国鉄文鎮はどこへいった 信濃毎日コラム 「今日の視角」より |
3月18日に与党三党と公明党が「解決案」を政府に提出した。翌19日、信濃毎日新聞の夕刊コラム「今日の視角」では、野田正彰氏(精神科医、評論家、ノンフィクション作家)が、分割・民営化当時の国労組合員がおかれた理不尽な状況にふれ、政府・国会、裁判所が一体となって行った不正が何だったのか、和解案を読み考えることを促している。以下、信濃毎日新聞より転載。 国鉄文鎮はどこへいった 野田正彰 あれから23年もたつ。1987年、国鉄が分割・民営化されたとき、国鉄労働組合(国労)の組合員ら約7630人が組織替えしたJRに採用されず、さらに3年後、1047人が旧国鉄(国鉄清算事業団)からも解雇された。民主党政権に代わりこの3月、ようやく政治決着に向かって動きだした。あまりにも理不尽な不当労働行為を正すために、転職すればなんとか生きられると思いながらも、家族で歯をくいしばって耐え闘ってきた人びとは現在約910世帯。百人を超える人びとが亡くなったり、あるいは貧困と精神的負荷に押し潰されていったのである。 私はあの時、分割・民営化に向けて人心が荒廃していく国鉄での自殺急増について、調査にあたった。86年は11月末までで、47人が自殺していた。一人ひとり訪ね歩いた調査報告は『生きがいシェアリング』(中公新書、1988年)の「国鉄マンよ、もう死ぬな」の章に詳しい。 当時国労組合員の多くが「人材活用センター」なる倉庫に追い込まれていた。例えば田町の東京運転区人材活用センターでは、40人から50人の男たちが汚れた一室に閉じこめられ、短く切断した線路を終日ヤスリで磨かされ、文鎮作りをさせられていた。国鉄を支えてきた中堅の男たちが無意味な作業で毎日毎日誇りを踏みにじられていた。あの時作られた文鎮はどこへいったのだろうか。 与党3党と公明党がまとめた今回の和解案文書には「前代未聞の規模による不当労働行為」と明記し、その責任は(中曽根)内閣、立法府、行政当局にあるとしている。しかし政府、国会、裁判所(ただし採用差別を認めた地・高裁判決が3つある)が一体となって行った不正によって、私たちの社会が失ったものはあまりに大きい。いったい何が行われたのか、和解案を読んで考えよう。
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