」

そうは仰いますがミサトさん、これでもかなりスタミナは付いた方なんですが。
同級生と比べても陸上で長距離を専門にやってる奴以外には負ける気はしませんし、 今なら10kmや20kmはきっと軽く完走できる。

「でもアタシやミサトにはともかく、レイにまで負けちゃねぇ……」

それを言われるとかなり辛い。
一応僕の名誉の為に言っておくと、格闘で綾波さんに負けたわけじゃ無い。
詳しく説明すると、今日の訓練はどういう訳かマラソン的なものだった。
大体ミサトさんが担当教官の日は格闘訓練か射撃訓練なんだけど、今日に限って外に出て走り回ってた。
10kgの装備を背負って。
軍隊が好きらしく将来は自衛隊に入るんだと主張して回ってるらしい相田君なら喜びそうだけど、 残念ながら僕はそこまで苦行が好きじゃない。軍隊に興味があるわけじゃないしね。

それでまあ、へっちらおっちらジオフロントの森の中を重装備背負って走ったわけで。
結果綾波さんも含めて僕が最下位。
まあ当然僕は男だから装備も重いんだけど、順位以上にショックなのが5km走り終わった後の皆の表情。
ミサトさんやアスカは納得として、5kgを背負って走ったはずの綾波さんも走り終わってもケロってしてる。
アンタら化け物ですか。

「失礼ね。アンタの体力が無いだけでしょ。」

大体、とアスカはミサトさんの方を見た。
……そうだった。ここに本物の化け物が居たんだった。

「……何よ、アンタ達……」

僕達(綾波さん含む)の視線を受けて、ミサトさんはちょっとだけ後ずさり。
そんな顔してもダメですよ、ミサトさん。貴女のその化け物っぷりは誤魔化せませんから。

「……全く、どうやったらそんなに人間離れした体力が付くのよ?」

アスカのボヤキも僕らの視線ももっともで、何せミサトさんは僕の装備重量の二人分を持って 一番最初に元の位置に戻って来たんだから。大して汗もかかずに。

「人間何より大切なのは体力よ、体力。
この前みたいにうまく助かるとは限んないんだからね?」




この前の停電の後、気が付いたら僕はまた病院に居た。
もう数えるのも馬鹿らしくなるくらいだけど、今回は目が覚めた時には前みたいに 片目が見えなかったり、片腕が無くなったりはしてなかったからまあ良しとしよう。
……すでに腕は右しか無いからこれ以上は失くしたくないけどね。
それはともかく、僕は無傷にも関わらず病院のベッドに居たわけで。
じゃあ何で病院に居たかと、その原因を記憶の中で探ってみる。


……どうも記憶がぼやけてる。
確か……通路で銃で撃たれそうになったのは覚えてる。
んでいつの間にかシンと入れ替わって……

『シン!お前は何があったか覚えてるか?』
(いや……何も。)


てなわけで、何も分かんないわけで。
後でミサトさんに聞いてみたところ、僕が発見された時、血溜りの中に倒れてたらしい。
なんで、大急ぎで病院に担ぎ込まれたんだけど、結局何処にも傷は無くって、目が覚めるまで病院に居た、と。 まあ、リツコさん曰く異常なほど衰弱してたらしくて、そのまま一週間入院になったんだけどね。
きっと気を失った後、誰かが(多分保安部とかそこら辺だと思う)助けてくれたんだ。 ありがたい事だ。心の中でお礼を言っておこう。

そうそう、ありがたい事と言えば、アスカと綾波さんが見舞いに来てくれたっけ。
アスカは「情けないわね〜」なんて言いながら、そして綾波さんは何も言わずに 見舞いの品―――定番の果物詰め合わせセット―――を差し出して、でもその表情はほんの少し嬉しそうで。
一言で言えば、二人とも至って普段通りだった。
だけど何となく二人とも僕を心配してくれてるんだな、ていうのが分かった。
こんな僕を、ホントに心配してくれる人が居るなんて。
それが僕にとっては堪らなく嬉しかった。
思わず頬が緩んでしまって、それをアスカにツッコまれたから素直にお礼を言ったら 慌てて「義理よ」とか何とか言って弁解してたな。微妙に日本語間違ってる気がしないでもないけど、まあいいや。 相変わらず可愛い奴め。




「は!ミサトみたいに体力バカなんてゴメンよ!」

おっと、今はミサトさんの異常な体力についてだっけ。

「葛城一尉は体力バカ……?」
「体力バカって失礼ね。言っとくけど、体力だけじゃ軍隊で生きていけないわよ?」
「どっちでも良いわよ。ミサトの体力がおかしい事に変わりないんだから。」
「そういえば、何でミサトさんは軍隊に入ったんですか?」

ミサトさんは結構美人だし、性格も明るい。
体格についてはずっと軍隊に居るからだろうけど、それでなくても見た目だけなら軍とは程遠い容姿をしてる。
勿論軍人としてのミサトさんを否定するわけじゃないけど、本来ならこんな所に居る人じゃない気がする。
何となく思いついたから質問したんだけど、そしたらミサトさんの雰囲気が少し変わった。
逆鱗に触れた、とかそういう類じゃなくて、何と言うか、悲しくて辛そうな、そんな感じだった。
それだけでこれが聞いちゃいけない事だったんだって気付いた。
少なくとも軍隊とか兵器に憧れて、とかそんな理由じゃ無くて、僕なんかが簡単に足を踏み入れちゃいけない 事なんだ。
考えてみればちょうどミサトさんとかは列島大地震の時に小学生だったんだ。 きっと僕とかが経験できない、大変な時期だったんだと思う。
自分の浅慮さに嫌気が差す。

「ん〜、力をつけるには一番手っ取り早かったから、かしら?」
「力、ですか……?」

その雰囲気を打ち消すかのように、ミサトさんは笑った。

「そ。目的の為に、ね……」

でもその声は泣いてる様に僕には聞こえた。














第拾参話 ひび割れ



















「アスカ、悪いけど皿取って。」
「ん〜……」

僕の呼び掛けにも生返事を返して動く気配は無い。
そしてアスカの居る隣の部屋から聞こえてくるのはテレビの音。 多分アスカが最近ハマってるクイズ番組だろう。
「仕方無い……
綾波さん、代わりに皿取ってくれる?広くて底の浅いやつを。」
「了解。」

簡潔な返事がして、そしてすぐ後に白い皿が僕の手の中に納まった。
……最初から綾波さんに頼めば良かった。
フライパンの中の少し焦げた野菜炒めを見ながらちょっと後悔。 僕の野菜炒めは醤油で味付けをするから焦げ付きやすいのに……。 いや、それ言い始めたら最初に自分で皿を出しときゃよかったんだけどね。

