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(無題)
投稿者:
那田尚史
投稿日:2010年 5月 2日(日)18時48分37秒
返信・引用
ハッカイサン、その無念無想が難しいのです。
「微笑禅入門 実践編」で語っているように、人間はほおっておくと過去にとらわれ、未来を心配し、常に言葉とイメージに振り回されています。
それをムーと断ち切るのに何十年も修行しします。
禅者が威張ってはいけませんが、私の大学院時代の後輩の菩提寺が禅宗のボロ寺で、70代の立派な人で昨年、法要に来ました。「本当に悟ると禅を組むと笑い出すそうですね」「そう聞いたことがあります」という問答があったそうです。
それで私が策略を練り、私が会員に送ったで会報やdvdをすべてその住職に送りました。
「とても私のついていけるレベルではありません」と答えられたそうです。
私を信じてほしい、などとかけらも思っていません。「依法不依人」です。正しく生きればそれでいいのです。
世の中バカが多いので、私をナルシストと評する人がいるそうですが、この手の話は腐るほどあります。私は嘘が嫌いです。もう一つだけ。暇なら読んでください。日本映像学会の機関誌に乗った私の評論に対するレヴューです。、大阪芸大教授が感想を書いたもので、現在世界的作家になったある人を世界に紹介したきっかけの私の論文です。
創価学会員ではレベルが高すぎて読めないでしょう。
私が何度も日蓮教学に対して質問したのにだれ一人答えられないのですから。一生大作マンセーで小金をもらって生きてください。私はあなたたちと対話する時間が惜しいです。
*****************************************
那田尚史による「日本映画の六〇年代と金井勝」は、本書の中でも特に重要な論文であると思われる。ひとつには、金井勝という重要かつ特異な映画作家について、まとまった記述としてはほとんど初めてのものであるということである。これは那田自身も述べているが、金井勝の映画の内容に起因している部分が大きい。「微笑う銀河系三部作」と呼ばれる初期作品は、いずれもシュルレアリスティックかつ多義的な暗喩に満ちた表現でありながら1時間弱の中編であり、物語のあらすじを記述することも困難であれば、表現形式に還元しても語りきることのできない、言葉で説明や紹介することのしにくい厄介な作品である。そしてある意味この困難さに立ち向かう那田の方法論そのものが、メタ的にこの論文の論旨となっている。
金井の処女作である『無人列島』(1969年)を取り上げているのだが、那田自身による作品批評・作品論は表面上なかなか顕れない。ここに書かれているのは、時代状況とこの作品の製作・上映活動のいきさつと周辺事情、そして公開当時の批評である。それら言わば作品外部の状況について、那田は執拗なまでの綿密な調査に基づく考察を行っているのである。特に当時の批評については、A状況論的寓意の解読、 B主体論的批評、 Cアーチストによる印象批評の3つのタイプに分類しており、「裏読み批評」として批判されることのあるAタイプについて、時代を経た観客にとって作品理解の手掛かりとなる利点を指摘している。『無人列島』における金嬉老事件や石原慎太郎の暗示は、当時の観客には容易に連想することができても、現代の若い観客にとってはほとんど読み取り不可能な含意である。このことを補足するのに、当時の政治的・状況論的解読が有効であると筆者は述べている。
那田の偏執的なまでの研究対象(とその周辺)へのこだわりは、結果的に読者に作家及び作品評価のための明確なヴィジョンを与えてくれる。そしてその記述が客観的で網羅的であればある程、対象への偏愛のごとき視線がにじみ出てくるようである。
(大橋勝『映像学』vol.76.118-119頁)
--------------------------------------------------------------------------------
映像学の最新号(2006年、 vol.76)に私が書いた金井勝論のレビューが掲載された。
この論文については、様々な人から好評を得て、以前の超絶全面批評でも書いたのだが、今度は日本映像学会の正式な機関誌で取り上げられた。
