貴方は笑いますか?彼女の行動を
貴女は哀れみますか?彼の想いを
アナタは分かりますか?何が正しいのかを
アナタは知っていますか?正解など無いかもしれない事を
私は何も分かりません
ただアナタが正解を知らないことだけは知っています
Mariya Eina
「MAGIのチェックは予定通りヒトマルフタマルに終了します。なお……」
発令所にオペレータの綺麗な声が響き渡る。
だがそれも聞こえているのか、皆一心不乱にそれぞれの仕事に取り掛かっていた。
アナウンスに誰一人反応した様子は無い。
軍艦のブリッジを模して作られた発令所の中段。
そこでカスパーの下部がせり上げられ、ところどころ錆びたパイプを晒していた。
薄暗く狭い、かろうじて人一人入れるほどの通路の中に白衣を着た女性が横たわっていた。
レンチを持って何やらいじっていたが、やがて起き上がると手元の端末を引き寄せる。
通路の壁にもたれかかって端末を叩き始めた。
三年前も十分速かったが、今現在キーボードを叩いているその速度は当時より更に速い。
手がいくつにも増えた様に素早く打ち、様々なプログラムがモニターを流れる。
しばらくカタカタ、とキーを押す音がしていたが、不意に止まる。
マヤは口元を隠してブツブツ言っていたが、またすぐに打ち込み始めた。
またしばらくキータッチの音が鳴る。
どれくらい時間が経ったか、マヤは手を休めて頭を壁に預けた。
白衣の袖で額の汗を拭う。
普段光が差し込まない通路は、発令所の少し強い空調と相まって少し肌寒い。
ひんやりした空気が肌を刺し、背中から伝わる冷たさもあって、マヤは少し身震いした。
(これで大体は終わった、と……)
予定していたMAGIの改良はほとんど終わった。
後は放っておいてもMAGIが勝手にやってくれる。
技術部総出で取り掛かったがそれでも五日掛かった。
皆で交代しながらやったが、最後の三日間はほとんど徹夜に近い。
マヤは自分の頬に手を遣った。
次いで額、と顔のあちこちを触って肌の様子を確かめてみる。
幸いにして荒れてはいないようだ。
まだまだ自分でも若いとは思っているが、体は正直である。
体は泥の様に重い。
(これが終わったら、しばらくお休みをもらおうかしら……)
そんな事を考えながらマヤはMAGIの中からはい出した。
立ち上がろうとしたが、足が重い。
気が抜けたのか、先程より更にきつい。
マヤは白衣に付いた埃を軽く払いながら、そばにあったパイプ椅子に腰掛けた。
自分の部屋から持ってきていたポットから紅茶を注ぐ。
ほのかに良い香りがマヤの鼻腔をくすぐり、安堵の溜息を吐いた。
口に一口含むと、苦さと甘さが微妙に合わさった味が口の中に広がる。
そうしてマヤは休憩を楽しんでいたが、それもすぐ終わった。
「あの、伊吹部長……」
申し訳無さそうに女性職員がマヤに声を掛けた。
技術部員である彼女は、まだネルフに入って間もないが、優秀な人物であり、その為マヤも覚えていた。
「どうしたの?どこか問題がありました?」
「いえ、MAGIとは直接関係は無いんですが……」
言い難そうにヨウコは口ごもった。
MAGIの改良が終わったとは言え、まだやることはある。
マヤは、普段から萎縮してしまいがちなヨウコを驚かせないよう、落ち着いた口調で先を急かす。
「構わないわ。些細な事でも良いから言ってください。」
「は、はい。実は……」
ヨウコに連れられてオペレータ席にマヤは来た。
モニターの端に隔離されてある一つのフォルダがあった。
