このような駄文を応援してくださった皆々様
ありがとうございました
爆発音と激しい振動が、白い病室を揺らす。
決して病院に似つかわしくない情景だが、病院内はいつもと変わらず真っ白な蛍光灯に照らされていた。
断続的に続く振動と、時折立っているのも難しいほどの揺れが起こる中、白い脚が廊下を歩き続けていた。
足音も無く動くそれは、振動など関係無いかのように変わらぬ歩調を刻んでいた。
その脚が、一つの病室の前で止まる。
碇ユイ
入り口に書かれたその名前を確認すると、彼女は軽く深呼吸した。
続けて二回ノック。
だが病室の中から返事は無い。
それでもレイナは気にせずドアをスライドさせた。
開けた途端、かすかな消毒液の匂いがレイナの鼻をかすめる。
そして視界に入るのは個室にしては広い室内と、ポタリポタリとゆっくり落ちていく栄養剤。
その蛍光灯より更に白い、病人衣に包まれた一人の女性。
髪は艶を失ってボサボサになり、色も脱色したように見事なまでの白色になっていた。
目は虚ろで、何処を見ているのか分からない。
ただブツブツと何かを呟き続けていた。
レイナが室内に足を踏み入れても、何の反応も示さない。
レイナはゆっくりと、足音を立てずにベッドへ歩み寄る。
「ユイさん……」
レイナの声に反応して、ユイは顔を上げる。
張りを失った肌、あちこちに見られる深い皺。
自分の知る姿とのあまりの違いに、レイナは息を飲んだ。
ユイの方も、レイナの姿を認めた途端、虚ろな目に光が戻った。
しかし、それは明らかに好ましい色では無かった。
色白の肌から更に血の気が引き、白から青くなっていく。
ユイの体は小刻みに震え、細い腕で頭を抱えて泣き始めた。
「ごめんなさい…ごめんなさい……」
ひたすらにユイは謝り続けた。
誰に許しを乞うているのか、ユイ自身にも分からないままユイは謝罪の言葉を繰り返した。
呪文の様に、何かに向かって謝り続ける。
「アナタは…何に対して謝るんですか…?
誰に向かって謝ってるんですか……?」
レイナはベッドの隣にしゃがみこむと、ゆっくりとした口調で尋ねた。
怯える幼子を落ち着かせるように、頭を撫でながら話しかける。
ユイは震える声で、質問に答え始める。
だがそれは返答、と言うよりもただ謝罪を述べているのに近かった。
「ごめんなさい…シンジ……ごめんなさい……
あんな……あんなことになるなんて……ごめんなさい…
…そんな…そんなつもりじゃなかったの……」
「あんなこと……?」
「ああぁ…ご、ごめんなさい……
わ、わわ私は人類の…み、未来を作りたかった…だけなの…
あ、明るい未来を…貴方に……のこ、したかっただけなの……
なの、に…ゲンドウさんが……」
「貴女は…他人の所為にするんですか……?」
途切れ途切れながらにユイは告白する。
だが、最後にゲンドウの名が出てきたことで、レイナの表情が若干強張る。
その口から出てきた硬質な言葉に、更にユイは体を震わせた。
「ごごごめん…なさい……」
「私は同じ姿をしていても、シンジではありません…
だから私に謝られてもどうしようもありません。
許すことも、咎めることも出来ません。
ですが…もう貴女は二度とシンジに会うことは出来ないでしょう……
だからこそ貴女がするべきことは謝る事ではありません。
まして、他人に罪をなすり付けることでもありません。
……貴女は、貴女の考えは、私には分かりませんが多分間違ってません。
ですが、貴女は思慮が足りなかった。
自分の行動がどういう結果をもたらすのか、そこをもう少し熟考するべきだった。
ささいな事でも、時には重大な結果をもたらすことが有り得る。
結果、世界は一度崩壊した……
貴女だけが悪いわけでも、シンジだけが悪かったのでも無い。
皆が、人類自体が悪かったのかもしれません……
それでも、貴女がこれからするべきなのは貴女の罪を忘れないこと、そしてそれを償うこと。
