朝日を受けて走る東京発のサンライズ出雲。車窓に大山の姿が見えてくると旅も最終盤だ=鳥取県米子市午後8時前の米子駅。東京行きのサンライズ出雲に小学生の女の子が1人で乗り込んだ。静岡県沼津市の自宅へ帰るという。見送った祖母らが「着いたら起こしてください」と車掌に頼んでいた=鳥取県米子市縁結びの神様として知られる出雲大社の拝殿=島根県出雲市カーペット敷きの「ノビノビ座席」は寝台料金がいらない=神奈川県内豪華なA個室は予約が難しいほどの人気だ=島根県内JR西日本出雲車両支部に保存されている特急出雲のヘッドマーク=島根県出雲市フォトギャラリー
ブルートレインは「走るホテル」と呼ばれた。こちらは「走る住宅」だろうか。
東京駅と島根県の出雲市駅を12時間かけて結ぶJR西日本の寝台特急サンライズ出雲。廊下にはカーペットが敷かれ、壁や天井は木目で統一。個室に入ると、自分の部屋のようにくつろげる。ブルトレの後継として1998年に登場し、乗車率69%の人気を誇る。
ブルトレの乗客が減少する一方で、新幹線のない山陰地方には寝台特急の潜在的な需要がある、とJR西はにらんでいた。速さの航空機、安さの長距離バスに対抗できる魅力は何か。考えをめぐらせた結果、「快適な乗り心地」と「個室化によるプライバシー」を重視したサンライズが誕生した。
内装の開発には住宅メーカーのミサワホームが参加し、木と樹脂の複合素材「M―Wood」(エムウッド)を採用した。質感に優れ、水や汚れに強い独自技術。ただ、車両の不燃性基準をクリアするのに苦労した。試行錯誤の末、特殊な接着剤をつくり、裏にアルミ板を張り付けることで解決。98年のグッドデザイン賞に輝いた。
ブルトレの濃紺色には夜を思わせる深みがある。サンライズの車体は朝もやのベージュと朝焼けの赤に彩られ、さわやかで希望に満ちたイメージを抱く。
首都を出た新時代の寝台特急が雄大な大山(だいせん)に迎えられると、神話の里まであと1時間ほどだ。
■縁結ぶ地 いい日旅立ち
大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の求めに従って出雲の国を献上した。その代償に造られ、大国主をまつったのが出雲大社。古事記が伝える「国譲り」の神話だ。サメをだまして皮をはがれ、大国主に助けられる「いなばのしろうさぎ」、八つの頭と尾を持つ大蛇を須佐之男命(すさのおのみこと)が退治する「やまたのおろち」も出雲にまつわる物語。建国の歴史を投影しているともいわれ、ロマンに満ちている。
1912(明治45)年、鉄路が東京までつながると出雲大社への参拝客は急増。同年6月には5万人が訪れ、前年の3倍以上になったという記録もある。
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急行いずもは56年から寝台車を連結。72年、特急出雲に格上げされた。ブルートレインの最盛期。なかなか切符が取れないほどの人気だった。平日は東京へ出張する県庁職員や会社員、週末は出雲大社への観光客らを運んだ。
「食堂車でカレーを食べるのが最高のぜいたくでした」。出雲大社前の老舗(しにせ)旅館「竹野屋」の5代目、竹内信夫さん(57)は幼いころに乗った夜行列車を懐かしむ。妹の一人は歌手の竹内まりやさん。高校生だった彼女が念願の米国留学へ旅立った時も、この列車で故郷を離れた。
だが、ブルトレ人気はかげっていく。ベッドは狭く、隣の客との間にはカーテンが1枚だけ。団体客の酒宴に閉口することも。1日2往復のうち1往復が98年にサンライズ出雲へ置き換えられ、残り1往復も06年に廃止された。
サンライズになっても客層は大きく変わらないが、車掌歴30年以上の北野文男さん(56)は若い女性の一人旅が目立つようになったと感じる。「快適な空間と安全性が確保され、現代の生活様式にぴったりなのでしょう」
午後10時、東京発のサンライズに乗った。島根県安来(やすぎ)市の会社員宇都宮隆一さん(49)は飛行機の最終便に間に合わない午後8時まで東京で仕事をしていた。「サラリーマンにとって時間に無駄がないのがベスト」。神奈川県に住む結婚26年の夫妻はゆっくり過ごそうとツインを利用した。妻(51)は「出雲大社に、いいお嫁さんに恵まれた報告をしましょうって。私が誘ったんです」と笑った。
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現在、出雲大社を訪れる年間200万人超の大半が観光バスやマイカーを利用する。出雲市―大社間を結んだ大社線は赤字で90年に廃線。旧大社駅から参道まで飲食店や土産物店が並ぶ約1キロの通りは「シャッター街」と化した。
にぎわいを取り戻そうと昨年7月、観光業界関係者らが「日本ぜんざい学会」を設立。通りに構えた店舗では、工夫を凝らしたぜんざいが何種類も楽しめる。出雲大社の神事でふるまわれる「神在(じんざい)餅」が京に伝わり「ぜんざい」になった、との説にちなみ、「ぜんざい発祥の地」をPRしている。
夜通し走った列車の終着地に、新しい朝が来ることを願った。
(文・多知川節子 写真・寺脇毅)
鉄っちゃんの聞きかじり〈ヘッドマーク 今も保管〉
特急出雲のヘッドマークは赤地に神秘的な雲をあしらったデザイン。赤地のヘッドマークは珍しく、鉄道ファンに人気があった。夕日や朝日をイメージしたとの説もあるが、定かではないという。
06年に廃止された後、JR西日本が所有していた7個のマークは米子車掌区や出雲車両支部などゆかりの部署で分け合い、今も大切に保管・陳列されている。「オークションに出したら、高値で落札されるのでは?」と不届きな質問をすると、5月末まで車両科長だった矢野薫さん(57)は「そんなことしたら先輩に顔向けできません」。
出雲のディーゼル機関車「DD51 1179」は今も現役だ。出雲市内の基地で他の車両を引っ張る仕事に就いている。客車の一部は、今年3月に廃止されるまで京都と長崎を結んだ寝台特急あかつきに連結され、第二の人生を過ごした。
探索コース
出雲市駅から出雲大社へは一畑バスで約25分。近くに県立古代出雲歴史博物館、歌舞伎の創設者とされる出雲阿国の墓がある。稲佐(いなさ)の浜では毎年11月、全国から出雲に集まってくる神様を迎える祭りがある。出雲大社の国宝本殿は60年ぶりの大改修中で、普段は見られない内部が7月19〜21日と8月1〜17日に特別拝観できる。ジーンズなどの軽装は不可。
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アスパラクラブの「aサロン」で16日から、「ぷらっと沿線写真奮闘記」を掲載します。土曜夕刊に連載中の「ぷらっと沿線紀行」では触れられない取材カメラマンの苦労話を、未掲載写真とともに紹介します。沿線のおいしい食べ物や街の話題にもご期待ください。毎週月曜に更新予定です。
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