ヨウコの話によると、数分前に急に画面上に現れたらしい。
ウィルスチェックなどもしてみたが、特に異常も見当たらず、フォルダを開こうとしたが出来ず、マヤに報告に上がった、との事。
久々にオペレータ席に座ったマヤは、そのシートの固さを懐かしんでいたが、すぐにフォルダに取り掛かる。
マヤ自身も開こうとするが、彼女の報告通り開けない。
通常の方法を色々と試してみたが結果は変わらなかった。
(変ね……)
顎に手を当ててマヤは考える。
怪しくはあるが、放置していても特に害は無さそうである。
時間はいくらあっても足りないくらい。
このような些事に拘らず、優先するべき事があるのではないか。
だが、マヤは何かこのファイルが気に掛かった。
科学者が第六感などとやたらに信じるべきでは無いとは思うが、何故か気になる。
(やってみようかな……)
端末を操作して、MAGI自身にこのファイルを探らせる。
それを見たヨウコが慌ててマヤを止める。
「あ、あの、そこまでしなくても……」
彼女とて技術部員。いくらでもする事があるのは知っている。
自分の所為で作業に遅れが出る、と焦っているのがマヤには分かった。
そんな様子が、かつての自分とダブって見え、マヤの口元が緩む。
「気にしないで下さい。私も気になりますから。
それに不安材料は少しでも取り除いておきたいじゃない?」
だから気にしないで、とウインクしながらマヤは笑いかけた。
責任が無くなった事で安心したのか、ヨウコも少し笑みを浮かべる。
その間もMAGIはプロテクトを外す為、様々なプログラムを走らせる。
数分が経った頃、小さな警告音と共に解除のメッセージがモニターに出る。
幾許かの期待と不安を胸に抱きながら、マヤはそのフォルダを開いた。
直後、発令所全体に警報が大音量で轟いた。
第壱拾九話 未来へ
第三新東京市外れにたくさんの石が並んでいる。
入り口付近から続く、全く同じ形の墓標がどこまでも続いていた。
未だ夏が続く日本だが、空は曇り、少し寒く感じられる。
冷たい、山からの吹き下ろしの風が墓地を流れる。
その中を一つの影が進んでいた。
手に花を抱え、学校の制服を着たコウヘイは他の墓を一瞥だにせず、真っ直ぐ奥へと足を進めた。
何処までも続くかに思われた共同墓地だが、ある所を境に墓標の形がわずかに変わる。
それまでの簡単ながらも装飾が施された墓標と異なり、ただ単に一本の板状の石が地面から生えているのみ。
それらに書かれている数字は、全て2016から2018で止まっていた。
その中の一つの前でコウヘイの足が止まる。
ただ簡潔に、YUNA OKI 2000〜2017と書かれた墓標をコウヘイは無言で見つめる。
そっと花束を地面に置き、手を合わせて目を瞑る。
じっと目を閉じてコウヘイは祈る。
合わせた手を解き、目を開いて立ち上がっても、コウヘイはしばらく墓標を見続けた。
やや強い風がコウヘイの少し長い髪を揺らす。
分けていた前髪が乱れ、目を隠した。
邪魔になるであろう前髪をかき上げもせず、コウヘイは体を反転させる。
墓を後にしようとしたコウヘイだが、数メートル歩いたところで立ち止まった。
「お墓参り?」
「なんだ…アカリか……
墓地でやることつったら、それしかねえだろ?」
「誰のお墓?」
「……姉ちゃんのだよ。
二年前に混乱の中で死んだんだ……」
「そう……」
「そう言うお前こそ何でここに居るんだよ?
まさか俺をつけてたとか?
