そいつはずっと僕を見ていた。
そもそもそいつに「目」なんて物があるのか、僕は知らない。
でも、確かにそいつは僕を見ていた。
緑色をした「使徒」とか言う奴は、僕を見たまま全く動こうとしない。
ただ立ち尽くしているだけだ。
流石に僕にも緊張が走る。
LCLで分からないけど、多分外だったら手はぐっしょりと汗で濡れているに違いない。
どうしようか思案していた時、発令所(だと思う)に繋がったモニターからミサトさんの呟きが聞こえてきた。
本当に小さな声だったけど、確かに聞こえた。

「…気をつけてね……」
























「ハッ!!」

体をビクッ、と震わせながら僕は跳ね起きた。
覚えてはいないけど、何か悪い夢でも見たのだろうか。
全身は汗でベトベトして気持ち悪い。
今も額から冷たい汗が目に向かって流れてきているのが分かる。
窓から聞こえてくるひぐらしの鳴く声が、苛立たしかった。

「ここは……」

ここは一体何処だろうか。
部屋全体が真っ白に漂白され、天井から照らされる照明さえも気持ち悪いほど白い。
それに、何だか視界が何だかおかしかった。
何がおかしいか、はっきりとは言えない。
でも何処か違和感が残っている。
パチパチと瞬きしながら、改めて周りを見回す。
向かいに無人のベッドが見える。
そして、今自分が着ている服と、立ち込める消毒液の匂いで分かった。
ここは病院だ。
でも何故自分がここに居るのか?

「確か……」

記憶を思い返してみる。
確か、父さんに呼ばれて第三新東京市に呼ばれて、戦争みたいなのに巻き込まれて……

「そうだ、ミサトさんに連れられてネルフとかいう所に来て……」

そう、エヴァに乗ったんだ。
その時の事を思い出して、体が震える。
気分が悪い。
やめろ。
思い出すな。
記憶の表に出すな。
何も気持ち良いことなど無かったはずだ。
ダメだ、やめろ、やめろ、ヤメロ、ヤメロ、ヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロ やめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロ やめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロ やめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロ やめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロ やめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロ やめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロ やめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロ やめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロ やめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロ やめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロ やめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロ やめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロ やめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロ やめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロ やめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロ やめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロ やめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロ やめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロ やめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロ やめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロ やめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロ やめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロ やめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロやめろヤメロ


ガッ!!!

「つっ……!!」

僕は思いっきり自分の頭をベッドの柵に叩きつけた。
鋭い痛みが痛覚を刺激する。
はっきり言って痛い。
でもこんな痛みは無視できる程度のものだ。
大して気にするものでもない。
おかげで思い出すのを強制的に中断できたし。

「はあ……」

溜息を吐く。
決して病院は嫌いでは無いし、消毒液の匂いもどちらかと言えば好きだ。
でもここは、この場所は嫌いだ。気が滅入る。

「どこか歩くか……」

勝手に病室から出ると何か言われるかも知れないが。
まあトイレに行っていたとでも言えば良いだろう。

「さて、と……」

ベッドの脇に置かれていたスリッパを見つけ、ベッドから降りようと左手を動かそうとした。
でも僕の左手は言うことを聞いてくれなかった。
寝起きだからだろうか、その事に今の今まで気付かなかった。

「どうして……」

どんなに動かそうとしても動かない。
それどころか、動く右手で叩いてもつねっても痛くも何とも無かった。
少し不安になったけど、時間が経てば戻るか、と言う希望的観測を抱いてベッドから降りた。
足の方はどうも無いようだ。
病室の入り口の方へ歩く。
そして、スライド式のドアを開けようとしたところで、やっとさっきの違和感の正体が分かった。
右手で取っ手を掴もうとしても掴めない。
確かにそこにあるのに、僕の右手はその手前で空を切ったり、奥のドアに手をぶつけるばかりだ。
今度こそ明確な不安が心をよぎった。
恐る恐る右手で右目を隠してみる。

左目だけで見た世界は、薄暗い世界だった。





















第弐話 僕のナカが消える時


















「恐らくはエヴァからのフィードバックの所為ね。」

僕の診察に来たのは医者では無く、赤木さんだった。
確かに赤木さんも白衣は着ているけど。
科学者であるだけでなく医者でもあるとは……世の中やっぱり天才は居るもんだ。

「何か?まだどこか他にあるのかしら?」

ついまじまじと見てしまった。
それを不審に思ったのだろう、赤木さんは僕に声を掛けてきた。

「いえ、ただ赤木さんが凄い方だと思いまして。」
「ああ、私が医者の真似事をしていることかしら?」
「真似事?」

てことは……

「心配しなくてもいいわよ。ちゃんと医師免許は持ってるから。
ただ医者が本業では無いからそう言っただけよ。私が直接見るのは、エヴァのパイロットだけよ。」
「そうだったんですか。びっくりしましたよ、真似事だなんて突然言い出すんですから。」

そう言いながら僕は苦笑いを浮かべていたんだけど、赤木さんは怪訝な顔で僕を見ていた。
何かまずい事言ったかな……
僕は昔からよく無意識に人を傷つけていた気がする。
だから普段から人と話す時は気をつけていたんだけど……

「あの……どうかしましたか?」
「え?いえ、ただあまり目の事を気にしてないみたいだから。」
「ああ。」

確かに最初はショックだったけど、片目だけだし特に気にはしていない。
これが足だったら多分しばらく立ち直れないんだろうけど…

「別に完全に失明したわけじゃありませんし、日常生活にもしばらくは不便でしょうが、じきに問題もなくなるでしょうから。」
「そう。そう言ってくれるとこちらも助かるわ。」

