僕は……
俺は……
私は……
今、何をしてるんだろう………?
夢を見ていた。
どこか懐かしさを残す校舎。
響き渡るみんなの笑い声。
僕もみんなと一緒に笑っている。
だけど……僕だけは違った。
いや、僕だけじゃないのかもしれない。他にも僕と同じ様に感じてた奴も居るかもしれない。
僕はそいつじゃないし、だから当然そいつが居たかどうかなんて分かりはしない。
ただ一つ分かってることは……僕はみんなとは違ってた、てことだ。
楽しくなかったわけじゃない。もっとも何でみんなが笑ってたのかは夢だから分からないけど。
でも多分スポーツ大会みたいな物があった後だと思う。
クラス全体がそんな雰囲気になることなんてそうそう無かったから。
それはともかくとして、僕はみんなほどその雰囲気を楽しめてなかった。
いつからかそうだ。
気がつけば僕はそうなってた。
他の人とどこか線を自分で引いてる。
無意識に、他人から離れていった。
それでも僕はみんなに溶け込もうとした。
そして実際に傍から見れば、僕はうまく溶け込んで見えてたと思う。
そうして僕は、自分を、周りを誤魔化して生きていくんだ。
「……ん、……客さん。」
僕を呼ぶ声と肩を叩かれる感触で目を覚ました。
重い目蓋を開くと、制服を着た人が僕の顔を覗き込んでいた。
「……!!」
それを知覚した瞬間、一気に目が覚めた。
心臓がバクバク言ってる。
ああ恥ずかしい……多分今顔は真っ赤になってるだろう。
内心の動揺と恥ずかしさを隠して、なるべく落ち着いた振りをして車掌さんに返事をした。
「あ、すいません。もう終点ですね。すぐに降ります。」
「ええ、降りたらすぐにシェルターに向かってください。」
「へっ?」
車掌さんに追い立てられる様に僕はリニアを降りた。
とは言え、状況が良く分かってない僕としては、これからどうしたら良く分からない。
何しろこの街に来たのも初めてだし、シェルターに行って下さい、と言われてもどこにあるのやら、だ。
とりあえずさっきの車掌さんに場所を聞こうと、リニアの運転席の方を見る。
「……」
僕は呆然とした。
すでに車掌さんは居なかった。
(これじゃどうすればいいんだよ……)
何て逃げるのが早いんだ。
幾らなんでも早すぎるだろ?
「はあ……」
思わず溜息が出た。
来た早々ついてない。
だけど溜息を吐いたところで少し落ち着いたのか、その時になって初めて辺りの違和感に気付いた。
誰も、居ない。
そう、仮にもここは次期首都のはず。それも真昼間の。
なのにさながらゴーストタウンの様に人っ子一人居ない。
……そんなにヤバイのか?
そう考えると車掌さんがさっさと逃げたのも分かる。
なら早く逃げなきゃ!!
……と言ったところでまた振り出しに戻った。
で、どうしたかと言うと、僕は近くの公衆電話に走った。
もう高校生なのに携帯も持ってないのか、と突っ込まれそうだけど、僕にそんな金銭的余裕は無い。
ともかく、何とか連絡を取ろうとしたけど、受話器から返って来たのは「ただ今非常事態宣言が……」なんて言う、さっきまでガンガン街に流れてた放送と一緒だった。
「参ったな……」
ずっと持って回ってたボストンバックを乱暴に放り投げると、駅の前のちょうど良い段差に座り込んだ。
そして送られて来た手紙を取り出して、もう一度読み直してみる。
「来い 碇ゲンドウ」
声に出してみたところで文の量が増えるわけじゃない。
それどころか、こんな手紙で呼び出す神経の持ち主に急に腹が立ってきた。
精神の健康に多大な影響を及ぼすと判断して、その手紙をさっさと引っ込める。
……うん、手紙の事はもう忘れた。
いや、そう簡単に忘れられるわけは無いんだけど、とりあえず頭のどっか隅に追いやって同封されていた写真を見てみる。
そこには笑顔を浮かべたキレイな女の人が写っていた。
髪の長い、そしてすらりとした体。
写真だからはっきりとは言えないけど、多分結構背も高そうだ。
僕に人を見る目は無いけど、勝手な予想をさせてもらえば歳は25,6歳だろうか?結構若い。
だけど、僕には気になった。
別にその人の容姿にじゃない。
上手くは言えないけど、なんと言うか、目が違った。
ラフな格好で、人の良さそうな笑みを浮かべているけど、目は笑ってなかった。
(この人……)
改めて見て思う。
この人は、何かを抱えている。
そりゃ誰だって一つや二つ悩みを抱えているだろうし、それなりに生きていれば傷つく事だってあるとは思う。
でも大部分の人は幸せに生きているし、自分を根本から揺るがすような出来事なんて下手すれば一生出会うことは無いだろう。
それでも、中には不幸にもそういった事に遭遇した人もいる。
そして、今僕が見ている写真の人は―――確か葛城ミサトさんと言ったかな―――間違いなくその少数派に入っていると思う。
(類は友を呼ぶ、か……)
自分で言うのも何だけど、そう言う僕自身もそれほど幸福な人生を歩んできたわけではない。
他の人がしなくてもいい苦労をしてきたし、多分周りの人から見たら大抵は同情の視線を向けてくれると思う。
そして僕自身はその視線に若干心地よさを感じていたりもするのだが。
(我ながら歪んでるよな……)
自分の不幸をそれと無く売り物にし、その時に向けられる感情を心の栄養にする。
ましてやそれを自覚していると来たものだ。
これを笑わずに居られようか?
