窓から入る朝日と、若干の肌寒さで僕は目が覚めた。
「あ〜……」
開け放たれた窓からは初夏に相応しい涼しい風が入ってきていて、逆にまだ初夏故か格好によっては
寒ささえ感じさせるかもしれない。
そして僕がその寒さを感じるということは、それなりの格好で居ることになる。
「さむ……」
冷え切った体を温めようと布団を頭から被る。
だけどその為に許された時間は足りなかったらしい。
けたたましい目覚まし音がなり、うとうとしてた僕はいつものように一瞬でそいつを止める。
昔から変わらない習慣。
どんなに疲れていても寝起きだけはいい。
朝が苦手と言うわけでもないけど決して好きではない。
出来れば時間ギリギリまで寝ていたいけど、そういう訳にはいかないのが世の常。
「ふわぁ……」
あくびを我ながら豪快にしながら着替えを持って風呂場に向かう。
手早く服を脱ぐと、そこには予想通りの姿があった。
「うっす、おはよう。」
軽く手を上げて挨拶をすると、タオルを器用に頭に乗せたまま彼も挨拶を返してくれた。
「クェ。」
そして湯船の端によって僕の入るスペースを作ってくれて、そこに汗を簡単に流した僕が入る。
これが最近の朝の風景。
ミサトさんの家に住むようになって二週間くらいなるけど、休みの日以外はほぼ毎日こんな感じだ。
ペンギンなのに温泉に入るなんて変な奴だとは思ってたけど、もうすっかり慣れた。
ペンギンとは思えないくらい頭がいいし、多分人が言うこともある程度理解できてるんだろう。
それに人懐こいし。
今も一度僕を避けた後、僕の膝の上にちょこんと座ってる。
ちなみに朝に風呂に入ってるからって決して風呂が好きだと言う訳じゃない。
むしろ面倒臭がりな僕にとってはそれすらわずらわしい。
これは一人で暮らしてた時の習慣で、夜ではなくて朝風呂に入ってた。
学校が終わった後、バイトから帰って来るのはいつも夜遅くで、そうなると風呂に入るのが面倒でそのまま寝てた。
でも汗臭い体で人前に行くのもはばかられるから、朝学校に行く前に簡単に汗を流す、というわけで。
その時の習慣が抜けなくて、今もこうして朝学校に行く前に簡単に汗を流している。
そして今日も手早く体を洗うと、すぐに制服に着替えて適当な朝飯を食って学校へと向かった。
ミサトさんとは、まあ毎日ネルフで顔を合わせてはいるけど、家で顔を合わせることはほとんど無い。
僕もミサトさん同様、毎日ネルフに行ってやれ実験だ、やれ座学だ、と忙しい時間を過ごしているけれど、
どうやらミサトさんはそれ以上の忙しさらしい。
パイロットとは言え新人の僕と仕事の量が同じくらいっていうのもそれはそれで問題なんだろうけど、
僕が実験が終わって帰る段になった時でもまだまだ仕事は山積みらしく、簡単な挨拶を済ませるとそのまま自分の執務室へ
直行していった。
んで、帰って来るのは日付が変わる寸前。
ぐったりした様子で家に上がると、そのままバタンキュー。
夕べもそんな感じで、今も僕が出て行ったのにも多分気付いてないだろう。
「はあ……」
空から降り注ぐ光に思わず溜息が出た。
まだ初夏だというのに何でこんなに暑いんだろう?
ちっとは太陽も休めばいいのに。
そんなしょうもないことを考えてると、いつのまにか学校が目の前になってた。
ミサトさんの家からこの第壱高校と言う何の捻りも無い名前の学校までの距離が近いのはホントに助かる。
外を出歩くのは僕は嫌いだ。正直ずっと建物の中、出来れば家に居たい。
そんなヒッキーよろしくな性格の僕にとって、登下校の道のりは辛すぎる。いや、
言うほどそんなに辛いモンでもないけど。
「碇君、おはよう。」
「おはよう。」
教室に入ると、クラスの女の子が声を掛けてくれた。
うん、朝から幸先が良い。やっぱ女の子っていうのは乾いた世界に潤いを与えてくれるね。
だからお返しに僕も笑顔を浮かべながら挨拶を返す。
すると彼女は少し顔を赤くしながら、それじゃ、と言って元の会話へと戻っていった。
普段自分で嘆いてばっかの僕自身の境遇だけど、こういう時は自分の顔に感謝したい。
別に特別格好いいとか、美少年ってわけじゃないけど、どうも僕の顔は女の子受けするらしい。
ついこないだ涙も感動も笑いもあったモンじゃない父親との再会があったけど、今思えばつくづく父さんに
似なくて良かったと思う。
記憶にも無い母親だけど、さぞかし美人だったんだろうと、勝手に感謝してみる。
そして今後父親に似ないで欲しいと心から願う。
「さて…」
学校に来たはいいけど、別に何か用があるわけじゃない。
授業が始まるまでまだしばらくある。
なんで、いつも通り何の変哲も無い椅子を無理やりロッキングチェアーにしながら教科書を読む。
足が滑ってこけない様に気をつけながらなんだけど、どういうわけか、この体勢だと結構教科書の内容が頭に入る。
我ながら不思議だ。僕ってこんなんばっかだな。
二十分ばかし教科書を読み、辺りのざわついた会話を聞き流しながら時間を潰してたらチャイムが鳴った。
で、そっから担任の先生が入ってきて何やかんやとHRで連絡事項を伝えるとまたどっか行ってしまった。
そこでまた授業が始まるまでの時間、周囲がそれぞれのグループで会話に華を咲かせる。
(当たり前だけど、どこの学校も変わらないな……)
皆それぞれの時間を、学生生活を楽しんでる。
転校して来て一週間が経ち、僕にも何人か普通に接する事が出来る友人が出来た。
