慶応大病院(東京都新宿区)で治療を受け、がんの一種「子宮肉腫」で死亡した女性(当時26歳)の千葉県に住む両親が「担当医らの誤診が原因」として、大学側に賠償を求め千葉地裁松戸支部に提訴したことが1日分かった。同大医学部助手だった担当医や向井万起男准教授は「非常にまれな良性の偽肉腫」と診断し、約1年の経過観察中に学会報告もしていた。両親側は「早期の子宮摘出で助かる見込みがあった」と訴え、病院側は「過失はない」と反論している。
向井氏は腫瘍(しゅよう)病理学の権威で同病院病理診断部長を務め、向井千秋・宇宙飛行士の夫としても知られる。
訴状によると、女性は03年8月、子宮のポリープで病院を受診。切除した組織片を診た担当医と向井氏は翌9月、肉腫に見えても良性の場合があるとの海外論文などから「良性の偽肉腫が第1候補」と診断、組織片検査など経過観察にとどめた。女性は04年10月に大量出血し開腹手術を受けたが、肉腫が腹にも転移し手遅れの状態で同12月死亡。担当医は診断書に死因を「子宮肉腫」と記した。
両親側は▽担当医に女性を引き継いだ別の医師は肉腫と診断した▽肉腫の疑いがあれば通常ただちに子宮を摘出する--などとして「担当医と向井氏は初診時に子宮摘出を決める義務を怠った」と主張。損害額は約6700万円に上るとしたうえで、その一部160万円の賠償を求めている。
今年2月の第1回口頭弁論で病院側は、請求棄却を求める答弁書を提出。訴訟外で遺族に渡した文書では「当時の女性の体調で今回のような肉腫は普通発生しない」と指摘し、まれな良性の症例として学会で2度報告したと認め「良性の可能性があるのに子宮を摘出するのは暴論」と過失を否定した。取材に対し「係争中でコメントできない」としている。【西浦久雄】
研究と治療を担う大学病院で女性が亡くなったのはなぜか。訴状で両親側は「もし偽肉腫なら世界でもまれな臨床診断例で研究的価値が高いため、あえて肉腫の診断・治療をしなかった」と指摘している。女性の母(65)は「娘の死を無駄にしたくない。治療の経緯を明らかにしてほしい」と訴訟に込めた思いを語る。
「大病院だからと信じたら殺されちゃうよ」。死の間際に女性が漏らした一言が忘れられない、と母は言う。第1回口頭弁論では遺影を胸に法廷に入った。担当医や向井氏からは「肉腫の可能性はゼロではないが良性の線で治療を進める」と説明を受けたという。姉(36)は「黒に近いグレーと言われたら家族全員で子宮摘出を説得していた。医師の仕事は学会発表ではなく、患者の命を守ることではないのか」と憤る。両親側の谷直樹弁護士も治療の経緯に関し「医師の基本的倫理に反する」と批判する。
これに対し病院側は遺族に渡した文書で「良性だから大丈夫などといった説明は一切していない。子どもを産みたいという女性の気持ちも考え最善の努力をした」と反論しており今後、訴訟でも同様に争うとみられる。
毎日新聞 2010年5月2日 2時30分