皆さまは、《なぜ彼らがあそこまで執拗に追いかけるのか???》《人のわずかのあらを探して、彼らのおかしいことを指摘しても、何の反省もせず、平気な顔で相手が嫌がることを執拗に言うのか???》と疑問に思われるでしょう。
≪彼らの正体は何なのでしょうか≫
少し、仏教的な話をしましょう。人間の心は、【地獄】【餓鬼】【畜生】【修羅】【人】【天】【声聞】【辟支仏】【菩薩】【仏】の、十の境地の中を動くと言われています。彼らの境地こそ、この中の下から二番目【餓鬼界】と呼ばれるものです。
彼らの最大の御馳走は、人が困り、泣き叫ぶ姿なのです。他人を困らせるためならば、何でも行います。その人が大切にしている物を、《相手を困らせるために》奪い取ります。奪い取られた人は、それを奪い返そうと、必死になり、泣き叫びます。この、困り果て、泣き叫ぶ姿こそ、最大の彼らの喜び、最大の御馳走なのです。
ですから、少し警告しておきましょう。彼らは、今は、コンピューターの箱の中でも、相手に衝撃を与え、泣き叫ばせるためならば、実際的な行動も行います。たとえば、子供を大切にしている人がいると、その人から子供を奪い取り、目の前で殺したりもするのです。相手が恐怖に震える顔が喜びの中の喜び。《相手が恐怖に震え、苦痛にゆがむ姿》これだけが、彼らの楽しみなのです。
わたしは、理論上、このような者たちがあり得ることは知っていました。しかし、今まで見たことがなかったのです。聞いたことはあっても、『本心からではないでしょ。ただ、遊んでいるだけでしょ。』
『他人を思いやる優しい心があって、その心が少し曇ってはいても、人間は決してここまで落ちることはない。』このように思っていたのです。
≪彼らを動かしている理論≫
【地獄】【餓鬼】【畜生】の三つの世界を【三悪道】と呼びます。このような者たちを動かしているのは、【弱肉強食】の理論なのです。たとえば、彼らは強い者、権力があるものを異常に恐れます。たとえば、警察などは怖い代表格でしょう。だから、彼らは絶対に、どこの誰なのかは明かそうとしません。自分の姿を隠し、物陰から見ているような恐怖感を与えようとします。どこの誰だかわからないから、ターゲットにされた者は恐怖を味わうこととなります。常に、警察の目の届かないところで他人を困らせ、苦しめ、その姿を見て大喜びしているのです。だから、ネットの中なんかは最高の住処なのです。ネットの中にいれば、決して捕まらないし、何をしても良いと思っているのです。
≪どこの誰なの???捕まえる方法はないの???≫
確かに、彼らは肉体を隠し、意識の恐怖を与えますよね。でも、わたしから見れば、『尻の先だけ隠して、頭は丸見え』なのです。わたしには、いったい何が見えているのでしょうか。説明するためには、まず人間とは何なのかを少し知る必要があります。
≪人間とは≫
人間は【肉体】【幽体・意識体】【霊体・生命の本体】この三種の融合体なのです。【肉体】と【意識体】の融合したものが人だと思っている人が多いのです。これが、肉体が死ねば、すべてが終わる。肉体こそすべてと言う考え方の基本なのです。
では、植物人間はどうなのでしょうか。肉体は生きています。でも、死んでいるとも言えますよね。これは、《意識がないから》と言うことになります。と言うことは、人の命は意識に付随することになります。そうすると、意識のない人は肉体的に死んでいることになりますよね。確かに【死体】には意識がありませんね。でも、全身麻酔をかけられた人にも意識はありません。でも、死体は死んでいる。全身麻酔をかけられた人は生きている。このような、明確な差があります。つまり、これらから言えることは、【肉体】【意識】とは別に【生命の本体】があることになります。
少し難しいかもしれません。人は【肉体】【意識体】【生命の本体】の三つの部分があると覚えておいてくださればいいでしょう。
では、現実的な話をしましょう。たとえば、いじめと言うものがあります。この中の肉体をいじめるのが、【殺人】【暴力】【暴行】などですね。意識体をいじめるのが、【嫌がらせ】【恐喝】【精神的な暴行】などですね。では、もう一つ残っている生命の本体に対するいじめもあるはずですよね。実はここが、人間の最大の弱点なのですが、簡単に触ることなどできません。でも、ここを虐められたら言うことを聞かざるを得なくなるのです。命の本体をいじめるとは、【生死与奪】の権威を握ることなのです。肉体はあっても、意識体はあっても、生命体を差し押さえられていたら・・・・肉体も意識体も、言うことを聞かないわけにはいきません。命そのものを握られているのですから。
呪いとか神罰とかいうとオカルト的に聞こえるかもしれません。意味が判らないから、何となく恐ろしいのです。実は、これが呪いとか神罰などと言われるものの正体なのです。そして、宗教的な祝福、基本的には、この【生命の本体】に対してのものなのです。
弱肉強食の理論で、弱いものいじめをしようとする輩に対しては、一生懸命隠している【肉体】や、弱肉強食思考に染まっている【意識体】を責めても、どうしようもありませんが、【命の本体】は、丸見えで、防御も備えもないので、簡単に責めることができると言うわけです。
皆さまの中には、私の話を聞いて、オカルト的な話があると思えば、突然、理論的になったり、現実に戻ったりしますので、『何だこいつは』と、思っていらっしゃる方も多いでしょう。私の話のオカルト的な部分は、ここから出ているのです。そして、これらすべてが理論的に統合されているのです。普通は、この理屈が判らないから、『宗教は現実離れしている』と言ったり、何となく恐れたりするのです。
