彼の背中 |
モリ祭り |
彼は背中を向けてベッドの端に座った。キャビネットに置かれたライターとタバコを手に取る。シュッと音がして煙と共に彼の匂いが漂ってきた。 わたしは横になっていた身体を起こし、彼の背中に頬を押し当てた。好ましいざらつきがくすぐったい。両腕は彼の腰に回した。 彼はなにも言わない。わたしも言葉を口にしない。本当は言いたい。想いを吐きだしてしまいたい。やがて言葉は早口になって怒りに変わる。言わなくてもいいことまで言い出す。あとで絶対に後悔する。独りの夜が何度も教えてくれた。もう、同じ苦しみは繰り返したくない。 だから、わたしは隔たりのない皮膚を通して願いを想う。彼の心に届くようにあるだけの力で念じる。 おもむろに彼は利き腕を伸ばした。灰皿にタバコの灰を落としているのだろうか。わたしは彼の背中に胸を押し当てて肩の上から様子を窺った。彼の左手のタバコは半分ほどになっていた。灰皿から口元に持っていく。 残りの半分を吸うと、終わりを迎える。そんなことを考えてしまった。胸が熱くなる。先程の熱情とは違う。少し、息苦しい。 「なにか飲む?」 少し掠れた声で彼は言った。振り向くことはなく、彼の匂いが強くなる。わたしは背中に額を当てて顔を左右に振った。喉は乾いていた。ただ、飲む気分にはなれなかった。このまま、離れたくないのかもしれない。 振り返れば、わたしは恋愛感情を抱く前から、彼の背中を追っていた。 入社して二年目で転属になり、わたしは新しい部署で彼と出会った。寡黙で冷たい印象の上司だった。でも、共に過ごした時間が、そっと教えてくれた。実は口数が少ないだけ。部下の失敗をとがめるどころか、手助けまでしてくれる。優しさが本質と理解した瞬間、わたしは彼を目標にした。それは仕事面の話に過ぎなかったのに、いつの間にか、なにかの弾みで恋愛にもつれ込んでいた。 その関係もすぐに終わる。まだ内示の段階らしい。今日、彼が転勤を打ち明けてくれた。東京から大阪は遠すぎる。別れ話を切り出さなくても、それは終わりを意味していた。無口な彼らしい伝え方だった。 「出ようか」 彼は根元近くまで吸ったタバコを灰皿で揉み消した。縮こまった吸殻を見ながら、はい、とわたしは答えた。 ホテルから出ると、途端に季節が舞い戻ってきた。雪が降りそうな空模様を淡い街灯が照らし出していた。 閑散とした路地を二人で足早に抜けると、大きな通りに出た。彼はゆっくりとした足取りで人混みに分け入る。わたしはいつも通り、彼の背中を見つめながらついていく。 くすんだ色のスーツ姿の男女が前後に連なって歩く。周囲にはどのように映るのだろうか。親子というほど、年は離れていない。恋人にしては態度が素っ気ないような気がする。痴話げんかの最中に見えるかもしれない。 そんな考えのせいなのか、わたしは周囲が気になった。その時、よく通る声がうしろから聞こえてきた。それとなく視線を向ける。 「ねえねえ、今日はどこで食べるの。ぼく、ハンバーグがいいなあ」 男の子は男女の間に挟まれて、まるでスキップをするかのように歩いていた。 「もちろん、智の好きなハンバーグもあるし、焼き肉だってあるぞ。お父さんに、どんと任せなさい」 男の子の父親らしい男性が陽気な声で胸を張った。そのあと母親が口元に手を当てて柔らかい笑みを浮かべた。 「来月のお父さんのお小遣いが減るけどね」 「おいおい、それは勘弁してくれよ」 父親は情けない声で苦笑した。すると、男の子が前歯の抜けた顔で笑った。 「平気だよ。ぼくのおこづかい、あげるから」 「まあ、ちょっと心細いけど、ありがとう」 「あら、よかったわね」 楽しい会話は終わりそうにない。親子連れは喜々として人混みに紛れていった。 つい話に引き込まれてしまった。そのせいで自分が立ち止っていることに気がつかなかった。慌てて視線を戻すと、彼は立ち止って微笑んでいた。無口で無愛想に見えるけれど、その優しさに溢れた笑顔に吸い込まれていく。 わたしは雑踏の中、彼と抱き合った。人前で初めて抱き締められた。嬉しくて視界が滲んだ。周囲のことも気にならなくなり、束の間の幸せに包まれた。 「行こうか」 彼の声に促されたわたしは胸元で、うん、と小さく頷いた。 その帰り、わたしは彼と手を繋いで歩いた。彼の家族のことを想いながら。 |
2010/02/27(土) 08:14 公開 |
|
感想・批評 | 5:
<swbnx5Xc> 2010/03/02(火) 16:54 |
ありきたり。不倫してます、から一歩も出ていない。
4:
良くない
<.lIegN5m> 2010/02/28(日) 07:59 |
相手の男の異動のタイミングに乗じて都合よくヤリ逃げされる女の
さまざまな感情が迸っていると、もっと読み応えがあったのかなと。 3:
<IXkCHtdJ> 2010/02/27(土) 12:11 |
つぐない
テレサ・テン 作詞:荒木とよひさ 作曲:三木たかし まどに西陽があたる部屋は いつもあなたの においがするわ ひとり暮らせば 想い出すから 壁の傷も 殘したまま おいてゆくわ 愛をつぐなえば 別れになるげど こんな女でも 忘れないでね やさしすぎたのあなた 子供みたいなあなた あすは他人同志になるけれど 心殘りは あなたのこと 少し煙草も ひかえめにして 轉載來自 ※Mojim.com 魔鏡歌詞網 過去に縛られ 暮らすことより わたしよりも 可愛い人 探すことよ 愛をつぐなえは 重荷になるから この町を離れ 暮らしてみるわ お酒のむのもひとり 夢を見るのもひとり あすは他人同志になるけれど 愛をつぐなえば 別れになるげど こんな女でも 忘れないでね やさしすぎたのあなた 子供みたいなあなた あすは他人同志になるけれど 2:
最悪
<vTxunfvK> 2010/02/27(土) 09:02 |
出だしはいい感じだと思ったんだが、なんだかなー。
演歌のカラオケの歌詞モニターにでも映っていそうなストーリーだ。 もうひとひねりないとダメだな。っつーか、はっきり言ってキモい。 1:
良くない
<yi2vH0E5> 2010/02/27(土) 08:32 |
---|
[ 感想記事削除 ] |
主人公の感情垂れ流しが、ただの独り善がりで、物語として成立してない。