Hatena::Diary

セイキキ このページをアンテナに追加 RSSフィード

2010-02-20

[]Mitsuhiko Kimura"Standards of living in Colonial Korea"

宿題としていた論文を読み終えた*1

非常に興味深い内容であった。

確かに要旨には

This article discusses the changing living standards among the Korean masses under Japanese rule. Farm income per household, agricultural real wages, and per capita calorie intake from staple foods declined. On the other hand primary school enrollment, literacy, and survival rates rose, and average stature at least did not decrease. Arguing that literacy rates, survival rates, and average stature are variables more directly related to living conditions than the others, this article concludes that the Korean masses' standards of living rose between colonization and 1940. Still, any summary assessment depends on the weights assigned to different variables.


(強調部分は引用者。以下、その部分のみ訳出)

識字率、生存率、平均身長など、他の変数より直接的に生活環境に関わるこれらの変数について立証することで、本稿は朝鮮民衆の生活水準は併合から1940年までの間で上昇したと結論付けた。

no title

と書かれてはいるが、本文の内容はもっと複雑であり、論文のサブタイトルが示すような「良くなったか、それとも悪くなったか」という二項対立では捉えきれない事実が記述されている。以下、各節ごとに簡単に要約していこう。

まず、導入部では生活水準を測る指標を設定することの困難について述べられたあと、アマルティア・センの「機能」(functionings)概念(人々が何を為すことができるか)に着目し、それを1910年〜1940年の植民地期朝鮮について適用し、検証する旨がが述べられる。

次に、第1節「一人あたり消費支出について」では、寺崎康博*2が提出した、植民地における食料費の水準は上昇していた(すなわち米消費量の減少分を他の食品で補っていた)とする議論が批判的に検討される。統計データの欠陥や不備、データに在朝鮮日本人が含まれている点、食料費の中で庶民にとって重要な穀物水産物の支出が減り、富裕層しか食べなかったであろう肉類の消費が伸びている点から、筆者は大衆の食料消費水準が上昇したことは明らかにできないとまとめている。

第2節「農業収入の新たな指標」はかなり専門的な統計処理が行われているので詳細は省くが、結論を述べれば米や他の農作物の価格下落により、植民地時代を通じて農業の真の収入は(周期的な循環はあるものの)低下傾向があったことが明らかにされる。

第3節「農業労働賃金の新たな指標」も統計的に複雑なので、結論のみを引用する。「我々の分析は朝鮮人農業労働者実質賃金が植民地時代を通じて低下傾向にあったことを明らかにする」。

第4節「主食からの摂取カロリー」では東畑精一・大川一司の有名な研究『朝鮮米穀経済論』の欠点を補う形で、米以外の主食をも含めた摂取カロリーの傾向を導き出している。そして、「一言で言えば、朝鮮一般民衆の主食消費と、そこからの彼らの摂取カロリーは植民地期間中に低下したのである」。

第5節「小学校入学率、識字率、死亡および生存率」では、植民地初期には20パーセントだった男子の小学校*3入学率は1940年には70パーセントとなり、これは収入の少ない家庭出身の子どもも学校に通うようになったことを示す。女子の場合は植民地初期のほぼゼロから1930年代に入学率が増え始め、1940年には20パーセントになっている。植民地時代の国勢調査における識字率調査は「ハングルの読み書きができるか」を問うだけの内容だったが、小学校入学率や他の調査などから判断するにそれなりの信頼性はあるものであった。すなわち、(15-19歳の世代を除いて)若い世代ほど識字率が高いというものであり、識字率が植民地支配下で上昇したことを示す。死亡率および生存率も不完全な統計によるが、植民地期に好転していた。生存率に関しては興味深いデータもある。1935-40年のすべての世代の男性生存率は、同じ時期の5歳以下男児の生存率よりも低い。これは戦争などで成人男性が大量死することでもない限り起こらない状況である。種明かしをすれば、この時期、朝鮮から(「満州国」や日本、その他の海外へ)流出した人口がカウントされていないためであると考えられる。

第6節「身長のトレンド」は限られた資料のなかで朝鮮人の平均身長の推移を分析し、そこから生活水準を推し量ろうとするものである。結果は少なくとも平均身長は低下していないというものであった(なお、日本人成人男性の平均身長は1893年の156.4センチから1940年の160.6センチへと向上している)。

第7節「補足的変数」はなかなか興味深いものであった。本論文の分析により、植民地時代の朝鮮民衆の食生活は悪化したが、死亡率や教育は改善したことが明らかになった。死亡率の改善に重要だったのは衛生環境の改善である。教育はそれ自体生活環境を改善するものであるが、衛生観念を広めるうえでも役に立ったのだ。