その後赤木さんは今日一日大人しくしてるよう言うと、病室から出て行った。
僕ってそんなに落ち着きが無いかな……

「はあ……」

溜息を吐きながらベッドに寝転んだ。
僕は基本的にじっとしているのが嫌いだ。
でも外に出るのも嫌いという、何とも矛盾してる性格をしてる。我ながら難儀なもんだ。

「はあ…暇だ……」

もう一度溜息を吐くと、ゴロンと寝返りを打つ。
溜息を吐くと幸せが逃げる、なんて言うけど僕の幸せなんてもうとっくの昔にどっか行ってしまった。
今更一つ二つそれが増えたってなんてことは無い。
毎日がそれなりに楽しく過ごせれば、面倒事も、悪意を向けられる事も無く過ごせればそれでいい。
まあ働かなくてもお金があるなら最高だけど。

「よっ!」

声を上げながらベッドから飛び降りて、ドアへと向かう。
じっとしてなんて居られない。何せテレビも本も無いんだから。
苦労しながらドアを開けて廊下に出る。
それから当ても無くブラブラと歩いて回った。
外を見ながら歩いていたけど、窓から見える景色は何も面白いものは無かった。
向かいの病棟が見えるだけで、以前と比べて入ってくる光が半分な所為か、白いはずの病院の壁も濁って見える。
ふと右目を右手で隠してみる。
そこから見える世界はやっぱりわずかに光を感じるだけで、何の像も結ばない。
特に不便は感じないけど、不安を感じる。
赤木さんにはあんなこと言ったけど、やっぱり本当は自分で気付かなかっただけで、ショックを受けてるんだろうな。

「ん?」

後ろからキャスターの転がる音に振り向くと、移動式のベッドがこちらに向かってきていた。
邪魔にならない様に廊下の端に避け、それが過ぎ去るのを待つ。

「あ……」

つい声を出してしまった。
そのベッドに乗っていたのは、あの時……


ドクン


ダメだ!!そこは思い出さなくていい!!
思い出すのはほんの一部だけだ。あの子が居た、ケイジでのただそれだけのシーン。
僕が鼓動を何とか抑えて顔を上げると、すでにベッドは通り過ぎて、すぐそばの病室に入るところだった。
でもその一瞬、彼女の姿が見えた。

(何だ、あの髪の色……)

水色と言うか蒼銀と言うか。
あの時は特に気にしなかったけど、ともかく青い髪の人間なんて見たことが無い。
赤木さんみたいに染めてるのかな?

(だとしたらよっぽど目立ちたがり屋だな。)

あんな色に染めてまで目立ちたいのかなぁ。
そこまでして目立とうとするのなら、結構性格歪んでるな、なんて自分を棚に上げて勝手に批判してみる。
心で思うだけなら誰も分かりはしない。
もっとも、それを僕は一番恐れているのだけれど。

(さてどうしようかな……)

こうやってぶらついているけど、面白い事なんてあるはずも無い。

「……行ってみるか。」

確か、レイってミサトさんは呼んでたな。
ベッドが入っていった病室の前のネームプレートで確認すると、そこには確かにその名前があった。
綾波レイ

(へえ、珍しい苗字だな。)

僕は人の名前を覚えるのが得意じゃない。
だから珍しい名前っていうのは助かる。
ましてやあの容姿だ。
顔はちゃんと見たことは無いけど、あの髪の色で忘れることは無いだろう。
どんな子だろう……可愛いといいな。

「ここで何をしている……」

……とか思っていたら後ろからの低い声で僕の妄想は中断された。
折角いいところだったのに……
そんな内心の不機嫌さを隠して、僕は声の方を振り返った。

「何ってお見舞いですよ。さっきレイちゃんだっけ?が入っていくところが見えましたから。」
「そうか……」

それきり父さんは黙って僕を見ていた。
僕も若干挙動不審になりながら、しょうがないから父さんを見てる。
うう……こんな空気は苦手だ。
話そうにもこの人と共通の話題なんて無い。
第一、こんな髭のむさ苦しい男となんていうのも嫌だ。
どうせ見つめ合うなら可愛い女の子の方が良いに決まってる。

「……」

結局何も話さないまま、父さんは僕に背を向けて歩き始めた。
……何だったんだ?

「ま、いいや。」

そんな事より女の子の方が大切だ。
相変わらず中々取っ手を掴めず苦戦していると、またあの声が聞こえてきた。

「シンジ……」

呼ばれて振り返ると、父さんが何か言いたそうにしていた。

「いや、何でもない。」

それだけ言ってまた歩き始めた。
ホントに何の用だったんだか……

「おっと……」

そう言えば、契約とかの事について父さんと話をしなきゃいけないんだった。
とりあえずの事は決めたけど、詳細については何も決めていない。
うやむやになる前にちゃんと決めとかないとダメだよね。億劫だけど。
ならば今の内に話しとけば良かったんだけど、振り向いた所で父さんの姿は無かったのだから仕方ない。

気を取り直して部屋に入ろうとしたけど、ノックし忘れてた事に気付いた。
突然入るのはあまりにも失礼だよね。
気を取り直してドアをノックする。
そのまましばらく待ってたけど、中からは一向に返事が来ない。
まさかもう寝てしまってるとか…?