上の批評で私の研究を「偏執的なこだわり」と表現されている点は特に嬉しかった。この論文はちょっと異様な空気があって、それは金井さんの作品から吹き込まれた息吹から生まれたものであり、また当時の若さゆえのエネルギーでもあった。現在これだけの論文を書く自信はない。その気迫がプロの研究者に伝わったことがとてもあり難かった。
なお、この筆者は、時代状況を調べぬくことが『無人列島』解読の方法論であると結論付けているが、実はそうでもない。この論文は、作品論を書く前の下準備として当時の映画状況、政治状況を精査しているうちに資料が一杯になり、その資料を捨てるのがもったいないからそれで一本論文を書いた、いわば偶然の産物だった。
本来私は『無人列島』の作品論を書くつもりだったし、その自信がないでもない。なぜなら金井作品分析の最大のヒントは金井氏自身が述べている「記憶のモンタージュ」と「オブジェ論」にあり、これを手がかりにすれば作品論は書けるのだ。しかし、私の完全主義は「最新の映像の詩学を駆使して、あっと驚くような華麗な作品分析」を書きたいと望んでいるために、もう少し方法論を洗練したいのである。
あと少し時間を頂ければ、手探り批評ではない、学問的映像詩学に基づいた『無人列島』論が書けるのだが・・・・・・・・・筆者の普段の怠慢を詫びるしかない。
もっとも「批評のスタイルは作品ごとに代えねばならない」というのが私の持論である。『無人列島』は日本の状況論の映画なので、当時の状況論を調べるのが正統派の批評である。しかしこのスタイルは『王国』には通用しない。例えばブレッソンの作品は、ジャンセニズムという宗教思想を理解していないと批評にならない。ブレッソンの作品を表層批評で解読してしまった蓮実重彦は決定的な失敗をしている。例えば「寅さんシリーズ」のような意味と物語だけの映画の場合は、表層批評なりテマティック批評で解体するのが面白い。『無人列島』はオブジェの詩学と状況論の解読が必要な作品なのである。
ともあれ、このレヴューは金井勝さんに捧げたいと思う。
(無題)
投稿者:
那田尚史
投稿日:2010年 5月 1日(土)10時00分1秒
返信・引用
9か月も、妻子を取られ、今度は認知症の母を監禁され(詳細は後で言いますが、八王子は無法地帯ですね)私と会話もできません。どこにいるかも教えません。
全身脱力して寝禅をしていると、あの歓喜がよみがえるようになりました。もう少しです。
(無題)
投稿者:
那田尚史
投稿日:2010年 4月29日(木)16時54分58秒
返信・引用
三食食べられるようになりました。
私の場合、うつ病に苦しみ、二年近くの座禅会へ通い、悟ってない坊主のうんちくを聞いても何の役にも立たないとわかり、独学で本当に悟った人の古文書を紐解きました。私はドラッグ体験はありませんが、覚せい剤を打ったような状態に陥り、二日目に瀬戸さんと知り合い飲みました。
で、戦前戦後、坐禅の理屈を言った人は掃いて捨てる人はいるが、具体的な修行法を書いた人はいないので、見性の修行の具体的体験記を書いたわけです(こういう異常事態なので出版が遅れています)
それで、頭が鬱から逆にターボモードになり、何もかも引受け、その間に妻子監禁、母は認知になり、ますます一人で引き受け、一日に15前後の仕事をこなしてダウンしたわけです。
当然のこと。200キロの荷物を一気に運ぼうとしても無理ですが、10キロずつなら20日で片付きますね。
しかし、仕方なかった、今日中にやらないとだめ、という仕事が待っていましたから。
自分で見性したといいながら、このような愚かなこともします。
包み隠さず述べておきます。
裏をみせ表を見せて 散る紅葉
(無題)
投稿者:
那田尚史
投稿日:2010年 4月29日(木)12時28分44秒
返信・引用
ハッカイさんとは入口が違うので相違があります。
魂の補償作用をおこないましょう。
今度の修行で「頭を取ってきてください」「首根っこを抜いてください」
私はまだ病中ですが3色食べています。膝行法構えの形をとり、歩くときに1足だけ長く歩いています。それだけで筋肉痛になります。
代理人さん、電話ください。
汁の量がハンパない!笑
投稿者:
毎日出してます
投稿日:2010年 4月29日(木)12時20分39秒
返信・引用
