「さて、と……」
パソコンの前に座って少し髭の伸びた顎をさすりながら考える。
まずは何から調べようか。
「とりあえずは、と……」
自分のIDカードに書かれたナンバーを打ち込んで、検索可能な情報数を確認。
それを気になったのから読んでいってみるか。
僕はまだ何も知らない。
ネルフと言う組織について、知らないことが多すぎる。
何故、使徒が来るのか。使徒とは何なのか。そして、奴らは何の為に僕らを襲って来るのか。
それらについて一切僕は知らない。
僕が誰にも尋ねてないだけなんだけどね。
だから今、こうしてネルフの中で色々調べようとしてるんだけど。
「まずは、ここの目的からだ。」
使徒を倒さないことには、人類は滅亡するってミサトさんは言ってた。
確かに見た感じだと、そんな気がしないことは無い。
でも、それは本当だろうか?
なら何故使徒は、ここにしか来ない?
しかも一体ずつしか来ない。
もし、使徒が人類を滅ぼすのが目的なら―――こんな事言うと、何だかB級のSF映画みたいだな
―――一度に大勢やってきて、世界各地を襲えばいい。
そうすれば、人類を滅ぼすのなんて訳無いだろう。
通常兵器は効かない。
対抗出来る兵器はエヴァしかなくて、しかも日本のまだ一地方都市でしかない第三新東京市のみ
配置されてる。
そもそもその時点でおかしい。
まるで、奴らがここに来る事が予め分かってるみたいだ。
おまけに地下にこんな巨大な空間まであるなんて。
「……奴らの目的は何だ?ここに何かあるのか?」
もし、ここに何か奴らの目的となるもの、もしくはおびき寄せる為の餌みたいなのがある、と
仮定すると、そこら辺の説明はうまくつく。
「とすると、ここを世界のおとりにするわけだから、人類滅亡を防ぐ、ていうのも、おかしな話じゃ無いか……」
とりあえず画面に表示された、「特務機関ネルフの設立とその理念」とか題された、いかにも
対外的ないい面ばかりを強調しているだろうと思う文章を読んでみる。
実際、頭の方は人類の存続を賭けたうんぬんかんぬんてな文章が延々と書かれてて、
それを読むのは面倒臭いから、適当に流し読む。
「……本機関は、そもそも使徒が本施設の地下にあるアダムに接触するのを防ぐ為に
前身の機関であるゲヒルンから発展的解消して設立されたものであり……」
アダム?何だそれ?聖書に出てくるアダムとイヴのアダムか?
馬鹿馬鹿しい。そんな作り話見たいなものを誰が信じるんだ?
まさか、アダムっていうのはコードネームみたいなもので、実際はあのアダムとは別物なのか?
さっきの予想と合わせて考えてみると、こいつが使徒をおびき寄せる餌になってる、もしくは
何らかの関わりがあるのかな……?
「ん?」
誰か部屋に入ってきた。
別にここをロックしてる訳じゃないし、むしろここはネルフの職員なら誰でも使える休憩室兼情報室
だから、誰が入ってもいいんだけど、人が居ると気になるな。
「あれ?シンジ君かい?」
声を掛けられて振り向くと、今時珍し…くもないか、ロンゲの人が立っていた。
「えっと、青葉さんでしたっけ?」
「ああ、そういえばシンジ君…と、ここじゃ三尉って呼んだ方がいいかな?」
「いえ、別にシンジでいいですよ。仕事してるわけじゃないですし。
ミサトさんもプライベートじゃ名前で呼びますから。」
「そうかい?じゃあ俺もシンジ君て呼ばせてもらうよ。
で、シンジ君はここで何をしてるんだ?」
「大した事じゃありません。ちょっと調べ物です。
青葉さんは?」
「さっき飯を食ってきたところでね。休憩しようにも発令所は落ち着かないからな。」
そう言いながら、部屋にあった自販機でコーヒーを買うと、僕に差し出してきた。
「あ、ありがとうございます。幾らですか?」
「いいよ。いっつもシンジ君は頑張ってるからな。俺の奢りだよ。
それで、シンジ君は何を調べてるんだい?学校の宿題か何かか?」
「いえ、よく考えたらまだここの事よく知らないな、と思って。」
ふと思った。
青葉さんたちはどこまで知ってるんだろうか。
ここに載っている情報は―――真偽は別として―――少なくともネルフ職員には公開されている。
なら、ちょっと話してみるか。何か分かるかもしれない。
「あの……」
「ん?何だい?」
「ここにあるアダムって何ですか?まさか聖書にあるような最初人間ってわけじゃ無いんですよね?」
「そっか、シンジ君はまだ知らなかったんだな。
ここの地下には、アダムっていう、所謂第一使徒が眠ってるんだよ。」
「えっ!?使徒がここに居るんですか!?」
「ああ。俺も実物を見たことは無いし、そこは俺らみたいな一般職員は入れないからはっきりした事は
分からないけど、司令たちや各国のお偉いさんたちの間じゃ周知の事実らしいよ。勿論一般にはその事実すら
秘密だけどね。」
まさか使徒が居るとは思わなかった。しかもそれが餌なんて…
「んで、今来てる使徒がそいつと接触するとサードインパクトが起こって人類滅亡って話だ。」
「サードインパクト?」
インパクトって言うくらいだからとんでもない大災害だろうって事は分かるんだけど、
サードってどういうことだ?