僕は友達を作るのが別に苦手では無い。それなりに社交的な性格ではあるつもりだ。
でもまだ一週間だし、僕が転校して来る前からすでにグループはある程度出来上がってる。
だから特に僕に話しかけてくる友達も居ないし、僕もそれが分かってるから自分から話に入って行ったりはしない。
慣れない人が入っていくと、急に場の雰囲気が変わってしまうしね。
ギコチナイ空間。
それが僕は苦手だ。
再び開いた教科書を閉じ、教室を見渡してみる。
きゃあきゃあと騒ぐ女の子。バカ話に笑い合うクラスメート。
深刻そうな表情を浮かべているかと思えば次の瞬間には大きな声を上げて笑う。
何の憂いも無く、思い思いの時間を楽しく生きてる。
これと言った苦労もまだ無く―――勿論それぞれに悩みはあるだろうけど―――極当たり前の、
当たり前に享受される生活を当たり前に過ごしている。
それが当然。世の中は平和で、この街に住んでいる人は皆それなりにいい生活をしているんだろう。
何せネルフがあるんだから。
いくら非公開とは言え国連組織。そして基本的に第三新東京市はネルフを中心にして成り立っている。
この前父さんと交わした契約から考えても、給料はいいはずだ。
まあその席で僕もそれなりの高給取りになったわけだけども。
ともかく、皆の楽しそうな姿をしばらく僕は眺めていた。
そしてその姿が、僕に醜い嫉妬をわずかばかりに抱かせた。
(こんな風に考えるのは間違ってるんだろうけど……)
それは分かってる。
誰もがそれなりに、その人なりに辛い経験をしてるんだろう。
今こうして笑ってるけど、それはそんな経験を乗り越えた結果なのかもしれない。
ただ自分勝手な判断だけど、このクラスにはそんな人は居なさそうだけど。
勿論僕はその人じゃないし、誰かの心の中なんて分からない。だからそんな判断しちゃいけない。
そう分かってるけど、もうすでにこんな考え方が体に染み付いてしまっている。
こんな考え方をしてしまう原因は分かってるけど、もう直せそうも無い。
いや、直す気が無いのかもしれない。
この考え方を直さないと後々後悔するだろうことは予想出来る。
出来るけど、どうしようもない。
こんな結論に至るってことは、やっぱり直す気が無いのだろう。
不毛な思考に陥る。
けれどそれも一時間目の授業を告げるチャイムで遮られ、僕はいつものように授業の準備を始めた。
第参話 見えない、明日
一週間授業を受けて分かった事がある。
この学校の授業は遅い。だから暇だ。
授業の進みが遅い、と言うことは当然転校して来た僕にとっては、すでに習った内容をまた授業で習うと言うことになる。
それはそれで復習になるから無駄では無いのだけど、ゆっくりとした速さで既習の内容を勉強することほど退屈なものは無い。
第一それだったら自習で十分だ。
将来の事を考えて、僕はそれなりの進学校に通っていた。
その時から比べると、如何せんこの学校は授業のレベルは…申し訳無いけど低い。
それも保安上の理由でここにしか通えないからしょうがないのだけど。
結局、今日の一時間目も授業をまともに聞かず、自分で教科書を進めていった。
(つまらん……)
とは言っても、一人で淡々と教科書を読み進めるのもつまらない。はっきり言って眠い。
さて、どうしたものか……
(次は……ああ、数学か。)
あの爺さん先生の数学は、ある意味凄い、いやスバラシイ。
始めはきちんと授業をしてるけど、いつの間にか話は東海大地震に始まる混乱時代へと脱線していく。
授業の合い間のこうした雑談は、僕は好きだ。大歓迎ですらある。
ただでさえ眠い授業だけど、その時に先生が語る雑談はいい気分転換と眠気覚ましになる。
そう思ってほとんど記憶の無い当時の話を聞いてたんだけど、まさか授業のほとんどをそれで潰すとは思わなかった。
それでも一度くらいはそういう事もあるだろう、と思ってその時は気にもしなかった。
だけど次の授業で同じ話を始めた時には流石に面食らった。
クラスをそっと見回してみると、皆またか、と言った表情を浮かべている。
なるほど、この人は毎回こうらしい。
事実、それから約一週間、ほとんど授業らしい授業をしていない。
先人相手に失礼ながらボケてるのか、とも思うが流石にそこまでは無いようだ。
とは言え、出席すら確認してるのかも怪しいので授業に出る気まで萎えてくる。
皆はもう慣れてるのか、それぞれが内職したりチャットに興じたりと、思い思いにすごしているみたいだけど。
(ならば……)
と言うわけで現在屋上に居るわけだ。
いや、長いモノローグだった。
影になってるところに陣取って一息吐く。
とりあえず持って来ていた数学の教科書を脇に置いて、こっそり忍ばしておいた物をケツポケットから取り出した。
実はこれが目的の半分だったりするのだが。
マッチを擦って火を点ける。
そんなに強くない奴だけど、吸い込んだ紫煙が心地よい。
登校時には熱く、厳しく感じた太陽だけど、影に吹き込む初夏の風が涼しくて気持ち良かった。
風に身を任せて、もう一度煙を吸い込む。
こうして心地よい世界を一人で味わうのが僕は好きだ。
目を閉じて、穏やかな気分を存分に味わってた。
なのに奴がそんな気分をぶち壊してくれたのだから腹立たしい。
(おいおい、転校してから早速サボりか?しかも学校でタバコはやばいんじゃないのか?)