その為に何が出来るのか、考えて下さい。」
「……」
「だけど今は……」
レイナは無言でうずくまるユイに手を伸ばす。
その光景が、会議室でのシンジと重なり、ユイは怯え、身を強張らせる。
「大丈夫です。何もしませんよ。」
安心させるよう、そう話しかけるとユイをベッドに寝かせた。
ユイが眠りやすいように、目を手で覆い隠す。
「だけど今はお休みなさい…
貴女がすることは今はありません。
それと…シンジはもう貴女を責めてはいませんから……」
空気が抜ける音がして、病室の扉が閉じた。
ベッドには一人の女性が横たわっていた。
天井の白色灯からの光が、女性の頬を伝う涙を照らした。
静かに眠る女性。
だがその寝顔はこの上なく安堵の色に染まっていた。
第弐拾話 繰り返される世界を見届けた女神
「攻撃開始!」
トオルが無線越しに叫ぶと、地上からおびただしい量の弾が空を駆けた。
白煙を上げながらミサイルが飛んでいき、その後ろからまた更なる戦自の装備が火を噴く。
一方、上空の編隊の方も散開し、飛び寄せるミサイルを打ち落としにかかる。
薄曇の第三新東京市上空に眩いばかりの花が咲く。
紅い花びらが乱れ咲き、その中を漆黒の機体が通り抜けていった。
それでも地上からの集中砲火は止まない。
やがて逃げ切れなかった一機が激しく炎を吹き、錐もみ回転しながら第三新東京市に墜落する。
それに追随するかのようにまた一機、二機と戦闘機が地に落ちる。
それらは第三新東京市の家屋を、ビルを破壊していく。
空に咲き乱れた華が、地上でも狂い咲く。
その様をトオルはモニター越しに見つめていた。
自分が守るはずのモノを、自分達の手で壊していく。
それは仕方が無いことだ、とトオルも分かっていた。
何かを守るためには、時としてそれより優先度が低いものは諦めなければならないことは。
ましてこれは戦争だ。
明確に敵と味方が存在する戦いなのだ。
どちらも自分の信じる正義が存在する以上、退く事は出来ない。
命は奪ってしまわなければならない。
それを躊躇すれば守りたいモノも守れなくなってしまう。
だが、どうしても陰鬱な気分になるのは否めない。
また一つ、兵装ビルが破壊された。
それと時をほぼ同じくして戦闘機の方も一つまた爆発する。
一つ、二つと花火が咲く。
(こちらの人的被害が無いのが幸いか……)
そう思うことで、トオルは自分を納得させる。
攻撃を加えるネルフ側の兵器は全て無人である。
MAGIは外部との接続を断ったが、巨大な通信網を築いた第三新東京市内ならば制御に問題は無い。
それらの兵器が全ての弾薬を使い果たす様に吐き出す。
ネルフは航空戦力をほとんど持たない。
戦自から多少持ってくることも出来たが、すずめの涙程度。
それならば、とトオルは代わりに地上兵器を要求した。
その為、本来の予定よりもかなり多い地上兵器を準備できたが、それでも足りないだろうとトオルは踏んでいた。
そしてトオルの予想通り、相手は大軍で侵攻してきた。
ならば、とばかりにトオルは地上兵器を用いて、対応出来ない相手方の航空戦力を削る方策へ出た。
ありったけの弾薬を使って。
トオルの作戦は功を奏し、着実に地上戦力を降ろされる前に相手戦力を減らしていった。
それでも青い空を覆い隠す鳥たちはその減少を感じさせない。
トオルは副官を呼び寄せ、残りの弾薬数を確認した。
(心許ないな……)
元々全てを落とせるなどと妄想は抱いていない。
だが、それなりに減らせるとトオルは予想していた。
果たして、確かにかなりの数を落とすことは出来た。
しかし、飛来した敵戦力の数はトオルの予想外に多かった。
まだそれなりに弾薬はある。
使い切るまでにどれだけ減らすことが出来るか。
トオルが思案し始めた時、敵が動いた。
それまで前線で応戦していた戦闘機が散開し、離脱し始めた。
それに従う様に、その後方にいた部隊も退き始めた。
(何だ……?何をする…?)