「どうしようか……」

寝てる人の所に勝手に入り込むのはアウトだし、かと言ってこのまま病室に戻るのもなぁ……

「……失礼しまぁす…」

とりあえずそっと声を掛けながらドアを開ける。
僕の居た病室と何も変わらない、簡素な部屋。
ドアを開けて向かって左側に彼女は居た。

(へえ……)

心の中で僕は感嘆の声を上げた。
片目と右腕に包帯を巻いたまま、綾波さんはベッドの上で体を起こして本を読んでいた。
率直に言おう。
綾波さんは美人だ、間違いなく。
天井の明かりと、窓から入ってくる光が相まって、何とも言えない景色を作り出していた。

「えっと、綾波さんですか?」

僕が声を掛けたところでようやく僕に気付いたのか、本から顔を上げると怪訝な顔で僕の方を見た。
まあ見知らぬ男が声を掛けてきたんだ。当たり前だ。

「……あなた誰?」

その簡潔な問いかけに僕は苦笑いを浮かべざるを得なかった。
文字に起こせばたった四文字で、敬語も無い。ついでに言えば声に抑揚も無い。

(これはまずったな……)

音に出さず、僕は舌打をした。
かわいい子だけど、はっきり言って僕の一番苦手なタイプだ。
性格的に暗いのか、それとも見知らぬ僕に警戒しているのか。
恐らく前者だろう。断定は出来ないけど。
話も弾まない相手と一緒に居るほど苦痛なものは無い。
別に明るくなくてもいいけど、最低限相槌くらいは打ってもらいたい。
でも、見た感じではそれすらも怪しそうだ。
見た目で判断するのは良くない事だけど。

「覚えていないかな?エヴァの所にいた者なんだけど。」

一度心臓が大きく脈打ったけど、今度は難なくそれを押さえ込めた。
綾波さんはちょっとの間考えていたようだけど、すぐに否定の言葉を口にした。

「そう。綾波さんに迷惑を掛けたみたいだから謝ろうと思って。」
「別に謝る必要は無いわ。エヴァに乗るのは私の役目。」
「それでも、ね。綾波さん、怪我してるでしょ?辛い思いをさせちゃったな、と思ったから。ごめんね。」

そう言うと綾波さんは困ったような顔をした。
あんまり自分の想いを押し付けても良くない。
ここら辺で話を変えようか。

「ところで、今読んでた本は何?」

そう聞くと、綾波さんは無言で持ってた本を差し出した。
題名を見てみると「生物工学序論」とか書かれてた。
……難しそうな本だ。一体何歳なんだ?

「女の人にこんな事聞くのは失礼なんだけど、綾波さんって何歳?」
「……14。」

と言うと、中学二年生か。
とても中二が読むような本じゃないぞ。

「難しい本読んでるんだね。」

苦笑いを浮かべながら本を返すと、そのまま僕の問いに応えず視線を本に落とした。
……気まずい。

それからいくつか話題を振ったけど、返って来る答えは「そう」とか「別に」とか何とも簡潔な答えを返してくれるだけだった。
喉が渇くほどしゃべった結果、分かった事は綾波さんがアルビノだって事だ。
だから色が白いのや、髪の色が蒼いのは地毛らしい。
世の中色々な人が居るもんだ。
別に目立ちたがりじゃ無かったんだな、て言うのが感想。
でもそんな容姿だから今までいじめられてたんじゃないかな、と思う。
大した事じゃなくても、人って異端を容赦無く排除しようとするから。
だからこんな風にしゃべらなくなったのかな、なんて思った。
もっとも、こんな勝手な予想は当たってたら申し訳ないし、外れてたら外れてたで失礼極まりない。
なんで口にはしなかったけど。

結局、特に会話が弾む事もないまま、適当なところで話を切って僕は綾波さんの病室を出た。
僕の目論みは大きく外れて、退屈をしのぐどころか神経をすり減らしただけだ。
胃が痛くなってきそうだ。
やっぱり邪な考えを持って行動すると碌な事が無い。
長いようで何とも短い時間だった。
時計を見ると、入ってからたった三十分しか経っていない。
これからの時間の潰し方を思案しながら、トボトボと僕は何も無い自分の病室に戻るべく重い足を動かし始めた。
そしてやはりドアの取っ手に苦戦していると、後ろから声を掛けられた。
今度は父さんでは無い。
それくらいは姿を見ないでも分かる。何せ女の人の声だったんだから。
胸の高鳴りと若干の緊張を感じながら振り向いた僕だけど、残念ながらそれもあっという間にしぼんでしまった。

「……何で露骨にがっかりするのよ。」

言いながらミサトさんはジト目で見つめてきた。
いかん、緊張が解けてつい顔に出てしまったらしい。

「いえ、何でも無いですよ。」

笑いながら応える。
ミサトさんは尚も何か言いたそうだったけど、それを無視して先を促した。

「貴方が目を覚ましたって聞いたからね。
リツコに確認したら別に退院しても構わないって事だったから迎えに来たのよ。」

勿論ゆっくり一泊してもいい、とミサトさんは続けた。
考えるまでも無い。
確かに左手は動かないし、左目はほとんど見えない。
だからと言ってじっとしとかないといけないほどでも無いし、今の今までどうやって今日一日過ごしていこうか思案していたところだ。
ほぼ即答で「退院します!」と答えた。

「そ、そう?じゃ着いて来て。」

あまりの即答ぶりに気圧されたのかな。
少しミサトさんは引き気味に僕を連れ立って歩き始めた。













あっ、そういえば着替えてないや。




















NEON GENESIS EVANGELION 
Re-Program



EPISODE 2




Loss of Myself




















「ここは?」

ミサトさんに待ってもらいながら、大急ぎで着替え、その途中ミサトさんの運転を思い出してうんざりしながら僕はミサトさんの車に乗った。
だけど二度目のミサトさんの運転はそんな事は全然無くて、危なげない運転である建物へ連れてきてくれた。
そこでさっきの言葉になるんだけど……