「ゴメン綾波さん。お茶碗人数分出してて。」
「分かったわ。」

僕のお願い通りに人数分の茶碗を出して、僕が手を差し出すと一人分ずつ渡してくれる。
んで、僕は炊飯器から御飯を注いでテーブルに置いていく、と。

「アスカ、準備できたからミサトさん呼んで。」
「ん〜……」

やれやれ……
まぁったく動こうとしないアスカを諦め、しょうがないから自分で奥の部屋に行って声を掛けた。
でも決してふすまは開けたりはしない。見るのが怖いから。

「ミサトさん、ご飯出来ましたよ。」
「は〜い。」

返事を確認したらすぐに冷蔵庫に向かう。
僕が冷蔵庫を開けたと同時にふすまが開いて、中からものすごい薄着のミサトさんが出てきた。 ちなみに今は真冬だけど、暖房をガンガンに効かせて正直暑いくらいだ。ここは北海道ですか。

「せめてもうちょっと何か着ません?」
「だって暑いじゃない?」
「一応僕の目の遣り所に困ると言ってみます。」
「あら、意識してくれてるの?」
「はいはい、そうですよ。」

こっちとしては風邪を引かないか心配ではあるんだけどね。
ミサトさんにいつもの様にビールを手渡しながら諫めてみるけど、やっぱり無駄っぽい。
まあ、ミサトさんが寒いのが嫌いなのは本当みたいだし、別に僕としても特別気になるわけじゃないから良いんだけど。

「アスカ、ご飯食べるわよ。早く来なさい。」
「……は〜い。」

ミサトさんに言われて、不承不承ながら素直にアスカはテーブルに着いた。
さて、それじゃ僕も席に着きますか。

「それじゃいただきます。」
「いただきます。」

ミサトさんの声を切欠に、僕らもご飯を食べ始める。
……ミサトさんはビールだけどね。
向かい側から「ぷっは〜!!」なんて声が聞こえてきた。ミサトさん、ご飯もちゃんと食べて下さいよ。

「ちゃんと食べるわよ。折角シンジ君が作ってくれたんだものね。」
「いや、そんな大層な物でも無いんですけどね。」

と言うか、何で隣に住んでるはずの僕がここで皆の飯を作ってるのか。
一言で言えば……惰性?
ある時、家に帰ったところでちょうどアスカに声を掛けられた。飯を作れ、と。
メンドイんで断ろうとしたけど、無理やり中に引っ張り込まれて、やむなく冷蔵庫にかろうじて残っていた 材料で適当に作ってやった。ちなみにアスカは全く料理が出来ないらしい。 お米を炊くよう頼んだら、お米を洗剤で洗うなんて古典的な事をやってくれました。

それから数日経ったら、またアスカに声を掛けられた。
今度は何か出前を頼むけど一緒に食べないか、と。
当然拒む理由は無い訳で、なら、と一緒にまた夕食を一緒に食べたわけで。 ただ出前の高級寿司を払うのが僕だったのには閉口した。

で、後日。ミサトさんと帰りが一緒になったからご飯も一緒にどう?て話になって。
それなら綾波さんも一緒に……みたいな話に続いていって、こうして現在に至る、と。
おかげで今じゃこうして週の夕食のほとんどを皆で食べるようになった。
と言っても全員が揃うのは週に一回か二回位だけどね。ミサトさんも僕もそこまで暇じゃ無いし。
でもこうやって皆で食事をするのは悪くない。 自分で作るのは僕だけだし、他の日は大体コンビニ弁当か店屋物だ。 家庭の味なんて微塵も無い。
だけど、こうして誰かと一緒に過ごせるのは心地良い。
昔は僕もこうして暖かい、家庭の味を毎日味わえてたけれど、それを僕は自分で捨てた。
心地良さを最初に捨てたのはどっちかは知らないけど。

「ん?」

横のカーテンが開いて、ペタペタと足音が。
だけどもその姿は無い。 なので視線を下に向けるとやっぱり居た。

「もう上がったんだ。湯加減はどうだった?」
「クワッ!」

椅子から立ち上がりながら聞くと、ペンペンは「グッド!」と言わんばかりに右手を大きく上に上げた。

(ホントに賢いペンギンだな。)

全く以ってシンの言う通りで、多分こいつは人間の言ってる事が理解出来てるね。
入院やら引っ越しやらでこっちで暮らしてる間あまり関わる事なかったけど、 こうして考えてみれば手間のかからない良いペットだ。

僕がペンペンのご飯を準備してる間、ペンペンは冷蔵庫に向かった。
脇に抱えたお風呂セットを片付ける……のかと思ったらトンデモ無かった。
冷蔵庫を開けると中からビールを取り出して鉤爪でプルタブをプシュ、とな。
そして腰に手を当てて一息に飲み干す!
喉を駆け巡る炭酸!苦味の中に隠れた大人の美味!
最後の一滴を胃に落とし終えたところで肺に溜めた息を一気に吐き出す!
カツン、と叩きつける様に缶を床に置いた。
うまい!!もう一杯!!

……なんだろね、このペンギンは。

「ミサト……」
「ミサトさん……」

僕とアスカのジト眼を受けて、流石にミサトさんも目を逸らした。
これはいい加減言い訳できないですよ、ミサトさん。

「ずいぶんと気持ち良さそうに飲んでましたね、ペンペン。」
「……そうねぇ、美味しそうだったわね。」

ちび、とビールを傾ける。ちなみに目は逸らしたまんま。

「いつからですか?」
「え、えっと〜……ここ二、三週間くらい?」

ふむ、ちょうど僕が入院してた頃か。

「いや〜、ほら、ちょっと試してみたのよ。ペンギンって飲めるのか、と思って。ね?
そしたらあんまりにもペンペンが美味しそうに飲んじゃうから……」
「だから最近ビールの減りが早かったんですね?」

どうも最近ゴミ出しの回数が多いと思ったんだ。
二人(一人と一匹?)で飲んでたらそりゃ多いさ。

「……今度から自分でカン・ビンはゴミ出しして下さいね?」
「はい……」

項垂れるミサトさんを見て、アスカの溜息が聞こえた。
ちなみにこの間綾波さんは黙々とご飯を食べ続けてたりする。





「そういえばさ……」

シンクに溜まった食器を洗いながら、隣のアスカに話しかけた。

「何よ?」
「ミサトさん、昇進してたね。」

僕が泡を洗い流して、アスカが乾燥機の中に並べていく。
手伝い始めは今にも皿を割ってしまいそうだったけど、ここ一、二週間で大分慣れたらしく(当り前か) 今は僕が渡す茶碗や皿を流れる様に片していってる。