そんなストーカーする位俺の事好きなら、いつでも言ってくれればいいのにぃ。」
いつでも俺はオッケーよん、とコウヘイはおどけて見せる。
「墓地でやることは一つ、そう言ったのはコウヘイでしょ?」
「そっか、そりゃそうだな。」
残念残念、と頭を掻きながらコウヘイは笑った。
アカリはそれを見て、一つ溜息を吐いた。
コウヘイがバカを言って、アカリが無言で溜息を吐く。
いつもネルフで繰り広げられる光景。
それを思い、笑顔を浮かべていたコウヘイだが、不意に笑みが消える。
「なあ…アカリはどうするんだ……?」
「……私は残るよ…
他に行く所も無いし、ネルフは気に入ってるから。」
「そっか……」
「コウヘイはどうするの?」
「俺か……どうすっかなぁ……」
「……」
「正直、迷ってる……
昔のネルフがあんなとこだったとは思わなかったし、シンジさんのしたことは許せないけど同情出来るから……」
「……昔の事は関係ないわよ……
大切なのは私達に関係あることだけ。過去なんてどうでもいい。興味無いわ。」
「…珍しく饒舌だね。
普段からそれ位しゃべってくれればもっと可愛いのに。」
「余計なお世話よ。またボコるわよ。」
プイ、とコウヘイに背を向ける。
そして先に帰る、と告げると振り返ることなくアカリは歩き出した。
それを見ながらコウヘイは笑い声を上げていたが、アカリの姿が見えなくなると空を見上げた。
どんよりと曇っていたが、今はわずかに光が差し込んでいた。
先程より幾分暖かい風がコウヘイの髪を揺らす。
その風を黙って受け止めていたが、携帯が鳴ってコウヘイはポケットからそれを取り出した。
画面に映し出された呼び出し相手を見て、コウヘイは逡巡するが、すぐに受話ボタンを押した。
「はい、大木です―――」
「どうしたの!?」
耳をつんざくほどの警報が鳴り響く中、マヤは叫び声を上げた。
先程までとは違った緊迫した空気が発令所を満たす。
「何処からかハッキングを受けています!」
「くそっ!!速い!!」
「ダメです!押されてます!!」
「落ち着け!
今までやったシュミレーション通りやれば大丈夫だ!」
冬月が叫びながら指示を出す。
その喝に少し落ち着いたのか、発令所は恐慌からはやや脱した。
それでも状況が大きく好転したわけではない。
何とか侵攻を食い止めようと、オペレータ達が激しく端末を叩き続ける。
だが侵攻を遅くするのが精一杯だった。
「保安部のメインパスを探ってます!」
「何て速度だ……!」
「逆探に成功……!発信源は発令所!!ここです!!」
報告にマヤは唇を噛み締めた。
予想はしていたが、やはり先程開いたファイルに何かが仕掛けられていたのだ。
だがそれでも妙だった。
こちらが展開する防壁を次々と回避するなら、どこかに人間が居なければならない。
例え、先程のファイルが何らかしらの切欠だったとしても。
だが発令所にそんな事をする者はいない。
ならば何者なのか。
そこまで考えた時、マヤを既視感が襲った。
似たような事が前に無かったか。
ネルフ内からハッキングを仕掛けて、次々と防壁を突破した存在。
尋常ならざる速度で侵攻し、ドンドンと自己進化を推し進めて最後に消えた相手。
(まさか……!)
次の瞬間、マヤは先程のモニターにかじりついた。
そしてマヤはファイルを削除するつもりでモニターに目を移したのだが、画面を見てマヤの背中は凍りついた。
おびただしいまでの文字が次々とモニターを埋めていた。
それらが凄まじい速度で消えていき、また新たな文字列が生み出される。
まるで生物がモニターの中に息づいているかのように。
「状況は!?何が起こってるの!?」
マヤが凍りついている後ろで、ミサトとトオルが走りこんで来た。
ミサトの叫びでマヤも我に返った。
(落ち着いて…落ち着くのよ……)
マヤは自分に言い聞かせる。
四年前と同じなら、同じ手順を踏めば良い。
マヤは必死で自分の記憶を探った。
後ろでは、ミサトが現場に居合わせた作戦部員を捕まえて事情を聞いている。
その声が、周りの喧騒がマヤの思考の邪魔をする。
「部長!」
「黙って!!」
ヨウコの悲痛とも言える叫びを黙らせて、マヤは更に記憶を探った。
(MAGIの物理的消去を提案します!)
違う!
(進化の行き着く先は…死、か)
違うわ!それじゃ間に合わない!
確か…その前にしたことがあったはずだわ。
(ロジックモードを変更!)
「MAGIのロジックモードを変更して!!