咄嗟に辺りを見渡す。
だけど誰も居ない。
当然だ。何せ今は授業中だし、僕みたいにサボって屋上に来る奴もそうそう居ないだろう。
「て、お前か。突然話しかけるなよ、誰か来たかと思ったじゃないか。」
(気が小さい癖に慣れない事する奴が悪い。
大体誰かに見られて困るくらいならタバコ吸うな、アホ。)
これだ。
折角人がいい気分に浸っていたのに……
「まだお前に話しかけられるのに慣れてないんだよ。
気を抜いてると誰かが話しかけてきたのと区別出来ないからな。」
(まあこうやって会話できるようになったのもつい最近だしな。)
顔は見えないけど―――と言うか人格しか存在しないが―――苦笑いしてる姿が簡単に想像できた。
ただ想像上でしかない奴の顔が僕の顔だったのにはうんざりだが。
「ま、たまにはこうやってお前と話すのもいいかもな。誰かが居るときには話もまともに出来ない。」
(そう思うんなら、早いとこ声を出さずに俺と会話するのに慣れてくれ。)
「分かったよ。」
こいつが生まれて、いや僕が認識できるようになってから二週間。
そう、あの忌まわしい記憶が蘇った夜にこいつは、別の僕は生まれた。
シン―――こいつが自分で名乗った―――が言うには、もう随分前に人格としては存在していたらしい。
残念ながらいつ生まれたのかは本人も知らないらしいけど。
存在していたとは言っても、意識としてははっきりしてなかったらしい。
ただ僕も覚えていない記憶が今もあるらしく、それが存在の証明ってわけだ。
「記憶、か……」
僕は小さい頃の記憶が曖昧だ。
六歳以前の記憶は全くと言っていいほど無いし、小学校に上がってからも卒業までの記憶はあまり無い。
勿論、楽しかった記憶や、何年生のいつ頃に遠足に行った、なんて記憶はあるのだけど、
何と言うか、全ての記憶にぼんやりと霞がかった感じだ。
それに記憶と言えば、最近も何かおかしい。
忌まわしいはずの二週間前の記憶が蘇った次の日、つまりはシンが出てくる様になってから
その記憶が自分の物では無いような感じがするようになった。
忌まわしい、という風に認識してるのに嫌悪感などが全く無い。
まるで記憶と言う名の「記録」を見ているような。
どこか現実感の無い記憶に変わっていた。
「そう言えば、この前はサンキュな。マジで助かった。」
(この前……?ああ、契約の時の話か。)
「ああ、僕だけじゃ全然話が出来なかったと思う。
だからありがとう……」
(気にすんな。ずっとお前を見てたからああなる位は予想が付いた。
それに契約とかを持ち出したのも半分俺だしな。)
十日位前だったかな、ケージでの約束通り僕は父さんの所に行った。
当然ネルフと正式な契約を結ぶ為で、生活と命が掛かってるから意気込んで行った訳だけど、
その気持ちはあっという間に霧散してしまった。
ミサトさんに案内され、通された司令室は薄暗く、無駄だと思える位馬鹿に広い。
はぁ、と溜息混じりに部屋を眺めてみれば、天井には何やら怪しい模様が書いてある。
セフィロトだったかな、確か旧約聖書に書いてあってカバラに関係があるんだったような。
薄暗さと言いセフィロトと言い、変な宗教にでもはまったのか?
人の信仰にどうこう口出す気は無いけど、騙されてカバラじゃ無い変な奴にはまってたら嫌だなぁ、
息子としても部下としても。
「それではこれで。」
敬礼してミサトさんは部屋を去り、部屋には僕と父さんと、そして側近の方らしい
すでに老齢に差し掛かろうという男の人が残された。
見たところ、こちらの男性の方が年齢から考えても司令っぽいけど。
思い返してみれば、すでにこの段階で僕は雰囲気に飲み込まれていたのかも知れない。
色々と宗教がどうのこうのと現実逃避っぽいことしてたし。
「さて、それじゃ色々と話を詰めていこうかね。」
側近の方―――後で聞いたら、冬月副司令らしい―――に勧められて椅子に座る。
そして正面には、机に肘を付いて口元を隠した父さん。
いや、父さんだとずっと思っていたけど、そこに居たのは父では無く冷徹な仮面を被った碇司令だった。
二人で向き合うと分かる、司令が纏う重々しい雰囲気と発せられる、実力ある権力者特有のプレッシャー。
逆光で陰になって顔は見えず、表情も伺えない。
だけども、そこには多少なりとも期待した父としての様子は無いのが分かる。
「それで契約金だが、それはこの前ケージで約束した五百万でどうだろう?」
「え?え、あ、ええ……」
緊張してるのか、冬月副司令に話しかけられてもしどろもどろな返事しか出来ず、つい肯定の返事と
取られかねない答えを返してしまった。
その事が更に焦りを呼んだ。そしてそれが自分でも分かる。
ドツボにはまって、自分の迂闊さを悔やむ余裕すら無く焦りが募る。
「……」
父さんは黙って僕を見たまま一言も発しない。
その間に副司令によって次々と案が出されていく。
「そうだな、給料は君は学生で未成年でもあるし、月五万程度でどうだろう?
その代わり衣食住の全般はこちらで面倒を見させてもらうから。
それで問題ないと思うのだがどうかな?
それと階級だが、一応軍事組織なのでね、君にも有った方が色々都合がいいので用意させてもらったよ。
軍事的な経験も当たり前だが君には無いし、とりあえず三曹でいいと思うがね。」
「え、ちょ、ちょっと……」
ちょっと待って下さい、と言おうとしたけど舌がうまく回ってくれない。
まずい、このままじゃ向こうに良い様に決められてしまう。
好々爺然とした笑顔を副司令は浮かべているけど、よくよく考えれば出してきた条件ってとんでもなくないか?