知らず知らずの内に顔は歪んでいた。
その時だった。
僕の鼓膜をキーンという甲高い音が叩く。
頭の奥底を突き刺すような耳の痛みを感じて、慌てて耳を塞いだ。
「つっ!!」
音が遠ざかったのを確認すると、音が過ぎ去った方を見遣った。
ビルに隠れて見えなかったけど、確かに爆発音が聞こえた。
「一体何が……?」
まさか戦争?
確かに世界中ではまだ戦争では絶えないけど、まさか日本で?
別に僕は日本が戦争に巻き込まれるはずは無い、なんて幻想を抱いたりはしていない。
ただ、自分がこんな無防備な状態で、しかも戦闘の真っ最中に放り出されるとは思わなかった。
とか考えてると、ビルの陰から巨大な影が見えてきた。
「何だこれ……」
僕は呆然と立ち尽くした。
この状況でそれ以外に何が出来るというだろう?
まさか夢じゃあるまいし、さっきの音で脳が変な反応でも起こしたか?
これがまだロボットとか言うなら、非現実的ではあれ、ロボット好きの僕なら現実を信じることも出来たし、かなりの興奮を覚えただろう。
でもこいつはどう見てもロボットじゃない。
ほんの数百メートルの位置をそいつは歩いていく。
その歩みを止めようと、どっかの戦闘機が次々と弾丸やらミサイルやらを打ち込んでいた。
それでも当然ながら、そんなものが効いている様子は無い。
目の前で一機が落とされた。
緑の全身タイツを着た、頭の無い巨人は非力な人類を嘲笑うかの様に歩き続ける。
こんな風に頭の中で実況しながら、僕はその光景を眺めていた。
不思議な事に、僕はこの時全く恐怖を感じてなかった。
僕に元々そんなものを感じる器官が無いのか、それとも非現実的な現実に脳が処理し切れていないのか。
ここ何年も怖いとか思ったことは無かったけど、それでも恐怖を感じないなんて感覚を僕自身だって信じちゃいない。
多分後者の理由なんだろう。
とか、いつの間にか目の前の光景を無視して、勝手な自己分析をしてたら戦場は目の前に迫ってきてた。
……やっぱり現実逃避してたらしい。
頭を振って現実世界に戻ってくると、ホントに目と鼻の先で激しい爆発が起きてた。
たくさんの戦闘機やら軍用ヘリが巨人を囲んで、ひたすらに攻撃を加えていた。
ぼんやりとそれを見ていたけど、ふと僕の首筋を冷たい感触がよぎった。
これまでに数少ないながらも、確かに感じたことのある寒気。
まずい。
次の瞬間、僕は駆け出していた。
あの感覚を感じた時は本当にやばい時だ。
不思議だけど、滅多にないそれを感じた時、大概は僕にとってまずいことが起きる時だ。
その感覚を信じて、今回も全力で走った。
ほんの二、三秒だろうか。
僕の体は背中からの大きな力で放り投げられた。
確実に体が浮いた。
奇妙な浮遊感を味わっていたけど、目の前にコンクリの地面が迫ってくる。
「っ!!」
音にならない声を上げながら、咄嗟に右手を突き出す。
背後からの爆風がいい具合に作用したか、ちょうど伸身の前転をするように僕は一回転する。
訂正……一回転出来なかった。
背中から勢い良く落ち、そのまま数メートル滑っていく。
「いっつ〜……!!」
一瞬呼吸が止まり、荒い息を吐き出す。
そして呼吸を整えると、怪我が無いか体を出来る範囲で確認した。
どうやら擦り傷だけで、大した怪我はしてないようだ。
「あっ……」
元居た場所を見てみて、僕は間抜けな声を上げた。
とは言っても、そこにあった燃えている戦闘機を見てたわけじゃなくて、そこにあったであろう物の結末を見てのものだ。
「あ〜…カバン……」
大したものは入って無かったとは言え、何日分かの着替えやタオルとかが入っていた。
それに加えて持ってきたカバンは、何とかバイト代を遣り繰りして買ったお気に入りの物だったのに……。
そこまで考えて、僕は自分の間抜けな思考に苦笑いを浮かべた。
そのまま燃え盛る戦闘機を眺めながら笑っていると、けたたましい音が聞こえた。
今度は何だ、と音の方を振り返ると、一台の青い車がこっちに向かってきていた。
一向に減速するでも無く、まっすぐにこっちに向かってくる。
まさかこっちに突っ込んでくるんじゃ…と思っていたら、スバラシイテクニックでスピンをしながら僕の目の前に止まった。
「碇シンジ君ね!?急いで乗って!!」
助手席のドアを開けて叫んでいたのは、僕の右ポケットでくしゃくしゃになってる女性だった。
第壱話 僕はここに来た
「遅くなってしまって申し訳無いわ。」
怪物から大分離れたところで女の人―――葛城ミサトさん―――は謝罪の言葉を口にした。
それでも未だ猛スピードで運転してるからか、視線は前から離さない。
「いえ、とんでもありません。おかげで助かりました。」
僕は笑いながら感謝した。
ただまだ多分燃えてしまっただろうカバンの事を引きずっていたから、冗談めかしてその事を話す。
すると葛城さんは再度謝罪して弁償すると言ってくれた。
「いえ、そんなの申し訳ないですよ。別に葛城さんのおかげでああなっちゃった訳じゃありませんし。」
「遅れてしまったのはこちらの落ち度だもの。それ位構わないわ。
後、私の事は普段はミサト、で良いわ。堅苦しいのは苦手だから。」
「わかりました、……ミサトさん。お言葉に甘えさせていただきます。」
女性のファーストネームで呼ぶ、ていう事に残念ながら僕は慣れてない。
だからか、ミサトさんの名前を呼ぶ時に少し照れが残ってしまった。
そんな僕の様子を気にする事無く、ミサトさんは運転に集中していた。
周りの景色がかなりの速度で流れていく。
安全が確保された所で少し肩の力が抜けたのか、どうでもいい事が気になった。
(さっきからかなり飛ばしてるけど、何キロ出てるんだろ?)
