a nuisance―――






しとしとと雨が降り注ぐ。
日は落ち、暗闇が帳を下す中、道路に設置された街灯が頼りなく通りを照らしている。
道のあちこちに小さな水溜りが出来、細かな雫がそれに波紋を広げていた。

仄かに道路を照らす街灯。 その下には雨に濡れた、ふくらみを持った衣服が転がっていた。

「うぅ…くそぉ……」

うめき声に混じって恨み節が暗闇に響く。
一つではないそれは、似た様な言葉を吐き出しつつ、辺りに伏していた。
立ち上がろうにも彼らは立ち上がれない。 彼らの足は現在、全員がその機能を失っていたから。
通りに横たわるしか出来ない彼らの耳に足音が届く。
パシャパシャ、と靴が濡れるのも厭わない程急いで迫ってくるそれは、決して彼らにとって好ましいものでは無い。
彼らにとってその足音の主らは自分らが鉄槌を下さねばならない、明確な敵であり、 また迫ってくる彼らにとっても自分らは邪魔な存在だと分かっていた。
見つかれば、間違いなく殺される。

逃げなければ。ここから一刻も早く逃げ出さねば。
まだ自分らはここで死ぬわけにはいかない。

決して死が怖いのではない。 神の名の元に殉教するのだ。彼らにとって死は恥でも何でも無く、むしろ誇らしい事ですらあった。
彼らが恐れているのは死そのものでは無く、道半ばにして何も出来ずにこの世を去らねばならない事だった。

少なくとも奴らに、神の代行者として神の怒りを示さねば……
その為には、今奴らに見つかるわけにはいかない。 急がねば……

全員が同じ気持ちでもがき、泥水をすするが、意に反して体は前へと遅々として進まない。
ただその場の水をかくだけで、砕けた足は力無く溜まりに沈んでいた。

激しい水しぶきを立てて迫ってきた足音は、やがてその音を消す。
雨の中、真黒のレインコートを着込んだ男達は、地に転がる男達を囲むようにして無言で見下ろした。

「くっ……!!」

口に悔しさを滲ませ、白人の男は屈強な男達を睨みつけた。
だが黒づくめの男達は冷徹な、感情を感じさせない瞳で見下ろすだけ。 しかし白人の男のほんのわずかな攻撃さえ許さないほど、彼らは一分の隙もなく直立していた。

「あー、スマン、ちょっと通してくれないか?」

場にそぐわない、人によっては能天気とも言える声が張りつめた空気を破る。
だがその声が聞こえた途端、男達はスペースをあけ、声の主が通れる道を作る。
半分潰れたタバコをくわえ、無精ひげを生やした男は頭をボリボリと掻きながら白人の男の前に立つ。

「どうだい?立てるか?
いや、これは無理だろうな。見事に膝をやられてるなぁ。」

そう言いながらも加持は雨に濡れる中でタバコをふかし、一向に手を貸す素振りさえしない。
白人の方もそんなものは期待していないのか、加持の言葉に表情を変える事なく、ずっと睨み続けていた。

「この……神の敵が……!!」
「おや、お宅らにとっては今回の行動はジ・ハードってわけかい?
ああ、それはイスラム教だったかな?」

俺も歳をとったもんだ、とうそぶきながらクック、と笑い声を上げる。
地面に伏す男はその加持の様子により一層睨みを利かす。

「やあ、スマンスマン。馬鹿にするつもりはないんだ。
何せあんた等にとっちゃ、命を懸けるに値する神様だからな。 不快に思ったのなら謝るよ。」

そう言って、加持はポケットから灰皿を取り出し、タバコをもみ消す。 雨に濡れた火種が音を立てて消え、そして加持は別のポケットからくしゃくしゃになったタバコを取り出すと、 新たに火をつけた。

「だが残念ながら俺は無宗教でね。
神に対する感謝と畏怖の心なんてものは十五年も前に捨てちまったよ。」

大きく煙を吸い込み、そしてゆっくりと吐き出す。
用は終わりだ、とばかりに男に背を向ける。そして黒服の中のトップらしき男に対して一言声を掛けた。

「監視対象に撒かれるとはな。大失態だな。」
「申し訳ありません。」
「俺に謝られても困るさ。お宅らとは俺は直接関係ないからな。」

じゃあな、と手をヒラヒラさせながら黒服と別れる。
加持が黒服の列を抜けると、男達が一斉に倒れている男達に駆け寄り、強引に立たせると、 いつの間にか用意されていた車に乗せられる。
一人、また一人と消えていく中、先ほどの男は乗り込み際に振り向くと加持に向かって叫んだ。