サード、て事は過去二回起きてる訳だよね?
「ファーストインパクトは、あの有名なノアの箱舟の話か、もしくは地球が出来た時のジャイアント
インパクトの事らしい。
ま、どっちにしても実際に起こったかどうかなんて確かめようの無い話だよ。
でもセカンドインパクトは違う。
実際に南極を吹き飛ばしたんだからな。」
「南極って……あの巨大隕石が落下したって奴ですか?
それも随分怪しい話ですけど。」
そんな巨大隕石が落下するまで誰も気付かなかった訳が無い。
話を聞いた時は怪しいとは思ってたけど、生活に関係が無いから、そのまますっかり忘れてたな。
「一応公式はそう発表されてるけど、実際はあれも使徒が起こしたものらしい。
とは言っても全部『らしい』としか言いようが無いけどな、俺には。」
そこまで話して時間が来たらしい。
立ち上がった青葉さんは、持っていた缶をゴミ箱へ放ると、仕事に戻っていった。
まだ色々と聞きたかったけどしょうがない。
別にやましい事はしてないけど、変な疑いを掛けられるのもゴメンだ。
「僕も行くか……」
また今日もシンクロテスト。
テストと言っても座ってるだけだから退屈なんだけど、仕事だからしょうがない。
我慢も仕事のうちだ。
「おっと。」
ずっと下を向いて話を聞いていたからかな。立ち上がったら立ちくらみを起こしてしまった。
(しかし、セカンドインパクトが起こったのが9月13日とは……)
『何か引っかかるようなことがあった?』
(思い出せ。毎年9月13日には何をやっていた?)
9月13日……普通に毎年学校に行ってるはずだけど……
『あっ!』
そうだ。毎年学校だけじゃなくて、日本中で行われてる行事があった。
2000年の9月13日に日本中を襲った大災害の慰霊祭。
東海大地震を始めとした、懸念されてた3つの大地震がほぼ同時に起こった日。
それと同じ日だ。
(何か関係があるのか……?)
怪しすぎる。どう考えても怪しすぎる。
大地震が起きることさえまれなのに、それが三つも同時に、更には同じ時に
そのセカンドインパクトとかいうのが起きてる。
関係ないはずが無い。
二つまでは偶然でも三つ重なれば必然。
これは必然だって考えるべきだ。
また調べる事が増えたな……
僕一人で……出来るのか…?
『父さんは…何か知ってるんだろうな……』
第七話 ヒトの創りし物
「お〜い、碇。飯喰おうぜ。」
「へいよ〜。」
友達に適当に返事しながら、カバンから昼飯を取り出した。
もう転校してから二ヶ月くらい経つ。
夏休みも終わって…と言っても別に何もしてないな。
別にやりたいことも無かったし、毎日ネルフに行って訓練してたか、病院に居たような気がする。
勿論学生の最低限の義務も果たしてたよ。宿題はとっくに終わらしてたし。
「何処で食う?」
「ん〜たまには屋上でいいんじゃね?
入り口んとこの陰だったら結構涼しいし。」
この間の使徒の時の、二度目の手の火傷も大分治ったし、ほぼ毎日エヴァに乗ってたからか、
左目の視力もほとんど戻ってきた。
リツコさんが言うには、エヴァからのフィードバックらしい。
だから火傷も治りがやたら早かった。
これで使徒が来なかったらいい事ずくめなのにな…
「くあ〜!やっぱあちい!」
「ホントに暑いな。九月なんだし、そろそろ涼しくなってくれればいいのにな。」
手で仰ぎながら、やたら暑い暑いと連呼しながら大騒ぎしてる友人…と言っていいのか、カケルに適当に相槌を
打ちながら、二人して陰を探した。
その間もカケルは無駄に騒いでるけど。お前はホントに暑いのが嫌なのか?
「はぁ〜、やっぱ生き返るねぇ〜。」
「何大げさな事言ってんだか……」
日陰に入った途端、コンクリートに寝そべって、頬を擦りつけながらくねくねと気持ち悪い動きを
しながらカケルは涼み始めた。
と思ったら、今度は「あちい!」とまた叫びながらのた打ち回ってた。
どうも頬を擦りすぎて火傷したらしい。バカだ。
転校してから大体コイツと居るけど、相変わらず思考が読めない。
分かったのは変な奴ってことくらいか。まあ見てて飽きないから良いけど。
「バカやってないで、さっさと飯食おうぜ。んでとっとと教室に帰る。」
「えぇ〜。」
見る分には構わないが、関わるには暑苦しすぎる。
ただでさえ暑いのは嫌いだ。早いとこ空調の効いた部屋に戻りたい。
「碇。たまにはこうやって雲一つ無い蒼穹の下でここから見える景色を楽しむのもいいじゃないか。」
「僕はいつも見てるから面白くも何とも無い。
更に僕は自然の風より空調の風の方が好きだ。」
「かあ〜!つまんねぇ奴だな。お前には情緒とかを感じる心は無いのか!?」
「別に。お前と一緒に、というなら尚更ゴメンだな。」
ついでに言えば、そういう類は余裕がある奴が楽しめばいい。
別に自然を感じるのが悪いとは言わないけど、僕は興味が無い。
「ん?何だ、お前またパンか。」
「ああ、料理はあまりしないしな。大したものは作れないし、一人分に時間を掛けるのもな。」
「しかも、菓子パン二個だけかよ。それでよく夜まで腹がもつな。」
カケルは特大の弁当箱にぎっしりと中身が詰まった昼飯をパクつきながら、器用にしゃべり続けてる。
ホントにコイツは毎日が楽しそうだな。
「僕はお前と違って部活に入ってないからな。
今の体形を維持する為なら、これくらいで十分なんだよ。」
カケルにはそう言ったけど、実は最近どうも食欲が無い。
夏バテだろうか。いかんな、体調には気をつけないと。
「いや、もうちょっと喰うべきだと思うぞ?