そう思ってチラ、とスピードメーターを見てみた。
その瞬間、顔から熱が引いていくのが自分でも分かった。
「……っ」
危ない危ない。つい叫んでしまうところだった。
実際気は小さいのだが、いきなり初対面でそんな所をミサトさんに見せてしまうのも不本意だ。
「どうしたの?何か言いかけたみたいだけど。」
「い、いえ。ただちょっとスピード出しすぎじゃないかな〜なんて思ったりしたんで……」
自分で口に出してみて改めて事の異常を思い知る。
何だ、200って?タコメーターの数字も二桁なんて見たこと無いぞ。
若干焦り気味の僕をミサトさんは見てたけど、僕の視線の先を見て合点が行った様だ。
「ああ、スピード?確かに普段だったらスピード違反よねぇ。でも気にしないで良いわ。今は非常事態だし、それに警察も仕事なんかしちゃいないわ。」
僕の懸念とは全然見当違いの180度あさっての方向の回答をしながら、ミサトさんは更にアクセルを踏み込んだ。
更なる慣性力に、シートにぐっと体が押し付けられる。
次々に襲い来るカーブに、右へ左へと面白いように頭を振られる。
当然そんな運転を続けていれば、乗り物に弱い僕が迎える結末は唯一つなわけで。
(……気持ち悪い。)
窓を開けて外の新鮮な空気を入れ、更に直線になった所で顔をエアコンの前に持ってきて頭をクールダウンさせる。
それも束の間で、またグネグネしたスバラシイワインディングロードが……
(ああ、神様……僕は生きて帰れるのでしょうか……?)
信じてもいない神に思わず祈ってしまった。
うん、やっぱりついてない。
もはや今日何度目か分からない現実逃避街道を突っ走ってたけど、それも激しい揺れと轟音で無理やり現実に引き戻された。
何事かと振り返ってみれば、僕らが居たところで、映像でしか見たことが無いような、巨大なキノコ雲が空高く舞い上がっている。
まさか核を使ったのか!?
そう思ってミサトさんの方を見てみる。
すると、ミサトさんはサイドミラーを厳しい表情で睨みつけていた。
「まさか核兵器を使ったんですか?
いくらミサイルが効かないとは言え、あんなものを使うと色々と後でうるさいんじゃ……」
「ああ、違うわよ。さすがに日本で核兵器は使えないわ。使ったのは多分N2よ。」
「N2…?」
N2、と聞いて一瞬僕の頭の中には窒素が浮かんだけど、途中で思い出した。
確か数年前に日本とアメリカが共同で研究し、開発した新型兵器だ。
何でも核アレルギーの日本が核に並ぶ威力の兵器を持つ為に開発した、とか。
実際は核ほどの威力は無いらしいけど、それでも既存のどの兵器より遥かに大きな威力があるらしい。
「まぁ街中であんなの使うのは感心しないけど、おかげで時間が稼げたわ。」
そう言うと、ミサトさんは表情を緩めた。
それで僕は、この人がどういう人か、と言うのがある程度つかめた。
この人も他人がどうなろうとあまり興味が無いのだ。
多分あの爆発だから、地下のシェルターなんて核シェルターじゃない限り一瞬で蒸発だろう。
基本的に平和で、未だに非核三原則を掲げてる日本で、街中にそんなシェルターがあるとは思えない。
なにやらさっきは睨んでたけど、多分それは人命じゃない、別の想いからだろう。
かと言って付き合い辛いタイプでも無い。
基本的には話しやすいタイプだろうし、それなりに気を遣わない関係にはなれるだろう。
こんな風に淡々とそんな事を考えられる僕も僕だけど。
「そういえば……」
良く考えてみれば、この人が何者なのかまだ知らない。
何となく軍人っぽい感じはするけど……
「自己紹介がまだでしたね。」
「そうだっけ?」
「ええ。多分そちらは僕の事は知ってるんでしょうけど。」
僕は笑いながら言った。
トンネルに入り、車内が仄暗くなる。
そのままミサトさんは車を止めると、周りの景色が回り、またすぐに横向きに動き出した。
どうやらトンネルでは無く、カートレインの様だ。
「お父さんからID貰ってない?」
僕の質問に応えず、唐突にそんな事を聞いてきた。
多分、応えられない事なんだろう。
そう納得すると、僕は体をずらしてポケットをまさぐる。
そしてくしゃくしゃになった写真と手紙を取り出して、手紙の方だけをミサトさんに渡した。
正直、あんな手紙を他人に見せるのは恥ずかしいけど、しょうがない。IDのコピーらしいものが手紙の下に印刷されてるのだから。
予想通りミサトさんは、手紙を見て一瞬顔が引きつってた。
まあ常識的な人ならそうだろう。
「あ、ありがとう……」
