水俣病犠牲者慰霊式で献花する鳩山首相=1日午後1時58分、熊本県水俣市、恒成利幸撮影
慰霊式の終了直後、被害者たちに歩み寄り、話しかける鳩山由紀夫首相=1日午後3時18分、熊本県水俣市、恒成利幸撮影
水俣病の公式確認から54年となる1日、鳩山由紀夫首相は熊本県水俣市で開かれた犠牲者慰霊式に出席し、「被害拡大を防止できなかった責任を認め、衷心よりおわびする」と謝罪し、「償いを全うする」と述べた。歴代首相の中で水俣病問題で同市を訪れ、被害者に直接、謝罪したのは初めて。
慰霊式には患者や遺族、原因企業チッソの社員ら約1100人が出席。新たに27人の犠牲者の名簿が慰霊碑に納められた。鳩山首相は犠牲者への「祈りの言葉」で謝罪したが、2004年の最高裁判決が指摘した以上の内容には踏み込まず、国が対策を怠った責任を「再度認識した」と述べた。
水俣病の被害者に対しては、95年の政治決着時に当時の村山首相が「対応に長期間を要したことを反省する」との談話を閣議決定。06年に、小泉首相が最高裁判決を受けた謝罪の談話を発表した。
鳩山首相は謝罪のほか、患者への偏見などで傷ついた地域のきずなの修復に改めて取り組むと表明。教訓を世界に発信するため、水俣病の原因物質である水銀の規制条約を「水俣条約」と名付けるよう国連交渉で提案するとした。
鳩山首相は当初、被害者と会話せずに会場を離れるはずだった。ところが「『直接声をかけたい』と思い立って」(首相周辺)、式の終了直後に患者らに歩み寄り「頑張って」などと約10分間、語りかけた。「心がなごんだ」と喜ぶ人がいる一方、「たくさんの仲間が死んだ。今ごろ来ても遅い」と話す患者もいた。
水俣市主催の慰霊式は1968年に開かれた後、途絶えていたが、92年以降、毎年開かれるようになった。被害者らの間には首相の水俣訪問を要望する声があったが、これまで実現していなかった。
鳩山内閣は、3月末に国などと係争中の「水俣病不知火患者会」と一時金などを支給する和解案に基本合意。昨年成立した水俣病被害者救済法に基づき、訴訟をしていない被害者についても和解案と同水準の救済策を定め、1日から申請受け付けを始めた。申請者は3万人を超えるとみられる。こうした95年に続く「第2の政治決着」が、首相の水俣訪問につながった。
しかし一方で、水俣病と気づいていない「潜在患者」の数はわからず、被害者の一部には、今回の政治決着は最終解決につながらないとの声がある。水俣病被害者互助会の会員ら約50人は同日、慰霊式会場とは別の場所で30回目となる独自の慰霊祭を開いた。