「神は必ず貴様らに罰を下される!!必ずだ!!」

その叫び声に加持は立ち止ると、振り返って言い放った。

「神さんを信じるのは勝手だがな、神は人間には何もしてくれやしないんだよ?知ってたかい?」

ニヤ、と笑うと、加持は今度こそその場から立ち去ろうとした。
だがもう一度立ち止まり、人が居なくなった改めて現場を見る。

「しかし……全員の膝を砕いて回るとはな……」

追いかけてこられないように、とはいえ、見かけによらず恐ろしいものだ。
口には出さず、そう内心で呟くと、レインコートのフードを被ってその場から立ち去った。
男達が去った後には、何一つ残っておらず、ただ雨だけがずっと降り続いていた。










     ―――fade away










第拾壱話 見えない世界













「バカシンジ。」

後ろから呼ばれて僕は振り返った。 振り返らずとも後ろに居るのが誰かなんてすぐ分かる。
僕の事を普段から「バカ」なんて呼ぶ人間なんて一人しかいないし。

「アスカか。アスカも今着いたところ?」
「そ。コダマとちょっとショッピングしてきた。」

勿論レイとヒカリも一緒にね、とアスカは付け加えた。

先日の文化祭以来、アスカはコダマさん―――妹さんが居るから便宜上名前で呼ぶけど―――といつの間にか仲良くなってた。
最早大惨事と言って差し支えない荒れっぷりだったけど、どういう訳かアスカ暴走の被害にあったのは 僕ら男子と教室だけだったらしい。 こっそり洞木姉妹と綾波さんは避難してたみたい。裏切り者め。
それに、まあ、アスカもそこら辺の分別は残ってたんだろう。
まあ悪いのは僕なんだけどさ。もう少し手加減してくれても良かった気がする。

それはともかくとして、その日以来何があったのか知らないけど、ちょくちょく二人で、 時には今日みたいに綾波さんも連れて遊びに行く事も多い。
多分アスカにとって綾波さんは妹みたいな存在なのかもね。
僕が見たところ、綾波さんは世間知らずというか、世の中をあまり知らない気がするから きっと彼女にとってもいい勉強だと思う。
文化祭の時、鈴原君や相田君が、綾波さんがついてくると言ったのが意外だったみたいだし、 こんな想像するのは失礼なんだろうけど、綾波さんってあまり友達が居ないだろうと思う。
表情の変化に乏しいし、だからこんな風にアスカが連れまわしてくれるのはありがたい。
僕は仕事で忙しいし、流石に女の子の常識は分からないからね。

そんな事を考えてて、ふと我に返って苦笑した。

(まるで父親みたいだな。)
『ホント、自分でもそう思うよ。』

ホント、何様のつもりだろうね。自分の事で精一杯だろうに。
ま、こんな風に他人の事を考えられるっていうのは良い事なんだろうね。 自分にまだ余裕があるって事だろうから。

「何よ、ニヤニヤして?」
「いや、何でも無いよ。」

アスカにそう言ってネルフの中の長い廊下を歩きだす。
さあ、これから今日は実験だ。実験って言っても僕はシンクロするだけだけどね。
別に特別な事をやるわけじゃないし、特に疲れもしない。いつもやってるのと同じだ。

いつもと変わらない。
いつもと変わらない日常。
誰だったろうか、平和が一番だと言ったのは。何も特別な事の無い、当り前の日常が一番重要だと言ったのは。

その事について僕は否定はしないし、きっと世界の「常識」としてもそれが答えなんだと思う。 もし答えなんてものがあれば、だけど。
でも普通の人は心の底からそんな事を思えるんだろうか?
本当に何事も無い、平和で当り前の日常を望めるのはきっと、それまでをずっと苦労してきたか、 世間で言うところの「非日常」が日常だった人じゃないかと思う。
少なくとも僕は思えない。


思えない?
僕は思えていない?こんな、誰がどう考えてもアクロバティックで非日常が当り前の生活を送っているのに?
これ以上の非日常を望んでるのか?