無理やり笑顔を浮かべながらミサトさんは手紙と一緒に、何やらパンフレットらしき物を渡してきた。
「特務機関ナー……ネルフ?」
「そ。私と貴方のお父さんが勤めている所。
特務機関ネルフ。国連直属の非公開機関よ。」
「非公開……何かあんまり良いイメージはしませんけど。」
「ま、それはそうなんだけどね。
で実際に何をする所かと言うと、簡単に言えば人類を守る最後の砦、て言った所かしら。
それでさっき外に居た奴、あれは使徒って呼ばれてるわ。」
「使徒?キリストの弟子であり、天使の名を使ってるんですか?」
「ええ、頭の固いお役所にも中々洒落が分かる奴が居るみたいね。」
そう言いながら、ミサトさんは笑った、いや、嗤った。
深く立ち入る気は無いが、恐らくその使徒、とか言う奴に何か含むところがありそうだ。
でも今はそれを脇に置いておいて、今僕が一番知りたい事を尋ねた。
「それで、その国連の機関に何で僕の様なのが呼ばれたんですか?」
「それについては私も詳しい事は聞いてないわ。私はただシンジ君を―――そう呼ばせてもらうわね―――
迎えに行く様碇司令に言われただけだから。」
「碇…司令?」
「ええ、シンジ君のお父さんよ。」
何てことだ。いつの間にか親父殿は僕を放っておいた間に随分と出世したらしい。
それならさっさと金でも送ってくれればいいのに。尤も受け取るかどうかは別だけど。
「ただ、シンジ君が呼ばれたのは貴方が必要だから。そう思うわ。
そして私にもその心当たりはある。」
ミサトさんはこっちを見らずに、前だけを見据えてそう言った。
ただ表情は影になってうかがい知れない。
トンネルを抜け、明るい光が車内に差し込んだ。
「ジオフロント……こんな物が……」
「あそこにあるピラミッド型の建物がネルフ本部。
人類を襲う厄災から守るべき砦よ。」
そう教えてくれるミサトさんの顔は見えない。
だけど、僕を見るその目は表情以上に僕には読み取れなかった。
NEON GENESIS EVANGELION
Re-Program
EPISODE 1
Angel or Devil?
「それで、そろそろ僕が何をしに来たのか、教えてくれませんか?」
ネルフとか言うところの中に連れて来られた僕は、長い廊下を歩くミサトさんに着いて行きながら尋ねた。
明るい廊下だけど、デパートやスーパーなんかのそれとは違う雰囲気が漂っていた。
たくさんの分かれ道があって、ゲリラ対策だろうか、複雑に通路が入り組んでいる。
こんな作りを持つ建物なんてそう多くない。
僕が知る限り放送局か……
(やっぱりここは軍隊なんだろうな……)
緊張して体が強張ってるのも良く分かる。
そしてそう思ってしまうと、さっきまで何も思わなかったミサトさんの歩き方も洗練された、無駄の無いものに見えてくるから不思議だ。
「さっきも言ったけど、アタシも良く知らないわ。」
「ミサトさんの言う心当たりでも構いません。
何て言うか…落ち着かないんです。自分がどうすればいいか分からない状況って。
多少なりとも指針だけでも頂けると、それなりに心構えは出来ますから。」
何をすべきか分からない、と言うのは僕にとって一番苦手な状況だ。
何も考えずにのほほんと過ごすのが嫌いな僕は、何かしていないと落ち着かない。
ホントは何も考えず、ただ言われた通りに動いてるのが一番楽なんだけど……
「そう……
ならアタシの予想だけど……」
ミサトさんが教えてくれようとした時、正面のエレベーターの扉が開いた。
「赤木博士……」
赤木博士、と呼ばれた人は険しい表情をしたままエレベーターを降りてミサトさんの前に立っていた。
髪を金色に染めて、もしここが軍隊だとしたら酷く似つかわしくないけど、それ以上におかしかったのが格好だった。
ウェットスーツの上に白衣を直接着ている。
白衣を着てるプラス博士と呼ばれたのだから科学者か何かで、水中を潜る作業でもしてたのだろうか。
「あら、早かったわね、葛城一尉。」
「速やかな行動が求められる状況ですから。余計な時間は掛けられません。」
「そうね。それで……」
一言二言ミサトさんと会話を交わすと、赤木博士は僕の方を横目で見つめる。
僕は正直、髪を染めた人と言うのが苦手だ。
柄の悪い奴にそういう人が多い、と言うのも理由の一つだし、見ていて頭の悪そうな印象を受ける。
勿論そういう人ばかりじゃないし、実際何人かそういった知り合いも居た。
そして、この赤木博士と言う人も後者に当たるのだろうと思う。
