【暮らし】<共に生きたい> 『見えない存在』に市民権を (中)無国籍の人を支える2010年5月3日 ◆「無国籍ネットワーク」陳天璽さん「みなさんとお花見ができ、とてもうれしい。かんぱーい」 四月中旬、横浜市中区の公園で花見の会が開かれた。さまざまな理由で国籍のない人びとを支える市民団体「無国籍ネットワーク」が企画。代表の陳天璽(チェンティェンシー)・国立民族学博物館准教授(38)が、無国籍者や支援者らと集えた喜びを分かち合った。 無国籍ネットに参加する無国籍者はタイで生まれたベトナム難民が多い。本人や親の出身国が国民と認めず、来日後、日本国籍の取得も困難で無国籍になっている。法務省の外国人登録者数では二〇〇八年に千五百二十五人。うち在留資格を得ていない人は二百八十四人。不法滞在外国人の子なども多いとみられ、実態は不明だ。 陳は「在留資格のない無国籍者は数十倍いる可能性もある」。不法滞在と分かるのを恐れ、窮状を訴えられない「見えない存在」になっている。 生活も厳しい。仲間を求め無国籍ネットに参加する男性(35)は、タイ生まれのベトナム難民二世だ。十七歳のとき先に来日していた兄を頼ってタイから来た。ツテを頼り建設会社で働き、溶接など技術を身に付け、漫画で日本語を覚えた。六度転職しながら収入は得られているが、孤独と不安は尽きない。 在留資格はなく、入国管理施設にいつ収容されるか分からない。仮放免が認められれば収容を解かれるが、送還できる国がなく延べ三年間入れられた人もいる。繁華街には行かず、ひっそりと生きる。一人暮らしの今、インターネットでタイや日本の娯楽やニュースをチェックし、クラシック音楽を聴くのがささやかな息抜きだ。 陳も二〇〇三年に日本国籍を取得するまで無国籍だった。両親は中国出身で、台湾から横浜・中華街に移住した。一九七二年の日中国交正常化で、日本か中国の国籍取得を迫られた父親が、双方とも受け入れず選ばなかった。当時在留資格はあったが、海外渡航や就職などで差別を受けた。 無国籍だと普通に暮らせない理不尽さを強く感じた。自ら無国籍を研究テーマにし、同じ境遇の人たちとの出会いを重ねた。厳しい生活状況や、陳自身の「どこに相談したらいいか分からなかった」という経験から、昨年一月、「自分だけじゃないと思える、心のよりどころを」と無国籍ネットを始めた。 「助けてほしい」。それから間もなくの四月。陳は入国管理施設に不法滞在で収容されていた東欧出身の無国籍の男性から、突然電話を受ける。 仮放免の援助を求めていた。男性は収容されて二年が過ぎていた。別の支援団体からの紹介で同ネットを知った。仮放免の手続きに動きだした夏以降、電話を毎日のようにかけてきた。 陳は仕事中でも対応し、面会にも通った。今年二月、やっと仮放免が認められた。保証金五十万円は陳ら有志が負担した。住まいの確保や生活費の工面に奔走している。 「周りは、男性の支援で私の体がもたないのではと心配したが、男性は精神的に追い詰められていた。何とかしたかった」 同ネットの運営はボランティア。当事者の支援のほか、交流会や学習会を開く。中核スタッフは十数人。協力者は約百人になる。 「見えない存在」を見えるようにしたい。「無国籍の人を知って、触れ合ってほしい。そして国籍を超えてつながっていきたい」 =敬称略 (飯田克志)
|