それにこの弁当だって俺が作ってるし。」
「……どうも最近耳がおかしいらしい。幻聴が聞こえる。」
うん、僕は何も聞いてないしカケルも何も言ってないよな?
「碇。現実を見つめることも必要だぞ?
たまには弁当を作ってみろって。結構楽しかったりするぞ。」
放課後に何も無いならそれもいいんだろうけど。
ネルフから帰ってくるのも遅いし、とてもそんな気にならない。
勿論ネルフの事は口に出来ないけど。
「ま、気が向いたらやってみるよ。」
「うんうん、それがいいそれがいい。少なくとも今よりけんこ…う……」
何やら言いかけてたけど、急にカケルが黙り込んだ。
カケルの顔を見ると、ぽか〜んと口を開けて間抜けな顔をさらしてた。
視線を辿ってみる。……ああ、なるほど。
「あ〜…何だ、まあ気にせず飯を食ってくれ。」
こんな暑い中、僕らの他に飯を食ってる人なんて居ないからついいつもの癖が出てしまった。
でも食後のタバコって美味しいんだよ?
「ば……」
「ば?」
「ばかも〜ん!!!」
どげしっ!!!
目にも留まらぬ拳が僕の頬を捕えた。
視線の先は見事なまでの青空。
ママン…僕もお空を飛べたよ……
「……って何しやがる!!」
「やかましい!!何堂々とタバコを吸ってやがる!?」
「いいじゃないか!食後の一服はうまいんだぞ!!」
「少しは悪びれろ!!てかちょっとくらいばれないように努力しやがれ!!」
「あ〜も〜…分かったよ、分かった分かりました!
ほら片付けたぞ!これでいいだろ!?」
「うん、よろしい。」
ちぇ…いつもの日課なのに……
急に午後の授業がだるくなってきた。
サボろうかな……
「ついでに言っとくが、午後もちゃんと授業出ろよ!?」
ばれてるし。
まあ、転校して間もない僕にこれだけ気に掛けてくれてるのは嬉しいけどね。
「りょ〜かい。お前も授業中寝るなよ?」
「何を言ってるんだ、碇は!?授業は昼寝の時間だろ!?」
こいつは……
殴りたい衝動を必死で抑えながら、僕らは教室に戻った。
ちなみに次の授業は、二人して熟睡してたりする。
いかんね。どうも良くない。
ちゃんと午後の授業は受けようと思ったのに、アイツの所為か、一緒になって寝てしまった。
まあ、そもそもサボろうかと思ってた僕が言うことじゃないけどね。
それにしてもどうも最近、何かがおかしい。
あんまり僕は授業中に寝たりはしない。だからと言って、きちんと授業を聞いてるわけじゃ
無いけど。
それでも先生に注意されるのが嫌だから、授業を受けてるフリくらいはしてる。
なのに、今日は完全に熟睡してて、先生から肩を叩かれるまで気が付かなかった。
しかも肩叩かれても、中々目を覚まさなかったらしいし。
やっぱり疲れてるのかなぁ……
そりゃ確かに普通の高校生とは違う生活をしてる。
学校が終わったらほぼ毎日ネルフに速攻で行って、帰って来るのはいつも9時10時だし、
今もまたこうしてネルフの廊下を歩いてる。
第一、普通の高校生は人類の命運を掛けて地球外生命体とは戦ったりしない。
……何だかマンガみたいな人生送ってるなぁ……
ずっとマンガやアニメみたいな生活を送ってみたいと思ってたけど、まさか本当に
そんな生活が出来るとは思わなかった。
だからって、別に嬉しくもなんとも無いけど。
そんなのは空想の中で楽しむから面白いんだ。現実に起こったって迷惑なだけだ。
さっさと金貰って平和な生活をしたい。
「ん?」
相も変らぬくだらない思考にふけっていると、前の方に蒼い髪の人が居た。
そんな髪の色をしてるのは一人しか居ないわけで。
「こんにちは。」
「……」
声を掛けても、相変わらず無表情でこっちを見つめるだけ。
でも流石にもうこんな雰囲気にも慣れた。
最初っからこういう子なんだって分かっていれば、付き合い方は幾らでもある。
何もしゃべろうとしないけど、どうやらこれは誰に対しても同じらしい。
慣れれば、むしろ逆にこっちも気を遣わなくて良いし、心地良くすらある。
そこには敵意も悪意も何も無くて、少なくとも綾波さんは僕を傷つけはしない。
「晩ゴハン、食べた?」
そう聞くと、綾波さんは黙って首を横に振った。
ならちょうどいいや。時間も八時半だし、ちょっと遅いけど食堂に行こう。
「じゃあ、一緒にゴハン食べない?」
「それは、命令?」
「いんや。ただ誘ってるだけ。どうかな?」
すると手を口に当てて少し考えると、小さく頷いた。
う〜ん、これでもうちょっと明るかったらいいのになぁ……
「よし、それじゃ行こうか。」
これで食事も少しは楽しく……かはどうか分からないけど、一人で食べるよりよっぽどいい。
別に一人にも慣れてるけど、出来るならやっぱり誰かとの方がいいや。