「そうなの?」
「先日、一尉が新しい階級章を付けてるのを見たわ。」

だから今は三佐ね、と綾波さんがテーブルでお茶をすすりながら教えてくれた。
……何かシュールな感じがするけど、気の所為だという事にしておく。

「アンタもお茶すすってないで手伝いなさいよ。」
「あ、別にいいよ。もう終わるし、綾波さんが晩御飯持って来てくれた時は片付けてくれてるし。」

とは言っても基本自炊するの僕だけだけどね。

「ふ〜ん、じゃあ何かプレゼントでもしてやろうかしら?」
「だね。
でも凄いなぁ。26歳で三佐かぁ……」

確かにミサトさんは凄いと思う。訓練しててもいっつもそれは感じてる。

(でも早過ぎやしないか?)
『早いって…昇進が?』
(どんなに優秀でもそれは有り得ないと俺は思うがな。)
『何でもいいよ。結局ミサトさんが出世した事には変わりないんだし。』
(そう…だな……)

どんな理由があるにせよ、僕らには関係無い。僕らにはミサトさんが昇進した事が全てだ。

「じゃあ、お酒でも僕はプレゼントしようかな。」

勿論発泡酒じゃなくてビールを。アスカに頼んでドイツのビールを届けてもらうのも……それは流石に時間掛かり過ぎか。

「どうせなら盛大に祝ってやろうかしら?」
「何?パーティーでも開くの?」
「どうせミサトの喜ぶモンなんてえびちゅ位なモンでしょ? だったら心ゆくまで楽しく飲ませてやろうっていうのが情じゃない?」

やっぱり微妙に日本語違う気がするけど、言いたい事は分かった。
確かにミサトさんの好みなんて知らないし、変な物を贈るよりはそっちの方がいいかも。

「そっか……」
「何よ?文句あんの?」
「いや、アスカの案には賛成だよ。
ただ、ミサトさんの事何も知らなかったんだ、と思って。」

もうミサトさんと出会って半年近く経つし、毎日の様に顔を合わせてるけど、未だにミサトさんの事をよく知らないんだと、 改めて思った。

「……確かにミサトの趣味とか知らないわね。
ま、大方体鍛えるのとお酒を飲むとか、そういうところでしょ?」

お酒を飲んでるか、訓練の時の厳しい姿しか印象に無いからなぁ。
……そういえば最近ミサトさんも柔らかくなった気がする。
厳しいけど、前と違って角が取れたというか、人を寄せ付けない様な空気が少し無くなった気がする。

「それで、どうすんのよ?レイは何かいい案ある?」
「アスカの考えでいいと思うわ……」
「同じく。時間は……今度の日曜、午後から非番だって言ってたから、三時くらいからでどう?」
「それでいいわ。序でに日向二尉とかにも声掛けてみようかしら?」
「いいんじゃない?一人で飲むよりミサトさんも話し相手が出来ていいんじゃない?」
「レイもいい機会だし、ヒカリでも連れて来なさいよ。」







「……という件だったんですけど……」
「いいわ……何となく分かったから……」

ミサトさんが呆れるのも分かる。何故って?僕もつい五分ほど前に呆れたからだよ。


ネルフから帰って来て、そろそろか、とキンキンに冷やしたビールケースを抱えて僕は家を出た。
ビールは前日に買っておいたし、僕もずっとネルフだったから、ミサトさん家がどういう状況かは全く知らなかった。
それでも日向さんや青葉さんに声を掛けてたし、二人とも一日非番らしかったから 前準備を頼んでたんだけど、まさかこんな状況になってるとは思わなかった。
ドアを開けて飛び込んで来たのはまさに騒音。いや、轟音かな?とにかくやかましかった。
何が起こってるのか、とそっと奥に進んでみたら……ね?今に至る、と。

「ほら〜、何そこで突っ立ってんのよ〜!早く座りなさいよぉ!」
「そうですよ!今日は葛城さんの昇進パーティーなんですから、主役が居ないと始まりませんよ!?」

いや、もうどう見ても始まってるんですけど。ていうか、いつから飲み始めてたんですか? この勢いはすでに相当お酒飲んでないと出来ないですよ。

「いや、予想外に準備が早く終わりまして……」

青葉さんが言う事の顛末としてはこうだ。
ネルフの仕事が終わって、日向さんと一緒にすぐ出たらしく、準備もあるから早めにミサトさんの家に来たらしい。
お酒やらつまみやらを買って、後色々準備を手伝うつもりだったけど、 着いたらすでにほとんどの準備はされてあったらしい。
その功績は大体が綾波さんが呼んだヒカリちゃんで、料理が得意らしい彼女が料理やらお菓子やらを 予め作って来てくれたんだそうだ。
それは非常にありがたかったんだけど、お互いがお互いの事を考慮してなくって、 結局人数が増えた分、準備も早く終わっちゃったんだそうな。
まだ始まるまで一時間近くあって、子供組は洞木さん姉妹だ、鈴原&相田君だ、とか大勢で、 一方大人組は日向さん青葉さんの二人だけ。
子供達はそれぞれで話し出すから、大人二人は思いっきり手持無沙汰になっちゃった、と。
そこでつい、青葉さんと日向さんが台所でビールを一缶開けちゃったんだけど、それが全ての始まりだった。
アスカにそれを見つかり、アスカも飲み始めて、更にはコダマさんまで。 二人とも悪乗り好きだからなぁ。お酒も好きそうだし。
本来ストッパーになるはずのヒカリちゃんもアウト。 コダマさんが飲んだ時点でもうダメだね。ヒカリちゃんも無理やりノリで飲ませられて酔っぱらいの一丁出来上がり。
あっさりつぶれて、こうなったら鈴原君や相田君も飲まない訳が無い。
綾波さんは平気そうだけど、よく見れば彼女の周りには一番空き缶が転がってた。 「私は酔っぱらいじゃないもの三人目だから」とか一番訳の分からない事を口走ってるし。ダメだこりゃ。
かくして一同大宴会へと突入しましたとさ。

「何て言うべきかしらね……」

心底呆れた様子で、ミサトさんは大きく溜息を吐きだした。
だけど、それも表情もほんのわずかな時間だけで、一度小さく微笑んで、今度は少しだけ息を吐きだした。

「いいわ。今日だけは無礼講で行きましょう。
どうせこのマンションは上も下もほとんど住んでないんでしょう?」
「え?ええ。発令所勤務の上級職員しか住めませんし、この階周辺は誰も住んでないはずです。」
「OK。なら今日は大いに飲みましょう。
貴方達も最近本部に詰めっぱなしだったでしょ?」

