きょうの社説 2010年5月2日

◎金沢城復元整備 「宮守坂」改修の具体化も
 河北門の復元が終わって金沢城公園の整備は広坂側に移り、新しい青写真を描く段階に 入った。二の丸御殿、辰巳櫓(たつみやぐら)、鼠多門(ねずみたもん)復元の夢へ一歩踏み出してほしい。既に整備が進んでいる玉泉院丸跡でも、雄大な石垣の連続性を断ち切る形になっている明治末期に造られた宮守(いもり)坂をどうするのか、改修の具体案を出す時期だろう。

 金沢城公園中央部では橋爪門続櫓(つづきやぐら)横の二の門復元が残されているが、 主眼は玉泉院丸整備を柱とした広坂から尾山神社側に移った。短期計画が一応完了したわけで、先に金沢経済同友会が「次は多くの県民が夢を持てる中長期的な計画が必要だ」として、辰巳櫓、二の丸御殿、玉泉院丸入り口にあった鼠多門などの復元を挙げた。

 いずれも、これまでの復元規模を上回る事業が予想され、簡単に実現するものではない が、これら将来の中長期計画の手前にあって、現在進行中の重要な事業となっているのが玉泉院丸庭園の復元である。この庭園が大切なのは色紙短冊積(しきしたんざくづみ)と呼ばれる金沢城独特の「見せる石垣」があるからだ。当初は庭園の一角だけかと見られていた芸術的な石垣は、発掘調査が進む中で、左右に広がる屏風(びょうぶ)のような美しい全容であることが確認された。そのパノラマ状の石垣の半分近くが、明治時代に陸軍が造った宮守坂で大きく削られているのである。

 この事実は6年前に金沢城整備の基本方針をまとめた検討委員会でも話題となった。坂 の撤去を含む何らかの「宮守坂改修」の必要性が指摘されたのである。

 玉泉院丸庭園の復元は現在着々と進んでいる。ただ、坂の扱いをどうするかまでは踏み 込んだ論議にはなっていない。玉泉院丸庭園の真価を引き出すには、宮守坂の大胆な改修は避けて通ることはできない。一段落した短期計画と、これからの中長期計画を結ぶ大事な視点でもある。

 香林坊側から玉泉院丸を通って城に入り、二の丸広場に至る道を将来の主軸にするため にも重要な工事である。宮守坂の位置づけを具体化した青写真を描き、県民に示す時期に来ている。

◎NPT再検討会議 核軍縮・不拡散の分水嶺
 核拡散防止条約(NPT)再検討会議が3日からニューヨークで開かれる。空洞化が進 むNPT体制の立て直しを図り、核軍縮・不拡散の機運をさらに高められるかどうかの「分水嶺(れい)」になると見られる重要会議であり、完全決裂した前回の失敗を繰り返してはならない。

 大きな鍵を握るのは、新たな核軍縮条約に調印した米ロである。NPTは核保有を認め る米ロと中英仏の加盟5カ国に「誠実な核軍縮交渉」を義務づけている。米ロは中英仏も核削減に向かうよう指導力を発揮してもらいたい。

 核保有の5大国に条約義務を果たす姿勢がなければ、他国に対する核廃棄・不拡散の呼 びかけは説得力を欠き、NPTによる核の秩序は崩れるばかりである。

 NPT再検討会議は、NPTがめざす核軍縮、核拡散防止、原子力の平和利用の状況を 点検するため、5年に1度開催される。1995年の会議では、実質的な核保有国と見なされるイスラエルを念頭に、中東の非核地帯化を求める「中東決議」を採択し、2000年会議では「核保有国が核廃絶を明確に約束する」という歴史的な合意文書を採択した。

 しかし、前回の05年会議は、核廃絶の約束確認を渋った当時のブッシュ米政権と、イ ランなど非核保有国の対立で合意文書をまとめることはできなかった。

 イランや北朝鮮は国際社会の批判を無視して核開発を進め、NPT体制の穴は大きくな るばかりであるが、今回の再検討会議には、米ロの新核軍縮条約や「核兵器の役割低減」を明確にしたオバマ米政権の新核戦略指針、さらに核テロ防止のため核物質の管理強化で一致した核安保サミットの成功という「順風」が吹いている。

 ただ、NPT再検討会議の文書採択は全会一致が原則であり、楽観はできない。イスラ エルの核を黙認しながらイランや北朝鮮の核開発を認めぬ米国の「二重基準」に対し、中東諸国などの批判は根強い。今回も合意文書採択に失敗すれば、NPT体制の機能不全は決定的になり、核軍縮・不拡散の機運もしぼむ恐れがある。