縄文人と弥生人についての通説は、正しくないそうだ。DNA の調査により、これまでの通説が否定されたという。
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日本人の大部分は、縄文人と弥生人の混血である。このことはすでに定説となっている。問題は、縄文人と弥生人がどこから来たかだ。
縄文人と弥生人の由来についての通説は、次のようなものだ。
・ まず、南方(東南アジア方面)から縄文人が来た。
・ 次に、北方(シベリア・モンゴル)から弥生人が来た。
・ 縄文人は、どんどん北方と南方に追いやられた。
・ (北部の)アイヌと(南部の)沖縄人は、追いやられた縄文人だ。
・ アイヌと沖縄人は、人種的にも言語的にも似ている。
これは、埴原和郎による「二重構造モデル」と呼ばれるものだ。つい最近まで、これが通説となっていたようだ。たとえば、次のページ。
→ 科学博物館
→ 解説ページ
しかし、最近の研究では、弥生人は(北方のシベリア・モンゴルではなく)、むしろ日本より南に位置する中国南部が由来だという。
→ 科学博物館 (新)
一方、縄文人はどうかというと、次のようになるらしい。
・ 縄文人は、主に北方起源の人々からなる多様な集団である。
・ アイヌ人は、オホーツク文化と近縁の集団など、多様である。
・ 沖縄人は、先住民は南方系の漁撈民だったが、南九州からの
移住者が多く、言語的にもDNA的にも南九州と非常に近くなった。
このことは、私の見解ではなくて、書籍の内容の紹介である。
書籍は、次の書籍だ。( Amazon のサイト。読者コメントあり。)
→ 新日本人の起源 (神話からDNA科学へ)
この本の書評としては、加藤弘一による次の書評が詳しい。こちらを読むことをお勧めする。
→ 加藤弘一「書評空間」
【 関連項目 】
→ アイヌ語
※ アイヌ語と縄文語はよく似ている、という梅原猛の見解。
言語レベルから、アイヌ陣と縄文人の共通性が窺われる。
【 関連サイト 】
→ 縄文人の暮らし
※ 縄文時代の人々がいかに文化的な生活を送っていたかを詳しく。
農耕もせず、文字もなかったので、原始的な生活をしていたと
思われていたこともあったが、実はそうではなかったのだ。
2010年05月04日
◆ 縄文人と弥生人
posted by 管理人 at 11:45
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| 科学トピック
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