そう言って、ミサトさんはテーブルに置かれた段ボールを乱暴に破くと、中からビールを取り出して、 そして一気に一缶飲み干した。

「よし!日向二尉!!何か芸をしなさい!!」
「は!不肖日向マコト二尉、僭越ながら一発やらせて頂きます!!」

笑い声の中に飛び込む様に入って行って、ミサトさんが一瞬にして酔っぱらいと化した。
命令された日向さんが何だか訳の分からない芸をして、皆の爆笑が聞こえる。
それに触発された様に鈴原君が前に出て、これまた訳の分からない芸を披露して、やっぱり一同は爆笑。
ミサトさんはいつの間にか肩から「祝!葛城三佐!!昇進おめでとう!!」とか書かれたタスキを掛けてる。

(何だったんだろうな、あの笑いは。)

何て事無い、ミサトさんの一瞬の笑み。
何かを諦めた様な、それでいて吹っ切れた様な、そんな笑い顔。
でも今はそんな色は微塵も無くて、他の皆と同じ様にバカ笑いを上げてる。

「とりあえず……」

僕と同じ様に置いてかれた感のある青葉さんを見上げた。この人はまだ素面らしい。

「僕らも飲みますか……」
「そうだな……」








「おやおや、こいつはちょっとばかし来るのが遅かったかな?」
「ミサト……貴女子供たちにも飲ませたの?」

加持さんは辺りを見回しながら、リツコさんは半ば呆れながら部屋に入ってきた。
やっぱ誰だって同じような反応をするよねぇ……

「失礼ねぇ。別にアタシが飲ませたわけじゃ無いわよ。」
「端的に言えば僕らが来た時点ですでにこうなってたっていうか……」

ミサトさんの言葉をフォローしながら、こそっと青葉さんを見たら、すぐに目を逸らした。 やっぱり戦犯の一人って自覚はあるみたいだ。
それに二人とも気付いたんだろう。それ以上ミサトさんに突っ込みはしなかった。

「それにしてもまだ六時だぞ? いくらなんでも寂し過ぎやしないか、葛城。」
「調子に乗って飲ませたんでしょ。ミサトの事だから。」

無礼講だなんて言って、とリツコさんが続ける。流石付き合いが長いだけあるね。 きちんとミサトさんのセリフを当てるなんて。

それにしても今日は色々想定外だった。
あんなに大人数になるとも思ってなかったし、いきなり酒盛りが始まってるとも思わなかった。
だって高校生と中学生が昼間の三時から酔っぱらってるなんて誰が予想できるよ? 外に漏れたらただじゃ済まないね。父さん辺りに知られたらミサトさんの昇進くらい簡単にぶっ飛びそうだ。

「ま、おかげでこうやってのんびり飲めるからいっか……」

僕以下の未成年は全員今は夢の中。結構広めのリビングのあちこちに大の字になって転がってる。
でもコダマさんまで大の字なのは女の子としてどうよ?とか思うけどね。
ヒカリちゃんの方は鈴原君の腕に絡めて丸まってる。 その顔はめっちゃ幸せそうで、なるほど、ヒカリちゃんと鈴原君はそういう関係か、と一人で納得してみたり。

幸せそうな子供たちを起こさないように、適当にテーブルの上を加持さんとリツコさんが片付けてる。 それを見た青葉さんが慌てて立ち上がって、その拍子に膝をテーブルにぶつけて悶絶してる。
本来なら一番年下で階級的にも一番下の僕が動かなきゃいけないんだろうけど、今はいいや。めんどい。 良い感じに酔いが回ってて動きたく無いし、動けない。 両横でアスカと綾波さんが僕に絡み疲れて寝てるし。子供だからって事で大目に見てもらおう。



ウイスキーの入ったグラスを傾ける。カラン、と小気味良い音を氷が立てた。
時刻は九時を回った。部屋の奥からはミサトさんたちの笑い声が聞こえる。
ついさっき鈴原君たちは青葉さんと日向さんに送ってもらった。 流石に中学生をこんな時間に(二日酔い状態で)帰らせるわけにもいかず、 かと言って泊めるには如何せん布団の数が足りない。夏なら大丈夫なんだろうけど。
まだほろ酔い状態の青葉さんと完全に酔いが覚めた日向さんに任せて、僕らはまだ飲んでる。 帰り際の日向さんの恐縮具合が申し訳無いけど笑えた。

大人たちの笑い声を背中越しに聞きながら、僕はベランダに出た。
かれこれ飲み始めてから六時間。正直お酒は特別強い方じゃ無いけど、 皆のペースについていけなくて、じっくりと飲んでたのが良かったかな。今でようやくいい感じに酔いが回った感じだ。
ポケットからタバコを取り出して口に。中学生が居るからね。酒の席で吸いたかったけど我慢してたから、ようやく 心置きなく吸えるよ。
と思ったら、体の感覚が急に無くなった。おいおい、勘弁してくれよ。

「悪いな。たまには俺にも楽しませろよ。」

言いながら火をつける。わざわざ声に出してしまうあたり俺も少々酔ってるらしい。
シンジには悪いが、タバコが上手い。アルコールと一緒に摂取するのは体に悪いらしいが、これは止められない。 無論、俺でもシンジでも、だ。
冬の寒空だが、火照った体には夜風が気持ち良い。アスカと綾波が居るからずっと外に出れなかったからな。
彼女たちは今頃布団の中か。ふ、アスカも口ほどにも無い。酒に飲まれるとはまだまだだな。
……くだらんな。何訳の分からん事を考えてるんだか。

「おいおい、高校生はタバコ吸っちゃいけないんだぜ?」
「……それを言うなら飲酒もダメですよ。」

急速に感覚が戻ってきて、加持さんよりもそっちの方にびっくりした。 シンの方も加持さんには気付かなかったらしい。酒の所為か、完全な不意打ちだった。

「君とは一度じっくり話してみたくてね。」
「出来れば女の人との方がいいんですけどねぇ……」
「そう言うなよ。男同士、お互い一人身なんだし、男同士だからこそ話せる話もあるだろ?」

な?と笑いながら話しかけてくる。その顔は気さくな雰囲気で、長い友人みたいにも感じられた。

「それは否定しませんけどね。
で、お話って何ですか?」
「特には無いさ。ただアスカが大分変ったな、と思ってね。」

アスカが変った?少なくとも僕の中ではそんな認識は無い。
部屋の中に目を移すと、そこにはミサトさんとリツコさんが楽しそうに話してて、当然ながらアスカの姿は無い。 きっと部屋で布団を半分蹴飛ばして寝てるんだろう。 姿は見えなくても、どうしてだかそんな気がした。

「ああ見えてもアスカは寂しがり屋でね。 ずっと誰かと今日みたいにはしゃぎたかったんだと思う。
だがそれと同時に、アスカは自分の価値を求めてるように思えるんだ。少なくとも俺にはね。 だから他人に対しても少し攻撃的で―――最近は大分也を潜めてるけど―――他人の価値を認めようとしなかったし、 必死に自分を磨こうと努力してきた。」