で、食堂に向かったわけだけど、当然その道中会話はやっぱり無し。
付かず離れずの距離を保ったまま、僕らは無言で歩き続けた。
途中、すれ違った人が変な顔をしてたけど、何が変なんだか。
ネルフの食堂は本部内の結構高い位置にある。
地下にあるネルフで高層に位置するっていうのも何だか変だけど、あのピラミッド型の建物の上の
方にある。
だけど実験なんかが行われる、比較的機密に関わりそうな場所は逆に地下の深くにある。
だから食堂へ行くにはエレベーターで行かなきゃいけない。
しかも階数が多いから、移動に時間が掛かるんだけど、その割に台数が少ないから、運が
悪いとエレベーターを呼ぶ間、もっと待たなきゃいけない。
面倒だけど、文句を言っても仕方が無い。
特に今日は用も無い事だし、気長に待つか。
待つこと数分。チン、というずっと変わらないであろう音が鳴って、エレベーターの
扉が開く。
そこには、父さんが居た。
「お疲れ様です、司令。」
ずっとバイトしてたからだろうか。上司である父さんに対して、自然と頭が下がった。
一方、父さんは僕が会釈をしても何の反応もしない。
黙っててもしょうがないから、また父さんに頭を下げながらエレベーターの隅に乗り込む。
言うまでも無いけど、父さんと一緒に居たって話すような話題なんて無いし、
お互い特に話したいと思ってないと思う。少なくとも僕は思ってない。
どうせならむさ苦しいおっさんよりも綾波さんみたいな可愛い子と話したい。
どうせ無理だろうけど。
さっきまでとは違う、居心地の悪い沈黙が場を支配した。
「レイ……」
レトロな雰囲気の、階数を示すメーターがカチカチと音を立てる中、やっと父さんが口を開いた。
ただし、その相手は僕じゃなかったけど。
「はい……」
「何をしている……?」
「これから三尉と一緒に夕食を取る予定です。」
「予定をキャンセルしろ。」
僕が居る隣で完全に無視して二人は会話して、しかも突然キャンセルしろときたもんだ。
そりゃ別に一緒に飯を食わなきゃいけないわけじゃないから、何か訳があるなら構わない。
でも本人を前にして、二人で勝手に話を決めてしまうのは納得行かない。
「…出来るなら僕も話に参加させて欲しいですね。」
「お前には関係ない。」
「関係なくは無いでしょう?訳くらい聞かせて下さると嬉しいんですが。」
「それならば尚更お前には関係がない。」
にべもない。
父さんは訳を話さないのか、それとも話せないのか。
どちらにしても、司令である父さんの命令を覆せる訳がない。
「分かりました……」
当然、綾波さんは父さんの命令を肯定した。
エレベーターが止まって、食堂のある階に到着した。
僕はただ黙って降りるしか出来ない。
また軽く一度目礼をして、僕は父さんに背を向けた。
途端、扉が固く閉められた。
それが僕を拒絶しているようで、少し悲しかった。
結局、僕はその後食堂には向かわず、一人で家に帰った。
ミサトさんは今日もまた残業。だから家に帰っても一人。
灯りの無い、見慣れた家だけど、今日は特別寂しく感じた。
分かってるんだ。
父さんは司令で、僕は三尉で綾波さんと同じ父さんの部下。
綾波さんが父さんの命令を聞くのは当たり前の事で、それはきっと僕と食事と行くことより
ずっと大切な事なんだ。
多分僕だって立場が逆だったら、命令に従うだろう。
頭では分かってる。でも感情は、この感情はどうしようもならない。
他の人には取るに足らない、大して気にすることでもなくても、僕は物凄く引きずってしまう。
わがままだと思う。自分勝手だと思う。
だけど、こんな些細な事でも僕は人に嫌われてるんじゃないか、そんな考えが頭から離れなくなってしまう。
僕は誰からも必要とされていないんじゃないだろうか。
誰からも好かれてないんじゃないだろうか。
皆笑顔で僕と話しながら、実はうざったく思ってるんじゃないのか。
嫌ってる、もしくはどうでもいい奴だと思ってるんじゃないのか。
(くだらないな……)
くだらない考えだとは思ってる。
それはきっと僕の考えすぎで、僕の周りの世界は僕が考えてるよりも優しいんだと、
僕の思い込みなんだと何度も考えてみた。
(ああ…知ってるよ。俺はお前なんだからな。)
それでもこの恐怖は僕の奥底にこびりついて、一向になくならない。
(その恐怖を誤魔化す為に、お前が人前で出来るだけ明るく振舞おうとしている事も。
そして、誤魔化す別の手段として俺が作り出された。)
でもやっぱり無くならない。
当たり前だ。逃げてるだけなんだから。
『ゴメン……お前にこんな役回りばかりさせて……』
(そう思うんなら、いい加減そのマイナス思考を止めろ。)