「ここ?私のマンションよん。」

いや、そんな風にかわいく語尾を上げられても。いえ、何でも無いです、ハイ。

「まあ詳しい事は中で話すから、とりあえず上がりなさい。」

とりあえずミサトさんに促されるままに靴を脱いで上がらせてもらった。
中は流石に尉官らしくかなり広かった。
ミサトさんの後ろを着いて行きながら、ざっと部屋数を数えてみると2LDKプラス物置、といったところだろうか。
それぞれの部屋もかなり広くて、ずっと1ルーム風呂トイレ一緒の部屋に住んでいた僕としてはうらやましくてしょうがない。
そんな事をぼーっと考えながらリビングに通されて言われるがままに椅子に座ってたら、突然隣の部屋でミサトさんが服を脱ぎ始めた。
あまりに突然の事だったけど、何とか平静を保ちながらミサトさんに確認してみる。

「……一応聞いておきますけど、何してるんですか?」
「何って見て分かるでしょ?」
「いや、そりゃ分かりますけど。
一応僕が居るって分かってますか?」

多分無駄だろうな、と思いながら突っ込んでみたけど、やっぱり無駄だった。

「ああそういえばシンジ君は男の子だったわねぇ。」

そう言うとニヤニヤと笑いながらわざとらしく体を寄せてきた。
ちなみにミサトさんの今の格好は制服らしきスカートに上はブラだけだったりする。

「男としては女性のそういう格好は目の保養になって大変嬉しいんですけどね。
残念ながらミサトさんの年齢は僕の守備範囲外なんで、そろそろ服を着た方が風邪も引かなくていいと思いますよ。」
「あら残念ね。」

少しも残念じゃ無さそうに言いながら、ミサトさんは自分の部屋に戻っていった。

(……ちょっと惜しかったかも…)

ミサトさんの背中を見ながら、もしかしたら実はものすごい惜しい事をしたんじゃないかと気が付いた。
ミサトさんは背も結構高いし、胸も大きい。
その上美人と来た。
ここはやはり健全な男子高校生としてはやはりミサトさんにアプローチしとくべきだったか。

(そうは言ってもねぇ……)

こちらとしてはミサトさんに対してはそれらしい感情は全くと言っていいほど湧き上がって来ない。
別にミサトさんに銃を突きつけられたから、と言うことではない。
冷静になって考えてみれば、あの時のミサトさんの行動は軍人としては当然だったのかもしれない。
適当な人材が一人しか居なくて、時間も無くて、人類の存亡が掛かっているというクソたわけたマンガみたいな状況下で その上そいつが渋ってたら、多分僕でも銃を突きつける位はやったかもしれない。実際に撃つ気は無かったとしても。
それはともかく、ミサトさんの事は僕は好きだ。
別に恋愛が云々じゃ無くて、人として僕は好ましいと思う。
階級からしても優秀だろうし、まだそんなにミサトさんと付き合いがあるわけじゃないけど、今までの印象では 公私をきちんと分けるタイプみたいだ。
公の場では軍人らしく、プライベートだと今みたいに気軽に接してくれる。
そういう風に僕は評してる。
そんな僕の評価は別にして、気が小さい僕にとって見知らぬ土地でそんな風に接してくれるのは本当にありがたい。
内心がどうあれ、表面上だけでも気さくで、しかもそれを僕に気付かせなければ問題無い。
そんな意味でミサトさんとの会話は気兼ねする事無く出来るので、しばらくは心細い思いをしなくて良さそうだ。

とりとめも無い事を考えながら、チラッとミサトさんが入っていった部屋の方を見た。
そしたらとんでもない光景が目に入った。

(何だよ…あの部屋……)

勿論女性の部屋を覗くなんてもってのほかだって事は言われなくても分かってる。
そう、分かってはいるんだけど僕は唖然としてその部屋を見続けた。
あちこちに散らばった衣服に、食い散らかされたレトルト食品の容器。
布団だって起きた時のままなんだろう、足の踏み場さえ無さそうだ。

(本当にあれが女の人の部屋……?)

女の人の部屋に入ったことなんて無いし、僕だって別にキレイ好きなわけじゃない。
それでもあの部屋は酷すぎる。
呆然と部屋の中を見てたけど、ミサトさんが出てくるのが見えて慌てて視線を逸らした。
でもミサトさんにはしっかりばれてたみたい。

「何を見てたのかな〜、シンジ君?」

またニヤニヤと笑いながら話しかけてきた。
話しながらその手は冷蔵庫へと伸びていて、中からビールを取り出した。

「いえ、別に。」
「ふふ、やっぱりシンジ君も男の子なのね。」

そういった事は否定しないけど、この場でそういう風に見られるのも何か腹立たしい。
だから皮肉を返してやった。

「ミサトさんの部屋があまりにも素晴らしい装飾だったんで見とれてしまったんですよ。」
「あら、そんなに良かったの?やっぱりセンスっていうのは隠しても滲み出てしまうものなのね。」

でもそんな皮肉もビール片手にあっさりあしらわれてしまった。
しかも嬉しそうな顔で体をくねりながら言ってくれるものだから尚更腹が立つ。
僕が悔しがってるのを無視しながら、席を立つとミサトさんはまた冷蔵庫に行ってビールを二本取り出して来た。
どうやら僕に飲めと言うことらしい。