後退を始めた敵は、終いにはエヴァと思われる機体を載せたキャリアウイングも退き始めた。
そして最後尾から一機の大型軍用ヘリが前へ出てきた。
だがあまり前進せず、その高度をどんどん上げ始める。
(……やはりあれか!!)
トオルは怪訝な表情で相手方の出方を伺ってきたが、そこで一つの答えに行き着いた。
それは三年前に自分達がした事と全く同じ事。
乱暴に無線を取り出すと、複数のチャンネルを開いて大声で叫んだ。
「N2が来るぞ!!アブソーバーを最大にしろ!!
総員対ショック体勢を取れ!!!」
叫ぶが早いか、これまでに無い凄まじい揺れがネルフ全体を襲う。
三年前と同じ様に、築き上げた第三新東京市が消えていく。
外郭部が抉られ、土砂が巻き上げられ、灼熱が全てを溶かしていった。
そこにあった物が、記憶が全て炎と爆風と共に消されていった。
揺れが収まったネルフの作戦室で、トオルはその身を起こした。
意識は失っては無かったが、どこかで打ったのか、頭が多少ふらついた。
頭を二、三度振って意識をはっきりさせる。
「皆、大丈夫か?」
トオルが声を掛けると、そばにいた数人から肯定の答えが返って来た。
無事にトオルは胸を撫で下ろすが、すぐに状況の確認を指示する。
「けが人と外の様子の確認を至急行え。
残った奴は敵が来る前に装備の点検を行っておけ。」
熱が引き、多量の水蒸気に包まれた中から徐々にジオフロントが露になる。
十分に気温が下がったところで、高々度のウイングキャリアーから白い機体が解き放たれた。
三年前と同じ9機のエヴァシリーズ。
純白の翼を広げ、優雅に本部施設の上空を旋回し始めた。
それと時を同じくして、地上を黒い塊が埋めていく。
四方から押し寄せる、様々な国籍を持つ軍隊。
それが本部施設に迫る。
戦闘服を着込んだ兵士が歩を進める。
その時、一箇所で大きな爆発が起こった。
それをきっかけとして、付近に警報が鳴り響き、一機の真紅の巨人がその姿を現した。
アスカは仕掛けられたトラップが爆発した一角を一瞥したが、すぐに視線を上空の量産機に向ける。
「やっときたわね。」
舌なめずりをしながらアスカは笑った。
「あの時はやられたけど、今度はそうはいかないわ。」
前回やられた要素は、今回全て克服されている。
例えケーブルが切断されても、動ける時間は大幅に伸びた。
相手の弱点も分かっている。今度はコアを潰せばいい。
だが新たな不安要素もある。
アスカの乗る四号機は弐号機の時と違ってシンクロ率は低い。
どれだけ弐号機の時と同じ動きが出来るか。
ミサトから聞いた話では、ダミープラグの性能も大幅に向上しているとの事。
だがアスカの中で、そういった不安よりも高揚感の方が支配的だった。
記憶の中にある、恥辱の歴史。
それを雪ぐ機会が訪れたのだ。
旋回する量産機が徐々に高度を下げ、地に下りて来る。
それを確認したアスカは、姿勢を低くし、大きく息を吸い込んだ。
そして吼える。
「Gehen!!」
外でアスカと量産機の戦いが始まったのとほぼ時を同じくして、本部施設内でも戦争が始まった。
そう、外は「戦い」であり、中は「戦争」であった。
純粋な戦いと異なり、施設内では双方のスペシャリスト達がその命を散らしていっていた。
相手を殺すことを前提とした戦い。
人間から人間性を奪い、生きるか死ぬかの選択を常に迫られる場。
秒単位でヒトが死んでいった。
数が同じであれば、本部内の場合、篭城するネルフ側が有利であったかもしれない。
狭い通路に来るのが分かっているので、あらゆるトラップ・バリケードを築ける。
実際、トオルはそうしていた。
移動に最低限必要な通路を残して、残りの通路全てにベークライトを注入した。