『努力するよ……』
(ま、期待しちゃいないがな。)
相変わらずシンは冷たい言葉を吐く。
もう少し優しい言葉を掛けてくれてもいいと思うんだが。
なのに、何処か気持ちが軽くなるのはコイツが僕を一番分かってるからだと思う。
そして絶対に裏切らないと、心の中で思ってるからかもしれない。
こいつにもっと感謝しないといけないな……
(落ち着いたんなら、いい加減飯を食え。
お前は良くても俺が腹が減るんだ。)
『そうなのか?』
(嘘だよバカ、信じるな。)
……前言撤回。
やっぱり感謝なんてしてやるものか。
ずっとこき使ってやる。
立ち上がって電気を点けた。
むかついてたけど、冷凍食品の炒飯が、やけにうまく感じられた。
NEON GENESIS EVANGELION
Re-Program
EPISODE 7
Opponent
その日は朝からおかしかった。
目覚まし無しでも決まった時間に目が覚める性質なんだけど、今日目を覚ましたら
すでに10時を回ってた。
完全に遅刻で、普段なら慌てて飛び起きるはず。
でもどういうわけか足が重くて、体がだるい。
元々朝は得意じゃないし、低血圧だから、なんて思いながらいつも通りシャワーを浴びに
風呂場に向かった。
わずか5メートルくらいの距離。それすらもかすんで見えた。
当然ながらミサトさんは居ない。
昨日はネルフに泊り込んで、そのまま確か東京の方に行くって言ってた気がする。
こういう時、誰も居ないのは不安になる。
多分、今感じてる不安が僕の体調の悪さを物語ってる気がする。
「くっ……」
風呂から出ても、気分の悪さは取れない。
それどころかもっと悪くなってきた。
「はぁ…はぁ……」
胸の気持ち悪さが痛みに変わる。
加えて吐き気がこみ上げて、手足も痛い。
『これは……まずいな……』
何とか着替えて、手を壁に突きながらやっとの事で台所にたどり着いた。
今日は学校も休もう。幾らなんでもこれはおかしい。
少し休めば気分も良くなるかもしれない。
「あ…そうだ……」
ネルフにも電話しとかなきゃ。
例えこの後治ったとしても、今日はネルフに行く気にはなれない。
それにもしかしたら、誰か様子を見に来てくれるかもしれない。
そんな事は無いと分かってるけど、ほんのちょっとだけそんな期待を抱きながら。
「けい…たいは……確か……」
ベッドの脇に置きっぱなしだ。
入らない力を両腕に込めて、全身の力を振り絞って立ち上がる。
だけど、足に力が入らない。
たった一歩踏み出すことも出来ずに、僕は何かが零れる音を聞きながら床に倒れこんだ。
ああ…コップか何かを倒しちゃったかな……
そんな事を思いながら僕は意識を失った。
a nuisance―――
「見る影も無いわね……」
軍用のヘリに揺られながら、ミサトは呟いた。
眼下に広がる大都会の亡骸。崩壊したビルの木立が水面から突き出し、かろうじて無事な窓辺には
ツバメが巣を張り、親鳥が雛に餌を与えていた。
「これがかつて花の都と呼ばれた東京だもの。犠牲者が少なかったのが奇跡と言うべきでしょうね。」
「リツコは……あの時東京に居たの?」
「ええ、家は滅茶苦茶になったけど、幸いにも私も母さんも無事だったわ。」
家も内地の方だったから。
揺れるヘリの中でも全く気にせずパソコンを操作しながら、リツコはそう付け加えた。
ミサトも窓の外から目を離さず、気だるげな様子で「そう」とだけ、短く返事を返した。
軍事用とは言え、どちらかと言えば政治的な意味合いの濃いヘリ故に、
けたたましいはずのヘリの音も中までは届かず、奇妙な静寂が二人の間に満ちる。
「お母さんは……」
やや間を置いて、ミサトが再び口を開く。
だが一度目を閉じて黙ると小さく溜息を吐いて首を振った。
「いえ…何でも無いわ……」
リツコもパソコンの画面から一度視線を外したが、一瞥しただけでまたパソコンの方に目線を落とした。
ミサトの方も何も無かったかの様に足元に広がる海を眺める。
透き通った水面に、中を気持ちよく泳ぐ魚の影が見えた。
恐らく倒壊したビルの残骸の中に、先程のツバメと同じで住処にしている魚がいるのだろう。
決してキレイとは言えなかった東京湾。
人が何年も苦労して水質改善を進めてきたが、それがあの大災害で瞬く間に蘇るとは皮肉に思った
人も居るだろう。
口には出さず、ミサトはそう思った。
そのまま何の変化も無くヘリは飛び続ける。
そして景色も。
始めはあまりの惨状に目を見張った光景も長く続けばそれも単調となる。
だがやがて、その眺めも急速に変わり始めた。
「何もこんな所でしなくてもいいのに、ご苦労な事ね。」
「こんなとこだからやるんでしょ。」