さて、死亡率の低下は出生率の低下を伴わなかったため人口が増加した。しかし、労働者に対する土地の割合は常に低く、工業部門は貧弱だったため、この人口増加は民衆の経済的利益に反する作用をもたらしたとされる。なぜならば、もし人口増加がなければ、米の農作技術の改善から農民が得られた利益はさらに多かっただろうからである。またこれによって、地主への交渉における地位も低下したという。商工業による収入もそれほど増えたとは考えられず、農業収入の減少に見合うものではなかった。

では、収入や食生活の悪化によって平均身長が低下することがなかったのはどうしてだろうか?まず、摂取カロリーが「gross input」(総投入量)であることに注意が必要である。食糧供給が減少してもより効率的に栄養を摂取できる場合がある。また部分的には衛生の改善による疾病の減少が食料消費の低下を埋め合わることができた。また、野草や野生動物を食料として用いることで栄養を補った可能性もある、と著者は述べている。

そして「結論」では著者はこう述べる。「個別的な生活水準の次元では結論は明白である」とする。人のwell-beingに影響する多数の要素の中から、本論文では栄養状態や識字率、死亡率および生存率に焦点を当ててきた。このフレームワークにおいては生活水準が向上していたといえる。しかし、より難しいのは個別のトレンドを総合的なアセスメントに結合することである。植民地支配下での朝鮮人の生活環境が全ての側面で改善したようには見えない。日本は韓国大韓帝国)の主権を奪い、朝鮮人の自尊心を傷つけ、その日本人第一の政策は多くの朝鮮人を陰鬱にさせたであろう。その結果、朝鮮人のメンタルヘルスは悪化したであろう。また居住環境もほとんど改善がなかったか、あるいはより悪化した。多くの人々が生まれた村落を離れ、貧民窟に居住することになった。こうした要素に高い価値を置くならば、総合的評価はネガティブなものになるだろう。現時点では関連する変数のウェイトに関して最終的な方法はないのだから、肯定的な評価も否定的な評価もありうる。さらなる研究を待ちたい…というようなことを著者は言っている。


何か、後半は要約や紹介というより翻訳に近くなってしまい、著作権的にどうなのかという気にもなる。まあ、それはともかく、元増田の要約、

これらの要素から、木村教授はアマルティア・センの基準に基づいて、

日韓併合後、日本の統治下で、韓国の生活水準は損なわれた側面も当然あったにせよ、全体としては改善されたと結論付けている。

朝鮮の生活水準は日本の統治下で向上していた件

とは少しばかり、いやかなりの程度違ってないか?

増田は初登場時、2時間ばかりで英語で書かれた学術論文を多数読んだことを自ら語っており(学術論文サイトへのアクセス権を持つことも含めて)、ひとかどの人物であると誰もが思っただろう。しかし、ここまで来ると、やはり英語力に問題があるんじゃないかという気がしてくる。そういえば、いくつかのエントリで彼(あるいは彼女)が翻訳したものは非常にこなれていない。英語を読んで理解できる人でもそれを翻訳するには別の能力が要るので、それだけで増田の英語力を疑うことはできないが、それでもやはり…という気はする。

増田のエントリが紹介したものと増田が参照したとする英語論文の実際のニュアンスがたびたび食い違いを見せているのは、増田の英語力に限界があるのか、それとも僕が指摘したような「植民地主義者の欲望」に勝てなかったか、あるいはその両方のためだろうか。

そして、(以前にも指摘したことだが)初登場時には、

「日本の韓国統治は善政か否か」問題で久しぶりに面白いエントリーを読んだ。正直、日本の韓国統治は悪だ、という議論は感情論ばかりが横行するので辟易していたのだが、こういう数字に基づいたエントリーが出てくるとちゃんと議論になる。実際、コメント欄でも、すれ違いはあるものの真っ当な議論になっているように思う。

でもさ、『ちゃんと学術的に認められた歴史書を読み直されるよう、お勧めいたします。』って書くならさ、もう一歩踏み込んでもいいと思うんだ。学問の主戦場たる英語の論文の数々に。ここ20年間、様々な定性定量分析が積み重ねられてるのに、それを無視するなんて余りにももったいない。

搾取を語るなら論文を読め

と語っていたのに、その人物が同じ口(といっても増田なので同一人物かどうか、正確には不明なのだが)で、

また、第1の点については、当時の朝鮮人の大半は小作農であろうから、朝鮮人地主の土地保有が若干減少したとしても、それで朝鮮人一般が搾取された、収奪されたという結論に結びつけるのは難しい。

