赤軍側についた者は1920年、自治領域が与えられた。それが今のカルムイク共和国につながる。しかし、1943年から1957年までは第2次世界大戦時の「対独協力民族」として自治が抹消され、民族はシベリア、中央アジアから遠くは日本人の帰還による労働力の空白を埋めるためサハリンにまで強制的に移住させられた。
こうして運命に大きく揺さぶられながら、400年の間にカルムイク人は世界中に散らばった。イスラム教を受容せず「留まった人」という意味で周辺のイスラム教徒からカルムイクと名づけられたのはなんとも皮肉な運命である。
カルムイク民族のカリスマ、キルサン・イリュムジノフ氏
ペレストロイカ以降、他の民族地域同様、民族意識の強調や復興を目指す動きがカルムイクにも現れる。
1993年、31歳の若さで大統領に当選したキルサン・イリュムジノフ氏の下、民族復興、地域復興のための様々な政策が打ち出された。
強制移住で継承が阻害されたカルムイク語の復活政策、サッカーやチェスなどスポーツの振興が打ち出された。
チェスは1995年、大統領自身が国際チェス連盟(FIDE)の会長に就任し、1998年には国際大会をカルムイク共和国で開催している。
宗教政策も彼の打ち出した重要な政策の1つである。社会主義時代、一時は全くなくなってしまった仏教寺院も、次々と再建され、さらにヨーロッパ最大の仏教寺院も首都エリスタに2005年建立された。
ダライ・ラマもこの地を訪れている。また、中国とロシアの政治的関係で入国できないとなると、ラトビアまでダライ・ラマを呼び寄せ、バスをしたてて会いに行く信仰に篤い人々もいる。
プーチンの時代となり政策の民族主義色は薄められ、役職も(ロシアに大統領は1人であるべきという理由から)大統領から首長へ変更するなど、巧みに適応し17年目を乗り切っている。
毀誉褒貶はあるものの地方自治体の長として国際チェス連盟の会長として世界を飛び回り、カルムイクの名を世界に知らしめていることは少数民族にとって非常に大きい。
日本に注がれる眼差し
ロシアにいるアジア系の諸民族には多くあることのようだが、日本に対する憧れが存在する。1995~97年、イルクーツク外国語教育大学で日本語を教えていた時分、1クラス10人程度の中に必ず1人や2人、アジア系の生徒が交じっていた。話を聞くとモスクワやペテルブルクでも同じようである。
イリュムジノフ大統領は日本通としても知られており、うわさによれば日本語も少々話せるという。彼もそのような憧れを持った一人だったのだろうか。
カルムイク国立大学にはカルムイク・東洋学部が存在する。カルムイク語のほかモンゴル語、中国語のコースが開設されているが、ここに日本語科を開設したいというのが彼らの夢である。筆者は2000~2001年、この大学に籍を置き研究にいそしんだが、留学の条件は日本語教育の教材を多く持ち込むことであった。
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