加持さんの言葉を聞きながら僕は、アスカと初めて会った時の事を思い出していた。
そういえば、会っていきなりアスカに殴られたっけ。思い出して少し苦笑いが漏れた。

「どうしたんだ?急に。」
「いえ、最初にアスカに思いっきり殴られたなぁと思いまして。」
「そうか。
だが君の印象としてはどうだい?」
「そうですね……少なくとも攻撃的ってイメージはありませんね。」
「だろう?多分、ドイツ支部の連中が今のアスカを見たら驚くだろう。 それくらい今のアスカは丸くなったよ。」

そこまで言って加持さんはグラスを傾けた。
僕も黙って二本目のタバコに火を点ける。肺に入れた煙が酔いを少し覚ましてくれた。

「丸くなったと言えば、葛城もだな。」
「加持さんもやっぱりそう思いますか。」
「ああ、それこそアスカと比じゃ無いくらいにね。 昔のアイツはそれこそ近づくのも一苦労だったよ。 必要最低限の事しか口にしないし、俺が知る限り、起きてる時はそれこそ全てを自分を鍛えるのに使ってた。」

加持さんの言葉が俄かに信じられなかった。
僕が最初に出会ったミサトさんとも違う昔のミサトさん。 正直、酒の席だし、大げさに言ってるんじゃないかとも思ったけど、話す加持さんの眼は笑って無くて、 それが真実だったんだと分かった。

「だから海の上で葛城と三年ぶりに会った時は本当に驚いたよ。
そして二人が変った理由は君にあると思ってるんだが?」
「そんな……買い被り過ぎですよ。
僕は何もしてませんし、ミサトさんの場合は会った時から大分丸くなってたと思いますよ。」
「でもアスカは変った。君に会ってから。」
「それでも僕なんかが何かしたわけじゃありませんよ。
ただ……そうですね、僕とアスカは何処か似てるんだと思います。
何が似てるのか、と言われたら困るんですけど、何となくそう思うんです。
ほら、類は友を呼ぶって言いますよね?
僕はアスカほど努力もしてないですし、自分でも情けない奴だと思いますけど、 近いところがある気がするんです。」

傲慢だね、全く。他人の事を分かった振りをして、それを人に話すなんて。
でもこれは最近ずっと感じてた事だ。
加持さんに言ったみたいに、何処がどう、と言われると困るけど、どうしてだか、そう感じるんだ。

「て事は、葛城もかい?」
「ミサトさんは分かりません。ミサトさんの方は加持さんの方がよく知ってるんじゃないですか?
付き合いは結構長そうですし。」
「そう言われるとなぁ……
ま、でも言われてみると君とアスカと葛城。三人とも似ているっちゃあ似ているかもな。」
「誰と誰が似てるですって?」

顔を上げると、ビール片手にミサトさんが立っていた。
サッシを開けて、リツコさんと一緒にベランダに出てきた。

「アスカとシンジ君がね、君に似て可愛いって話だよ。」
「僕が可愛いって言われても嬉しくないんですけど。」
「あら、シンジ君も結構可愛いと思うわよ?化粧してみると似合うわよ、きっと。」

勘弁して下さい、リツコさん。僕が化粧したらそれだけで犯罪です。 ただでさえ父さんに最近似てきてる気がするんですから。
何ですか、リツコさん。その残念そうな顔は。

「それはそうと、今司令たちは南極に居るんだったかな?」
「そうよ、副司令と二人揃ってね。」

何だって南極なんかに居るんだか。何も無いだろうに……

(いや、そうとも言えん。南極はある意味始まりの場所だからな。)
『始まりって……そうか、セカンドインパクトか。』
(俺たちには分からない、何か重要な事でもあるんだろう。)

確かに。じゃないと、トップ二人が揃って居なくなるなんて考えられないし。
あれ、じゃあ今のトップは……

「もしかしなくても、ミサトさんが今のトップですか?凄いですね、その若さで。おめでとうございます。」
「ありがと。」

赤くなった顔で、ほんの少し微笑んだミサトさん。
でもその表情はあまり嬉しそうでは無くて。

「どうしたんですか、ノリが悪いですね。 凄い事なんですから、もうちょっと喜びましょうよ。」
「そうね……」

口では同意しつつも、やっぱりミサトさんの表情は冴えない。
何か僕は変な事でも言っただろうか。いつもみたく、自分が気付かないうちに誰かを傷つけてしまったのだろうか。
不安に駆られながら加持さんとリツコさんの顔を見ると、二人とも顔を見合わせてた。 良かった。僕の所為じゃ無いみたいだ。

「正直昇進したのはありがたいわ。
でもね、所詮本来ならあり得ない事なのよ……」

ミサトさんはビールを大きくあおって、欄干にもたれかかった。
その表情には情けなさと、やるせなさみたいなモノが混じってて、苛立った様にもう一度ビールを流し込んだ。

「まだアタシは二六歳なのよ。
なのにもう三佐。普通の軍隊なら尉官にすらなってないはず。」
「でも僕だって一応三尉ですし、ネルフだったらおかしくないんじゃないですか?」
「だとしてもアタシがトップっていうのは無いわね。他にも諜報部や保安部にふさわしい人は居るわ。 経歴も年齢も相応の。加持やリツコがなったって別に構わないもの。形式だけのトップならなおさらね。」

目を細めてリツコさんをミサトさんが見つめる。
最近は見覚えの無い、鋭い視線がリツコさんにぶつけられて、リツコさんは目を逸らした。

「なのに作戦部だけ二六歳のアタシがトップで最年長。この意味が分からない訳無いわ。」

右手に握られたビールの缶が潰れ、残ってた中身が飛び出る。

「目的を果たす為にアタシは努力をしてきた。寝る間を惜しんで自分を鍛えてきたわ。
戦場にも進んで行ったし、何度も死にそうになった。友人も作らないで、一人でずっと生きてきた。
その結果がこれよ!誰かの掌の上で踊ってるだけ。
人心掌握も勉強してきた。したくも無い人付き合いも……」
「もういい、葛城。
今日は飲み過ぎだ。もう休もう……」

ミサトさんの手から優しく缶を取って、加持さんはミサトさんと一緒に奥へ消えてった。
今まで見た事のないミサトさんの様子に、僕は、掛ける言葉を持たなかった。
ただ、最後の言葉だけは、僕の中に小さな棘を残してた。




















NEON GENESIS EVANGELION 
Re-Program



EPISODE 13




What do I stay here for?



