『そんなバカな……』

有り得ないね。全く何を考えてんだか。
ずっと僕は望んできた。こんな非日常な毎日を。普通じゃ体験できない命懸けの生活じゃないか。
昔から言われてきた。僕には個性が無いって。
どれだけ勉強が出来ても、どれだけスポーツが上手くてもそれは個性と認められなかった。
だって一番じゃなかったから。
クラスで一番でも学年だったら?市だったら?県だったら?
それを言っていったらキリがない。絶対に世界で一番にならないと納得出来ないだろうし。
でも現実はそんな事は起こりようが無いし、結局はどっかで妥協しないといけない。
いや、妥協なんてしなくてもいいのかもしれない。
心の底から、本気の本気で何か一つに取り組めたのなら、自分で納得できるのかもしれない。
でも僕は納得できなかった。 何をやっても中途半端だったから。
勉強をやれば必ず誰かに負け、スポーツをやれば素人の中では上手くても部に入れば目立った活躍は出来ない。
いつしか、僕自身も個性が無いと受け入れ、そして諦めていった。

『器用貧乏だよね、ホントに……』

そんな中手に入れた立場。エヴァのパイロット。世界に三人しかいない内の一人。
その響きは僕のちっぽけな自尊心を満足させてくれる。
どういう訳か、僕にはそんな才能があったらしくて、 今の今まで才能なんて言葉と無縁だったからその立場を手放したくなんてない。

「あ〜あ、こんな日にまでネルフにいるなんてね。
どうせなら使徒でも来ればいいのに。」
「立場上肯定はしないけどね、ほぼ毎日がネルフっていうのもなんだかなぁ……」

正直、僕は働くのは嫌いだ。お金も十分貰ったし、どっかに逃げてしまいたくもある。
でもその気持ちも、今の立場を失う事と天秤にかければ揺れる事なんて無い。
逃げたいなんていうのは単なるボヤキの域を抜けない。

結局は僕は満足してるんだ。今の毎日に。
だから僕は続けたい。
この今の毎日を続けたい。失いたくない。
だから僕は続けよう。この「非日常」という日常を。

「そういえばさ……」
「何?」

声を掛けてきたアスカを見ると、ニヤリと笑ってた。結構邪悪な笑みを浮かべて。
はっきり言えば怖い。てかキモい。

「アンタってさ」

でも僕が本当にその非日常を続けたいと思ってるのなら、どうして今こんなにイラついている?
続けたいと思って、そしてこれからもきっと続く、なんて確信を持ててるなら、 この今の感情は何だろう?
昨日からモヤモヤした、気持ち悪さ。
普段の生活を変えてしまう程強くはないけれど、くすぶり続けてる。

『気付いてるくせに、気付いてない振りなんかするなよ。』

シンが囁く。いつもと同じ、冷たい声で。
誰かが言ってた。「非日常」もいつしか「日常」に変わっていくって。
そしてそれはさっき僕自身が言った言葉だ。
なら僕は「非日常」が堕ちていくのに苛立ってるのだろうか?

違う……
臆病な僕は、また新たな「非日常」が始まるのが怖いんだ。

「意外とモテるのね?」

ニヤニヤしながら、アスカは僕を見てきた。
そう言ってくる原因は分かってる。 多分アスカは昨日の出来事を見たんだろう。

「おや、アスカは知らなかったかな?
でも大丈夫だよ。ちゃんとアスカの席は残しておくから。」

何とかいつもと同じ感じで答えを返す。きちんと顔は取り繕えただろうか?
アスカを見るとはいはい、って感じで肩を竦めてた。 良かった。気付かれてないみたいだ。

「アンタそんな調子だといつか後ろから刺されるわよ?」
「大丈夫。僕の愛情は広く浅く遍く与えられるものだから、そんな事は起こらない。」

とりあえずいつもの調子でアスカに合わせながら、足を進める。
でも話しながらも、頭では昨日の事を考えてた。







その日、僕は授業が終わると校舎の裏庭に行った。
鞄の中に決して少なくない荷物を乱雑に放り込むと、クラスの皆に適当に挨拶をして教室を飛び出す。
廊下に出てから階段を下りるまでずっと急ぎ足。 その間僕はずっと右手でポケットの中の手紙を触ってた。

今日は珍しくネルフの仕事は休み。何でもリツコさんもお休みで、ミサトさんも今日は出張らしい。
……よくよく考えれば、ネルフに所属するようになって初めてじゃないだろうか。平日に休みがもらえるのなんて。
そんな日にこんな事があるなんて、今日はついてるに決まってる!
生まれて初めてのラブレター。歩く足も浮ついてるのが自分でも分かる。

『そんなに期待して期待外れに終わったりしてな。』
(どんな子だって構わないよ。)

何せ僕を好きだって言ってくれてるんだ。 例え僕の好みに合わなくても、僕ならその子にきっと合わせられる。 全く問題無い。

途中焦り過ぎて階段から転げ落ちそうになったけど、それも愛嬌。
靴も半分突っかけて手紙に書かれてあった待ち合わせ場所にダッシュ!! いざ!僕の春へ!!