リツコの呟きに応えながら、ミサトは司令室でのやり取りを思い出した。
「対使徒用兵器、ですか?」
冬月から渡された資料に目を通したミサトは、二人に向かって確認をした。
黙って机に肘をついたままのゲンドウの変わりに、冬月がゆっくりと頷く。
「うむ。それの披露会に招待されてな。君と赤木君とで行ってきてくれ。」
「分かりました。しかし、よくそんな物を開発出来ましたね。
日本はそういった事にうるさかったと思いますが?」
「表向きは民間が開発した事になっているからな。
しかも日本は対使徒戦の真っ只中にいる。誰も表立っては反対出来んよ。」
小賢しい事だ。そう冬月は吐き捨てた。
「…だが裏で政府が糸を引いてるのは明らかだ。」
「私もそう思います。いくら企業体とは言え、政府の支持無しに開発など進められません。」
ゲンドウの言葉にミサトも同調する。
「向こうもこちらに対しては隠すつもりも無いらしい。」
そう言って、冬月はミサトに対して別の書類を渡した。
その右上には防衛大臣の名前が記されていた。
「強気ですね。」
「よっぽど自信があるらしい。恐らく極秘のはずの情報も漏れていることだろう。」
「諜報部の方は?どうなってるんです?」
「彼らを責める事は出来んよ。彼らもそれなりに優秀だ。とは言え、そういった事を専門に
している連中相手に完全に守る事など無理な話だ。」
無論責任は取らせないといけないが。
そう続けた冬月に、ゲンドウが更に続ける。
「だが実際に政府の新兵器が役に立つかは別だ。」
「そこで君に披露会に行って来て、その新兵器なる物が今後の使徒戦に使えそうか、見極めてきて
もらいたいのだ。」
「それで私が呼ばれたのですね。」
ミサトの確認に冬月は頷く事で応えた。
「もっとも、実際に動くかどうかは分からんがね。」
「どういうことですか?」
「何、政治的な話だよ。日本が強力な軍事力を持つのが気に入らん国は多いからな。」
例え使徒戦限定だとは言っても。
そう言って冬月は苦笑いを浮かべた。
そしてその言い方は、使徒戦において役に立たないと確信している様にミサトには聞こえた。
「……退屈な仕事ね。」
「そうね。こっちは暇じゃないのにね。」
だるそうに窓にもたれかかり、ミサトは次第に大きくなってきたドーム状の建物を見ると
大きく溜息を吐いた。
「本日はお集まり下さりまして、誠にありがとうございます。」
壇上に上がった司会らしき男が挨拶を述べ始め、披露会は始まった。
数多くのテーブルが並べられ、各々のテーブルには場に相応しい豪華な食事が一杯に並べられている。
恐らくは自衛隊や政府関係者であろう人々が、挨拶を適当に聞き流しながら
食事をつまみながら談笑していた。
それを横目で見ながら、ミサトはタバコをふかして退屈そうにコップにビールを注ぐ。
「ここまであからさまだと怒る気もしないわね。」
「それだけの人間って事よ。」
ああはなりたくないわね。
ミサトに応えながらもリツコは極少数派であろう、挨拶をきちんと聞いていた。
二人の前にはビールだけが並べられ、他のテーブルにはある料理の類は一切置かれていない。
いかに二人が招かれざる客であるかを表しているが、二人は気にせずマイペースに過ごしていた。
「ん?ようやく主役のお出ましみたいね。」
ミサトが顔を上げると、高そうなスーツを着込み、髪を綺麗にオールバックにまとめた男が
壇上に上っていた。
「彼が責任者?随分と若いのね。」
「この分野の世界じゃ有名人よ。ロボット工学の時計を10年は早めた、なんて言われてるみたいね。」
ふ〜ん、と気のない返事をしながらミサトは少しくしゃくしゃになったパンフレットを開いた。
時田シロウ。顔写真と共に壇上の男の輝かしい経歴がそこには書かれていた。
21歳で当時の東京大学を卒業後、京都大学において若干25歳でロボティクス工学の博士号を取得。
以後数々の国立の研究所を渡り歩き、現在に至る。
絵に描いた様なエリートコースを歩いてきた正面の男にミサトは一度目を向けたが、
すぐに興味を失ってリツコに話しかけた。
「惚れ惚れするような経歴ね。まだリツコと歳もそう離れて無いんだし、科学者同士話が合うんじゃない?
見た目もそう悪くないわよ?」
「どうかしら?彼の話を聞いてる限り、私とは合いそうも無いわね。」
顔は時田の方を見ているが、リツコもすでに興味を失っていた。
時田はまだ理知的なイメージの眼鏡を光らせながら熱弁をふるっている。
「……でありますから、これまでのロボットには不可能だった細かな動きも可能になり、比べ物に
ならないほど機敏な動作が可能になったのです。
コスト的にも何処かの国連組織のロボットと比べ、格段に安価で量産も可能!