何とか頭の中で錯綜する情報を整理したところで、その事に気付いた。
この流れを変えようと口を開こうとした。
「どうした……」
初めて口を開いた司令は、威圧感たっぷりに僕を睨みつけてきた。
心臓が跳ね上がる。
僕は蛇に睨まれた蛙のように、すくみ上ってしまった。
「い、いえ……」
役者が違う。
経験も無い僕とは、場数が違いすぎた。
最早相手にならない。
それを僕は今更ながら感じてしまった。
(シンジ……)
「は?」
まだシンに慣れていなかった僕は、つい呼ばれて返事を声に出してしまった。
当然、司令と副司令は怪訝な顔を浮かべている。
「どうしたのかね?」
「い、いえ、何でも無いです。」
(シンジ、俺と代われ。)
この場に居るのも辛くなっていた僕は素直に主導権をシンに渡すことにした。
わずかに震える右手を額に
前髪をゆっくりとかき上げる。
やりなれた儀式を終え、俺はやや目を細めて前を見た。
「ちょっと待って欲しいんですが。」
これまでの流れを止める物言いに、冬月さんの方は表情をわずかに歪めた。
親父の方は相変わらず何考えてんのか分からん。分かりたくも無いが。
「何かね?」
「まだこちらの希望を一つも言っていませんからね。それをそちらに伝えておこうと思いまして。
それと、この部屋は禁煙ですか?」
「我々は二人とも吸わないが、禁煙と言うことでは無いよ。
でも高校生がタバコを吸うのは感心せんね。」
「そこら辺も自己責任で吸ってますから。
でも黙っていてもらえると嬉しいですけど。」
適当に軽口を叩きながら、ポケットからタバコとマッチ、そして携帯灰皿を取り出す。
マッチを擦って火を点けると、灰皿の中に捨てる。
でも折角火を点けたタバコは吸わずに、手に挟んだまま話を続ける。
「それでこちらの希望を伝えましょう。」
「ああ、それでいくら欲しいのかね?」
明らかに冬月さんは舐めて掛かってきている。
先程までの流れで、こちらの能力をある程度把握できたのだろう、すでに直接的に金の話をしようとしている。
俺は内心でほくそ笑んだ。
「そうですね、まずはこの前のケージの分。
あれは切り離して考えて頂きたい。勿論あの時の搭乗料として頂きますが。」
「ふむ、確かにあれは搭乗の為の条件だったからね。
それで、他には?」
「まずは今後の契約金として一億。それから月々の給料として百万、更に有事の際の搭乗報酬として一度の
出撃につき一億。そして……」
「ちょ、ちょっと待ってくれないか、シンジ君。」
「何ですか?」
「それはあまりにも法外じゃないかね?」
「そうでしょうか?ほとんど操れる者が居ない兵器のパイロットですし、こっちは本来送れる筈の
当然の生活を犠牲にするわけですから、それ位は払って頂いても問題無いとは思いますけど。」
「しかしだね、そうなると他の職員との間で何かと問題が起こるだろう?
ましてや君はまだ学生だ。法的にも責任能力は無い。君にそこまでの大金を払うのは流石にね。」
そう言って苦笑いを冬月さんは浮かべた。
やはり一筋縄には行かないか。まあそんなに簡単に言い負かされても組織としては不安だがな。
それから約一時間に渡って冬月さんと交渉していった。
その間親父は「ああ……」とか「構わん……」とかしか言わんかったが。
結局落ち着いたのは、契約金は一千万、月々の給料として五十万で搭乗報酬は無し。
金額だけ見れば、結局交渉の席はこっちの敗北に見える。
でも俺もシンジも金にはそんなにこだわりは無い。
それなりに生活できる金さえあれば良いし、俺が欲しかったのはそんなんじゃない。
代わりに、と言うか金に紛れて要求したのは階級と情報。
高い地位は責任が伴ってくるからいらないが、三尉の階級を貰った。
これは作戦立案に有る程度の発言権を手に入れられるからでもあるし、本命はそれなりの情報を得る位置に
立てるからだ。
どう考えてもこの組織は怪しい。
何より、あの親父が信用出来ない。見た目からして怪しいしな。
席上でも多少聞いてみたが、当たり障りの無いものしか教えてくれなかった。
ネルフの目的や、どうして非公開組織なのかを聞いてみたが、
やれ人類を滅亡から救うためだとか、パニックを避けるためだとか、当たり前の答えしかくれなかった。
でも俺はそれを信用出来ない。
だからこそ情報が必要だと思うが、正直なところ社会的な力が無いし経験も知識も無い俺にどうこう出来るとは
到底思えない。
それでも情報が無ければ、自分が正しいのか、どうすべきなのかの行動の指針すら考えられない。
その程度しか行動が取れない自分が恨めしい。
その意趣返しもあって少々高めの金額を得たんだがな。
二本目のタバコを吸いながら、僕は交渉の時の様子を思い出していた。
シンが言う通り、僕はどうもネルフを信用出来ない。
自分の父親を信用出来ないのは寂しいとは思うけど、しょうがない。
僕を捨てて生きてきた張本人だし、僕自身も一人で生きていく為には、平和な日本とは言え
馬鹿正直に人の言うことを信じていく訳にはいかなかった。
何より、何度も僕は裏切られてきた。
だから何に対しても懐疑的に生きてこなければいけなかった。
「なあ……お前はどうして僕が父さんに呼ばれたと思う?」
(……エヴァに乗れると分かったから、と言うのが向こうの言い分だが、来た日に使徒とか言うのが
襲来したのが気になるな。)
「司令の息子がエヴァに乗れる、ていうのも気になるけど、どっちも有り得ないことじゃない。
だけどそうなると何故今まで放っておいたのかが分からない。」
(つまりは……)
「うん…仕組まれた、て可能性があるね。」
どうやってエヴァに乗れる適性を調べたのかが分からない。
だから断言できないんだけど、司令の息子ならば僕が最初に調べられるはずだ。
それが使徒が来る直前に分かった、ていうのは怪しい。
これにしてもずっと捨てられていたから忘れ去られてた、て可能性もあるけど。
やっぱり情報が無いから判断出来ない。
多分聞いたところで、機密だとか言って教えてもらえないだろうけど。
でももしこれが仕組まれていたのなら、何故?
(直前に俺らが来る必要があった、と言う事か……)
「でもその所為で僕は負けた。
結局暴走で勝ったらしいけど、それが起こらなかったら、向こうの事を信じるなら人類滅亡だったのに……」
(……もしその暴走までも仕組まれていたとしたら…?)