「……一応まだ未成年なんですけどね。」
「堅い事言わないの。飲んだこと無いわけじゃないないんでしょ?」

勿論だ。
高校生にはあるまじきなのだが、ビールは大好きだ。
特にバイトに行って帰ってきてからのビールは格別だ。喉越しが違う。

「じゃあありがたく頂きます。」

簡単に礼を言って一気に喉に流し込む。
うん、うまい。やっぱり安い発泡酒とは違うな。

「それで今後の事なんだけどね。」

ミサトさんもグイッとビールをあおりながら話を続けた。

「シンジ君にはここで私と一緒に住んでもらいます。」
「……今何気に凄いこと言った気がするんですが。」
「これは命令よ。」
「いや、命令と言われましても。」

ここで反論しようとして気が付いた。
何で僕はずっとこの地に居る気で居るんだ?
よく覚えてないが、今もこうして平和に酒を飲んでるって事はこれが人類が滅亡した後の夢でも無い限り、あの使徒とかいう奴は倒したのだろう。
普通に考えれば、後は父さんからお金を貰って終わりのはずだ。
きっと命を掛けた相応のお金をくれることだろう。
そしてそれを手に第二に戻ってバイトも止めて普通の高校生活を楽しむんだ。
だから今日はここに泊まらせてもらうにしても、命令を受ける謂れは無いはずだけど。

「使徒はね、この間の奴で終わりじゃないのよ。」
「……そこら辺を詳しく教えていただけますか?」
「ん〜、私も正確な事は知らないんだけど、使徒は後何体か来るらしいわ。具体的な数は分からないみたいだけど。
そしてシンジ君は正式にサードチルドレンに登録され、初号機の専属パイロットになってるの。」
「そんな勝手な!困りますよ。向こうの学校はどうするんですか?」

いつの世になっても学力・学歴社会というのは変わらない。
だからせめて高校は、出来ることなら大学も出ておかないと将来的に苦労する。

「学校はこっちに転校してもらう事になるわね。」

これには僕の方が驚いた。
まさか学校に行かせてもらえるとは思ってなかった。
てっきりずっとネルフに通い詰めで、就職したような感じになるのかと思ってた。
その驚きが伝わったのか、ミサトさんは予想される質問の答えを先に返してくれた。

「ずっとネルフに所属してるわけにもいかないでしょうからね。
こちらとしても出来る限りの便宜を図ってあげるわ。結構な給料も出るし、衣食住は保証される。
勿論訓練もしなきゃいけないから、結構きつい毎日になるとは思うけど。」

それは嬉しいけど、そんなに世の中が美味しいはずが無い事位は僕にだって分かる。
ましてやネルフの言葉を借りれば人類の存亡が掛かってるのだ。
普通ならのんびり学校に通ってるわけが無い。
だから僕は失礼にならない様気を付けながら、聞いてみた。

「それはありがたいんですけど、何か事情があるんじゃないんですか?」
「ま、ね。周りが色々とうるさいのよ。
非公開機関だし、ここの情報を漏らすわけに行かないから、シンジ君の存在を公に出来ないし、 でも各国の首脳部には分かることだから、学校を辞めさせてまでネルフに缶詰にするとね。」
「そう言う事ですか……」

それは良い。納得しよう。色々と人権的なしがらみがあるのだろう。
だから僕は本題の方を切り出した。

「それで何で僕がミサトさんと一緒に暮らすことになるんです?」
「ん〜…それなんだけどねぇ……」

だけどミサトさんは口ごもった。
言い辛い、というよりはどうやらミサトさんも解せないようだ。

「碇司令の命令なのよ、全部。」
「父の?」

驚いた。まさかここで父さんの名前が出てくるとは。
まさか僕の事を心配して気を利かせてくれたのだろうか?
いや、それは無い。
あの一癖も二癖もありそうな、ましてや今までずっと僕を放ってきた父さんに限ってそれは考え難い。

「そ。私もね、シンジ君の言う通り学校も辞めてもらってネルフで訓練して万全を期すべきだと思うし、 私とシンジ君が一緒に暮らすのはよくないと思うのよ。私はシンジ君を戦場に送り出す立場だしね。」

もっともなことだと思う。
僕から考えても、ミサトさんの意見は妥当なものだろう。
恐らくミサトさんの言い分は誰が聞いても納得する。
だからこそミサトさんも父さんの考えが分からないのだろうが。

「ま、誰も父の考えなんて分からないですよ。
それに僕としてもその命令は助かりますしね。見知らぬ土地でネルフに缶詰っていうのもぞっとしませんし。」






そこまでで今日の飲みはお開きとなった。
風呂にミサトさんに勧められて風呂に入ったのだけど、そこに居たモノには流石に驚いた。
直前にミサトさんがニヤニヤしてたのが気になってたけど、まさか日本でこいつが見れるとは……

「クェ?」

ペンギンが風呂に入るとは知らなかったよ。
しかも豪快に羽を湯船に引っ掛けてタオルを頭に乗せてるんだから尚びっくりだ。
結局僕はそいつ―――後で聞いたところ、新種の温泉ペンギンでペンペンと言うらしい―――を抱きかかえて風呂に入った。
うむ、中々フワフワしてて気持ち良い。
途中、ペンペンはばたついて僕から逃げようとしたけど離してやらなかった。
だって気持ちいいんだもん。





風呂から出ると僕は準備してもらった部屋のベッドに倒れこんだ。
アルコールが良い具合に回って気持ち良かった。
風呂上りのほてった体に、よく効いたクーラーが心地良い。
だからだろうか、ベッドに横になった僕はあっという間に眠りに落ちていった。





















