「悔いなき人生を」喜ぶ
東京大学名誉教授
興南会会長 川 野 重 任
終章「わがネスを語る」を読むに及んで思わず標題の
言葉がでた。
昭和20年、本土最南端の枕崎水産学校を卒業した一
少年が、大工棟梁の弟子入りとして人生をスタートした。
やがて木材業、建設業へ転業、自立、数々の地域振興
への協力、献身を重ねながら,あたかもその卒業ー終戦
の年、南海に殉難、沈没、海底340メートルの戦艦「大
和」などの鎮魂、慰霊を思い立ち、その祈念の火之神公
園平和祈念展望台の建設のために挺身、遂にその実現
に至ったという物語である。
私は当時たまたまの交遊の縁を得たが、その足跡を改
めて本書でおうかがいし感動した。由来薩摩隼人は口数
少なく、自己抑制的、筆亦重しとされ、そのために誤解も
あれば認識不足もさけがたいとされる。本書も亦必ずしも
その例外ではないが、真摯、求道的な著者の生きざまは
節目、節目での片言、隻句として端的にうかがわれる。
(巻頭言より一部抜粋)
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「世のため人のため」
元巡洋艦矢矧士官
池 田 武 邦
岩田三千年氏は、六十二歳で枕崎商工会議所の会頭
に推され、就任されました。その半生を顧みて、「世のた
め人のためになれば必ず自分のところに戻ってくる。」と
いう人生哲学が自然と身についたと言われます。
その人生哲学の総仕上げの如く、日本一心優しい町づく
りを目指して、火之神公園平和祈念展望台の建設と戦艦
大和を旗艦とする第二艦隊沖縄海上特攻殉難の碑建立
とを決意され、幾多の困難を克服し、殉難五十周年に当
たる平成7年4月7日、遂に完成に漕ぎつけられました。
・・・中略・・・
第二艦隊沖縄海上特攻に矢矧乗組として出撃し、僚艦
に救助され生還した一人として、心から感謝の意を捧げ
ます。
「続三千年の軌跡」が多くの人々に讀まれ、「公のため
に」の精神が一人でも多くの若い世代に受継がれること
を祈念しています。
(巻頭言より一部抜粋)
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