「つまり暴走するのが分かっていたって事か?」
(ああ…もしくは暴走させる事が目的だった。)
「何の為に?」
(そこまでは分からん。)
結局何も分かんないか……
二時間目の終わりを告げるチャイムが鳴る。
答えの出ない問答をそこで中断し、僕は一式を持って階段へと向かった。
まだ何も分からない。
だけども、一つ分かったことを挙げるならばネルフはやっぱり怪しい組織だって事かもしれない。
NEON GENESIS EVANGELION
Re-Program
EPISODE 3
What Should I do?
飯を食った後の授業ほど眠いものは無い。
それに気付いたのは、中学生の頃だった。
それまではそんな感覚は全く無く、毎日の授業が楽しかった。
小学生の頃は、まあ低学年の頃はマセたガキだったと自分でも思うけど、高学年になるに従って
目上の人との接し方や最低限の礼儀を覚えて、傍目から見ても、そして自分でも優等生だったと思う。
変な言い方をすれば先生も扱いやすい生徒だっただろうし、生来の人当たりの良さと明るい性格で、
クラスメートからも小学生ながらも信頼を得ていた(と自分では思う。本当はどうかは知らないが。)
それがこんなひねくれた奴に変わるんだから、全く人間って奴は分からない。
窓の外を、欠伸を噛み殺す事も無く豪快にしながら見る。
その頃からかもしれない。世界が徐々に色を失い始めたのは。
青、赤、緑。光の三原色が織り成す様々な景色も、何の感動を与えてくれない。
唯一心を動かされたのは、僕の頭が作り出す様々な想像、いや妄想の世界。
そこは動きに、煌きに溢れ、そこで僕は僕を震わせてくれる世界を作り上げてきた。
それは僕の無意識に置ける自己防衛だったのかもしれない。
僕が完全に色を失ってしまわない為の。
(何カッコつけてんだか……)
悪い癖だ。すぐ妄想の世界に入って自己陶酔に浸る。
要はやる気が無いだけのダメ人間じゃないか、授業中にンな事考えるなんて。
視線を前に向ければ、化学の教師が色々な化学反応式を書きながら淡々としゃべってる。
更に視線を少し横に向ければ、寝てる奴、チャットに興じる奴、内職してる奴など様々だ。
別にあの数学の爺さんじゃなくても一緒って事か。
しかしこいつら、自分の将来の事考えてんのかね?
とまあ、別に頼まれても居ないクラスメートの心配をしてたら、手元の端末に何やらメッセージが届いた。
おいおい、今授業中だぞ?
とは言っても退屈なのは変わりないので、届いたメールを開いてみる。
<碇君ってあのロボットのパイロットなんでしょ?>
……頭痛くなってきた。
そこら辺って機密事項じゃなかったのか?
人に散々機密を漏らすな、みたいな事をミサトさんやら副司令やらが言ってたけど。
とりあえずこっちからばらす訳にいかないから、適当にはぐらかそうか。
<ロボットって何?>
<とぼけないでよ。この間の騒ぎの時の巨大ロボットよ。>
ホント機密が駄々漏れだな。後でミサトさんに伝えとこう。
<つい最近ここに来たから良く知らないけど、仮にそんなロボットのパイロットに僕みたいな
普通の高校生が乗るなんて世も末だね。>
冗談では無くて本気でそう思う。
でも良く知らないけど、エヴァの特性上しょうがないのかもしれない。
<いい加減認めちゃいなよ。皆分かってるんだからさ。>
<ならそう言うのが機密だって事も分かってるんだよね?君のお父さんかお母さんもネルフに所属してるんでしょ?>
そう返事を返したら、それ以上メールは来なかった。
半分以上認めちゃったもんだけど、別にいっか。直接的な言質は与えてないし。
後になって気付いた。授業がまた退屈に戻ってしまった。
折角女の子からだったから、適当にはぐらかしながらずっと話せば良かった。
その後の授業は、この後の訓練の事を考えて全部寝る事にした。
a nuisance―――
「じゃあ碇三尉、お疲れ様。今日はもう上がっていいわよ。」
訓練を終えたシンジ君に声を掛け、私は残っていた書類を片付ける為に執務室に向かった。
私は書類仕事が嫌い。
別に頭を働かせる事は嫌いでは無いけど、どちらかと言えば体を動かす事の方が合っていると思う。
しばらく前までは、毎日男達に混じって汗を流し、怒声と銃声、そして硝煙と流れ出る生命の雫が飛び交う
世界で生きてきた。
十年近くに渡ってその世界で生きてきた所為で、その感覚が体に染み付いてるのかもしれないわね。
それに書類仕事と言えば、ただ判を付くだけがほとんど。
時間が過ぎていくだけで、生産性があるようには思えない。
書類が無いと回らない仕事も有るってのは分かるんだけど、そろそろペーパーレス化しても良いとは思う。
「あら、シンジ君の訓練はもう終わったの?」
後ろから声を掛けられて振り向く。
背後から誰かが迫ってきてたのは気付いてたし、気配も慣れた相手の物だったから特に驚く事でも無かった。
「ええ、ついさっきね。
赤木博士の方は?シンクロ率の解析はどうだったんですか?」
「二人っきりの時くらい敬語使わなくていいわよ、ミサト。」
言われて、周りには誰も居ないことに気付いた。
腕時計を見れば十一時前。夜勤の職員以外はとっくに帰ってる時間ね。
肩の力を抜いて、いつも通り話すことにした。
「そうね。
で、リツコの方はどうだったの?何か収穫はあった?」
「何とも言い難いわね。
とりあえず、私の部屋に来なさいよ。コーヒーくらい出すわよ?」
「行くわ。」
ほぼ即答。
別にコーヒーに釣られた訳じゃ無いけど、リツコの申し出を快く引き受ける事にした。
だってリツコのコーヒーおいしいしぃ……
で、リツコの部屋に来て早速自分でコーヒーサーバーから、常備してる自分のカップに並々注ぐ。
熱いコーヒーから香ばしい匂いが漂ってくる。
それに息を吹きかけながら、少しだけ口に含むと、心地よい苦味が舌を刺激した。
「未だに猫舌なのね、ミサトは。」
「べっつにいいじゃない。」
そうは言うものの、自分でもちょっと情けないとは思う。
