小林公平氏、死去…宝塚歌劇団理事長、会長歴任
阪急電鉄の元社長で、宝塚歌劇団理事長などを務めた小林公平(こばやし・こうへい)氏が1日午前6時20分、肺炎のため大阪府池田市の病院で死去した。82歳。東京都出身。自宅は非公表。通夜は2日午後7時から、葬儀・告別式から密葬として、いずれも3日午前11時から兵庫県西宮市高畑町2の25、エテルノ西宮で執り行う。喪主は長男公一(こういち)氏。後日「お別れの会」を行うが、日取りなどは未定。
昨年の春から食道がんのため入退院を繰り返していたが、同年10月に自作の「コインブラ物語」が上演された際には元気な様子だった。だが、4月に病気療養の理由で宝塚音楽学校校長を退任した。
慶応大卒業後、阪急電鉄創業者、故小林一三氏の三男の婿養子となり、阪急不動産に入社。1969年に京阪神急行電鉄(現阪急電鉄)に移り、87年社長に就任、93年から2003年まで会長を務めた。
宝塚歌劇の発展にも力を注ぎ、1974年から80年、84年から85年まで理事長、93年から99年まで会長を務め「ベルサイユのばら」「風と共に去りぬ」などのヒット作を生みだし戦後2度目の黄金時代を築いた。舞台の原作や「公文健」のペンネームで作詞も手掛けた。オーナーを務めていたプロ野球の阪急ブレーブスを88年にオリックスに売却するなど、グループ事業の再編も進めた。
[ 2010年5月2日付 ]
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