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トンネルの先に:JR不採用23年/中 1047人の苦難

「ecoおといねっぷ」で木工品作りをする小西さん(左)。生活資金のため、こうした事業体が全国に22設立された=木葉健二撮影
「ecoおといねっぷ」で木工品作りをする小西さん(左)。生活資金のため、こうした事業体が全国に22設立された=木葉健二撮影

 ◇「国は多くの人生狂わせた」 誇り奪った合理化

 「息子は国労を抜けたくても、仲間を裏切れないと板挟みになっていたと思う。当時の国鉄労使は許せないという思いがあります」。取材に77歳の男性は声を震わせた。国労組合員だった息子は87年の国鉄分割民営化の1年前、余剰人員を収容する「人材活用センター」に配転され、寮から身を投げた。遺書には「もうつかれました」などとあった。

 民営化前後、150人以上ともいわれる国鉄職員が自殺。関西学院大の野田正彰教授(精神病理学)は国鉄当局などを調査し、87年に「国鉄マンよ、もう死ぬな」という論文を月刊誌に発表した。「当時の国鉄職場はすさみきっていた。組合つぶしに始まり、『あいつは国鉄清算事業団送りだ』とか、『仲間を裏切った』などの言葉が飛び交っていた」

 野田さんが見た人活センターでは汚れた一室に約50人が閉じこめられ、廃棄された線路を使って文鎮作りを強いられていた。「意味ある合理化なら人は死なない。誇りを奪う荒廃した職場を政府が作ってしまった」と憤りを覚えた。

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 「お父さんにもっともっとそばにいてほしかった。今日の姿を近くで見てほしかったよ」。福岡県直方市の百崎(ももざき)清美さん(25)は昨秋挙げた結婚式で、01年に45歳の若さで病死した父一彦さんへの手紙を読みあげ、出席者の涙を誘った。

 運転士だった一彦さんはJRに採用されず、アルバイト生活を送った。幼い清美さんが「なぜ運転士をやめたの」と聞くと、「友達のためだよ」と答えたという。

 妻節子さん(52)は「国労を抜けたらJRに残れる」と上司に言われ、悩んでいた夫の姿を思う。今回の政治決着を歓迎しつつ、「家庭のため組合を変えた人たちも同様に苦しんだ。国は多くの人生を狂わせた責任を感じてほしい」。90年に事業団を解雇された1047人のうち、すでに61人が亡くなった。

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 住民900人弱と北海道一少ない音威子府(おといねっぷ)村。JR復帰を訴える約40人の国労組合員と家族が91年以降、木工品やみそなどを作って得た収入を分け合う「事業体」を運営している。手取りは1世帯十数万円しかなく、村の除雪作業などのアルバイトもする。千見寺(ちけんじ)正幸村長は「彼らには幸せになってほしいが、JRに復帰して村を出ていかれるのも困る」と複雑だ。

 小西邦広さん(52)は村の木工品教室の指導をするまでに上達し、今後も過疎の村に残る。「(決着で)自分が間違っていないと証明できた。支えてくれた村に恩返ししたいし、国鉄勤務の倍の20年も木工をやってしまったのだから」

 取り戻せない年月が過ぎていた。

毎日新聞 2010年5月4日 東京朝刊

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