シンクロコードを15秒単位にしてください!!」
ブツブツと言っていたマヤが突如叫ぶ。
だがオペレータのほとんどが新しく入った職員。
初めて聞く指示に、どうしてよいか分からず動きが止まる。
そんな中、マヤの隣に居たヨウコだけがすぐさま指示を実行しに席へ走る。
マヤに劣らない速度で素早くキーを叩く。
それに伴い、侵攻速度が著しく低下した。
発令所に安堵の溜息が漏れる。
「何をしたの?」
「四年前の使徒のときと同じです。
何とか侵攻速度を遅くしました。」
ミサトの質問にマヤが説明する。
理屈は良く分からなかったが、四年前と言われてミサトは納得した。
「使徒が来たの?」
「それは分かりません……」
「それは無い。」
自信無さ気にマヤは口をつぐんだが、上部の方から低い声で否定の答えが返って来た。
「司令……」
「使徒が来ることはもう無い。」
「ではどうして?」
「それは分からん。
だが、敵の攻撃が始まるのかもしれん。」
ゲンドウのその言葉にミサトはハッとする。
三年前も同様にMAGIのハッキングから戦自の侵攻は始まった。
それを思い出したミサトは、慌ててトオルの方を振り向いた。
「トオル君!!」
「大丈夫です。すでに警戒するよう指示を出しておきました。」
端末のスイッチを切りながらトオルが答える。
その顔には得意気な色も何も浮かんでいない。
ただ当然の事を当たり前の様にしただけ。
そんな感じが伺えた。
「流石。仕事が早いわね。」
「最善と思われる事をするのは当然の事です。
申し訳ないですが、ネルフのこういった対人の対応がお粗末過ぎるだけです。」
「厳しいわね。
まあいいわ。全方位で最大限の警戒を取るよう通達してちょうだい。」
「了解。」
手短に返事をすると、トオルは発令所を出て行った。
店とはあまりにも違うトオルに、ミサトは軽く溜息を吐いた。
「マヤちゃんも大至急対策を。
前と一緒ならすぐ出来るわよね?」
「ええ、幸いにも以前のものが残ってますから一時間もあれば改良できるかと思います。」
「伊吹部長!」
ミサトの命令にマヤも了解するが、その時ヨウコがマヤを呼ぶ。
「どうしたの?」
「これを……」
ヨウコの指し示す先は先程のモニターだった。
そこにはすでに止まってしまった、作りかけのプログラムがあった。
「これ…止まってる……
どういうことかしら…?」
シンクロコードを弄って、演算速度を低下させはしたが、完全に止まったはずは無かった。
だが現実に、先程まで凄まじい速度で形成されていたプログラムは完全に止まっていた。
どういうことか調べようと、端末に触れようとした時、突如として再び文字が打たれ始めた。
驚いたマヤは、慌てて飛びのくが、今度はすぐに文字列は終わった。
そして日本語で書かれていたそれを見て、マヤは目を見開いた。
「葛城さん!!」
すぐさまマヤはミサトを呼び止めた。
自分に出来ることは無いと思ったミサトは、発令所を出て行こうとしていたが、呼び止められてマヤの所へ戻ってくる。
そしてミサトもモニターを見て絶句した。
「……本日13時頃にそちらに全部隊が向かいます。
首謀者はアルバート=ローラント。別の言葉で読み替えると……」
「アルベルト=ローレンツ……」
「どういうことですか、碇司令!?
ゼーレの連中は全員帰ってこなかったんじゃ無いんですか!?」
鬼気迫る表情で、ミサトはゲンドウに食って掛かった。
手で口元を隠した、いつものポーズでゲンドウは返答する。
「老人達は確かに誰一人帰っては来なかった。それは間違い無い。」
「実は老人達だけでなく、ゼーレの中心に居った者も少しずつ力を削いでいっていたのだが…」
ゲンドウの言葉を引き継いだ冬月だが、最後で顔をしかめて言葉を詰まらせた。
「だがキールに身内がいた、という情報は無かったはずだ。」
「では何者かがその名を騙っていると?」
「現状では何も分からんよ。
もしかしたらそれも我々を混乱させるための情報かもしれん。
こちらでも情報収集に当たってみるから、君達もそれぞれの仕事を進めてくれたまえ。」
冬月の言葉に従って、ミサトは引き下がった。
「結局まだ何も分かんないのよねぇ…
さっきの奴も信憑性のある、何か証拠みたいな物があれば良いんだけど……」
「あの、葛城さん…」
ぼやくミサトに、マヤが声を掛けた。
「最後に何かイニシャルらしきものが書いてあるんですけど…」
「ん〜…どれ?」
「ここです。」
もう一度ミサトが画面を覗き込むと、確かに本文と間を置いてイニシャルらしき文字が書かれていた。
怪訝な顔を浮かべるミサトだが、すぐに血相を変えてある所に電話を掛ける。
だが、返って来るのはコール音のみ。
この番号に掛けて、相手が出ないのはそう珍しいことではない。
しかし、ミサトは何か胸騒ぎを感じていた。
小さく舌打ちすると、またすぐに別の所に電話を掛ける。
「あっもしもし?