裏庭に着くと、僕が大分急いだ所為か、まだ誰も居なかった。
その事に僕は安心して軽く溜息を吐き出す。 走った事で切れた息を整える為、大きく深呼吸。
それを二度三度と繰り返すと、すぐに呼吸は整ってくれた。 うん、やっぱ日頃の運動って大切だよね。
空を見ると快晴……とまでもいかなくても薄い雲が広がってる位で、 もしジョギングなんてしたら気持ち良いだろうな、なんて思う。


我ながら浮かれてたのが分かる。
急いで来たのはいいけど、裏庭はただじっと待つには寒すぎる。
前の第二東京程じゃ無いけど、何だかんだ言っても今は冬だ。 ましてや僕は冬は得意じゃない。いつも朝は布団の中で身もだえしてるんだから。
たった十分かそこらだけど、日陰の裏庭は寒すぎる。 それに何もやる事も無い。

『まあここでタバコを吸う訳にもいかないしな。』

シンの言う通りいくら裏庭とは言え、タバコを吸ったら誰かに見つかるかもしれない。
生徒なら別に構わないけど、先生にばれて退学とかなったらキャリアに傷がついちゃうし。
結局やる事と言ったらぼーっと空を見てるだけ。
壁に背を預けて見上げる。
雲の流れが速い。風が強いのかな。
意味も無くそんな事を思った。

十分、十五分くらい待っただろうか。
風が強くなってきていよいよ寒い。
さっきまでの浮かれた気分も完全に吹き飛ぼうか、という位になってようやく彼女は姿を現した。

「ごめんなさい。待たせちゃったね。」

そう言いながら彼女は小走りでやってきた。
彼女の姿には見覚えがあった。
隣のクラスで、ほとんど接点は無いんだけど、週に何回か世界史の授業が隣のクラスと合同で行われるから 見かける事はよくある。
小柄な体にセミロングのうっすらと茶色い髪で、ほんの少し猫を思い起こさせる顔立ちで、 結構可愛かったから姿はよく覚えてる。
残念ながら名前までは覚えてないけど。

「ううん、全然。さっき来たところだし。」

笑いながら僕は答えた。でも寒さで体が震えてたら意味無いけど。
それが彼女にも分かったんだろう。申し訳無さそうに苦笑いを浮かべてた。

「えっと、こうやって話をするのは初めてだよね?
改めて初めまして。本田リサ、って言います。」

気持ちはもう伝えたよね、と少し赤く染めた頬で聞いてきた。
その仕草が可愛くて、僕も恥ずかしくて、そしてこんな可愛い子が僕に告白してくれるなんて信じられなくて、 僕はまた舞い上がってしまいそうなくらい嬉しかった。
彼女に気付かれないよう小さく深呼吸をして自分を落ち着かせる。

「うん……ありがとう。その、とても嬉しいよ。」

ああ、ダメだ。緊張していつもみたいに喋れない。
いつもだったら軽く冗談なんかを言ったりして、次から次に言葉が出てくるのに。
何か喋んなきゃ。
そう思えば思うほど頭がこんがらがって、気の利いた言葉の一つも出てこない。

「えっと…僕なんかの何処がいいの?」

結局口から出てきたのはそんなくだらない質問で。
だけども彼女は真面目に答えてくれた。

「え、だって碇君って格好良いし……」

ホント、小躍りしそうになった。格好良いなんて言われたの生まれて初めてだ。
よく顔も覚えてない母さんに似たのか、カッコいいなんて言われた事は無く、 かといって女の子っぽい中性な感じでも無くて、まあ簡単に言えば普通の顔立ちよりちょっと女の子っぽい感じで。
でも最近その顔も父さんっぽくなって来てて、毎朝鏡を見る度に不安になってたから 彼女のその言葉はホントに嬉しい。

「運動神経も良いし、普段は静かだけど時々面白くって……」

まいったな、この前の文化祭の愚行っぷりを見られてたか。
後々考えればかなり、というかものすっごい恥ずかしいんだけど、どうもそれがいい方に働いてくれたらしい。 物事はどう転ぶか分からないものだね。
でもこんなに褒められると逆に恥ずかしい。
何か後で悪い事が起きなきゃいいけど。

そう思いながらもこの上なく僕は嬉しかった。
だけども、その気持ちも彼女の次の言葉で急速に冷めていった。

「だけど、一番は大人っぽいところかな?安心して頼れるって感じがする。」

言ってしまって、彼女は僕を赤い顔のまま見た。
その顔は「よく見てるでしょ?」と言わんばかりで、自慢気で。

「一つ、聞いてもいいかな?」
「何?」

彼女は微笑んで僕を見つめる。 でも僕の表情はきっと硬いまま。浮かれた頭も冷静さを急激に取り戻していく。
その冷静さを取り戻したはずの頭で、僕は聞かなくてもいい質問をする。