博士なのだから当然と言えば当然だけど、前者と後者を分けるのに肩書きは重要じゃない。
見た目で簡単に判断がつく。
どんなに見た目おちゃらけた奴でも、目やまとっている雰囲気ですぐに分かる。
理知的で鋭い目に真面目そうな雰囲気。
間違いなく赤木博士は格好を付けて髪を染めた訳じゃない。
だけども、僕はこの人が苦手だろう事を感じた。
嫌いじゃないけど、ある程度腹を割って話せないような人は得意じゃない。
それでもそれなりの付き合いは、僕もそれほど子供じゃないし、出来るだろうけど。
「ええ、サードチルドレンよ。」
何だろう、恐らく僕の事を指しているのであろうその言い方が酷く気に喰わない。
更には人を物の様に扱う、赤木さんの目が、僕にとっては酷く腹立たしい。
じわじわと昇ってくる苛立たしさを抑えて、ミサトさんに聞いた。
「何ですか、そのサードチルドレンって?」
だけどもその質問には、ミサトさんじゃなくて赤木さんが代わりに答えた。
尤も、答えにはなって無かったけど。
「着いてらっしゃい、シンジ君。見せたい物があるの。」
勝手にそう言うと、赤木さんは僕を放ってどこかに行き始めた。
何てジコチューな、なんて思ったけど、ここに居てもしょうがない。
ミサトさんも赤木さんに着いて行ったし、結局僕も着いていくしかないじゃないか。
こんな場所で一人なんて嫌だし、僕は慌ててミサトさんの後ろを追いかけた。
何処をどれだけ歩いたか分からない。
唯一つ確かな事は、確実に地下の方向へ向かってる、と言うことだ。
歩いてる最中、僕らはやっと自己紹介を終えた。
ミサトさんは名前は知ってたけど、何でもここの作戦部の作戦課長らしい。
階級も一尉らしくて、その若さで凄いですね、と素直な感想を述べたら結構喜んでた。
少なくとも表面上は。
赤木さんが後でこっそりと教えてくれたところに拠ると、ミサトさんは25歳らしい。
その年齢で一尉だなんて、きっと相当に優秀なんだろう。
赤木さんはリツコと言う名前で、技術士官をやっているそうだ。
技術部長らしく、こちらも若そうに見えるから二人ともかなり優秀のようだ。
だけど失礼だな、と思いながら年齢を聞いてみると、やっぱり教えてくれなかった。
後日、ミサトさんに聞いてみたら、酒を飲んでたミサトさんはケラケラ笑いながら教えてくれた。
その直後に、般若の形相でリツコさんに殴られたミサトさんが空を飛んでたのが印象的だった。
その席で分かったことは、人ってお空を飛べるらしい、て事だ。
ミサトさんとリツコさんは元々職場以外でも仲が良いらしく、それなりに悪い空気では無かった。
だけども、僕が僕自身の事について尋ねると二人して口を噤んで何も教えてくれない。
僕の中で不安と苛立ちが大きくなっていく。
でも僕には何も出来ない。
ならただ黙って着いていくだけだ。
ただしそれは表面上だけで、僕はずっと色々と考えていた。
僕はただの高校生で、特別優れた技術を持っている訳でも無い。
それなのに明らかにまともそうじゃないこの組織に呼ばれたのはどういうことか。
さっきの使徒とかいう奴から僕を守る為に、父さんが僕を呼んだ?
そんな考えが浮かんだけど、すぐに頭を振って打ち消した。
そんな殊勝な考えが浮かぶくらいなら、僕を何年も放って置くわけが無い。
マンガやアニメの世界なら、突然本人も知らない内に何らかの適正を見出されて、
ロボットに乗せられたり、或いは何らかの発動キーになってたりするんだけど。
……馬鹿馬鹿しい。
そんなのはあくまで架空の話で、現実はそんなタノシイ事なんて無い。
楽しい、面白い事が少々と、後は辛く厳しいだけの現実だ。
いくら僕に多少なりとも英雄願望があるとは言え、カッコ良く出て行って上手い具合に敵を倒せるはずが無い。
第一、例え使徒を倒すための秘密兵器がこっそりここで開発されてたとしても、それに乗るのは一介の高校生ではなく
ちゃんと訓練された兵士とかが乗るはずだ。
ならどうして僕は呼ばれた?
また振り出しだ。
考えろ、考えろよ、僕。
ここで流されるだけじゃ、何やらやばい事になりそうだ。
ミサトさんはここは人類の最後の砦だって言ってた。
だとしたら、ここに何か対抗手段があるのは間違いないだろう。
ならここは常に戦場に当たる可能性があり、死の危険が付きまとう。
……
まさか!?
僕に兵士の慰み者に!?
兵士の中に女の人が居て、いつ死ぬか分からないから出撃の前に!?
いやいや、中には同性愛やら特殊な性癖の人もいてそっちの方かも!?
そんな!!僕の初めてがそんな特殊な状況下で!?