「こりゃまたデカイですね……」

発令所全体がどよめきに包まれてる中で、青葉さんが溜息交じりに呟いた。
驚き、呆れ、諦観……感情は様々だけど、発令所の誰を見ても視線は巨大な目の前のモニターに釘付けになってる。 それはアスカも例外じゃ無くて、でもその表情は今言ったどれでも無くて、使徒が来るのを待ち望んでたように見える。 モニターにそんなに意識が向いて無いのは僕と綾波さんくらいか。

当たり前だけど、別に青葉さんはモニターのでかさを言ったわけじゃない。 問題なのはそのモニター一杯に広がる使徒の姿な訳で、巨大さも然る事ながら、その模様にも僕は驚くね。 てか、使徒のセンスを疑うよ。
ダンゴが三つくっついたような膨らみのそれぞれに巨大な目玉が描かれてて、 アスカの話だとこの前の使徒も全身に目の模様があったっていうから、何か意味でもあるのかな?

そんなどーでもいい事考えてたら、またどよめきが聞こえた。
意識を正面のモニターに戻すと、もうすでに画面は砂嵐に変わってた。綾波さんによると、A.Tフィールドで監視衛星が 壊されたらしい。

「でかいのは分かりましたけど、この使徒って具体的にはどれ位なんですか?」

さっきの映像だと背景が宇宙だから、いまいち想像できない。
何せ、宇宙だから比べられる物が何も無い。

「そうね……ジオフロントが軽く埋まるでしょうね。」

事も無げにあっさりと仰るリツコさん。いやにあっさりしてますね。その大きさって結構シャレにならないと思うんですけど?

「使徒が非常識なのに慣れたから、かしらね?でも、次のを見ればもっと驚くと思うわよ。」

言いながらマヤさんに指示を出して、砂嵐からモニターが変った。 三枚の写真が並べられてて、そのどれもに、中心部分に綺麗な円が出来上がってる。
どうもこいつが衛星写真らしい事に僕が気付いたのは、最後の一枚が見覚えのある形を持ってたから。 房総半島の先っぽの所が見えて、この円の大きさが実に分かりやすいね。

「一応尋ねますけど、この円って何ですか?」
「使徒の攻撃の威力よ。超高高度から自らの肉体の質量比0.5%を投下。
たったそれだけで、N2兵器の20%相当の威力が観測されたわ。」

ちなみに最後の一発が原因の津波で、沿岸の住民にそれなりの死者が出たらしい。
その話が出た時、アスカの肩がほんの少しだけ揺れたのが見えた。

「徐々に修正していってますね。」
「この写真を最後に、以後電波障害の為目標の位置を確認出来ません。」

それってやばくないですか。いつ落ちてくるか分かんないと何も出来ませんよ。

「大丈夫よ。ある程度の高さになったら光学観測が可能だし、タイミングも今までの行動から予測は出来てるわ。」

リツコさんがまたマヤさんに指示を出すと、今度は画面一杯に赤い円が広がった。
何かと思ってると、今まで黙ってたミサトさんが今日初めて口を開いた。

「ここからが本作戦の主要部になります。
これは技術部に作成してもらった第三新東京市のマップです。そしてこの赤い円内にエヴァを三機配置します。」
「使徒は今度は全体がここネルフに向かって落下すると予想されるの。計算上はこの円内、何処に落ちても本部を根こそぎ 持っていくだけのエネルギーは持ってるわ。」

誰かが息を飲む音が聞こえた。第三新東京市ほぼ全域を、たった三機でカバーしなくちゃいけない。 だけど、それにはどう考えても広過ぎる。
いつの間にか、僕の口も乾いて少し気持ち悪い。

「それで、作戦は……?」
「レイ、貴女達三人に直接受け止めてもらいます。」
「な!?」

アスカの驚きもよく分かる。声を上げたのがたまたまアスカだっただけで、多分他の誰かが、 もしかしたら僕が叫んでたかもしれない。
それくらいミサトさんは無茶を言ってるし、それは誰の目にも明らかだ。

「アンタ、自分で何言ってんのか分かってんでしょうね!?」
「目標を光学観測でしか捉えられず、おまけにあれだけの大質量とA.Tフィールドをどうにか出来る戦力はエヴァのみ。
ならば受け止めるしかないでしょう?」

細められた眼でミサトさんはアスカを射抜く。口調は視線ほど鋭くないけど、そこには一切の反論を許さない響きがある。
だからか、アスカもミサトさんを睨むだけで何も言い返せない。
アスカが黙ったのを見てか、ミサトさんは更に説明を続けた。

「すでに特例D−51は発令されました。今頃第三新東京市はもぬけの殻。 その中を、最初の配置位置から貴女達に駆け抜けてもらうわ。
高度一万メートルまではマギが誘導、その後は各自の判断で対処を認めます。
ただし最悪間に合わない時は即座にフィールドを全開。少しでも本部へのダメージを食い止める事。いいわね?」

何か質問は?、と眼で聞いてくる。だけど僕からは何も無い。だってやる事は単純だから。
使徒めがけて走って受け止めて、殲滅するだけ。戦術も戦略も何も関係無い。 間に合えば助かるし、そうじゃなかったらこの世の終わり。十数年遅れのノストラダムスの大予言の実現だね。

「一応規則では遺書を書く事になってるけど、どうしますか?」

敬語のまま、ミサトさんが尋ねる。視線も変わらず、ただ冷たく僕らを見つめる。
だからか、僕も淡々とした口調で答えてしまった。

「必要ないです。」
「同じく、必要ありません。」
「ち……アタシもいらないわよ!!」

綾波さんはいつもと変わらず、アスカは叫びながら。
それを見て、ミサトさんは少しだけ表情を緩めた。

「帰ってきたらステーキでも奢ってあげるわ。」





「しっかし、ステーキねぇ……」

思わず笑いがこみ上げる。別にステーキが悪いとかじゃないんだけど、ご馳走の代名詞にそいつが出てくるところが何とも言えない。
まああれもミサトさんなりのメッセージなのかもしれない。 「生きて帰って来なさい」という。

「こっちがこれだけ命賭けてんだから、ステーキとかしょぼい事言わないでパーっといけばいいのよ。 例えば高級フランス料理とか。一人何万円もするやつ。」
「そんな事したらミサトさん、破産だよ。
それはともかくとして、アスカの言う通りそれ相応の事をしてもらおうよ。 生きて帰ってさ。」
「そうね。」