「本田さんは……ご両親の事、どう思ってる?」
「えっ?
う〜ん、どうなのかな?何でも買ってくれるし、いいパパとママなんだけど、最近ちょっと口うるさいのが嫌かな?」

ちょっとはにかんで、笑顔のまま答える。
それがどうしたの?って顔で。
それを見て、僕は気付かず微笑んで口を開いていた。

雨が、降り始めた。







僕はバカだ。この上なく愚かだ。
真冬の冷たい雨に打たれながら、僕は歩いていた。
脳裏に数分前の彼女の顔が思い浮かぶ。
信じられないって言いたげな顔を浮かべて、泣きそうな顔のまま彼女は何も言わずに立ち去った。
僕は笑顔を張り付けたまま、その場で雨に打たれてて。
そして僕の表情はそのまま石膏で固められた様に動かない。

『惨めだな……』

シンの言葉がズン、と響く。
奴の言う通りだ。惨めとしか言いようがない。
折角の機会だったのに、折角僕の事を分かってくれるかもしれない人に出会えたかもしれなかったのに。
なのに僕は彼女を傷つけてしまった。僕を好きだと言ってくれた人を傷つけてしまった。

『期待などしなければ良かったものを。』

そう、期待などしなければ良かった。
彼女が「僕」という人間をちゃんと見てくれているなどと、有り得ない空想など抱かなければ良かった。
僕が何を望んでいるか、分かってほしかった。
それがどれだけ荒唐無稽な要求かなんて分かってる。
自分だってどれだけ他人を見ているというんだろう。
人と人が完璧に分かり合えるなんて所詮夢物語。有り得ない。
有り得ないけど望んでしまう。

大した事じゃないのかもしれない。 いや、多分本当に普通は大した問題でもなんでもなくて、きっとそれが原因で断るなんてしないんだろう。
彼女は極々普通の子だ。ご両親に大切に育てられてきてる。
思い込みかもしれないけど、苦労とは無縁だと思う。
だからきっと僕に頼ってくる。何かあれば、何か少しでも困った事があればきっと。
でも僕はもう頼られたく無いんだ。
頼りにされるのが辛いんだ。
誰にも頼らず生きていくのにもうずっと疲れてるのかもしれない。
頼りになる。
そう思われるのは嬉しい。でもそれ自体が僕にとって重荷であって、僕には頼られても期待に応えられる能力も無い。
そして失望されて、ある時は誰かを傷つけて。

『所詮その想いは甘えに過ぎない。』

そう、そうだと分かってるつもりだ。
だけどその甘えは僕の中から消えない。

だけど、だけどそれだけじゃなくて。
きっと彼女は今まで幸せな人生を歩いて来たんだと思う。
ご両親に大切にされて、何不自由なく。
でもそれが僕には妬ましくて、悔しくて。
だから僕と彼女は一緒に居たらだめだ。
僕が仮にこの気持ちを押さえこんで付き合ったとしても、終わりはすぐそばにある。 長続きなんてしない。絶対に僕がダメにしてしまうだろうから。
僕の内にある暗い感情。それに僕は耐えられない。何てわがまま。

「くぅ……!」

僕は小さく声を上げて胸を押さえた。
僕の中の常識では有り得ない失望感と自分に対する情けなさ。
苦しかった。そして全てが煩わしい。
強くなる雨の中、僕は走り出した。

こんな恥ずかしい姿を誰にも見られたく無かった。
保安部の人間がいつも僕の周りに張り付いてるのは知ってる。
元々、僕は人の気配には敏感な方だったと思う。 でもいつからか、その感覚は強くなっていった。
理由は知らない。けれど、今は護衛の人間さえも邪魔だった。イライラする。


がむしゃらに走る。 何も考えずに走り続けて、いつの間にか見知らぬ道を走ってた事に気付いてようやく僕は足を止める。 それでも気配はまだ後ろから付いて来ていた。

「……!!」

ギリ、と無意識の内に僕は強く歯を噛みしめていた。
もういい加減限界だった。血が上った頭でも分かってる。これは必要な事なんだって。
勝手だとは思う。でもこんな気分の時くらい一人にして欲しかった。