バリケードを築いてそこで待ち伏せし、更には少しでも敵の数を減らすべくトラップも山の様に仕掛けた。
だが、敵の数が多すぎた。
いかに質がよくても、量には敵わない。
戦争においては、一概に言うことは出来ないが質より量なのだ。
質の差を凌駕できるほどの量を用意できれば、質の差など問題では無い。
そして、この場ではそれだけの量が用意されていた。
これは負け戦なのだ。
次々と入る報告を聞きながら、トオルはそれを再認識していた。
ならばネルフ側である自分はどうすれば良いのか。
答えは簡単。時間を稼げば良い。
外が全て事を終えるまで耐えてしまえば良い。
決して勝てなくても構わない。
負けなければよいのだ。
「三番と五番の部隊を下がらせろ。
そこも破棄する。
撤退が完了し次第、隔壁を降ろしてベークライトを注入するよう二佐に伝えてくれ。」
副官に指示を出し、すでに劣勢だった部隊を下がらせた。
これで出来る通路には全てベークライトを注いだ。
後は、こちらがどれだけ粘れるか。
その頃、支援に向かったコウヘイとアカリ、特にコウヘイは現実を目の当たりにしていた。
厚木を諦めて入間に向かったコウヘイだったが、そこに広がっていたのは目を覆いたくなるような光景だった。
燃え盛る炎、崩れてしまった建物。
まだ一部で攻撃らしきものが行われていることから、完全にやられたわけでは無さそうだ。
しかし、コウヘイが来たところですでに手遅れだったのは明白だった。
基地のすぐそばに降り立ったコウヘイは機体を基地へと走らせた。
近づくにつれて、基地の状態がより明らかになってきた。
そこで行われていたのは一方的な虐殺。
逃げ惑う隊員を、容赦無く、無慈悲に背後から撃ち抜く。
生きたまま人を火炎放射器で焼き尽くす。
後には黒焦げの死体だけが残った。
それをコウヘイは呆然と見ていた。
モニターに物言わぬ黒い死体が写る。
もうすでにどこが顔で、うつ伏せなのか仰向けなのか、その判別すら出来ない。
人の焦げた臭い。
それがどんなものか、当然コウヘイは知らない。
だが、モニター越しにそれが臭って来たような気がして、思わずコウヘイは口元を押さえた。
吐き気がする。
気持ち悪さと不快感、そしてその後にはどうしようも無い程のどろどろした感情がコウヘイの中に溢れ出す。
それらが自分の外へと出てしまわない様、押さえる手に力を込めた。
コウヘイの六号機に、小さな振動が走る。
六号機の存在に気付いた敵は、攻撃の矛先をコウヘイへと向けてきた。
ヘリから放たれる弾丸が、ミサイルが装甲に当たり、爆発する。
だが、エヴァの装甲にはそれらは効かない。
それでも、それはコウヘイの心に響いた。
「何で……」
顔を伏せたままコウヘイは呟いた。
そして徐々に体を起こしていく。
それに伴い、六号機もゆったりとした動作で巨体を起こす。
「何でそんなに簡単に人を殺せるんだよっ!!」
慟哭。
悲しい叫びの中、コウヘイは姉の事を思い出していた。
混乱の中で命を落としたユウナの姿が目の前に現れる。
父と母を亡くし、姉と二人で生きてきた日々。
その悲しみが癒されようとした時、悲劇は起きた。
買い物から中々帰ってこないユウナを心配したコウヘイは、姉を探しに町を走っていた。
第三新東京市近郊とは言え、まだまだ治安が安定していない。
その為、ユウナはいつもコウヘイを安心させる為、遅くなる時は電話をしていた。
それが今日に限ってない。
ユウナは合気道を習っていて、コウヘイより遥かに強かった。
更にほとんど使うことは無かったが、フィールドの出力もコウヘイの比では無かった。
だからか、最初コウヘイは心配していなかった。
それが一時間過ぎ、二時間過ぎてもユウナは帰ってこなかった。