いますぐ今から言う電話番号の家を調べてちょうだい。
そう、大至急。
番号は……」
電話に出た諜報部員に、ミサトは番号を伝える。
その番号を聞いた瞬間、今度はマヤが慌て始めた。
「葛城さん!それって先輩の番号じゃないですか!?」
「そうよ。
なぁんかまずい予感がするのよね……」
「でも!」
「苦情は後で聞くわ。
泥棒みたいな真似してリツコには悪いけど……」
ミサトの頬を冷たい汗が流れる。
手にしていた携帯がわずかにきしんだ。
NEON GENESIS EVANGELION
EPISODE 19
The War
「え〜、赤木博士の自宅と思われる場所を捜索しましたが、本人は見つかりませんでした。」
司令室で、ミサトが報告書を読み上げる。
極力ミサトは感情を排したつもりだったが、わずかに苦渋の表情が見て取れた。
「室内は一部荒された痕跡があり、また数ヶ月以上使用されていない模様で、埃もかなり溜まっていました。
更に数ヶ所に血痕も発見されました。
ただこちらにつきましては誰の者かは確認中です。」
ミサトの報告に、ゲンドウも冬月を顔をしかめる。
「まずいな……
無事だと良いが……」
「赤木博士には保安部員はついていなかったんですか?」
「リツコ君の要望でな。
穏やかに暮らしたいとの事で、ネルフとは一切関係を切っていたのだよ。」
「しかし……」
「ああ、判断が甘かったと言わざるを得ないだろうな。」
判断が甘いどころの話では無い。
そうミサトは思ったが、今更言ってもしょうが無いことなので、口には出さなかった。
納得していないミサトを見てか、ゲンドウが口を開いた。
「…彼女は今幸せに暮らしていたはずだ。
その邪魔をしたくは無かった。」
「……司令は何かご存知なのですか?
リツコが何をしていたのか。」
「詳しい事は知らん。
だが、彼女が幸せな生活をしていたことは聞いている。」
それきりゲンドウは口を閉ざした。
苛立たしげにミサトは腕時計を見る。
時間はすでに12時を回った。
予定の時刻まで幾らも無い。
ミサトはそれ以上の質問を切って、司令室を出ることにした。
「…時間も無いようなので、一度失礼致します。
また何か分かりましたら……」
ミサトが退出の言葉を述べていた時、ゲンドウの机上の電話が鳴った。
「今報告中だ……後にしろ……
何だと!?」
それまで鬱陶しそうに電話を受けていたゲンドウが、突如として叫びながら立ち上がった。
とりあえずの指示を電話で伝え、受話器を置く。
「どうしたのだ、碇?」
「まずい知らせだ……
アメリカなどが日本に宣戦布告してきた……」
それは突然やってきた。
ちょうど昼時で、戦自隊員は一部を除いて食堂に会していた。
決して美味とは言えないが、訓練の後の食事はうまい。
皆顔を綻ばせて、各々の食事にありついていた。
雑談で騒がしい食堂。
だが、それも一気に静まり返った。
全施設に鳴り響く警報。
次いで頭上に降りかかる緊急放送。
隊員達はすぐに席を立ち、出撃の準備に取り掛かった。
しかし、その装備が使用されることは無かった。
一瞬の後、その施設は火に包まれた。
「状況を!!」
再び発令所に駆け込んできたミサトが叫ぶ。
だが、先程以上の喧騒に包まれた発令所内で、ミサトの声は届かない。
「状況を説明しなさい!!
相手は!?具体的に何が起きたの!?」
「葛城さん!」
ミサトの声にようやく気付いたマコトがミサトに駆け寄る。
「ちょうど良かったわ!状況を説明して!」
「はい。
まずアメリカが日本に突如として宣戦布告。それとほぼ同時刻、厚木と入間が急襲されました。
現在は厚木を戦自は破棄。入間の方はまだ何とか保っています。」
「九州から入電!!中国からの攻撃を確認!」
「千歳からも入電しました!