朝鮮の生活水準は日本の統治下で向上していた件

と、思いつきだけで論じて、何ら学術的な根拠を示そうともしないでやりすごそうとするのはいかがなものか。

増田は僕のエントリやリプライを見て、歴史学というディシプリンまで貶めるような発言をしているが*4、別に僕は歴史学を背負って発言するつもりで書いたわけではないし、そもそも歴史学者でもない。しかし、増田はそんな発言をするくらいだから歴史学以外の何かの学問を専攻しているのだろう。

しかし、自論に都合の悪い資料を隠したり、あるいは自分の意見を補強するために強引な解釈を行ったり、議論に用いる規範やルールを相手に課しながら、自分ではスルーしたりする、そんなことを徳目にしている学問は聞いたことがない。

自説に都合のいい資料ばかりとりあげていないか、常に自分に問いかける心がけが必要な学問は数多くあるだろうが。

たとえ、海外学術論文のデータベースサイトにアクセスする権限を持っていたところで、増田のように自分の欲望に勝てない人間にとっては、宝の持ち腐れでしかない。増田は「搾取を語るなら論文を読め」と言いつつ登場してきたのだが、実のところ、アクセス権と外国語という二つの壁があることで、増田が参照している論文を実際に読める人がいないということを半ば確信して、偏った解釈を披露してきたのではないか?――そうでないというのなら、せっせと墓穴を掘っていたということになる。


さて、このエントリの最後に、Kimura論文の結論部に付された注釈を紹介しておきたい。前述のようにKimuraは被植民者の心理状態についても若干触れているが、その部分に付されたものである。

For a detailed discussion of the psychology of the colonized, see Fanon, The Wretched of the Earth; and C´ecaire, Discourse of Colonialism

被植民者の心理に関する詳細な議論はフランツ・ファノン『地に呪われたる者』およびエメ・セゼール『植民地主義論』を参照せよ。

*1:同時に木村光彦「植民地期朝鮮における生活水準の変化――身長データをめぐって――」も読了。

*2:寺崎「植民地時代の朝鮮における個人消費支出の推計」『長崎大学教養部紀要人文科学篇)』24巻2号

*3:朝鮮の場合は「普通学校」と呼ばれた。当初は修業年限4年、1922年より修業年限6年に変更。1938年以降は内地同様「尋常小学校」となった。修業年限は6年――引用者。

*4:まあ、確かに勢いにまかせて書いたアラの多い文章ではあるので、その点の批判は甘受するし、好意的なスターやブクマをつけてくれた皆さんももうちょっと注意された方がいいと思う。

uedaryouedaryo 2010/02/20 20:59  英語論文の読解お疲れ様でした。解説ありがとうございます。
 私のように英語の読めない人間は、英語論文を示されたら「すみません、読めません」で終わりなので、たいへん助かります。
 やはり植民地支配された朝鮮人の精神への注意――精神史的観点――は重要ですね。精神史を無視した生活水準の評価は、間違っていたことを確認できて、ホッとしています。

usokiusoki 2010/02/20 22:42 僕もそれほど英語が得意というわけではないので、元増田やほかの誰かから「お前の解釈こそおかしいんじゃ!」って反論もあるかもしれませんが。
しかし、元増田が参照すべきテキストの所在を明らかにしてくれたおかげで、名目上は誰もが議論に参加できるので(実質的には論文へのアクセスの問題と外国語という壁がありますが)、そのうちより正しい解釈に接近できるでしょう。また、植民地朝鮮の生活水準に関する他の研究成果も提示されるかもしれません。そのような営みを通じて、より確からしい歴史叙述に近づいていければ良いんじゃないでしょうか。
いずれにしても素人ブロガーのやることですけれど。

uedaryouedaryo 2010/02/21 00:15 >僕もそれほど英語が得意というわけではないので、元増田やほかの誰かから「お前の解釈こそおかしいんじゃ!」って反論もあるかもしれませんが。

 すみません、訂正します。
 私は英語が読めないので、元増田の解釈が正しいのか、usokiさんの解釈が正しいのかわかりません。だから本来「確認」は出来ませんでした。
 しかし私は元増田ではなく、usokiさんの解釈を支持します。それは、そちらのほうが「納得」できるからです。
 拒食症で苦しむ人に、「けど食べるもののないアフリカの人より恵まれていますよ」などということに意味がないように、死亡率および生存率が改善しても、それに反比例して精神を害してしまえば、それは「生活水準が向上した」とは言えなくなります。

usokiusoki 2010/02/21 06:27 支持していただきありがとうございます。嬉しく思います。

スパム対策のためのダミーです。もし見えても何も入力しないでください
ゲスト


画像認証