夕闇が帳を下ろす頃、コウヘイは姉を探して走り回る。
ユウナ行きつけの店、いつも通る道を丹念に探っていくが見つからない。
諦めて一度家に戻ろうとした時、何かがコウヘイの頭の中に閃いた。
その閃きに導かれるように、道を辿っていく。
これが不幸だったのかもしれない。
十分も歩くと、コウヘイは見知らぬ道に出た。
その通りの傍らにある、小さな路地に足を踏み入れる。
そこは異空間だった。
異様な臭い、異様な光景、異様な人物。
これは現実じゃない。
コウヘイはそう思おうとした。
だがそれの臭い、視界は紛れも無い現実。
横たわる男達の中で、一人が起き上がる。
ボロボロになった服。
暴行されたのか、あちこちに傷が出来、そこから血が滲んでいる。
胸も露になっているが、ユウナは気にせず立ち上がる。
ゆらり、と身を起こしたその姿はすでに人では無かった。
荒い息に焦点の合わない目。
「ね、姉さん……」
コウヘイの声に反応し、ユウナは振り向いた。
ドス黒くなった眼には、コウヘイの姿は映っていなかった。
一般にA.Tフィールドの強さはその心の内によって半分程度が決まる。
心の闇が深ければ深いほど、暗ければ暗いほどその出力は強くなる。
目の前で両親を奪われ、弟の面倒を見て、家事一切をして……
泣くことも、遊ぶことも出来ず、ただ弟を養うための毎日。
ユウナの心はすでに限界を迎えていたのかもしれない。
それが、男達に犯されることでその限界を超えてしまった。
完全にユウナはフィールドを、心を暴走させていた。
弟であるコウヘイのことを認識出来ないほどに。
叫びながらユウナはコウヘイに飛び掛ってきた。
その野生的な動きに、コウヘイは避けることが出来ず組み敷かれる。
「姉さん!俺だ!コウヘイだ!!」
コウヘイが呼びかけるが、その声は届かない。
感情のこもらない瞳は、コウヘイを映し出しただけだった。
ユウナの手が振り下ろされる。
殺される。
それを悟ったコウヘイには恐怖しか感じられなかった。
「うわあああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
コウヘイの絶叫と共に金色の壁が六号機から広がっていく。
急速に伸びていくフィールドの壁は、全ての弾丸を落とし、ヘリを爆発させ、地上の兵士を潰し、切り刻み、建物を破壊する。
「ああああぁぁぁぁぁっ!!」
広がりは限界を見せず、いつしか基地のほぼ全体を覆うほどに拡大していた。
「ああああぁぁぁ…ああぁ……はあっ、はあ……」
絶叫が途切れると共に、六号機を中心として展開されたフィールドも終息する。
後には、ただ廃墟が残された。
火炎が燃え盛り、陽炎が揺らめく中、グレーに塗られた六号機の影だけがはっきりと見えた。
「……」
炎の海と化した入間の基地を高い位置からコウヘイは見下ろしていた。
未だ荒い呼吸を落ち着け、LCLに混ざった涙で濡れた頬をそのままにコウヘイは呟いた。
「……帰ろう…」
まだ俺には守るべき場所があるはずだから。
そして、コウヘイは六号機を走らせた。
A.Tフィールドの強さを決定する、もう半分の要素は扱う者、それ自体に依存する。
その意味でコウヘイは紛れも無く天才であった。
本人は決して望んでいないけれども。
以前より遥かに高性能になったウイングキャリアーで九州に飛んだアカリだったが、その仕事はあっさり終了した。
遥か上空からアカリの伍号機が舞い降りる。
両手を広げ、フィールドを展開して落下速度を調整しながら落ちてくる様は、見る者によっては天使に思えたかもしれない。
その機体が漆黒でさえ無ければ。
四肢をついて着地し、敵を睨みつけながら一気に上半身を起こす。
九州はまだそれほどダメージを受けていなかった。