『我、イラクカラノ攻撃ヲ確認。コレヨリ迎撃ス』」
マコトの報告中に、次々と電報が飛び込んでくる。
それは、日本全土が南から北まで攻撃を受けていることを表すものだった。
「日本政府は!?」
「政府の奴らは皆逃げ腰ですよ。
和平交渉とこちらには言いながら逃げ支度してます。」
「ちっ!自分達で蒔いた種でしょう!」
「連中はあくまで自分達を盾代わりに使う様ですよ。」
どうしますか、と尋ねるマコト。
ミサトは少し考えたが、すぐに判断を下した。
「厚木と入間に救援を送ります!
子供達は?」
「鈴原三尉はすでに搭乗しています。
柳井軍曹と大木特務伍長は現在こちらに向かっており、間もなく到着します。」
「アスカは?」
「惣流二尉もケージに向かっています。
発進準備完了まで後360秒です。」
「ならキャリアーでトウジ君を千歳に。
そして到着次第アカリを九州に、コウヘイ君は厚木と入間の援護をさせて。」
「アスカちゃんは使わないんですか?」
マコトが少し驚いた表情でミサトに尋ねる。
トウジを除いては、今一番近くにおり、状況判断、操縦技術どれをとっても問題無い。
故にマコトの疑問はもっともだったが、ミサトは、だからだ、と答えた。
「十中八九、まもなくここにあちらさんのメインがここに来るわ。
戦自を見捨てるわけにはいかないけど、最大の戦力は取っておきたいのよ。」
そう告げた数分後、数時間前に鳴り響いた警告音が再びMAGIから鳴り出す。
「来たの!?」
ミサトの叫びに、オペレーターの一人が返答する。
「再びハッキングを受けています!」
「相手は!?」
「少なくともMAGIタイプが四つ!
アメリカ、中国、フランス、イギリスです!」
「マヤちゃん!!」
「大丈夫です!相手がMAGIタイプなら対応出来ます!」
「エヴァの発進に影響は!?」
「問題ありません!」
「ならすぐにトウジ君を出して!」
ミサトの指示に、オペレーターがキーを叩く。
それと共に、準備が完了したキャリアウイングが白煙を上げて離陸していった。
それをモニター越しに見送ると、ミサトはすぐに次の確認作業に移る。
「マヤちゃんの方はどう?」
「大丈夫です、押し返してます。
この調子なら666プロテクトを使う必要もありません。」
マヤの返事にミサトはホッと胸を撫で下ろした。
ミサトとしてもMAGIの機能が落ちてしまう、第666プロテクトを使いたくは無かった。
何が起こるか分からない状況で、不安は少しでも取り除いておくことに越したことは無い。
だが、ミサトは何処か胸騒ぎを感じていた。
MAGIを誤魔化すことが出来るほどの能力を持ったコンピュータ。
それがまだ姿を現していなかった。
「海上から何か報告はあった?」
「いえ、まだ何も……」
「そう……」
海上に配置した巡視艇からの報告をミサトは尋ねるが、マコトからは姿を現したとの報告は返って来なかった。
ミサトはまた腕時計を見た。
時刻はまもなく一時。
やはり先程の情報はガセだったのか。
そう思い始めたミサトだが、その耳にマヤの声が入った。
「……変ね…」
そう呟くマヤの視線の先には、彼我の状態を表すモニターがあった。
仕掛けてきた相手を一気に押し返し、状況は明らかにネルフ側の有利。
しかし、最後の一押しが効いていなかった。
「どうしたの?」
「いえ、時間の問題だとは思うんですが中々向こうが陥落しなくて。」
ミサトもモニターを覗き込む。
そこには戦力差を表すグラフが、一定の振幅・周期で増減を繰り返していた。
(まさか……!?)