気を取り直し、誤魔化す様に少し語気を強くして話を再開した。
「それよりも!シンジ君のシンクロ率はどうだったの?」
「残念ながらここ数日と何ら変わらないわ。五十%を行ったり来たりね。
そっちはどうだったの?」
ここ数日は、主に時間がある時は私が、それ以外の時は作戦部の奴がシンジ君の訓練に当たってる。
今日は少し時間が空いたから私が格闘訓練をしてたけど、中々筋が良かった。
「そうねぇ…特に目新しい事は無かったわ。
言ってしまえば報告書通りね。運動神経は申し分無し、今日は簡単な護身術を教えたけど飲み込みも早かったわ。
動体視力も人並み以上。反射神経は特に良いわね。」
「あら、良いじゃない。貴女の仕事も少しは楽になるわね。」
「そうね。でも決してずば抜けてるわけじゃ無いのよ。
全てに置いて標準以上。でも特別に優れてる訳じゃないわ。言ってしまえば器用貧乏なタイプかしらね。」
「なるほどね……その点に置いてもこちらの調査と一致するわね。」
「調査?」
そんな話は聞いていないし、報告書も来ていない。
一応シンジ君は作戦部の所属になるし、いくらリツコとは言え勝手な事をされては困る。
組織に置いて横の連携は大切だ。
縦だけでも横だけでもダメ。うまくいかない組織や軍は得てしてそうしたものだ。
そう抗議しようとしたけど、こっちの考えを読んだリツコが苦笑いしながら先に事情を説明し始めた。
相変わらず勘がいいわね。それとも私が顔に出やすいのかしら?
「大した事はしてないわ。
ただシンジ君も慣れない環境に居るわけだし、カウンセリングの真似事をしただけよ。心理テストも併せてね。」
「それならそうと早く言いなさいよ。」
そう言って壁にもたれ掛かりながらコーヒーをまた一口飲んだ。
さっきより少し冷えてちょうどいい温度になってる。
リツコに言わせると私にはコーヒーの入れ甲斐が無いらしい。
そうは言われてもねぇ……
「まあいいわ。
それで、結果はどうだったの?私の言ったのと一致するって言ってたけど?」
「ええ、貴女と同じ様な事をシンジ君自身も言ってたわ。自分はずば抜けた特技が無い、器用貧乏なんだって。
そこはまるっきりミサトと同じ内容ね。
ついでに知能テストの結果もあるけど、似たようなものね。
知識は標準以上、IQも標準よりもずっと高いけど、天才とまでは行かないわ。
そして多少そこに苛立ちを覚えてるみたいね。すでに諦めに変わりかけてるみたいだけど。」
まあ確かにそうでしょうね。
特技が有ると無しじゃ自分の自信の持ち様も他人の印象も結構変わってくる。
オールマイティにこなす、ていうのも特技かも知れないけれど、武器が無いというのは人によっては苛立ちを
抱かせるのに十分な理由になる。
「そこら辺を認められるほどには大人じゃないってことか……」
「認めてはいるわね。ただ認めても受け入れ難いの方が近いでしょうね。
世の中の大人を考えれば、よっぽどシンジ君の方が表面上は大人と言っていいわ。」
そう言いながらリツコは、自分で入れたコーヒーを味わうように口にした。
クールな見た目と違って、リツコは猫が好きだ。
今持ってるカップにも少女趣味なほど可愛らしい猫の絵が描かれている。
そのギャップが一部の職員には受けているらしい、とマヤちゃん―――彼女の部下―――が
言っていたのを思い出した。
「それと、ミサト。」
「何?」
「貴女最近シンジ君と話してるの?」
「ええ、ついさっきまで一緒だったし、結構話はしてるわよ。」
突然話題が変わったけど、淀み無く答えられたと思う。
別に嘘を言ってるわけじゃない。リツコの意図に気付かない振りをしただけだ。
でもリツコにはそこら辺も見抜かれてしまってた。
「私が聞いてるのは軍人としてじゃないわ。
最近帰りが遅いみたいだし、家でちゃんと接してるの?」
「……シンジ君との関係を考えると、あまり親密になるわけにはいかないわ。
勿論同居してる以上シンジ君に緊張はさせないようにしてるし、日常会話くらいはしてるわよ。」
「そう、ならいいんだけど。
気をつけなさい、ミサト。あの子、見た目に比べて精神的に危ういわよ。」
リツコの言葉に私は首をかしげた。
シンジ君は年齢以上に大人びてるし、礼儀もきちんとわきまえてる。
愛想もいいし、人との接し方を彼なりに作り上げてる。
明るい性格で、何と言うか、落ち着きがあるように見えるけど。
「彼のこれまでの経歴を考慮すれば、同年代の子と比べて精神的に大人なのは確かね。
多少周りを見下してるところがあるけど、それを表に出さないところも流石といったところかしら。
でもねミサト、それも度が過ぎると色々と悪影響を及ぼすのよ。」
「どういう事よ?」
「物事は何でもズレがあるとどこかでねじれを生じるわ。
恐らく内面で、それも本人が気付かない深層で問題がくすぶってるんでしょうね。
分かりにくいけど、心理テストでたった一項目だけだけどその傾向が現れてるわ。」
そうは言われてもにわかにはリツコの言う事は信じ難い。
でも、もしそれが真実ならまずいわね。
「パイロットのメンタル管理も作戦部長の仕事よ。
いざと言う時に問題が無いようしっかりなさい。」
言われるまでも無い。
まだシンジ君に代わるパイロットは居ない。
レイもまだ戦場に出せる状況では無いし、まだまだシンジ君には頑張ってもらわないといけない。
私がここに居る目的。レゾンデートル。今私を動かしている物。
それを自分の中で再確認した時、私の奥底で何かがうごめいた。
いや、何かでは無い。
私はこの何かを知っているし、それをどう呼ぶのかも分かる。
決して表には出さない、私の奥底に流れる業火の川。
轟々と燃え盛っているのに、流れは至って静か。
その代わりに熱だけはじっとりと私に伝わってくる。
アツイ……
この感情を知っているのはリツコだけ。そしてリツコはそれを知っても何も言わなかった。
今のも恐らく私のこの感情に対する忠告だろう。