「もう付いて来ないで……!!」

振り返って叫びかけた。
でも言い終わる前に気付いたのは、そこに居るのは何処かで見た事のある黒服の人達じゃなくて、見た事も無い外国人だって事だった。
一人出てくるとぞろぞろと次々に出てくる。
昔の日本じゃ、特に大都市で外国人は珍しくなかったらしいけど、あの大地震の後めっきり少なくなったらしい。
僕も前は首都の第二東京に居たし、今もこうして第三東京に住んでるけどほとんど外国人は見た事が無い。
それがこうして一ヶ所に集まるなんて。

「碇シンジだな?」

僕の名前を呼ばれたのは分かったけど、他はよく分からなかった。少なくとも英語じゃない。

「Yes. And what?」

英語で聞き返すと、無表情のまま皆それぞれナイフを取り出した。
僕の名前を知ってるんだから僕に用があるんだろう。そしてそれが穏やかな用事じゃ無い事も容易に分かる。

『俺に変わるか?』

シンが問いかけてくる。
今までにこの状況に陥ったら多分、僕は迷わずシンと入れ替わっただろう。 こういう荒事には僕は向いてないと思ってるし、実際想像しただけでも足が震えてた。
でも多分最初の使徒と戦った後くらいからだろうか、僕の中から外に対する恐怖が薄れていった。
それと一緒に現実感も。
徐々に、なのに急に無くなってしまったかのような喪失感。

(いや……)

だから僕は断った。
何より今は何かにこの感情をぶつけたい感じだった。
何かを、壊してしまいたかった。

「Come on, Fuckin' aliens.」

僕が吐き出した汚い言葉に、弾かれたように奴らは飛びかかってきた。
















NEON GENESIS EVANGELION 
Re-Program



EPISODE 11




I think I'm alone















「ちょっと!バカシンジ!ちゃんと人の話聞いてんの?」

怒ったアスカの声に、僕は記憶の世界から戻ってきた。
横を見ると、思った通りアスカがふくれっ面でこっちを睨んでる。

「ゴメン、ちょっと考え事してた。」
「ったく!アンタの話をしてんでしょうが!
大体アンタは……」
「おっ、綾波さん。」

アスカの説教に顔を逸らすと、ちょうど別れ道の方から綾波さんが向かってきてた。 ナイスタイミング。

「こんにちは、綾波さん。」
「こんにちは。」
「レイも今来たところ?」

アスカが尋ねると綾波さんはいつも通りコクン、と頷いた。
手には紙袋がぶら下げられてる。ロゴを見ると駅前のデパートに入ってる服屋の物だ。
そういえばアスカと一緒にショッピングって言ってたっけ。

「ちゃんと服を買って来たのね?」
「ええ、ヒカリさんに選んでもらったわ。」
「あれ、アスカと一緒だったんじゃないの?」

てっきりアスカが付いてたんだと思ったけど、違ったのか?

「途中でね、ヒカリに任せたのよ。」
「ヒカリって確かコダマさんの妹さんだったよね?」
「そ。レイのクラスメートね。」
「ふ〜ん。」

綾波さんの顔を見ると、心無しか嬉しそうだ。
こうやって見ると、やっぱり女の子なんだなって思う。

「ちょうどいいし、三人で実験に行こうか。」

二人が頷いたのを確認して、またただっ広い本部を歩き出す。

「えっ?」

その一歩目を踏み出したら突然廊下の電気が全部消えて真暗になった。
















おかしい。おかし過ぎる。十分経っても復旧しないなんて。
ここネルフは一応は名実共に人類の最後の砦になってる。万一の事態にもすぐさま対処出来る仕組みになってる。
その最たるのが電気だ。エヴァも電気で動く以上、電力だけは過剰なほどの対策が取られてる。
なのにまだ復旧しないって事は……

『恐らくは……』
「人為的、か……」

暗闇の中を歩きながら、ポツリと口から自分の結論が零れ出た。
そしてその結論から更に導き出されるのは、ネルフが嫌われてるんだろうな、ていう何度目か分からない もう分かり切った原因。
仮にも国連の組織なんだし、一応人類の滅亡から守ってるんだから―――大分怪しいけれど――― もうちょっと遠慮してくれると嬉しいんだけど。
そういえば、最近あんまりここの事調べてないなぁ。 調べれば調べるほど分かんない事が出てくるんだけど、ここんとこそれどころじゃ無かったし、仕事も忙しいし……

『司令達に勘付かれてるんじゃないのか?』
(かもしれない。だとすれば警告の意味が含まれてるのかな……)

だとすれば分かり辛い警告だ。もうちょっと分かりやすく警告すればいいのに。

「人為的ってどういう事よ……?」

前からアスカの声が聞こえた。
見事に明かりが消えてしまってるから表情は全く読み取れない。
声の他には僕らの足音だけが決まったリズムで聞こえてきた。

「どうもこうも、ネルフは嫌われ者なんだよ。」
「なんでよ!?私達は世界を守ってるのよ!?」

叫ぶ様に感情をぶつけてくる。そんなに信じられない事なのか?

