地下鉄サリン:遺族が関係者取材、映像に 20日で15年

2010年3月11日 13時28分 更新:3月11日 15時5分

オウム逃走信者の看板の前に立つ高橋シズヱさん=東京都杉並区の高井戸警察署で2010年1月、石井諭撮影
オウム逃走信者の看板の前に立つ高橋シズヱさん=東京都杉並区の高井戸警察署で2010年1月、石井諭撮影

 地下鉄サリン事件で夫を亡くした高橋シズヱさん(63)が、被害者や捜査にかかわった人たちをインタビューした記録映像が13日、「地下鉄サリン事件から15年のつどい」で上映される。「地下鉄サリン事件被害者の会」代表世話人として、いつもは取材される側の高橋さんだが、「事件を知らない若い人たちに何が起きたか伝えたい」と自ら11人を取材し、ビデオ映像に残した。【山本浩資】

 事件は95年3月20日朝に発生。営団地下鉄(現東京メトロ)霞ケ関駅助役だった夫一正さん(当時50歳)は勤務中にサリンを吸って亡くなり、高橋さんは被害者救済を求めて活動してきた。被害者や遺族に国が給付金を支払う「オウム真理教犯罪被害者救済法」が08年12月に施行されたこともあり、これまでの道のりを関係者の証言で伝えようと思い立ち、昨秋から取材を始めた。インタビューしたのは、遺族や被害者のほか、当時警察庁長官だった国松孝次さん、被害者が運ばれた聖路加国際病院の救急医だった奥村徹さん、警察庁の犯罪被害者対策室長だった太田裕之さん、前検事総長の但木敬一さんら。

 被害者は何を要望し、関係者はどのように受け止めたのか……。ずっと感じていた疑問や次代に語り継ぐべきことを考えながら質問した。事件で娘を失った遺族への取材では、一緒に涙を流した。

 「当時の法律では被害者救済はおろか、捜査にも縛りがあった。歯がゆい思いをしていたのは私たち被害者だけではなく、法律を一つ成立させることがどれほど大変かと実感した」と取材を振り返る。映像は20時間にも及び、悩みながら約1時間に編集した。高橋さんは「被害者の言葉で紡ぐと重たい話になるが、被害者以外の客観的な言葉は誰もの心に受け入れられると思う。一人でも多くの人に見てほしい」と話している。

 ◇13日に日本プレスセンターホールで

 「地下鉄サリン事件から15年のつどい」は13日午後1時、東京都千代田区内幸町2の日本プレスセンターホールで開かれる。入場無料。

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