……
僕はバカか……
いかんなぁ…妄想爆発してるし。
そんな役回りで、わざわざ司令の息子を呼び寄せるなんてしないだろうし。
真面目に考えよ。
とにかく、僕が呼ばれたからには何かしら役目があるんだろうけど……
う〜ん……別に僕は天才て訳でも無いし、運動神経には自信はあるけど、特別って訳でも無いしなぁ…
そう考えると、やっぱり最初の考えが一番まともそうだけど、あの親父に限ってそんなはずは無い。
う〜ん……
結局、目的の場所に着くまでに答えは出なかった。
如何せん、僕の持ってる情報が少な過ぎる。
ともかく、何らかしらの普通じゃない事をさせられる覚悟はしてた方が良さそうだ。
僕は常に最悪を考えながら動く。
そうしておけば、少なくともココロが傷つくことは無いから。
赤木さんが巨大な扉を開けると、そこは真っ暗だった。
こちらからの光が細く、そして頼り無く床を照らしている。
それでも構わず赤木さんは歩き始めた。
足元に気を付けながら、僕も恐る恐る足を進める。
と、その時突如として後ろのドアが大きな音を立てて閉まった。
「うわっ!!」
思わず僕は叫んでしまった。
僕は暗闇が嫌いだ。
基本的に暗いのは嫌いじゃ無い、むしろかなり好きだ。
だけど、全く光が無いのは嫌だ。
怖い。
自分以外何も見えず、いや、自分ですらも見えない。
わずかな希望も無く、縋る物も無い。
嫌な汗が背中を、額を流れ落ちる。
腹の奥底から、嫌な感触が伝わってきた。
気持ち悪い。
でも、それもすぐに消え去った。
照明が点けられ、眩しい、目の眩む様な光が僕の網膜を焼く。
色を取り戻した僕の目が最初に捕らえたのは……巨大な顔だった。
鬼の様に角を持ち、紫をベースにしたカラーリング。
見るものに畏怖を与えるような面持ちで、そいつは僕を見ていた。
「これは、人が作り出した究極の汎用人型決戦兵器、人造人間エヴァンゲリオン!!」
呆然とそれを眺める僕に、赤木さんは説明を始めた。
「私達は通称エヴァ、と呼んでいるわ。これはその初号機よ。」
「エヴァ……」
僕には赤木さんの言葉を、オウムのように繰り返すことしか出来なかった。
それでも名前を呼ぶと、何となく失われた現実感が戻ってくる気がする。
まさか本当にこんな兵器があったとは……
「エヴァ……」
もう一度その名を呼んでみる。
すると、鋭い目に当たるところがわずかに光った様な気がした。
暗い闇の中から怖そうな視線。
だけど何故だろう、僕は不思議とそれを怖いとは思わなかった。
「これを…使って使徒を倒すのが父の仕事ですか……」
「そうだ!!」
独り言のつもりだったのに、思いがけず返事が来て、心臓がドキッとした。
声の方を向くと、離れた所に男が居た。
「久しぶりだな、シンジ。」
男のその声で、僕は初めてその男が自分の父だと認識した。
もみ上げから顎にかけて髭を生やした男。
すでに僕の記憶の中に、父の姿は無い。
だからか、父の言葉に返事をするのに少し時間が掛かった。
「久しぶりなんでしょうね、僕は覚えていませんが。」
逆光の中の父に、なるべく平静にかつ丁寧に言葉を返す。
それっきり、わずかな沈黙が僕らの間に流れた。
だが、それを打ち破ってきたのは、僕がつい先程馬鹿げた事だと吐き捨てた言葉だった。
「ふっ……出撃。」
それを聞いても、僕は特に驚かなかった。
すでにそれを予感し、最悪の事態として予想していたから。
「司令…一応お尋ねしますが、それはこのご子息を初号機に乗せる、ということでしょうか?」
「それ以外に何がある?」
「レイでさえ起動させるのに七ヶ月かかりましたが、この子なら今すぐに起動できる、ましてや戦えるとお考えなのですか?」
「どの道我々に残された道など無い。」
僕を他所に、静かに展開される論争は僕の耳には入っていなかった。
僕は、怖かった。
何が怖いのかはっきり分からない。ただ、怖かった。
死ぬかもしれない事が怖いのか、僕だけが事態に置いて行かれるのが怖いのか、
それとも周りの目が怖いのか。
震えながら、僕は周囲を見渡す。
そこには何故今まで気付かなかったのか、という位大勢の人が居た。
そして、皆期待のこもった目で見つめてくる。
どうしてだ。
どうして、皆僕に期待するんだ。
勝手に僕の力を判断して、過剰な期待をして、応えられないと侮蔑の目を向ける。
僕を見限って、僕という存在を見てくれなくなる。
応えても僕には何も返してくれない。
ただその時ばかりの賛辞と、更なる期待をくれるだけだ。
なのに…どうして……
いつまで経っても何も言わない僕にしびれを切らしたのか、ミサトさんがこちらを見る。
そして、うつむいていた僕の顔を上げさせた。
「シンジ君、乗りなさい。」
「僕に…死ね、と仰るんですね……」
口ではそんな言葉が出てきたけど、僕はそれほど死を恐れてはいないと思う。
今まで何度も自殺を考えた事もあるし、一度本気で死のうとした事もある。
むしろ、死を「解放」と考えている節もある、と自己分析した事だってある。
だけど口からそれが出てきたのを見ると、本当は死ぬのが怖いのかもしれない。
追い込まれた時の癖なんだろうか、また現実逃避に近い、思考のループにはまってる。
そしてそれを何処か他人事の様に観察してる自分がいた。
「どちらにしろ、貴方が乗らないと人類は滅亡するわ。」
「もういい、葛城一尉。」
僕に向かってミサトさんは説得をしてたけど、それを父さんの低い声が遮った。