「世界を守るにしても超秘密主義だし、相当金使ってるからね。
ネルフが武力を持つのを嫌う奴も居るだろうし、利権絡みの問題もある。
それに……アスカは宗教は?」
「一応キリスト教だけど、意識はあまりしてないわ。」
「綾波さんは?」

多分違うだろうけど、念の為確認する。宗教なんて人それぞれだし、否定するものでもないからね。
先頭を歩く綾波さんが頭を振るのがかろうじて見えた。

「僕らが戦ってる相手は使徒…Angelだ。 そんな奴らを殺してるんだ。敬虔なクリスチャンじゃ無くたって、宗教を信じる人にとっては どう考えても許されざる行為だろう?」

そう言うと、アスカは黙った。
また足音だけがリズムを取り戻した。

「だから一般世間には秘匿にされてるし、結局僕らが頑張っても認められる事は無い。
そう考えるとバカバカしくもあるけどね。」
「アンタはそれでいいの……?」
「本音を言えば皆に認めて欲しいとは思うよ。
でも僕はたまたまエヴァに乗れるだけで何の努力もしてない。 言ってしまえば才能だけで今ここに居るようなもんだし、胸を張って誇れるような能力も無いしね。
まあ、お金だけは貰えるからそれで我慢してるよ。」
「レイはどうなのよ……」

アスカは今度は前を歩く綾波さんに話を振る。
彼女の足音がこれまでとは違ったリズムを刻んだ。

「私は……今までそう言う事を考えた事は無かった。
ただ碇司令に見てもらえればそれで良いわ……」
「父さんに?」

そう言えば前に父さんの事で怒らせちゃったっけ。
信頼してないの、って聞かれて僕は口にこそしなかったけど、内心では出来ないって結論付けた。
曇り無く誰かを信頼できる綾波さんを怖くも、羨ましくも思ってたなぁ。
僕はまだそこまで誰かを信頼できないけど、二人はそれなりに信頼してるつもりだけどね。

「父さんって、そう言えばアンタ司令の息子だったわね。
まさかアンタ、コネでエヴァに乗ってるんじゃ……」

おいおい、何を言い出すんだか。

「あの父さんがそんな事すると思う?
それにアスカも知ってるでしょ?エヴァがそう簡単に動かせないっていうのは。」
「それもそうね……」

そしてまた黙って歩き出す。
しかし、こんなに発令所まで遠かったかなぁ。さっきから坂を下りたり階段を下りたり。 いつもだったらエレベーターやエスカレーターがあるからにしろ、こんなに時間かかったっけ?

「電気が落ちた所為でいくつかの通路が使えなくなってる。
だから遠回りをしながら向かってるわ。」

なるほど。それでか。

「て、もしかして綾波さん、広大な本部内の通路を全部覚えてたりする?」
「ええ。」

勿論、と言わんばかりにあっさり肯定してくれました。
その言い方があまりにも自然過ぎて、何の反応も出来なかったし。

「ふ〜ん、やっぱり本部暮らしが長い人は違うわね。」
「そう……?」
「司令とも仲がよろしいみたいだし、羨ましい限りね。」

明らかに険のある口ぶりだ。どうしたんだ、アスカは。 綾波さんとは仲が良いはずなのに。
綾波さんも流石に癇に障ったんだろう。珍しく眉を潜めてアスカに詰め寄ろうとしてるのがよく分かった。

「どうしたんだよ、アスカ。急にそんな事言い出すなんて。」

綾波さんが口を開く前に先に僕が前に出る。そしてそれは正解だと思う。
綾波さんがもし言い返しでもしたら収拾が面倒だし、そんな空気に巻き込まれるのはゴメンだ。 胃が痛くなる。

とにかく話を、と思ってアスカの肩に手を掛ける。けど、その手は払い除けられた。
パシ、と暗い通路に音だけが木霊する。
手の甲に鋭い痛みが走って、僕は痛みと驚きに目を見開いた。
でもそれはアスカも同じみたいで、僕と同じ様に目が開かれて、その奥で 青い瞳が揺れた。そのまま呆然としてたけど、アスカは額に手を当てて小さく頭を振った。