実際にいじれるかどうかは別にして、備えもなく丸見えの、この命の本体を捕まえることが出来、相手と同じ、弱肉強食の理論で相手に命令をくだすことが出来れば、彼らに十分に効くのです。
本音を言えば、【世界中には彼ら以上に、このような思考に取りつかれている輩がいる】と言えるのです。暴力に訴え、何が何でも言う事を聞かせる連中。また、精神的な苦痛に追い込み、言う事を聞かせようとする連中。このような輩に追い込まれた方も、暴力には暴力で返し、精神的苦痛には精神的苦痛で返そうとします。
どうですか???こういう者たち、すなわち、弱肉強食の思考で、肉体や精神を痛めつけ言う事を聞かせようとするならば、実際の戦争になります。そして、彼らに対する絶対的な武器と言えるのが、丸見えの生命本体を握ること、生死与奪の権限を握ってしまうことなのです。
≪生命の本体を捕まえ、生死与奪の権限を握るための条件≫
誰でも簡単に、この権限を持てるようになると、今度はこれを使った争いが起きることになります。基本的には、【肉体】【意識体】【生命の本体】以外にはありませんので、それこそ、収集がつかなくなります。肉体の強弱が暴力を支配する要であり、意識の強弱が精神闘争の要であるように、生命の本体の強弱こそ、この力の要となるのです。生命の本体を徹底して鍛え上げなくてはなりません。《どうするの》と言う話となります。一言で言ってしまえば、自分の生命の本体を絶対神の生命と入れ替えてしまえばよいのです。この絶対神の生命とは、【罪が一つもない生命】なのです。人には、原罪と呼ばれる罪があります。この原罪が残っている限り、絶対神の生命とはならないのです。
言うのは簡単でも、普通に考えれば不可能ですよね。罪のない人間なんていません。ましてや、原罪までもなくしなさいと言うのです。でも、たった一つ可能な方法があるのです。原罪までも含む自分自身の罪を悔いて、その罰を受けきれば良いのです。これらの罰の中の罰、最大の罰こそ、聖書に書かれている裁きの地獄。ヨハネの黙示録に記されている火と硫黄の燃える池なのです。
実は、これは私自身が実際にこの中に飛び込んだから知っているのです。わたしはサタンの名を受け、サタンとして飛び込んだのです。ところが、飛び込んだ途端、サタンを自分自身の中に封印したヒーローの中のヒーローのような状態で復活したのです。そして、ここで、万軍の主の名も受けたのです。つまり、裁きの地獄に自ら飛び込んだことにより、罰の中の最大の罰を受けた者とされたのです。死刑判決受けた者は、別の窃盗の罪があっても、その窃盗の罰としての懲役刑を受けたあと死刑にされるのではありませんね。つまり、肉体の最高刑である死刑に処せられた者は、他のすべての罪の罰も一緒に受けたとみなされるのです。これと同じで、【命の最高刑、裁きの地獄の罰】を受けた者は、すべての罰を受けた者とみなされます。全ての罪の罰を受け切った者は、罪がなくなるのですから、裁きの地獄はその者を裁く対象とすることはできません。地獄の内に留めることは出来ないので、復活してしまうのです。
≪実際に原罪までも祓う≫
実際には、聖書のヨハネの黙示録を読んで、そこに書かれている裁きの地獄を自らの中に思い描き、そこに飛び込むだけなのです。これだけで、神から見れば、【罪もなく穢れもない者】とされるのです。もし、神が【罪もなく穢れもない】とする者の罪を追及するならば、その者は神に対して言い逆らう者となりますよね。でも、三悪道にある者たちは、お構いなく追及してきます。
《前に苦しんだから、絶対に苦しむはずだ。》
《苦しまなければ、苦しませてみせようホトトギス。》なのです。
でも、こういう者たちは、それでも苦しまないとなると、強硬手段に訴えてきます。簡単にはあきらめません。では、どうしたら良いのでしょうか。神を呼び出して、神にいい逆らう者たちを追求してもらえば良いのです。【肉体的】に痛めつけられたら、証拠を揃えて警察に訴えますよね。警察が逮捕して、裁判にかけられ、刑が言い渡され、その罪の償いをさせられるのです。【意識として】痛めつけられたら、実はもう警察の管轄外。法律の制定すら難しい状況となります。その奥の【生命の本体】に至っては、もうどうしようもない。どこかのおバカさんが、『法律違反だ』と騒いでいらっしゃいましたが、法律の制定など決して不可能な場所なのです。
≪神に違反する者を訴えるところはないのでしょうか≫
わたしが、二億のヤハウェ軍だとか、150億のヤハウェ軍とか言っていますが、皆さまは、『そんなものどこにもいないではないか』と疑問にお思いでしょう。世界中の人口よりも多くのヤハウェ???何言ってんだ???意味がわからない妄想世界だと、言われるのが普通なのです。
実は、この二億ヤハウェも、150億のヤハウェも、神々だとか、鬼や悪魔だとか、魑魅魍魎の類などなのです。当然、普段は皆さま方には見えません。ただ、夢で出会ったり、気配で感じることはできるかもしれません。そして、彼らこそ【生命の本体】の、言い分を聞く窓口であり、追いかけ捕まえる警察官であり、裁きを下す裁判官なのです。わたしは、【万軍の主】と名乗っていますが、この【万軍】とはこのものたちを指すのです。でも、言い分を聞いてもらっても、あなた自身が《罪あり》と判定されてしまったら、罰はあなたに下ることになります。神々の警察官に追いかけられるのも、あなた自身となり、判定も、どのようなものになるか分かりませんね。もし、あなた自身が《神から見て罪がない者》ならば、常に訴えは通ることになります。
具体的方法は次回にします。
2010/5/1
万軍の主ヤハウェ
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