ひったくるように、ミサトはそばにあった、巡視艇との回線用受話器を取る。
この悪い予想が外れて欲しい。
心からそう願ったミサトだったが、現実はその希望をあっさりと打ち砕いた。
「……ダメだわ。回線が繋がってないわ。」
「そんな!MAGIは何もされてないんですよ!?」
「現実よ、受け止めなさい。
……これでリツコが関わってる可能性が高くなったわね。」
MAGIは赤木親子が作り上げた、世界最高と言っても過言では無いコンピュータ。
並みのコンピュータではこうもあっさり誤魔化されることは有り得ない。
それが可能なのは、MAGIを恐らく最も知り尽くしているであろうリツコしか考えられなかった。
「そんな……先輩が……」
「アタシだって信じたくないわよ。
ともかくマヤちゃんは大至急でMAGIのチェックをお願い。
それと666プロテクトを。」
「……分かりました。」
マヤは力なく返事をした。
だがミサトにはマヤにかまっている暇は無い。
トオルに連絡を取るべく無線端末を取り出した。
「トオル君!?目視で付近に何か来てない!?」
「いえ、まだ何も見えませんが……
どうかしたんですか?」
「相手にしてやられたわ。
MAGIがいつの間にかやられてて海上と連絡が取れないわ。
十分注意しておいて。上空も地上も。」
「葛城二佐からですか?」
無線を切ったトオルに側近を務める隊員が話しかけた。
その問いかけに、トオルは無言で頷いた。
「そっちはどうだ?何か動きはあったか?」
「たった今報告がありまして、第三新東京市周辺の山に多数の部隊が潜んでるようです。」
「こちらの動きは?」
「まだ気付かれていません。」
「市民の様子はどうだ?」
「すでに避難はほぼ完了しています。
元々ネルフの人間以外は前回の襲来以降多くが疎開していますから。」
「そうか……」
報告を聞いたトオルは時間を確認した。
一時より少し前。
表情を引き締めたトオルは、殊更低い声で作戦開始の指示を出した。
「第二小隊に連絡。
これから敵を急襲する。
繰り返す。これより敵を急襲する。」
芦ノ湖を囲む茂みの中、彼らは今か今かと来るときを待っていた。
迷彩服に身を包み、手にはずっしりとした感触のアサルトライフル。
黒光りする銃身が頼もしく見える。
息を潜めて待っていた彼らに、無線連絡が入る。
まもなく作戦を開始する旨が伝えられる。
緊張して、体に力が入った。
その時だった。
少し離れた所から銃声が轟いた。
続いて爆音。
あちこちに火の手が上がり、熱風が彼らのむき出しの顔を焼く。
タタタタタ……
轟音と軽い銃声が交互に鳴り響いていた。
「shit!!」
まだ作戦開始の連絡は来ていない。
自分には連絡が来ていないのか。
一瞬パニックに陥りかけるが、頭を振って何とか冷静さを取り戻そうとする。
だが、自分のすぐ近くを銃弾が通り過ぎた。
それが彼の体に緊張をもたらし、落ち着かせるのを妨げる。
更に近くに爆発音が響き、彼を大きく吹き飛ばした。
「shit!shit!shit!!」
ここに来て、いい加減彼も状況を悟った。
こちらから仕掛けたのでは無い。
こちらが攻撃を受けているのだ、と。
焦りと不安。
何処から来ているのか分からない攻撃に、彼は大声で悪態を吐いた。
彼の耳元を熱い弾がかすめていく。
緊張と、四方から押し寄せる熱風と焦りによる汗が彼の全身を流れ落ちる。
体が重い。
自分の体はこんなにも重いものだったか。
思うように動いてくれない自らの体に、彼はもう一度悪態を吐き捨てた。
ずっしりと、先程とは違った感触のライフルを必死で振り回して、彼は応戦した。
敵の姿が見えない。
その事が彼を不安と恐怖に陥れる。
気付けば視界が紅かった。
目がかすむ。
いつの間にか負傷していたらしい額から血が流れ落ち、片方の視界を塞ぐ。
体を確認すれば、迷彩服のあちこちに血が付着している。
痛みは感じないが、それは自らのもので間違いは無い。
確かに痛くは無いが、まずいことだと彼は感じた。
精神が高揚して、痛覚が麻痺している。
そしてそれは自分から冷静さを奪っているのだと思った。