プラグの壁に映し出されたアスカの表情が少し強張った。
現実感は湧かないけど、そう、僕らはこれで死ぬかもしれない。 現実感が湧かないのは恐怖故なのだろうか。それとも相手のスケールがでか過ぎて、うまくイメージできてないからだろうか。
そこまで考えて、今度は苦笑いが出てきた。
この問いをするのも何ヶ月振りだろうか。思えば最後に使徒と戦ったのはまだ暑い海の上で、しかもその時は弐号機。 初号機に乗っての実戦なんてあの大砲野郎の時以来だ。
初めてこいつに乗って、僕の何かを失って、希薄な現実を半年近く過ごしてきた。 現実感が無いのは当たり前だ。エヴァに乗ってない時の僕は僕で無いのだから。

「ねえ、シンジ……
アンタは何でエヴァに乗ってるわけ?死ぬかもしれないのに。」
「突然だね、また。」

苦笑いしながら、僕は回線を秘匿回線に切り替えた。 これで本部には聞かれる事は無い。あくまで本当に秘匿回線になってるなら、だけど。

「何でだろうね。ここに来た時はエヴァに乗るだなんて思いもしなかった。 ただ父さんに呼ばれて、そしてすぐに帰るものだと思ってた。一緒に住みたいだなんて気持ち、もう無かったしね。
だけど、脅されるようにして、半ば強制的に乗って、戦って、また戦って、気が付いたらもう僕はこいつから離れられなくなってた。」

エヴァに乗ってる時だけが、僕に現実を与えてくれる。自由をくれる。解き放ってくれる。 そして僕に力を与えてくれる。ちっぽけで、臆病な僕に、何物にも代え難い力を。 何も出来なくて、何をやっても自信が持てなかった僕に希望を。
僕はそれを手放したくない。だから僕はこいつに乗り続ける。

「脅された?」
「そ。周りからは白い目で見られ、ミサトさんには銃を突き付けられてね。
あの時は逃げ場なんて全然無かった。ホントに怖かったよ。
でもね、今は感謝さえしてるよ。そのおかげで僕はやる事を見つけられたんだから。
ま、いきさつはそんなんだけど、結局は一種の英雄願望的なものがあるのかもね。 皆に褒められたい、崇められたい、てね。
アスカは?」
「アタシは……」
「おしゃべりはそこまでよ。」

発令所から秘匿回線が強制的に切り替えられて、アスカの隣にミサトさんの厳しい表情が浮かび上がった。
時間が来たか……アスカの話は気にならなくはないけど、今はこっちの方が優先だ。
軽く顔を叩いて気合いを入れて気分を入れ替える。
そして初号機とのシンクロを開始した。
途端、久々の感覚が戻ってくる。テストや実験じゃ味わえない、この高揚感。 自然と僕のテンションも上がる。
だけど久しぶりの所為か、どうも微妙に感覚が違う気がする。

「すごい……シンクロ率もアスカに迫ってます!」
「久々の実戦だって言うのに……」

発令所からそんな声が聞こえてくる。シンクロ率の所為なのかな、この違いは?

「各機スタンバイ!!」

ミサトさんの鋭い声に、僕らは一斉に体勢を整える。
まだ奴は見えない。早くスタートしたい。走りたい。駆け出したい。内からこみ上げる衝動を今すぐにでも開放したい。
だけどもそれを堪える。限界まで耐えた方が後で気持ち良くなれるから。
奇妙な渇きを我慢して、姿が現れるのをただじっと待った。



「スタート!!」

弾けた。
引き絞った弦みたいに、耐えた自分の中の「何か」を一気に解放する。

「位置は!?」
「第三新東京市西部!初号機の近くです!!」
「高度二万メートルを通過!!」
「大丈夫!初号機なら二秒近く余裕があるわ!!」



足の裏から伝わる振動が、地面を踏み潰す足音が僕の鼓膜を揺らす。



「兵装ビル全砲門目標に標準合わせ!!」



つま先から頭のてっぺんまで、全神経が、全細胞が待ちわびた時に喜びの声を上げてる。



「零号機、目標到達位置までマイナス2.1秒!」
「弐号機もマイナス2.5秒!!」



なのに



「撃てぇっ!!!!」



なのに



「全ミサイルの着弾を確認!!」
「目標へのダメージ、認められません!」
「そんなの期待しゃちゃいないわ!!二機の到達までの時間はっ!!??」
「零号機、マイナス1.5秒!並びに弐号機、1.8秒、いえ1.6秒!!」
「弐号機のシンクロ率が上昇しています!!」
「すごいわ……アスカの最高記録だわ。この状況下でよく……いえ、こういう状況下だから、かしら?」



どうして……



「初号機は!?」
「は、はい!!
そんな……」
「どうしたの、マヤ!?」
「伊吹二尉!!報告は正確に!!」
「初号機、到達までプラス1.4秒!!予測より初号機の移動速度が落ちています!!」



どうしてこんなに体が重い!!??



「何ですってぇ!!」
「でも変なんです!初号機のシンクロ率は上がってるのに……」
「どういう事よ、リツコ!?」
「分からないわ!有り得ないことなのよ!!」

くそ……何だよ、これ。まるで風邪引いた時みたいだ。
ずっしりと芯は重いのに、手足は羽が付いたみたいにふわふわして、感覚が鈍い。
急げ、急げ、急げ。
気持ちは逸るけど、イメージに体が付いて来ない。いや、最早イメージの中でさえも上手く動かせない。

『どういう事だよ、シン!!』
(知るか!!俺が聞きてぇよ!!)

頭の中で全てを罵る。何を、なんて分からない。ただ罵詈雑言だけが僕の頭の中を駆け巡る。
その所為か、途中の建物に引っかかってたたらを踏んだ。くそったれ……!!

「初号機プラス0.4秒!!」

時間がみるみる内に減っていく。なのに体は動かない。
むかつく、何もかも。何より、自分が。
もう何も見ない。見たくない。考えたくない。
だから僕はがむしゃらに足を動かす。プラグの機材に足が当たって、鈍い痛みが走る。

「くうっ!!」

不意に世界が暗くなる。だけど決して僕が目をつぶったわけじゃない。
首筋にびりびりと伝わるしびれ。ぞくっとした感触にうつむいた顔を上げると、そこには「目」が広がっていた。

「あ……」

間に合った。
だけど、それと同時に圧倒的な何かが僕の心を締め付ける。
呼吸が止まる。心臓が縮こまって、血液を送り出してくれない。
刹那、僕は叫んだ。

「うわあああああああああああっっ!!!!」

フィールドを全開にして使徒を受け止める。だけども巨大な「目」は僕を睨みつけてじりじりと迫ってくる。
少しずつ、でも確実に大きくなってくる。
地面が沈んで足がめり込んで、掲げたはずの掌が段々僕に近づいてきた。
体が、腕が、脚が、神経が、細胞が……心が軋む。
痛い、痛い、イタイ。
何もかもが砕けてしまいそうだ。
どうしようもなく逃げたくなって、でも逃げられなくて。
小さくなってたはずの心が今度は、はち切れそうで、苦しくて。
頭の中が白く染まって、そんな中で一つだけ言葉が浮かんできた。









恐怖











「いやだああああああああああああああああっっっ!!!」

何だこれなんだこれナンダコレ!?
恐怖って何だよ!?怖いって何だよ!?そんなのとっくの昔に消えたはずじゃないのかよ!?
なのに何で!何で今になって思い出してんだよ!!??

