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【芸能・社会】

hideさん13回忌3万5千人 YOSHIKIらメンバー参列

2010年5月3日 紙面から

hideさんの遺影と愛用ギターが飾られた祭壇=東京都中央区の築地本願寺で(淡路久喜撮影)

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 1998年5月2日に33歳で急逝したロックバンド「X JAPAN」のギタリストhideさん(本名・松本秀人)の13回忌法要が2日、東京・築地の築地本願寺で営まれ、リーダーのYOSHIKI(年齢非公表)をはじめ、TOSHIを除くXのメンバーや、元「LUNA SEA」のメンバーら関係者約500人が参列した。一般献花には早朝から夕方まで約3万5000人のファンが詰めかけ、在りし日の“カリスマギタリスト”をしのんだ。

 「hideが旅立ってから12年という月日がたちました。長い時間になると思いますが、それぞれのみなさんのお気持ちでhideと語ってください」−。hideさんの死亡が確認された午前8時52分、実弟で所属事務所代表の松本裕士さん(42)があいさつに立ち、早朝から集まったファンとともに黙とうをささげた。

 98年5月7日に築地本願寺で執り行われたhideさんの告別式には、5万人以上のファンが弔問に訪れた。この日も同様に、正午すぎには会場一帯を取り囲んだファンの列が、隅田川沿いの公園付近まで2キロ近くにわたって続いた。

 一方で、12年前とは大きく違う法要となった。12年前の告別式ではファンは本堂への入場が禁止されたが、この日は一般開放し、堂内でファンの献花が行われた。また、X JAPANが07年に再結成されたことで、多くのファンがあらためてhideさんの死を受け入れられるようになった。

 約5000万円をかけて作られた全長30メートルの祭壇の両側には「これからもhideさんが羽ばたいていけるように」という意味を込めて、電飾付きの黄色い翼(高さ9メートル)が設置された。また、96年に撮影された未公開ショットを使用した遺影の両側には、愛用ギター「イエローハート」と「ペイズリー」も添えられた。

 式典は午前11時にスタート。松本さんやYOSHIKIら代表者の焼香後、hideさんを象徴するピンク色のライトで本殿が淡く照らし出され、代表曲「ピンクスパイダー」のパイプオルガン演奏とともに、参列者たちが色とりどりのガーベラの花を祭壇に供えた。

 松本さんは式典後「これだけの関係者やファンの方に来ていただけてうれしいです」と感極まった様子で話す一方で、「格好つけるつもりはないですが、hideがロックスターとして認められるようになり、Xとしても本当の意味で語り継いでもらえる努力をしていくつもりです。世界に向けても発信していきたい」と熱い決意を語った。

 今後もhideさんはXの一員であることに変わりはなく、“hide伝説”が風化することはない。

 ○…YOSHIKIは式典後、今年8月に横浜市の日産スタジアムで、再結成後初の国内単独野外ライブの開催を発表した。同所は5万人以上を収容できる国内最大級の屋外施設。昨年、YOSHIKIが頸椎椎間孔(けいついついかんこう)切除の手術を受け、ボーカルTOSHIも肋間(ろっかん)神経痛を患っただけに、YOSHIKIは「今までつらかったことを吐き出すようなコンサートにしたい」と大暴れを宣言した。

 一方、この日の法要について「この場に来た途端、崩れ落ちそうになりました」と、12年前の悲しみを思い出したかのように一瞬悲しい顔を見せたが、「hideが亡くなってから、X JAPANが活動するとは思っていなかった。前向きな意味で夢を見ているみたい」とも話した。

 YOSHIKIは会見後、ヘリコプターで会場となる日産スタジアムを視察し、そのまま成田空港へ。ニューアルバムのレコーディングが行われている米国へと戻った。

 

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