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戦後の米軍慰安所と慰安婦 古沢襄
あれほど大騒ぎした「慰安婦」問題なのだが、最近はトンとその記事が見当たらない。新聞もテレビも”一過性”なのだと割り切れば、それも良かろう。しかし論説にまで掲げて安倍首相の謝罪の仕方にまで文句をつけたのは何だったろうか。

それにしても解せないことがある。四月二十六日にアメリカのAP通信は、東京発で米占領軍が進駐直後、日本の政府や旧軍当局に売春婦の調達や売春施設の開設を命じた一連の日本語書類が発見されたと報じていた。

私が見落としたのかもしれないが、日本の新聞もテレビもこれを報道していない。むしろアメリカの通信社の方が公平な報道に徹している。「戦争と性」の問題は、時代を超えて大きな問題である。単に謝れば済む問題ではない。

この報道で慌てたのは、米議会下院に慰安婦問題で日本を糾弾する決議案を出したマイク・ホンダ議員。ホンダ議員は米軍用慰安婦に関して米軍自体がどんな役割を果たしたかなどの調査を議会調査局に依頼した。それでも旧日本軍の慰安婦はみな「帝国の軍隊の政策として」強制徴用された点が違うとホンダ議員は抗弁している。

しかし終戦直後の日本国内で占領米軍の命令により売春施設が多数、開かれ、日本人「慰安婦」数万人が米軍に性の奉仕をして、その中には強制された女性もいたことは事実として残っている。

産経新聞の古森義久ワシントン特派員は次のように伝えてきた。

(1)1945年8月末から9月にかけ、米軍の命令を受けて日本政府の内務省などが東京はじめ茨城県などの地方自治体に「慰安婦」集めを指示し、合計7万人以上の女性が売春に従事した。

(2)米軍当局はそれら女性の一部は強制徴用されたという報告があることを知りながら、慰安所開設を認め、連日連夜、米軍将兵が詰めかけることを許した。

AP通信の報道はこの米軍慰安所にかかわって当時の日本側関係者数人を実名で紹介しその談話をも引用している。これら日本の米軍用慰安所は連合軍最高司令官のマッカーサー元帥の命令で1946年3月末には閉鎖されたという。

日本側でも終戦直後に米軍から売春施設開設を命じられたことについては旧日本軍が米軍進駐受け入れの準備組織として結成した「有末機関」のメンバーたちの証言が残っているという。

同じ産経新聞だが、阿比留瑠比記者は1994年9月17日の「正論」に掲載された地域改善啓発センター理事長・磯村英一氏の「日本軍だけでない慰安婦問題」をブログで紹介している。

           ◆命令された娯楽施設の怪

最近の北京訪問で気になったのは、一九九五年国連が北京で開く女性の人権に関する会議のこと。私は一年前の一九九三年九月、国連がウィーンで開いた世界人権会議に、同和問題の関係から参加した。そのとき直面した課題は、第二次世界大戦中、日本がアジアの戦場で、女性の人権を侵したという課題、いわゆる“慰安婦”の問題である。NGO(国連が認めた民間団体)の側からも、きびしい追及があった。

日本側は、その問題に関しての十分な準備がないので次の国連の集会に報告するとして、ウィーンでは問題にならなかったが、次の国連の集会は、問題もそのものズバリの“女性の人権”である。日本政府は少なくとも来年の会議までに何らかの対応を国民にも知らさなければならない。最近一応の案を出しているが、それで済むのか。

直接その問題にはかかわりがない私が、発言をするのは、この慰安婦の問題は、決して日本の軍隊だけでなかったという事実を、私自身が経験しているからである。

日本の終戦直後、私は東京都の渉外部長で、占領軍司令部の命令に、“サービス”を提供する役割を課された。戦勝者の命令は絶対である。僅か一、二週間の間に占領軍の兵隊のためにワシントン・ハイツ等という名の宿舎の建設が命令され、将校たちのためには、洋式のトイレの住宅を接収し、提供した。

敗戦の年のクリスマス、司令部の将校から呼ばれて“ヨシワラ”の状態の報告を命ぜられた。もちろん、その地区は焦土と化していた。命令は宿舎を造って、占領軍の兵隊のために、“女性”を集めろということだった。

命令は英語で“レクリエーション・センター”の設置である。最初は室内運動場の整備だと思ったが、そうではない。旧“ヨシワラ”のそれであった。

敗戦直後の東京の行政は、女・子供はできるだけ地方に分散するようにという命令が出され、占領軍の兵隊のための宿舎をつくる労力さえも不足の状態だった。しかも外国の兵隊は、鬼畜とさえ教えたのを、改めてそのようなサービスを提供するなどできるものではなかった。

しかし、市民の中には、食べ物も少なく、中にはチョコレート一個で身体を売るような話まで広がっている。やむを得ず焼け残った“地区”の人々に、文字通り、食料を支給すると約束してバラック建ての“サービス・センター”に来てもらった。その理由として、日本の“一般の女性の操”を守るためにといって頭を下げた。こんな犠牲を強いた私自身が“人権”などという言葉を口になど出せるものではないと反省している。

             ◆「昔の恥を」と詰問される

やむを得ず関係している業者に直接話して、“お国のため”という言葉を使ったことを覚えている。もし仮にいわゆる“慰安婦”問題に関して国連の舞台で、日本政府が外国人の慰安婦に何らかの措置をとる場合、そのような言葉を使ってサービスを求めたことはどうなるのか。この一文を書くために、その当時、私の命令―事実は勝者の強制を背後にして―によって、サービスをしたと思われる人を訪れたが、“昔の恥を思い出させるのか”という返事に返す言葉がなかった。正直にいって、敗戦の中で女性をそのような環境に追いやったことに、返す言葉をもたない。

来年、北京で日本軍の“慰安婦”の問題がどう提起されるか知らない。しかし国連加盟の前に自分の国の女性が文字通り、戦争の犠牲―それも外国人のため−になっていた問題について私は黙ってはいられない。

戦争というものが、もしこのような一見“ムジュン”ともみえる犠牲を生んでいることから、たとえそれが国連という“議政壇上”のテーマであるかどうかは別として、日本人が本当に平和に徹し、そのために協力するというならば、“勝者のみの論理”を否定するだけでなく、“人権の哲学”にこれまで語られてきたような深刻な意義のあることが認識されるようになって欲しい。

             ◆無神経な政治にいらだち

そして我々日本人は、私が強く反省した“私を証人に立てて再び恥をさらすのですか”という反論の言葉に象徴される“弱きゆえの犠牲”に対して、終戦から五十年目を迎えるに当たって、“一億の国民の反省”があってもよいのではないか。

敗戦が終戦と置き換えられて五十年、この半世紀の日本の変化のなかに“日本人にとって敗戦とは何であったか”といった反省が足りないように思える。否それどころではない。一歩誤ればその当時よく使われた“玉碎”という美しく見える表現のなかに、真の人権というものを忘れる恐れさえ感じる。

敢えてこの問題を“政治的課題”としてとりあげるのではないが、余りにもこの半世紀の経過に無神経すぎる政治の現状に反省を促したい。(いそむら・えいいち)
| 古澤襄 | 20:38 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |







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