目的を果たせなくならない様、この忠告を真摯に聞いておかなければならない。
猛烈な渇きを覚える。
決して喉の渇きでは無い、全身で欲するドロリとした熱による渇き。
ああ、アツイ、アツイ……
あまりのアツサに体が芯から融けてしまいそう。
でもまだ早い。今このアツサに身を任せてしまうわけにはいかない。
目的の為には常に冷静さを持ち続けなければ。
もうずっと私と共にあった感情を抑え、渇きをうるおす為に冷めたコーヒーを一気に流し込む。
そう、まだシンジ君を失うわけにはいかない。
少なくとも私の願いを、目的を果たしてくれるまでは。
―――fade away
「じゃあまたな、碇。」
「ああ、また明日。」
適当にクラスメートに別れの挨拶をして僕は下駄箱へ向かった。
相変わらず毎日に変化は無い。
適当に授業を受けて適当に勉強して適当に授業をサボり適当に友達と笑い合う。
第二東京に居た時もそんな感じで毎日を過ごしてたけど、それはこっちに来ても変わらない。
それでも毎日はそれなりに楽しい。じゃなきゃ毎日学校に来たりなんてしない。
でも本当に楽しいのか、と聞かれるとちょっと困る。
他人の顔色をうかがって、和を乱さない事を、他人に嫌われない事を第一に考えながら生きてきた。
本当に楽しいって何だろう?
本気で心から笑ったのっていつだっただろう?
すっかり記憶から失われている。
だからそれがどうした?
そんな事をしなくても毎日は回るし、平穏無事に過ぎていく。
God's in His Heaven, All's right with the World.
神は天に在りて、世は全て事も無し。
誰のセリフかは忘れたけど、そんな言葉を思い出した。
「そして僕の日常も事も無し、っと。」
靴を履いて外に出る。
空は薄曇だけど、雨が降る様では無さそうだ。
今日は土曜日でおまけにネルフも休みと来た。
まだまだ昼間は長いし、この前払い込まれた大金もある。
このまま帰るのも何だかもったいない。
折角だし、どっかブラブラしようかな。
(珍しいな、お前が自発的にどこかに出かけるとはな。)
「うっさいな、僕にだってたまにはそんな気分になる時があるさ。
ましてや最近ずっとネルフに居たんだから。
あんな穴倉に居たら誰だって気分転換したくなるだろ。」
(それもそうだな。)
「つーわけでとりあえず駅の方にでも行くか。そろそろ夏も本格的だし、夏物でも買うかな。」
そうと決まれば早速駅の方へ。確か色んな店が入ってるビルがあったはず。
「えろうスンマヘンが、碇さんでしょうか?」
いざ駅前へってところで後ろから声を掛けられた。
聞き覚えの無い声に誰だ、と思いながら振り向くと、やっぱり知らない奴が立っていた。
「ん?そうだけど……?」
居たのは中学生らしい三人組。
二人は制服を着ていて、一人は女の子。それが昨日綾波さんが着てたのと同じだったから多分近くの第壱中の生徒だろう。
声を掛けてきた関西弁の少年だけは真っ黒なジャージを着てた。
もう夏だというのに、この子は暑くないんだろうかね。
「そうでっか……ちょいと話があるんできてくれまへんか?」
「そう言われてもなぁ……」
いくら中学生とは言え、見知らぬ人に着いて来いと言われてもほいほい行く訳にはいかない。
そう思って渋ってたら、別のメガネの少年が口を開いた。
「エヴァのパイロットの碇三尉に話があるんですよ。」
「……分かった。どこへ行くんだ?」
彼は僕をエヴァのパイロットだと断言した。
と言うことは身内がやっぱりネルフの職員か。
(どっかの諜報機関とかもありえるぞ。)
「確かにゼロじゃないな……」
でもそこまでは飛躍し過ぎだろう。
もしそうならもっと力ずくな行動に出てるだろうからな。
ジャージの子は抑え込んでるみたいだけど、どうも機嫌は良く無さそうだ。
僕は何もしてないけどな……
でもいくら家族だからって身内に機密を漏らし過ぎじゃないか?
この間の事と言い、どうも本当に機密なのかと疑ってしまう。
「どうやって僕の事を?」
「こないだパパのパソコンをちょこっと調べてみたんですよ。」
「なるほどね……」
中学生にもなってパパ、と来たか。
家がアメリカンならともかく、そんな感じには見えないし、こいつもボンボンか。
そんな事をしたのがばれたら、どうなるのかまで考えてない。
しかも自信満々で言いやがった。
情報関係の知識もあって、頭もいいんだろうが……
(馬鹿だな……)
「ああ、全くだよ……」
この事も葛城さんにまた言っておこう。
こんなんじゃあっという間に機密がばれちゃうよ。
辺りには、まだ授業が終わって間もないし、人が多い。
だから僕も素直に場所を変えようと思ったんだが……
「で、こんな所に連れて来て何だい?」
連れてこられたのは第壱中の裏庭。
辺りには他の生徒は誰一人としていない。
そしてジャージの子は何も言わない。他の二人も、何も。
素直に着いて来たはいいけど、段々不安になってきた。
明らかにジャージの子は普通じゃ無い雰囲気を撒き散らしてるし、僕に対する敵意はもう隠そうともしていない。
多分、ちょっと前の僕なら着いて来なかっただろうし、ここまで敵意を露にされたら
落ち着いてなんかいられなかっただろうと思う。
でも何故だろう、今は不安も、恐怖も無い。
それどころか心のどこかで面白がってる僕が居た。
まあ本格的にやばくなったら監視の人が出てくるだろう。
「すんまへんな……」
それだけをポツリと言うとジャージの子が殴りかかってきた。
いや殴りかかってきたと思ったら、彼の右手に何か光る物が見えた。
「うわっ!!」
「トウジ!」
「鈴原!」
声を上げながらも、僕はあっさりと避けた。
彼の動きは怒りの所為か分かりやすかったし、ここ最近の格闘訓練の成果かも
しれないけど、足を狙ってきたナイフを避けるのは難しいことじゃなかった。
そう、きちんと避けたはずだった。
でも彼のナイフは僕のズボンを切り裂いて、切り口からは少し血が滲んでいた。
「あれ?」
何でだろう?