「シンジ君、感触はどうかしら?」

赤木さんの声で僕は我に返った。
緊張してるのだろうか、いつの間にか僕はずっと使徒を見つめ続けていた。
気を取り直して、エヴァの体を動かしてみる。
掌を握り、屈伸運動をする。
なるほど、赤木さんの言う通り僕が考えた通りに動くようだ。
それでも普段、特別意識して体を動かすことなんてそうそう無い。
確かにエヴァは動いてくれるのだけど、何となく動作が鈍い。
それでも何度か簡単な運動を繰り返している内に、感覚だけは何とか分かった。
我ながら相変わらず取っ掛かりは要領が良い。

「何となくつかめました。
ただどうも違和感があると言うか、イメージ通りに動いてくれないと言うか……」
「それはシンクロ率の所為ね。しょうがないわ、慣れるしかないわね。」
「日向君、使徒の様子は?」

赤木さんの声を遮って、ミサトさんの声が聞こえてきた。
するとすぐに男の人の返事が返って来た。

「依然、変わりはありません。ただ立っているだけです。」
「そう……」

僕の場所からはビルが陰になって使徒の姿は全体は見えない。
それでもビルの隙間から見えるその姿は、地上に出てから全く変わりない。
どうする……
ミサトさんも動こうとしない相手に苛立っているのか、爪を噛むのが見えた。
その時だった。

「目標が移動を開始しました!!」

さっきとは別の男の人が叫んだ。
僕にも流石に緊張が走る。

「シンジ君、使徒はA.Tフィールドと言うバリアみたいなのを持っています。 エヴァもそれを使えるはずだから、それを展開しないとダメージを与えられないわ。」
「どうやるんですか?」

バリアとはいよいよ非常識だ。
そう思うと同時に自分でも興奮してるのが分かる。
やっぱりそう言った兵器って憧れるじゃないか。
ロボットやらバリアやら自分には関係が無い。
それが現実だって諦めてたらそれが使えると来た。
ならば喜ばない方がおかしい。特に僕はね。
わくわくしながら赤木さんに尋ねたんだけど、返って来た答えには驚きを隠せなかった。

「はい?」

思わず聞き直してしまった。

「……だから分からないのよ。」

……つまり使えるらしいけど実際使えるかどうかは不明だと?
それじゃ負けるって決まったようなもんじゃないですか!?
僕に命を散らして来いって言ってるようなモンですよ!?

「そうとは限らないわ。」
「え?」

だけど僕のその主張を低い声でミサトさんは打ち消してくれた。

「相手は常にA.Tフィールドを展開してるわけじゃないわ。
事実、N2の攻撃で相手はダメージを受けてる。
ならつけこみ様はいくらでもある。」

そう言うと、ミサトさんは機体を移動させるよう指示してきた。
言われた通り、なるべく慎重にエヴァを動かす。
でもまだそんなに習熟してるわけじゃないから、中々思い通りには動いてくれない。
それでもやっと使徒のすぐそばのビルの陰まで来れた。
向こうは気付いていないのか、淡々と足を進め続けている。
ゴク、と喉がなる。
目の前には乗る前に見たよりは遥かに小さい、だけども十分にでかい緑の巨人がいる。
聞こえるはずが無いのに、僕は無意識のうちに息を潜めていた。

「シンジ君、紅い丸い所が見えるでしょ?」
「……」

声を出すと気付かれそうで、モニターのミサトさんには目だけで返事をする。
それを察してくれたのか、ミサトさんも気にせず言葉を続けた。

「断定は出来ないけど、ナイフを装備して合図をしたらそこを狙って一気にいきなさい。
失敗は気にしないでいいわ。思いっきりいきなさい。」

緊張してるのを和らげようとしてくれてるのか、ミサトさんはそれまでの厳しい面持ちから一転して 笑顔でそう言ってくれた。
だけどミサトさん、失敗ですよそれは。
どんなに笑顔を浮かべても目は笑えてませんよ。

「!……」

でもそれに気付かない振りをして無言で頷く。
そしてミサトさんはさっきの日向さん(だっけ?)に何やら指示していた。
するとガシャン、と音を立てて収納してた箇所からナイフが飛び出した。

「!!」

慌てて僕は使徒の方を振り向いた。
どっと冷や汗が吹き出す。
だけど向こうは全然気がついてないようだ。
先程と変わらない速度で歩き続けている。

「ふぅ……」

大きく息を吐き出す。
そしてまた深呼吸をして気合を入れなおした。
右手にナイフを持つ。
僕が持ってるわけじゃないけど、その重みは確かに僕に感じられた。
しゃがみこんで、来るべき時をじっと待つ。
LCLの中にいるはずなのに、酷く喉が渇く。
水よりもねっとりとした感触が気持ち悪い。
首筋がむずがゆかった。

(落ち着け、落ち着け……そう、クールに……)

マンガみたいなセリフを心の中で繰り返す。
そんな突っ込みを入れる自分がいる。
案外余裕を持ってるのだろうか?

「後二歩……」
(後一歩……)

ミサトさんの声に合わせてカウントをする。
ビルの後ろには敵が居る。僕らの敵が。
そして……奴が現れた。

「行け!!!」

ミサトさんの鋭い声と同時に僕は飛び出した。
体感でわずか数メートルの距離。これなら一秒とかからない。

(もらった!!)