そして、僕に最後の言葉をぶつけてきた。
「人類の存亡を賭けた戦いに臆病者は無用だ。」
そう言って、父さんはどこかに連絡を取り始めた。
まただ。
また僕に期待だけ勝手にして、すぐに切り捨てる。
こんな考えも僕の被害妄想なのかもしれないし、実際の社会と言うものはそんなものかもしれない。
でも…僕には耐えられない。
父さんが連絡を取ってすぐに何かが運ばれてきた。
キャスターの転がる音がカラカラカラ…と僕の耳を静かに打った。
「レイ、予備が使い物にならなくなった。すぐに出撃だ。」
「はい……」
父さんの低い声とは正反対の、静かだけれど甲高い少女の声が聞こえてきた。
その意外な声に、僕は思わず振り返った。
僕の見た先で、蒼い髪をした女の子がベッドの上で横たわっている。
点滴を繋がれ、あちこちに包帯が見える。
そんな痛々しい姿なのに、彼女は必死で起き上がろうとしていた。
「もう一度言うわ、シンジ君。乗りなさい。」
ミサトさんはそう言うと、僕に向かって赤いジャケットから銃を取り出して突きつけた。
「ミサトさん……」
「一応ここも軍隊なのよ。人類が生き残るためのね。
その為にはどんな非道な事でもするわ。」
「葛城一尉、もういい。
何をしている、シンジ。さっさと帰れ!」
僕を責める声が聞こえる。
ここに来て、ようやく僕も現実を悟った。
選択肢など残されて無いのだ、僕にはすでに。
僕が乗らなければ、あの子が戦わなければならなくなる。
そして負ければ滅亡、勝てば彼女は英雄で僕は非難の的。
生死よりも僕にはそっちの方が地獄だ。
それを想像しただけで更なる震えが来る。
ならば、最善となる為に、僕は自分で一つしか無い選択肢を選びに行く。
「ぼ……が……」
だが喉は湿りを失い、震える体で声が出ない。
だから僕は右手で垂れ下がった前髪をゆっくりかき上げる。
それは儀式。
僕の、より冷静な部分を表に出す為の、云わばスイッチ。
気持ちを切り替え、俺は落ち着きを取り戻した。
「その子が乗るくらいなら、俺が乗ります。」
自分でも驚く位、落ち着いた声がこの場に響いた。
震えも止まり、周りをしっかりと見据える事が出来る。
本当に驚きだ。
何度か落ち着かせる為、逃げ出す為にこの儀式をした事があるけど、ここまでしっかりと変われたのは初めてだ。
「シンジ君……」
ミサトさんも驚いたように俺を見てる。
だが赤木さんは、気付いてないのか、それとも気にしてないのか、適当な言葉で俺を褒め称えた。
「よく言ってくれたわ、シンジ君。さあこっちへ。」
そのまま搭乗を促すけど、俺としてはこのまま乗るわけには行かない。
少しでも条件を整えておかないと。
「ちょっと待って下さい。親父に聞きたいことがありますから。」
「……何だ?」
さも面倒臭そうに、親父は俺を見下ろす。
こちらとしても親父の思い通りになるのは癪だけど、少しくらいは嫌がらせをしてやりたい。
「何で俺なんだ?
自分で言うのも何だけど、特別な物なんてないけど?」
「エヴァに乗るには適正があるの。そしてそれは貴方を含めて世界で三人しか見つかってないのよ。」
親父の代わりに赤木さんが説明してくれた。
まだまだ聞きたい事はあるけど、それはまた別の時に聞けばいい。
地響き(地下で揺れるのをそう言うのかは知らないが)も近くなってきたみたいだし。
「まあいいや。
本題に入ろう。親父、幾らくれる?」
「何?」
「お金の話だよ。まさかボランティアで命を賭けろって言うのか?これでももう高校生なんだ。自分で稼ぐ事が出来る年齢だ。
だから仕事として乗る、と言っているだよ。」
流石にこれには親父だけでなく、皆面食らったみたいだ。
そりゃそうだ。この期に及んで金を要求するなんて我ながら馬鹿げてる。
でも生きていくにも金は必要だ。
いつの世でも金と地位は容易く力に変わる。
考え方を変えれば、これはチャンスなんだ。
この仕事に代わりはそういない。
稼ぐチャンスがあるのなら、出来るだけ稼がなければならない。
「……いくら欲しい?」
「特別欲しい訳じゃない。命を賭けるんだから世間一般のそれ相応の額をくれれば良いよ。」
あんまりゴネてもダメだ。
周りの空気も悪くなるし、わずかな時間でもそんな空間には居たくない。
「……五百万だ。」
ふむ…ああは言ったが相場なんて知らない。
息子の値段がそれっぽっちか…なんて考えると腹立たしいが、向こうにはそんな考えなんて無いだろうし、今更こっちもそんな関係にはなりたくない。
だからとりあえずの逃げ道を作っておこう。
「分かった。とりあえずそれで乗るよ。
細かい話はまた後で良いよね?」
「…問題無い。」
なら交渉成立だ。
「それじゃあ、赤木さん、お願いします。」
赤木さんに簡単なレクチャーを受けて、僕はコクピットらしき物に乗り込んだ。
赤木さんが言うには、僕とこのエヴァの神経を繋げて、僕の思考がそのままこいつに伝わるらしい。
そしてその伝達の速度は、僕とエヴァの相性、シンクロ率によって決まるそうだ。
最近の科学というのは全く持って素晴らしいね。
この分じゃ、きっと前世紀の末に本に突っ込まれてた、巨大ロボットのコクピットの振動なんかの問題も解決してるんだろう。
そうだと信じたい。
僕が乗り込んだエントリープラグ、とかいう奴に外からの振動が少し伝わる。
その心地よい揺れに身を委ねながら、大きく息を吐いた。
あの「儀式」で気持ちをうまく切り替えられたけど、それは長続きしない。