その理由を考える時間も無く、ジャージの子が切りかかってくる。
他の二人は何とか止めようとしてるみたいだけど、ナイフが怖いのか近づけないでいる。
それを見ながらも、また僕は避ける。
けれども結果は一緒で、避けたはずなのに少しだけ僕は傷を負う。
外した彼の顔は、醜く歪んでた。
ああ、そっか……
僕は怖いんだ。
怖いから足がすくんで、うまく動けないでいる。
だけどそれを自覚出来てないから、少しだけ切られる。
どんどん歪んでいくな……
それまで自分が歪んでたのは自覚できてたけど、更に歪みは酷くなってる。
でも、何より一番歪んでると思うのは、その歪みを嬉しく思ってるところだろう。
その歪みが僕にアイデンティティを与え、現実感を与えてくれる。
至高の麻薬の様に、僕に甘美な悦びをくれる。
今、僕の顔にはそれがアリアリと出ているだろう。こんな身の危険を感じる状況なのに。
でもまだ僕は刺されるわけにはいかない。
この悦びをまだまだ手放すわけにはいかないから。
「よっと!」
もう恐怖は無い。悦びがそれを凌駕したから。
今度はきれいに避けると、彼の後ろに回って手を捻り上げる。
人間の体って不思議だと思う。
ちょっとうまく力を加えてやれば、簡単に壊れてしまう。
勿論この子を壊すつもりはないけど。
カラン、と音を立ててナイフが地に落ちる。
すでに大勢は僕に有利だけど、それでも彼は僕を睨みつけていた。
「一体何なんだい、君は?
訳も言わずに突然物騒なモンを持ち出して。」
「ワイは、ワイはアンタを許せへんねや!!」
そう言われても何の事かさっぱり分からない。
生まれてこの方恨まれる様な事は……結構山の様にあるかもしれないけど、
それでも刺される程の事はした覚えが無い。
ましてや僕はこの街に来てまだ三週間だ。この子も今日初めて見たし、心当たりは無い。
いや、あるとしたら……
(この前の戦闘だな。)
シンの言う通りそれしか考えられない。
それにさっき、向こうのメガネの子は僕の事を知っていた。
「そいつの妹がこの前の戦闘で瓦礫の下敷きになって、パイロットと話がしたいって事だったから
教えたんですけど……」
「まさかここまでするとは思わなかった?」
そう聞くとメガネの子も、女の子の方も頷いた。
特に女の子の方は顔から血の気が引いて、真っ青になってた。
「性格上殴りかかる位はするかもと思ったけど……」
そうは言われても、あの状況で僕にどうしろと言うのか?
初めて見たのに乗って、見知らぬ街で見たことも無い奴と戦う。
現実はアニメの様に甘くは無い。
でもそんな言い訳が通じないのも現実なんだ。
僕はあの時お金を貰ってエヴァに乗った。
なら責任も付いてくる。
守られる方はこっちの事情なんて知らないし、知りたくも無いだろう。
知り得た情報だけが全てで、感じた事だけが真実だ。
結局はパイロットである僕の責任に帰着する。
「……妹さんは大分悪いのかい?」
「…頭を打っとる。意識は戻っとるけど、まだどうなるか分からへん。」
「そっか……」
命は何とか助かったらしい。
いつの間にか、悦びから来る高揚感も冷めてしまっていた。
それを自覚した途端、僕の中を罪悪感が急激に襲ってきた。
何なんだろう、僕は。
さっきまでと別人になったかのように感じ方が変わってしまった。
現実感さえ失くしそうだったのに、今はこうやって悲しみに打ち震えている。
自分が分からない。
でも今はそんな事を考えている場合じゃない。
向き合うべきなのは今この現実だ。
悲しいのは人を傷つけた事か、それとも自分が分からない事か。
目頭が熱くなってきて、涙が零れてきた。
それを堪えて、僕は頭を下げた。
それが今すべきだと思ったから。
「すまない。言葉でいくら謝っても足りないかもしれないけど…ゴメン。」
「ゴメンで済んだら警察はいらへんのや!!」
「鈴原!」
「君の言う通りだよ。でも僕にはこうやって頭を下げるしかない。」
四人だけの場に沈黙の帳が下りる。
外界から隔離されたかのように、僕の周りには物音一つしなかった。
やがてその沈黙も終わる。
甲高い、街全体に響き渡る警報。
それは今居るこの場所が再び戦場に変わる事を告げていた。
「今度からは足元に気ぃつけて戦えや!!」
僕に向かって叫びながら、鈴原君は去って行った。
他の二人も従う様に去って行き、後には僕だけが残された。
「僕って何がしたいんだろうな。」
校舎の壁にもたれ掛かり、独り言の様に呟く。
「高揚感に身を任せてたと思ったら、急に罪悪感に襲われる。
その癖、あの子の妹を心配なんてしてないんだ。
人を傷つけたその悲しみに酔ってるだけだ……」
でもシンからの返事は無かった。
鳴り響く警報音だけが、僕の頭にこびり付いていた。