戦自間で緊急の連絡がいっていたのか、完全とまではいかなくても迎撃体勢を整えられたらしく、いくつか炎上している建物はあったが、十分に戦線を維持できていた。
どうやら今は膠着状態になっているらしく、それほど前線は活発にはなっていなかった。
だが、アカリが降り立った瞬間状況は一変した。
控えめだった攻撃はその力を取り戻し、光の雨が基地に向かって放たれた。
それは何かに怯えるかのようで、絶対的恐怖から逃げ出すための些細な抵抗のように見える。
しかし、その行為は自らの首を絞めただけだった。
アカリは容赦というものが無い。
基本的に如何なる時でも、例え相手が戦う意志を無くしても、相手と自分達との間に絶対的な力の差があろうと手を抜くことは無い。
ましてや、それが自分に対して敵意を向けていた時は尚更である。
広範囲に及んだ攻撃も、アカリによって全てが阻まれる。
傾きかけた太陽の光を反射して、フィールドが眩しいくらいに輝いた。
着弾による煙が晴れ、視界がクリアになるとアカリは基地の方に通信を入れ、指示を出した。
曰く、全軍を自分の後ろに下げるように、と。
アカリに命令権は無いが、指示を受け取った基地司令部はその要求に素直に従った。
アカリの声色にそら恐ろしいものを感じたから。
普段から抑揚に乏しいアカリだが、この時ばかりは抑揚が完全に消えていた。
味方部隊が完全に伍号機より退いてしまったのを確認すると、アカリは基地に背を向け、敵主要部隊の方向へ向き直った。
腕を体の前で組み、そして横に腕を振るう。
何でも無い動作であったが、腕が振るわれた数瞬後、離れた所で次々と爆発が起こった。
日光よりも明るい光が伍号機を照らす。
その光景をアカリは無感動に見ていた。
表情からは悲しみも、動揺も、嘲りさえも読み取れない。
爆発が治まると、少し向きを変えてまた腕を振るう。
そしてまた同じ様に戦闘機や戦車、武装が爆発を起こしていった。
それが治まると三度同じことをアカリは繰り返した。
そこに慈悲は無く、ただ殲滅を目的とする機械の様に淡々と攻撃し続けた。
彼女のこれまでの生き方同様に。
伍号機が行動を開始して数分。
たったものの数分で戦場は静かになった。
「敵部隊の全滅を確認しました。
任務完了。これより本部に帰還します。」
感情を交えず基地の方へアカリは報告した。
あまりにも圧倒的で一方的な攻撃に、呆然とした指揮官はアカリに生返事をすることしか出来なかった。
基地の了承を得ると、伍号機は彼方で上がる炎の海を背にして基地を去っていった。
一方で、北海道に飛んだトウジはひたすら耐えていた。
バッテリーを持って千歳に到着したトウジだったが、こちらはあまり余裕は無かった。
広大な敷地のあちこちから火の手が上がり、すでに一部は敵側に侵入を許していた。
到着後、トウジは参号機の肩にバッテリーを装着するとすぐに前線へと走った。
最前線へと飛び出したトウジは、その身をさらして攻撃を一身に受ける。
しばらく様々な弾が飛んできていたが、参号機が出てきたからか、一時その攻撃が止む。
次いで、前線に展開していた部隊を後退させ、数分前までと打って変わって、静寂が場を支配した。
緊張した表情でトウジは前を見つめる。
LCLの中にも関わらず、トウジは口の渇きを覚えた。
仁王立ちで参号機は遠くを睨みつけていた。
「……来よったか!?」
トウジが叫ぶと同時に無数の光がきらめく。
次の瞬間、凄まじい数のミサイルが雨のように降り注いだ。
「ぐっ!!」
激しい衝撃が参号機を襲う。
A.Tフィールドを展開して耐えるが、その衝撃までは防げない。
プラグがシェイクされ、体のあちこちをトウジはぶつけるが、歯を食いしばってそれに耐えていた。