「……ゴメン、レイ。」
「いいわ。もう気にしてない。」

珍しく感情を露わにした綾波さんだけど、アスカの謝罪にあっさりとその雰囲気は霧散した。
それにしても本当にアスカはどうしたんだ? 初めて会った海の時もそうだったけど、普段のアスカはさっきみたいな事を言う奴じゃなかった。
海の時は初めてだったわけだし、緊張みたいなものも有ったんだろうけど、もう知り合って大分なるし、 それなりに仲は良くなってるつもりだ。ましてや相手は綾波さんだ。 口は僕に対しては悪いけど、綾波さんには優しい姿しか僕は見てない。

「早く行くわよ。こうしてる内に何が起こってるか分かったもんじゃないわ。」

金髪をハラリ、となびかせるとアスカは先頭を切って歩き始めた。
でもアスカは道が分からないはずだ。普段通ってる通路ならいざ知らず、今居るのは全く違う道。
アスカより少しだけど長く居る僕だって、今何処に居るのか分からない。
にもかかわらずアスカは先へ先へと進んでいく。
何がそうさせるのか。その訳には見当がつかないけど、こうしていてもしょうがない。
綾波さんを見ると、一瞬目があったものの、すぐにアスカに追いつく様に小走りで駆けだした。
僕も遅れない様に後ろに付いていく。

アスカは何も言わない。ただ黙って歩くだけ。振り向いて僕らを確認する事もしない。
幸いにしてまだ分岐は無いからアスカでも道に迷う事も無いけど、綾波さんがついてるから大丈夫だろう。 きっと間違えそうな時は彼女が教えてあげてくれる。




それから何度角を曲がったかな。
ずっとアスカに付いていってぜんっぜん何処に居て何処に向かってるのか分からなくなってるけど、 綾波さんが何も言わずに後ろに従ってるから多分道は奇跡的にあってるんだと思う。 そうあって欲しい。

(シンジ、気を付けろ……)

暗さにも目が慣れて、少し先の角が見えた時、唐突にシンがそんな事を言い出した。
だけど気を付けろって言われても何の事か分からない。

『気を付けろって急に言われても車は急には止まれません。』
(そんなバカ言ってる場合じゃない。)

頭に響くシンの声はマジだ。本当に何かあるらしい。でも僕は何も感じない。
だとしたらシンの方が敏感なのか。

(そんな事はどうでも良い。早くあの二人を止めろ。)
『了解。』
「アスカ、綾波さん。」

シンに言われるがまま前を歩く二人を呼び止める。
そしたら二人とも黙って振り向いたけど、そこにあった顔は全く違った類のものだった。
いつも通りの綾波さんに、無表情なアスカ。だけどその顔は今にも泣き出してしまいそうに見えた。

「何よ……」
「いや、何って事も無いんだけどね。」

二人の間を抜けて壁に背中を付けてそっと前に進む。
暗いとは言えここは見通しの良い通路。だとすれば何かあるとすればこの角しか無い。
そっと顔だけを角から出してみる。

一言で言えば運が良かったとしか言いようがない。
久しぶりに首筋をぞくっと寒気にも似た何かが走って、慌てて首を引っ込めた途端に パシュ、と軽い音がして、少し伸びた僕の前髪がそっと額を撫でた。
それがサイレンサー付きの拳銃から飛び出した鉛玉だって気付いたのは、そいつが向かいの壁を抉ってからしばらく経ってからだった。

「逃げろ!!」

勝手に僕の口が動く。
いや、もう口は僕の物では無くて、僕の意識だけははっきりと残って感覚だけが失われてた。
ただ音と映像だけが認識できる。まるでテレビを見ているかのように。
それがシンに体の主導権を奪われた所為だと気付けなかった。 だってこんな風にシンの方から強引に体を奪うなんて事は今まで一度も無かったから。

シンが二人の背中を押すように走る。
乱雑でリズムも何も無い足音が動けない僕の聴覚を揺らす。
そして僕らの後ろからも。

「綾波!ここ以外に発令所に行ける通路は!?」
「B−8からもう一つ階段があるわ。少し遠回りになるけれど。」

シンが話してる間に、また一発銃弾が飛んできた。
僕の足を掠めるけどホントに掠っただけで、シンは当然だけど足を止めない。

「惣流!綾波!二手に分かれるぞ!お前らは右、俺は左に行く!」
「その後はどうすんのよ!?」
「それぞれで発令所に向かう!単独行動は危険だが仕方ない!」

叫んでる内に、もう目の前に別れ道が迫ってきた。
そして打ち合わせ通りにシンは左に、アスカ達は右に別れて行った。















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