彼は地面に伏せ、思い切って深呼吸をした。
常々、彼は戦場で大切なものは冷静な判断だと考えている。
決して指揮官では無いが、行く行くは、とも思っている。
その為には、今ここで命を落とすわけにはいかない。
撤退命令など来てはいないが、ここに居てはどの道もうだめだろう。
指揮官になるために必要なのは、第一に命、次いで的確な判断力だ。
自分でそう結論付けると、生き残るために彼はここを去ることにした。
きちんと周囲に注意を払いながら立ち上がり、ゆっくりと後退し始めた。
茂みに擦れる音、それすらにも気を付けて。
一歩、また一歩と下がる。
彼は後ろを振り向き、誰もいないことを確認した。
今だ。
そう判断した彼は、低くした身を起こすと一気に走り始めようとした。
しかし、次の瞬間彼は崩れ落ちた。
足の力が抜け、視界が赤から真紅に変わり、次いで黒く染まって行った。
そして自らが作り出した血溜りの中に倒れこんだ。
「悪いな。こっちも死にたくないんでな。」
冷たくなった彼に頭上から声が掛けられる。
SSDFと書かれた迷彩服に身を包んだ男は、わずかに飛び散った血を拭うと空を見上げた。
「……そろそろか…」
遥か彼方に小さく飛行機らしき物が見える。
男は視線を足元の男に移すと、そのまま無言で立ち去った。
後には真っ赤に染まった死体と、深々と首筋に刺さったナイフだけが残されていた。
「ミサト!!まだなの!?」
逸る気持ちを抑えきれず、アスカはエントリープラグから叫んだ。
その声に、ミサトも作業を止めてアスカをたしなめる。
「落ち着きなさい、アスカ。
焦ってもいい事は無いわよ。」
「分かってるわよ。
でもずっとこんなとこに居て待つだけなんて性に合わないのよ。」
三年前の借りを返す時が来た。
アスカはそう息巻いた。
ミサトとしてもその気持ちは痛いほど分かった。
生きながらにして喰われていくという苦痛と屈辱。
復活時に屈辱感は喪失したとしても、その時の記憶と苦痛は忘れられない。
アスカにとって、これはチャンスでもあるのだ。
全てを払拭するための。
だから気持ちが昂ぶるのも仕方ないとミサトは思う。
それでもここは抑えるところだ。
ミサトは冷静にアスカを落ち着かせる。
「アスカ。」
「何よ!?」
「作戦時に一番大切なのは何?」
「こんな時に何よ!?」
「いいから。」
「……冷静な判断力…?」
それはこの三年間でアスカに教え込んだこと。
指揮官としての素質を伸ばすために、当時のアスカには一番必要なことだった。
「今の貴女がそれを出来ると思う?」
決して怒っているのでも、責めているでも無く、ただ静かにミサトは尋ねた。
その言い方にアスカも勢いを削がれる。
「貴女の力を発揮できるよう、今は心を落ち着けておきなさい。」
「……分かったわ。」
ミサトはアスカとの通信を切ると、小さく溜息を吐いた。
「大変ですね。」
後ろから声を掛けられ、ミサトが振り向くとマコトがカップを持って立っていた。
暖かい、湯気が立ち上るそれをミサトに渡す。
「ありがと。」
「マヤちゃんからもらいました。
落ち着きたい時にいいそうですよ。」
薄めの茶色い液体から芳しい香が漂う。
それを一口含んで、ミサトは安堵の溜息を吐いた。
「アスカにも飲ませてやりたいわね。」
「大分意気込んでましたからね。」
「気持ちは分かるんだけどねぇ……
何か心配なのよ。」
「完全にお姉さんしてますね。」
マコトが笑いながら茶化す。
ミサトも笑って返すが、目は笑うことが出来なかった。
ただ黙って紅茶を口に含むだけだった。
一時を大分過ぎた頃、ミサトの持つ無線に連絡が入った。
「はい…
そう、分かりました。じゃあ予定通りに。」
無線を切り、ミサトは大きく息を吸い込んだ。
「目標の飛来を確認。
これより作戦を開始します。」
切り替えられたモニターには、望遠カメラで捕らえられた戦闘機の集団が映し出されていた。
そしてその中心には、鳥が編隊を組むように、白い機体が翼を広げていた。
続劇
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