僕の目には最早体の中心の紅い部分しか見えない。
ナイフを両手で握って、まるでやくざがドスで刺すように相手に向かって走りこむ。
そのままナイフは紅い球に刺さるはずだった。
そう、だった、のだ。
だが現実はそううまく行くはずも無い。
現実で希望通りに行くことなんて滅多に無く、そしてそれを僕は知っていたはずなんだ。
なのにその時はそれを完全に失念していた。

使徒はそれまでの緩慢な動きから一転して、素早くこちらを振り向いた。
まるで僕が飛び掛るのが分かっていたかのように、僕を待っていたかのように不自然に盛り上がった右腕を振り回した。

「……!!」

危機一髪だった。
咄嗟に僕自身の体が動いて壁に体をぶつけたけど、どうやらその動きはエヴァにも伝わったらしい。
僕と同じ様に体を捻って、ギリギリかわせた。
その時、相手は完全に腹が、球ががら空きだった。
右手にナイフを持ち替えて、そこを目掛けてナイフを突き出す。
だが、本当に世の中得てしてうまく行かないものだ。
ついさっきは思い通りに動いてくれたのに、今度はそうはいかなかった。
腕は動いてくれたけど足は動いてくれず、球の位置からわずかにずれた所にナイフが力無く刺さる。
しかも悪いことに、その時ナイフを僕は手を離してしまった。

「しまった!!」

悔やむ間もなく、緑の巨人は呆気ないほどに僕を突き飛ばした。
奇妙な浮遊感を感じたと思ったら、今度は背中に強い衝撃が来て息が詰まる。

「ぐう……」

こみ上げる嘔吐感を抑えて、正面の使徒を見る。
能面の様な、意志を感じさせないその顔が怖かった。

「急いで立ち上がって!!」

ミサトさんの声が聞こえる。
だけどさっきの衝撃でどこかがイカレたのか、モニターにはノイズが混じってミサトさんの様子ははっきり見えない。
それでも声だけはきちんと聞こえるから、声に急かされてエヴァを立ち上がらせようとした。
けれどもどういうわけか、頭の中は真っ白でこいつはウンともスンとも言わない。
僕が動けないのを知ってか知らないでか、使徒はあっさりとエヴァを掴んで立ち上がらせる。
左手で頭を、右手でエヴァの左腕を。

「がぁっ!!」

痛い。
冗談では無く、本当に「僕の腕」が痛いのだ。

(これがフィードバックってやつか!!)

痛いはずなのに、間抜けにもそんな事を考えてしまった。
徐々に締め付けられる腕が更に痛みを感じる。
元々不自然だった相手の腕が更に膨れ上がる。

「シンジ君!!何とか振り払って!!」

そうは言われても、エヴァはピクリとも動いてくれない。
痛みだけが頭の中を占める。
すでに腕は感覚がなくなってきている。
僕自身の腕は血流が止まってるのか、握られているところから先が青く変色していた。

ぐちゃ

嫌な音がした。
それが腕が潰された音だという事を理解するのに時間が掛かったのは、そんな経験を今までしたことが無かったからか。
それともすでに現実から僕が逃げ始めていたからかもしれない。

「ぎゃあああああああああああああぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!」

これまでに無い、鋭い痛みだけが頭の中を駆け巡る。
その声が自分の上げた叫びだということすら気付くのに時間を要した。

「シンジ君、シンジ君!!」

ミサトさんの叫び声も耳には入れども意味を成さない。
僕にとっての現実は、全身を支配する腕からの激痛と半分潰れてしまった左腕だけだった。

「リツコ!何とかして!!」
「マヤ!!フィードバック値を一桁下げて!!」

うるさい。
うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい ウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイ ウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイ ウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイ イタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ イタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ イタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ イタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ

「ああぁぁ……」

厚さが薄くなった腕を見る。
それはどこか自分の物で無いようで、でも痛みだけがそれは自分のものだと告げていた。
腕をやられてどれくらいの時間だろう。
長い時間だった気がするけど、それは死ぬ間際の走馬灯が流れる位の極短時間だったに違いない。
痛みに泣き叫ぶ僕に、現実は更に無慈悲に痛みを押し付ける。

「がっ!?」

今度は左目に痛みが走る。
それは腕の痛みとは比べ物にならないけど、やっぱりイタイ。
モニターにはただ光だけが映っていた。
その光は弱くなったり強くなったりして、強くなった時に限って衝撃とともに痛みを目に感じる。
もう何も考えられない。
増してくる痛みすらもどこか遠い自分とは関係の無い事に思えた。
そして一際眩しい輝きを感じたのと同時に頭に妙な開放感を感じながら視界はブラックアウトしていった。


















    a nuisance―――





そこは絶望に包まれていた。
唯一の対抗兵器であったはずの初号機は彼らの目の前に横たわっている。
左腕は完全に潰れ、左目があったところは今は空洞と化していた。
上半身をビルにもたれかからせたまま、身動き一つしない。
パイロットとの連絡手段すら途絶え、彼らが半ば強制的に送り出した少年の安否すら知れない。
直前のモニターに映った様子から、もしかしたらすでに生きていないかもしれない。
それでもわずかな希望をひねり出して、ミサトは声を出した。

「……作戦中止、プラグを緊急射出。」
「ダメです……信号が届きません。こちらの制御を離れています。」
「そう……」

重い空気が立ち込める。
そう、終わったのだ。
すでに対抗手段は完全に奪われた。
最後の手段を行使すれば今回は切り抜けられるかもしれない。
しかしそれは人類の滅亡を今度こそ確定させてしまう。

(いえ、どちらにしても同じか……)