いつの間にか一人称が「僕」に戻ってるし。
そんな感じで僕がリラックスしようと努めていると、何か生温い、ドロリとした感触が足に伝わってきた。
何事か、と足元に目をやれば、色の着いた液体が徐々に上がってきていた。
「ちょ、ちょっとすいません!赤木さん!何か変な液体が入ってきてるんですけど!?」
「ああ、心配しなくていいわ。それはL.C.Lって言って、肺がそれで満たされると勝手に酸素を供給してくれるわ。」
そう言う事は早めに言って欲しかった。
赤木さんは簡単に言ったけど、肺に液体を取り込む、と言うのはかなり勇気がいる。
何せ人は普通、肺に空気以外を取り込むなんてしない。液体を肺に入れるなんて何かの病気か、もしくは溺れる時くらいだ。
一応僕は何の病気も持ってないつもりだ。
だから赤木さんは僕に「溺れろ」と言ってる様なものだ。
心の中でぼやいてると、いつの間にかその「えるしーえる」とかいうのが首元まで迫ってきてた。
ついには頭まですっぽりと浸かってしまったけど、思わず息を大きく吸い込んでしまう。
やっぱり中々液体の中で口を開ける勇気は無い。
とは言ってもそんなに長いこと息を止めておけるはずもないわけで。
「……気持ち悪い。」
「男の子でしょ!我慢しなさい!!」
ちょっとぼやいただけなのにミサトさんから叱責の声が飛んできた。
(そんなに怒らなくても良いじゃないか……)
基本的に僕は叱られる、というのが嫌いだ。
別に叱られた経験が無いわけじゃないけど、中には理不尽なものや、ヒステリックなものもある。
僕はそれが嫌なわけで、僕にとってこの場合のミサトさんの叱責は理不尽に思えた。
そしたら、それが顔に出てしまったのか、厳しい表情でミサトさんは更に言葉を続けた。
「シンジ君、貴方はまだ実感が湧いていないのかも知れないけどね、
私達は今、戦争をしてるのよ。」
この言葉の方が堪えた。
そうだ、今僕はまさに戦場に、それも最前線に赴こうとしているのだ。
なのに、どうして僕は何の恐怖も感じないのだろうか?
最早恐怖を感じないほど感覚が麻痺してしまっているのだろうか?
それともまだ僕は自分が「死なない」などと言う幻想を抱いているのだろうか?
勿論、それに答えなんか出るはずも無い。
こんな時に禅問答なんかやっても意味が無い。
頭に残る考えを振り払う為に、何も映っていない正面のモニターを見つめた。
その途端、何か不思議な感覚が僕を包み込んだ。
どう例えていいか分からない。
強いて言うなら、気持ち良い、程よい冷たさを含んだもの。
それと同時に気持ち悪い暖かさが僕の中に無理やり入ってこようとしていた。
(何だこれ……)
温もりは時には罪になる。少なくとも僕にとっては。
その押し付けるような暖かさが、僕にとっては居心地が悪く、吐き気さえもよおす。
(何だこれ……)
払いのけたくても出来ない。
気が付けば、辺りは暗闇に染められていた。
(何だこれ…何だこれ何だこれ……)
冷たさを含んだ方は、僕の目の前に漂うだけで何もしてくれない。
でも確かに僕のそばに居てくれた。
だから僕はそいつを掴んだ。
暖かさ…いや、すでに熱い程に熱を帯びた不可思議なものから逃げ出すために。
(ん…ジ君、シンジ君!!)
ミサトさんらしい僕を呼ぶ声で、僕は現実に引き戻された。
どうやらいつの間にか意識を失ってしまったらしい。
「あれ、ミサトさん?どうしたんですか?」
「どうもこうも無いわよ……突然眠った様に動かなくなるんだもの。」
「……どれ位の時間ですか?」
ミサトさんによると、ホンの数秒らしい。
でも僕はその間に何か夢を見ていた気がする。
もう覚えてはいないけど。
「シンジ君、どこか体におかしい所はあるかしら?」
「いえ、特には……」
赤木さんが尋ねてきたけど、どこか赤木さんの様子に変なものを感じた。
何か…驚いたような、焦っているような、そんな感じ。
その後「ありえないわ……」なんて不穏な言葉が聞こえてきたけど、当然それは無視した。
だって今まさにこの現実が一番有り得ないと思うし。
更にはミサトさんと父さんの会話が、わずかにここにも聞こえてきた。
それも言ってみれば儀式のようなものだ。
上意下達を自分達で意識する為に、わざわざ発進の確認を上司である父さんに取る。
馬鹿馬鹿しいけど、それも必要な事なのかも知れない。
ぼーっとそんな事を考えると、突然モニターが開いた。
「いい、シンジ君。もうすぐ射出されるから。そうするとすごいGが掛かるから、舌を噛まないように気を付けてね?」
僕を心配してくれてるのか、微笑みながらオペレーターの女の人が説明してくれた。
まずい……この人どう見ても高校生にしか見えないよ…
ああ、恋をしちゃいそうだ。
「発進!!」
ミサトさんの掛け声と同時に、凄まじいGが僕の体を襲った。
なるほど、確かにこんなGが掛かったら簡単に舌を噛み切っちゃいそうだ。オペレーターの人に感謝感謝。
Gも消え、目の前の景色が猛スピードで流れていく。
けどそれもすぐに消え去り、今度は逆向きのGで体が浮き上がりそうになったけど、コクピットのフレームのおかげでそれも助かった。
若干フレームに擦れて足が痛かった。
でもそんな事は言っていられなかった。
目の前には少し離れた所に、小さく外で見た緑色の使徒が僕を待ってるかのように立ち尽くしていた。
そして、そいつはじっと僕を見つめていた。