薄く延ばされた金色の壁。
それは基地全体を襲うミサイルを唯一つとして落とさせなどしなかった。
止むことのない嵐。
トウジは避けることも攻撃することも無く、ひたすらにそれに耐え続けていた。
勇んで飛び出していったアスカだったが、量産機との戦いに苦戦を強いられていた。
向かって行っての第一撃こそ量産機に当てることが出来たが、その後が続かなかった。
一気に畳み込もうと目論んだアスカだが、すぐに他の量産機がサポートに回る。
咄嗟にかわした為、ダメージこそ無いがおかげで攻撃の機会を失ってしまった。
(やっぱりダメか……)
ひどく人間的な動きをする。
それが映像で見た時のアスカの量産機に対する感想だった。
淀みの無い、スムーズな動き。
他の機体を即座にカバー出来る連携の良さ。
映像を見てイメージはしていたが、実際に見てみるとその隙の無さがまざまざと分かる。
もしかしたら前に来た時よりも動きは良いかもしれない。
更に相手は九機。
アスカの背中に冷たい汗が流れる。
(出来れば最初ので一機だけでも落としたかったけど……)
このままではやられる。
その考えがアスカの脳裏をよぎる。
何せ、最初の一撃以外に有効打を当てられていない。
アスカの方もダメージらしいダメージは受けていないが、それがいつまで持つか。
「くっ!!」
睨みながらアスカは蹴りを繰り出す。
量産機はそれをガードするが、四号機のパワーが勝ったか、後ろに弾き飛ばされる。
更に四号機は詰め寄り、連続してパンチを放つ。
だが量産機はガードを崩さない。
その隙に他の量産機がアスカに体当たりを仕掛ける。
いち早くそれを察知したアスカはガードをして少しバックステップをする。
威力は吸収出来たが、今度は背後から別の量産機が剣を振るう。
アスカはそのままわざと体勢を崩して、横に振るわれたそれをギリギリでかわした。
続いて更なる剣が四号機に向かって突き立てられる。
機体を横に転がして避けるが、腕をかすめ、傷から紅い体液がにじみ出る。
わずかにアスカの顔が歪む。
だがそれもわずかな時間の事で、すぐにアスカは反撃に転じた。
起き上がりながら、アスカは近くにいた量産機の足を払う。
バランスを崩して地面に倒れる量産機。
その量産機が持っていた剣を奪うと、アスカはそのコアに突き立てた。
手を天に伸ばし、身をピクピクと震わせる。
それもすぐに止まり、量産機は完全に活動を停止した。
「erst……」
アスカは小さな声で呟くと、すぐに次の量産機に掛る。
二体の巨人が振るう大剣がぶつかる。
轟音が空気を震わす。
反動でお互いが体勢を崩し、四号機もたたらを踏んだ。
だがアスカはすぐに体勢を立て直し、弾かれた勢いを利用して横なぎに剣を振るった。
空を切り裂き、剣風が周囲の木々をなぎ倒す。
そしてその先にいる量産機の体を真っ二つに切り離した。
鮮血の様な体液を天に向かって吹き上げながら倒れる。
なおも動こうともがく量産機に、アスカは剣を最初の量産機と同じ様に突き立てた。
「zweite!」
アスカは息を荒げながら叫ぶが、休む暇は与えられなかった。
背筋に寒気を感じたアスカは、倒れこむように四号機を転がした。
その首元を鋭い剣が通り過ぎていった。
慌てて立ち上がったアスカだが、起き上がった所にも量産機の姿があった。
突くように繰り出された剣を、アスカは上半身を反らしてやり過ごす。
その際に無防備になった下半身に向かって蹴りが量産機から出された。
堪らず、アスカは大きくバランスを崩した。
その隙を狙って数体の量産機が一斉に飛び掛る。
機体を捻って最初の一撃をかわす。
だが次の剣での攻撃を避けられないと思ったアスカは、何とか自らの剣で受けようとした。
しかし体勢が悪すぎた。