滅亡が遅いか早いか。その程度の違いしかない。
ミサトはギュッと両手を握り締めた。
悔しかった。
自分の指揮で敵を倒せなかった事が。
何故自分では操縦できないのか。
それならばこの結末は回避出来たはずだ。
それならばあの少年を死に追い込む事は無かったはずだ。
短く切り揃えられた爪が皮膚に食い込んで、赤黒い血が滴り落ちる。
だが自分を責めても、自分を痛めつけても現実は変わらない。
ミサトは顔を上げ、後ろを振り向いて最上部で一部始終をずっと眺めていた自らの上司を見遣る。
どう言い訳をすれば良いのだろう。
どう謝罪をすれば良いのだろうか。
それ以前に何を謝罪すればいいのだろうか。
敵を倒せなかったこと?
人類を滅亡に追い込んでしまったこと?
彼の息子を死なせてしまったことだろうか?
言葉が出て来ず、ミサトはうつむいて立ち尽くした。
それでもいつまでもそうしている訳にはいかない。
何かを口にしなければ。
そう思ってミサトは何とか顔を上げた。
見下ろすゲンドウの姿は戦闘が始まる前と何ら変わりない。
だがそれすらも、ミサトには自分を責めている様に見えた。

「司令……」

潰れそうなプレッシャーに耐えて、ミサトはゲンドウに呼びかける。
しかし、ゲンドウはそれには反応せず、正面に位置するモニターを見続けていた。
やはり怒っているのか、それとも絶望的な現実に呆然としているのか。
無視された形になったミサトは、もう一度ゲンドウに呼びかけようとした。
だが、その時ミサトは手で覆い隠された口元がわずかに歪んだのを見逃さなかった。

(笑ってる……!?)

それをミサトが認識した瞬間、事態は劇的に変化した。
始めはうなり声だった。
ミサトはそれを発令所の誰かが、絶望によってすすり泣いているのだと思った。
しかしその声は徐々に大きさを増し、最後には地を揺るがすほどの咆哮へと変わった。

「ウオオオオオォォォォォォォォォォォォォ!!!!!」

聞く者全てに根源的な恐怖を与える叫び。
それを上げながら初号機は走り出した。
ジオフロントへ侵攻を再開していた使徒は、立ち止まって振り返り、猛スピードで襲い掛かる初号機に向かって 右腕から光のパイルを打ち出した。
だが初号機はそれをあっさりかわすと、使徒に向かって跳び蹴りを放つ。
周囲のビルを巻き込みながら吹き飛ばされる使徒。
それに続いて容赦無く初号機は攻撃を加えようと飛び掛る。
しかし、それを遮るように一枚の金色の壁が二体の間に広がった。

「A.Tフィールド!?」
「やはり使徒も……」

発令所で驚きの声が上がる。
だがその驚きも別の驚愕で上塗りされる。

「しょ、初号機もA.Tフィールドを展開!位相空間を中和…いえ、侵食していきます!!」
「凄い……」

見た目上は何かをしているようには見えない。
だが確かにフィールドは徐々にその色を薄くし、ついには壁は完全に消え去った。

「グルルル……」

低いうなり声を上げる。
使徒は明らかに怯えていた。
半歩後ずさり、確実に初号機の放つ雰囲気に飲み込まれている。

「グルルルゥ……」

もう一度低いうなり声を上げると、今度こそ使徒に飛び掛った。
それからは戦闘と言うにはあまりにも生々しい。
適切な表現を探すなら虐殺。
殴り、蹴り、倒し、馬乗りになり、相手の体の一部を引き千切り、何度も何度も両腕で刃をコアに突き立てる。
緑の巨人からは同じく緑の体液が流れ、アスファルトを深緑に染め上げる。
刃が突き立てられる度に苦しそうにもがいていた使徒―――名をサキエルと言う―――はついにはその動きを止めた。
体からおびただしい血液を流し、地面に横たわる。
それを見て、初号機はようやくその動きを止める。
興味を無くしたかのようにあっさりとサキエルを見限ると、ゆったりと立ち上がった。
その時、動きを止めたはずのサキエルが初号機に抱きついた。
瞬間、サキエルは体を丸め、初号機の上半身を完全に覆いつくす。

「まさか!?」
「自爆する気!!??」

ミサトとリツコが口々に叫んだ瞬間、発令所のモニターは白い閃光に包まれた。
ほんのわずか遅れて爆音とそれに伴う振動が本部全体を揺らす。

「……!!」

モニターに映し出されたのは業火に包まれる第三新東京市の町並み。
そしてその中心には何事も無かったかのように歩いている紫の鬼が居た。










     ―――fade away











ガシャン、ガシャンと言う音で僕は目を覚ました。
いつしか夜は明けているらしく、朝焼けの光が僕の網膜を刺激する。

(そう言えば……)

僕は何をしてたんだっけ?
まだぼんやりとした頭を使って、何とか思い出そうとする。
徐々に意識がはっきりしてくる。
確か……

「!!」

思い出した。
確かエヴァとか言うのに乗って……
……完全に思い出した。
何も出来ずにやられて、腕を潰された。
その時の感覚は生々しいほどに僕の記憶に焼きついている。
記憶の中からはい出して来る。
おぞましい記憶。
それを抑え切れなかったのがまずかった。
背筋を何かが這い回るような感覚に、その記憶が夢であることを願ったのだろうか。
つい僕は自分の左腕を見てしまった。
そう、そこにあるのは何事も無かったかのように、今までの出来事が夢であるかのように 当たり前の腕か、もしくは無残にも潰れ、グチャグチャになった腕で無ければおかしかった。
だが僕の目に入ってきたのは、潰れた腕が盛り上がりゴポゴポと奇妙な音を立てている様だった。



ドクン



細胞の一つ一つが時間をさかのぼる。



ドクン



全ての出来事を無かったことのように。



ドクン



そして、ついには僕の左腕には元の通りの骨と肉と皮膚が現れた。

「あああああああああああああああぁぁぁぁぁっ!!!!!!」














そうして僕は僕としての何かを失った。













SEO [PR]  ローン比較 再就職支援 バレンタイン 無料レンタルサーバー SEO