また訓練の積んだパイロットが乗る事が出来、操縦者への負担も比べ物になりません。
もうネルフなどと言う不透明な組織の力など必要ないのです!」
恐らく話している内に興奮してきたのだろう。
最初はネルフと名指ししてなかったが、終いには明確にその名を出してしまっていた。
「……確かにね。少なくともアタシは嫌ね。」
露骨に顔をしかめてミサトはそっぽを向いた。
熱い人間は基本的にミサトは嫌いでは無い。一生懸命さが伝わってくるから。
だがいくら相手が嫌いとは言え、この場の責任者もそうだが、ここまで公の場で悪意を
露にするのはどうか。思慮が足りないと言わざるを得ない。
それ以上にミサトが嫌いなのは、他人を貶めてまで自らをアピールしようとするその性根だった。
自分に自信があるのなら、周りに存分にアピールしても構わない。
しかしそこに他人の存在が関わるなら別だ。
人類の存亡と言う建前すらない自己顕示の言葉に、ミサトは吐き気すら覚えた。
ミサトとて自分の汚さなど承知している。
だから他人をどうこう言える立場じゃないが、一緒に居たくなど無い。
ミサトはもう一度、先程より更にくしゃくしゃになったパンフレットを見た。
そこに書かれていた経歴。
なるほど、数々の研究所を渡り歩く、つまりは厄介払いをされたのだろう。
恐らく本人は気付いていないだろうが。
「退屈ね……」
呟いてミサトは再びタバコに火を点けた。
「如何でしょうか、ネルフの方々?」
マイクを使って話を振られ、ミサトとリツコは意識をようやく時田の方へ向けた。
会場中の視線が二人に注がれ、会場のスタッフからマイクが手渡された。
溜息を吐くと、リツコは立ち上がって億劫そうに口を開いた。
「興味ありませんわね。」
「なっ……!」
予想外だったのだろう、目に見えて時田は狼狽していた。
それを見てミサトは確信した。
(本命はこっちだったのね……)
非公開組織とは言え、今ネルフは人類の存亡を賭けた戦いの最前線に居る。
当然人材は、特に技術部に限れば優秀すぎる程優秀な人材が揃っている。
そこに自分が選ばれなかったのが悔しかった。
先程のは安っぽい挑発だったと言うわけか。
(もっとも、リツコには無駄だったみたいだったけどね)
「それより早く実物を見せていただけませんか?こちらも暇じゃありませんので。」
それだけを言い放つとマイクを返して何も無かったように座る。
時田は怒りに震えていたが、何とか堪えると考え直した。
自分の作品を見せればきっと考えも変わる。絶対に自分を必要とする、と。
「それでは、これより試験運用を開始します。」
司会の男がそう告げると、会場のモニターに黒い機体が映し出された。
狼を思わせる尖った頭部に四本足。
背中には大型の陽電子砲が取り付けられ、他にもバズーカやガトリングガンなど、
相当な重装備が各所に取り付けられている。
「ではごゆっくりとご覧下さい。」
そう言ってマイク越しにパイロットに運用の開始を伝える。
そして、一歩足を前に踏み出した。
瞬間、猛烈な加速度で一気にトップスピードまで加速する。
1キロ四方の広場の端まで数十秒で到達すると、急反転し、再び加速してスタート位置まで戻ってきた。
そのままカーブし、続いてトップスピードのままスラロームをスムーズに通過していった。
「へえ〜、自慢するだけの事はあるわね。」
ミサトが感嘆の声を上げる中、続いて遥か遠くに離れた的目掛けて陽電子砲を発射する。
真っ直ぐと伸びていった光の矢は、寸分の狂いも無く的を消滅させた。
次いで向きを変えると、手近な的にガトリングの一斉射を浴びせ、的は一瞬で蜂の巣へと姿を変えた。
「パイロットも優秀のようね。」
「どうかしら?作戦課長の目から見てあれは使えそうかしら?」
「そうねえ…まず主力としては無理ね。」
モニターから目を離さず、リツコの質問にミサトは冷徹に応えた。
「どうしてかしら?中々の物だと思うけど?」
「さっきの話の中で、A.Tフィールドの話が出てこなかったわ。
明らかにこっちを意識して話してたのに。
これはA.Tフィールドについて何も分かってない証拠でしょうね。」
「なるほどね。」
「それに、四本足なら安定性に優れるでしょうけど、近接戦闘は不可能ね。
加えて防御も心許ないわ。前線で体張ってもパイロットが無駄死にするだけね。」
ただ、と会場が拍手と歓声に包まれる中、更にミサトは続けた。
「エヴァがフィールドを中和して遠くから攻撃、とか牽制には十分使えそうね。
後方支援用には欲しいわね。」
勿論彼抜きで、と時田をちらりと見ながら締めくくった。
その時田は会場の歓声に気を良くしているのか、笑みを浮かべてわずかに顔を
高潮させていた。
「司令に話してみるのね。うまく行けばこっそり安く買い取ってくれるかもしれないわよ?」
「帰ったら上申書でも書いてみるかぁ……」