踏ん張りが効かず、受け止めることは出来たものの、剣ごと四号機は弾き飛ばされた。
倒れこむことは避けたが、休むことなく量産機の攻撃は続く。
すでにアスカの集中力は限界に近づいていた。
わずかだが四号機の動きは鈍り、そのことをアスカ自身も自覚していた。
「ちぃっ!!」
舌打ちしながらもアスカは機体を動かし続ける。
量産機のパンチをギリギリでかわしたところで、アスカは一度間合いを取るべく、真紅の機体を上空に躍らせた。
だがこれはアスカの失策だった。
アスカとしては、連続するギリギリの戦いに磨り減った集中力を取り戻すためだったのだろうが、それを量産機は許さなかった。
着地の瞬間を見計らって、量産機から何本もの剣が同時に投擲された。
それは飛びながら形を変え、ロンギヌスの槍へと変わった。
一本目は四号機の足元に外れた。
だが二本目は確実に右足を貫く。
「アアアアアアアアァァァァァァッ!!!」
アスカの叫びが響く。
叫びの間にももう一本、更に一本と四号機の体を貫く。
更なるアスカの叫びが木霊する。
それでもシンクロ率が以前より低いことが幸いしたか、体の中心を狙って投げられた物は何とかフィールドを展開し、角度を変えてかろうじて避けた。
だが、すでにアスカに戦う力は残されていなかった。
足を襲う激しい痛みに、視界がかすむ。
(また…ダメなの……?)
アスカの脳裏に三年前が蘇る。
貫かれる眼球
貫かれる肉体
犯されるカラダ
喰われる手足
捕食される臓腑
(動け……)
恐怖に駆られ、トリガーを激しく動かす。
(動け、動け…動きなさいよ……)
ガチャガチャ、という音だけが空しく響く。
「動きなさい…速く動きなさいよ……」
量産機が動き始めたのがアスカの目にも入る。
だが、四号機は鈍い動作で移動するばかり。
四号機には母は居ない。
四号機はアスカの願いにも何も応えてはくれなかった。
目前に迫る量産機。
勝負を決めるために、一気に四号機に襲い掛かる。
殴られる四号機。
蹴り飛ばされるアスカ。
有り得ない方向へ曲がる腕。
鈍い音を立てる膝。
視界が漆黒にそまりそうになる。
痛みに悲鳴を上げ、アスカは意識を手放したくなる誘惑に襲われた。
それでもアスカは耐えた。
今出来る、最大の強度のフィールドをアスカは展開した。
もっと強く、固く…
目を閉じ、心で強く念じる。
作り出された拒絶の壁は、殴りかかる量産機からアスカを守った。
量産機は拳を振り上げ、A.Tフィールドの壁を何度も殴る。
しかし、アスカ全力の、結界とも言えるまでに強くなったフィールドはびくともしない。
そこで量産機は一旦皆退いた。
そしてまだ手元に剣を持っていた量産機が、それを槍に変化させる。
投擲体勢に入る量産機。
あらん限りの力を持って、量産機は神殺しの槍を投げた。
空気を切り裂く音が響き、次いで槍がフィールドと接触する。
火花が散り、辺りを焦げ臭い匂いが満たす。
だが、レプリカとは言えロンギヌスの槍。
アンチA.Tフィールドを発生させるそれは、徐々にアスカのフィールドを切り裂いていった。
その光景を、アスカはじっと見つめていた。
槍の先端はすでにフィールドを通り抜けていた。
今フィールドを消せば、確実に槍は四号機を貫く。
かと言って、このままでもいずれは槍は自分を貫くだろう。
まさに八方塞り。
スローで流れる目の前の光景をアスカはどこか他人事の様に見ていた。
槍はもう叉の部分まで貫通していた。
アスカは諦めた様に目を閉じた。
何かが砕ける音がした。
それに伴ってアスカの意識は闇に閉ざされ……無かった。
恐る恐るアスカが目を開けると、そこには新たな巨人が槍を真っ二つに折り砕いていた。
「バカ……遅いわよ……」
後編へ