「ぜ…号……ご……機……」
「い……りく…!!」
「な…で…近…けない……よ……」

何で僕だけ痛い目に合ってるんだよ!?苦しいんだよ!?アスカは!?綾波さんは!?ミサトさんは!? リツコさんは!?父さん!!
いやだいやだいやだ……!
いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ!!
痛いのは嫌だ!死ぬのは嫌だ!!一人は……嫌だ……!!



一人は嫌だ。一人は嫌いだ。でも一人の方がいい。その方が傷つかないから。誰も傷つけないから。
だから僕は一人だ。僕は一人で生きてきて、これからも一人で生きていく。



「シン……率…低下……!!」
「A……ルド…しゅつりょ…が上が……」

そして意識が、爆ぜた。












    a nuisance―――







発令所は沈黙で満ちていた。静寂では無い。 マイクからは、けたたましい音が溢れ返り、怒号や叫び声が切れる事なく飛び出してきていたから。
だが今、発令所は間違い無く静寂で包まれていた。 誰一人として言葉を発する事は無い。 皆が正面のモニターに釘付けになっている点では、先の使徒が現れた時と同じと言えるかもしれないが、 場を支配する雰囲気は似て非なるものと言える。
その証左と言えるのが、時折漏れ聞こえる声。 数時間前はどよめきだったが、今は胃の中身をぶちまけんとする体の命令とそれを堪えようとする脳の命令がぶつかり合った 結果の嗚咽が、沈黙にわずかなアクセントを加えていた。

砂嵐から復活したモニターは使徒の姿を捉える事は無かった。
代わりに映し出されたのが、一部の装甲がボロボロになった零号機と弐号機。 共に持っていた、使徒を切り裂いたナイフはすでに無い。使徒が爆発した際に一緒にもっていかれた。
そしてその狭間にあったのは、地に伏す初号機の姿だった。



他の二機が到着する寸前、初号機ただ一機の力で巨大な使徒―――サハクィエルが持ち上がった。
雄々しく、猛々しく。
見る者に畏怖の念を抱かせる初号機の元に、遅れて零号機、弐号機が到着した。
ナイフをサハクィエルに向かって突き出し、初号機によってフィールドが中和されている為にあっさりとその身に突き刺さる。
瞬間、初号機の両腕が砕ける。役目を終えたかの様に骨が砕け、続いて膝が折れた。
それと同時にサハクィエルの体が不自然に膨らみ、そして閃光。
爆発した使徒の体がエヴァを巻き込みながら世界を削り取っていき、それが収まった時には使徒を受け止めた丘はすでに消えていた。
見下ろしていた視界が、今はただ平坦。
そして、二機の間には姿を変えた初号機だけが居た。

「ぁ……」

ノイズが切れた発令所に、小さく声が漏れた。
それがレイとアスカ、どちらの声だったのかはミサトには定かでは無い。
だが、それがきっかけとなって、比較的静かだった発令所に悲鳴が広がった。

「いやあああああぁぁぁっ!!!」

剥がれた特殊装甲。落ちた腕。むき出しの素体。そして、切り離された半身。
大腿から上だけを仰向けにして、初号機はその素体の瞳で光無く晴れた空を見上げていた。

「初号機パイロットの反応は!?」
「ダメです!!こちらからの一切の信号が届きません!」
「くっ……!
アスカ!初号機のエントリープラグを強制射出!!引っこ抜きなさい!!」
「……」
「アスカ?」
「……のはいや……死ぬのはいや……」

ミサトの命令に、アスカは答えない。 モニターには自身の両肩を抱きしめて、震えていた。

「ちっ!!レイ!!」
「……え?」
「このままじゃシンジ君がやばいわ!!早く!!」

苛立たしげに舌打ちをすると、アスカに代わってレイにミサトは指示を出す。
そのレイの方も呆けてはいたが、すぐに気を取り直して初号機の方に手を伸ばした。
しかしその手もすぐに止まった。

「何よ…これ……」

零号機のモニターから送られてくる映像に、発令所は完全に言葉を失った。
ピクリとも動かなかった初号機。 だが零号機が手を伸ばすと同時に、わずかに震えながら左手を動かす。
地面をはい、切り落ちた右手の元へ向かう。
緩慢な動作で腕を伸ばし、つかんだ腕を初号機は徐に切り口へと当てた。
途端、押し当てた切り口が泡立ち、肉の塊がゆっくりと断面をふさいでいく。

「シンジ君が……三尉がやってるの……?」
「そんなはずないわ…彼にこんな事が……」

全員が見つめる中、切断された腕が完全に元通りに戻る。
砕けた骨格部分も、抉り取られた筋肉さえも。
腕の再生が終わった刹那、続いて脚の肉が盛り上がる。
完全に消失していた脚部だが、骨が伸びその上を紅い肉が覆いかぶさる。
少し進むと再び骨が伸び、同じ光景が広げられた。
肉が盛り上がり、すぐさま細胞分裂を繰り返す。
生物ならば誰もが行われる、いわば自然のサイクル。 だがそれも度が過ぎ、むき出しの骨と肉、そして皮が再生していく様はおぞましさしか感じさせない。

「うっ……」

ずっと口に手を当てて堪えていたが、マヤはついに胃の中身を床に戻してしまう。
吐瀉物が床を汚し、その中に膝をつく。 だが、マヤにはそれすらもモニターの光景に比べれば清潔な物に見えた。

「何て物を私達は……」

リツコの呟きが皆の耳を小さく、だが確実に届く。
しかし、その呟きに反応出来た物は誰も居なかった。
ただ初号機のみがその身を動かしていた。









光が落ちたプラグ内で、影が動く。
普段よりも濃い血の匂い。循環が止まったLCLはその色をより濃くしていた。
右腕が目を覆い隠す。
そっと触れる様に、ほんの僅かな時間だけ眼の上で掌を静止すると、すぐに通過して髪をかき上げた。
二、三度瞬きをし、機能に異常が無いかチェックする。
視覚に一切の異常が認められない事が確認できると、影は自身の左腕をじっと見つめた。
するとそれまで形を保っていたスーツが中身を失い、スーツだけが宙を漂う。
それを紅い瞳がつまらなさ気にじっと見つめていたが、やがて眼を逸らすとそのまま瞳を閉じた。







     ―――fade away



















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