ミサトの呟きを聞きながら、リツコは腕時計に目を移す。
時間は二時半。
「そろそろね……」
「じゃ、私達はさっさとお暇しますか。」
二人はモニターに背を向けると、そのまま振り返らず出口に向かった。
そしてそれと時を同じくして、モニターから奇妙な音が轟いた。
「どうした!?」
「右前脚間接部損傷!」
「後脚部にも損害!バランスを保てません!」
作業員の報告と共に、モニターに映るトライデントが大きく右に傾き、その身を地面に横たえる。
高速で走行中であったため、そのままのスピードで地面を滑り、激しく火花を散らした。
何かしら突起物でもあったのか、滑っていたトライデントは一度弾むと、そのまま
回転しながら装甲板を撒き散らしていく。
陽電子砲がひしゃげ、そして爆発。
黒い機体はついには真っ赤な炎に包まれた。
「何て事だ……」
朽ち果てていく自慢の機体を呆然と見つめながら、時田は膝を折った。
会場は悲鳴に包まれ、全てが暗闇に覆われる感覚に時田は陥っていた。
その喧騒を背後に聞きながら、ミサトは厳しい表情を浮かべたままヘリへと向かう。
「これで彼も終わりね。」
「恐らく第一線での活躍は今後出来ないでしょうね。
優秀だっただけに惜しいわね。」
私たちには関係ないけど。
そうリツコが言った時、ミサトの携帯が鳴った。
「はい、葛城です。
……えっ!?それで三尉は!?ええ、ええ、そう、分かったわ。
ちょうど今から戻るところだから。何か変化が起こったらすぐに教えてください。」
「シンジ君がどうしたの?」
携帯を切って、ミサトはヘリに乗り込んだ。
「碇三尉が倒れたそうよ…」
「!……そう……」
リツコは一瞬驚きの表情を浮かべたが、すぐに無表情に戻すとヘリへと乗る。
「なら急ぎましょう。
それで容態は?」
「まだ意識は無いらしいけど、恐らく過労だろうって。」
「無理も無いわね。学校が終わってから、毎日訓練してる訳だし。」
「ま、これを機会にしばらく休ませた方がいいかもしれないわね。」
軽く溜息を吐きながら、ミサトは爪を噛む。
言葉とは裏腹の、余裕が無い時に出るミサトの癖を見ながら、リツコは平静を装って黙ってシートに座る。
行きと同じ様に、沈黙を乗せてヘリは飛び立った。
「特にイレギュラーも無く予定通りに終わりました。」
リツコは司令室でトライデンとの披露会の報告を冬月にした。
普段はサングラスの男が常にふてぶてしく座している司令室だが、今日はゲンドウは居ない。
国連のあるアメリカの方へ予算の交渉に出向いていた。
「うむ。ご苦労さん。葛城君は何と言っていたかね?」
「後方支援には是非欲しいといってましたわ。
作った人間はともかく、ロボットの方は中々優秀の様です。」
「昔から日本はロボット産業は活発だからな。優秀な人材には事欠かんよ。
ロボットの事は碇の奴に私から伝えておこう。」
「きっと葛城一尉も喜びますわ。」
それで、と冬月は緩んだ顔を引き締めてリツコを見る。
リツコの方も浮かべていた笑みを消して、逆に厳しい表情を浮かべる。
「やはりまずいのかね……?」
朗らかな雰囲気は鳴りを潜め、冬月の口調にも緊張が混じっていた。
冬月の質問に、リツコはゆっくりとうなづく事で応える。
「すでに体組織の崩壊が始まっています。
今回は内臓でしたので幸いにもすぐに修復が可能です。ですが……」
「長くは保たない、か……」
ううむ、とうなり声を上げて冬月は腕を組んだ。
体組織の崩壊、それはつまりは魂の脆弱化を意味する。
脆弱な魂では自分の体を維持出来ない。
自身の姿を保てないほど、A.Tフィールドは弱まっていた。
「地下のプラントで寝かせておけば、しばらくは大丈夫だとは思いますが……」
「しかし、そういう訳にもいかんだろう。」
リツコに背を向け、冬月は特殊ガラスが張り巡らされた壁に向き直る。
地下に広がる人工の自然。そこにはいつもと変わらぬ姿があった。
「…碇司令は何と?」
「問題無い、だそうだ。
相変わらず不器用な男だよ。」
「本当はすぐにでも戻ってきたいでしょうに。」
「それを口に出せんのだよ。
ユイ君はそんなところを可愛いと言っていたがな。」
それだけは未だに理解出来ん。
苦笑いを浮かべて、再びリツコの方に向き返る。
「ともかく、もうすぐ弐号機と共に荷物も届く。
それまで何とか保たせてくれないか?」
「分かりました。
エヴァに乗ってLCLを取り込んでいれば、多少なりとも寿命は長くなるかもしれません。」
「よろしく頼む。」
それでは、と言ってリツコは司令室を辞した。
リツコが部屋を出て行くのを見届けて、冬月はゲンドウの椅子に腰を下ろした。
天井に描かれたセフィロトの木。
神への道筋を描いたそれを見上げながら、冬月は口を開かずに居られなかった。
「我々はどれだけの業を背負って神に近づこうとしているのだろうな……」