自称感じやすいって子と昨日ラ○ブホいったんだけどスゴすぎた、、 服着たまま10分イジったらジーパンヒザまで汁が染みてた!爆笑 換えのスカートもってきてたし!爆笑
http://6Qjv.lushlush.net/
http://3uLE.lushlush.net/oKo3.html
(無題)
投稿者:
那田尚史
投稿日:2010年 4月27日(火)13時09分18秒
返信・引用
寝禅の荒稽古あらげいこをしまた、かかとでも親指でもこきゅうができるよになりました、
ハッカイさんとは見解の相違ですが、死にかけたにんげんにとっては 無念無想は究極の救いです。
死にながら生きる 生きながら死ぬ
あらゆる想念 あらゆる意識が苦痛 言葉もイメージも 念仏も 題目も 苦痛の種です。
ひたすら 無
(無題)
投稿者:
LO
投稿日:2010年 4月26日(月)10時37分6秒
返信・引用
那田さん回復してよかったですね。
私は、先の「生体の電気信号が云々」というお話も含めて、
被害を受けている側の人が釈然とするように、プラスになるように
映画(というか、映像)を撮ろうと思います。
東村山のお話があんまりにも酷くて、人間のイヤな
部分をダイジェストで見てるみたいだなと思ったんですが、
特に工作員みたいな人たちに嫌悪感を抱いてる人も普通に多い
はずです。八王子、すごくヘンなところだと感じたのですが
(私も八王子出身の人から個人情報を抜かれてたことがありました。
段々サブカルがらみの裏のつながりが何なのか解ってきたのですが)、
創価学会とまるで関係ない人もかなり居ると思います。
そういう人たちと、嫌がらせ要員みたいなのがしっかり分けられ
るようにしていきたいですね。
昔、「ドグラ・マグラ」の映画を見たことがあったので、もし
そういうお話を伺えるのであればすごく楽しみにしています。
(今、撮りたいと思っているもののレジュメを作っているところです)。
最後に。
投稿者:
ハッカイ
投稿日:2010年 4月25日(日)23時30分6秒
返信・引用
先生におかれては、ご病気はよくなられたみたいですね。
欝も心の迷妄も最初からないんですよ、無いものを在あると錯誤した所に間違いがあったのです(笑い)解ってみれば単純な事でした。
欝や苦しみと悟りと分けて考えるからおかしくなるのです、心は一つです、只千変万化しているだけです、体験してみればわかります。
無念無想なんて冗談です、でなければ病気です、念は湧き続けますこれに振り回されずに
今に徹しきれば良いだけで、ここが直指人心です、見性です。
酒が飲みたい美味いものが食いたい、女が欲しいなんてもんに振り回されないようになりますよ。
欲望がなくなるんじゃありません、振り回されなくなるんです(笑い)では。
(無題)
投稿者:
那田尚史
投稿日:2010年 4月25日(日)12時03分29秒
返信・引用
編集済
ハッカイさん、接心に入ると聞きました。
悟ったともいわず悟ってる善男善女とわたしとたち 命をかけて国難を救う覚悟のでいている人間との連携について、ずっと考えていました。悟ればうつ病は一発で治ります。接心の間にいい考えを導いてください。合掌
田辺君、
反創価学会弁護士同盟
反創価学会宗教者者同盟について、ヤイロ鳥で議論願います。
以上です。
しばしの御暇。
投稿者:
ハッカイ
投稿日:2010年 4月23日(金)18時22分35秒
返信・引用
26日より十日間ほど連絡が取れなくなります、宜しく。
那田先生も少しづつ回復されているようで,慶賀の極みです。
今座禅と呼吸法を人体実験中です、脱力を簡単に出来る呼吸法で合気にも応用できます。
一日二食の少食にして食後一時間の休憩意外は坐禅と経行と呼吸法で練りこんで
見ます。
座禅や呼吸法は潜在意識をイジル事になるので、戒の厳守がないと魔に落ちます、日蓮は此処を
鋭く突いています、禅天魔や野狐禅は結構多いものです。
部派以前の初期経典と道元は時代を離れてもまるで双子のようです。
悟後の修行が最も大切です、如来蔵や本覚が出鱈目に解釈されています、本覚でなければ
悟りなど無いのですが、本覚だから無戒律では釈迦出生の本懐にもとります。
以上は、新着順1番目から10番目までの記事です。
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