もしも時間があったならば、ずっとしたいと思っていたことがありました。それは、きちんと世界史、それも半分以上がまだ謎に包まれた、紀元前後の古代史を勉強することです。さあ、どうしよう。古代はどっからでも行けるから面白い!歴史から行くのか、神話から行くのか、宗教から行くのか。それともアレキサンダーや、三国志、クレオパトラなんかの物語からか。
歴史の、ある瞬間を切り取ったドラマはとても面白いけれど、それだとどうしても人間的な主観的な見方になってしまうので、もう少し、全体のつながりが見えるように勉強してみたい、と言う思いがありました。しかも、きわめて基本的なことから。
そこで、私は図書館で子供の本のコーナーに行ってみました。簡単で手っ取り早く全体を俯瞰することができる、と思ったのもありますが、子供用に出版された本と言うのは、内容の良し悪しはともかくとして、大人向けの本に比べとても自覚的に、真面目に書かれている場合が多いのです。人間と言うもの、次の世代に対する責任を考えない人はなかなかいないんですね。少なくとも、日銭稼ぎに間に合わせで書いたような物は少ないと感じます。
はたして、私はとっても素敵な本に出会いました。大月書店から出版された「ファミリー版 世界と日本の歴史」シリーズです。前置きが長くなってしまいましたが、今日はこれの紹介をしたくて。もっとも最初はこの本は辞めた方がいいかなと迷いました。と言うのも、出版されたのが1987年だったからです。地図には当たり前にソ連が出ています。科学や歴史はどんどん更新されていくものだから最新の物が良いに決まっている?でも、どうしてもこの本に惹かれました。その理由は、本の最初に書かれた「読者のみなさんへ」の熱く、生き生きとした文章に集約されています。
少し、引用させてもらいます。
生まれてみたら、そこは、日本であった。気がつくと、いまは、二十世紀がおわろうとする時代だった。見わたせば、世界のいたるところで、人びとは、いっしょうけんめいに生きている。この地球のあらゆるところで、それぞれの時代の、おとなや子ども、男や女が、よろこび、かなしみ、愛し、憎み、楽しみ、耐え、怒りながら、毎日を生きてきた。そのくらしのつみかさなりが、歴史となった。
(中略)
日本の歴史は、日本だけで成立しているのではない。日本史はつねに世界史のなかで動いてきた。同時に、日本史は世界史をささえている。この本は、日本史のなかに世界史を発見し、世界史のなかに日本史を見つけようとするこころみである。わたしたちは、いつか、どこかで身につけてしまっている、あまり確かでない知識や、ものの見かた・考えかたをもっている。大事なことで見おとしているできごとがある。反対に、たいしたことではないのに、後生大事にしている知識もある。知っていても、そのことの意味をきちんとつかんでいないことがある。
(後略)
自分の心に響いた部分だけを抜き出してしまいましたが、なんとなくこの本の試みが伝わるでしょうか。文章、言葉の選別の正確さ、誠実さが伝わるでしょうか。
私は高校時代、日本史を勉強していて、どうにも、その時代によってどうせ変わってしまうであろう、日本の集団ヒステリー的な虫視点のモノの見かたが馴染めない、と言うより怖かった記憶があります。(また、主観的でありながら、科学や歴史はさも客観的に「わかったこと」として伝えようとします。)逆に世界史の場合、まるで絵空事のような、固有名称ばかりを覚える授業で、とても眠かった……。想像の翼を広げて楽しむことのできる世界史好きのクラスメイトを羨ましく思ったものです。
さて、そんなわけで、原始と古代の3巻を読んだところですが、本当にすばらしい本でした。特に第一巻「原始、文明の誕生」は本当に面白かった。「はじめに」で大変緊張感のある一文が入ります。
「ヒトが、ほんとうにりこうな生物か、それともおろかな生物であるかどうかが、まもなくきまるだろう、というときに、わたしたちは生きているのではないだろうか。」
この本は、学校でやったような原始人や四大文明から始まりません。また、神話からも宗教からも始まりませんでした。(私は神話や宗教の勉強は大好きで、それを否定したいわけではありません。著者は歴史や事実としてこう言った分野を用いてしまう危険性をよくわかっているのでしょう。)目次はこうです。「ツンドラと森林の民」「草原と沙漠とオアシスの民」「大地をたがやす人びと」「海に生きる人びと」「モザイク列島日本」。
著者は「確かに四大文明発祥地からすばらしい文明の華がひらいたことは事実だが、文明は、ここだけに起こったのではなく、地球のどこにでもヒトは住んでいた、そこにふさわしいやり方で、暮らした」と語ります。「ある地域では狩りをし、あるところでは家畜を飼い、別の地域では植物を育て、また魚を採る。固い小さなコメつぶを煮て食べることを最初にやったのは、誰だろうか。小麦をつぶして粉にして水でこねて焼いてパンにして食べるということを考えた発明家は、どこの誰か。」他にもいっぱい例を出して、「しかもいちばん早く考え出した者だけがえらいのではなく、人びとはそれを他に与え、他から受け取り、互いに交流しあった」と、読んでいる方が涙ぐむぐらい熱く伝えます。
つまり、全12巻の最初の巻であるこの一冊の中で、食べ物や暮らしを中心とした地球の全てのヒトの最初と現在を語り、文化や風習に優劣はなく、誰を無視しても歴史は成り立たないことを、真摯に伝えようとしているのです。
かと言って、説教くさいわけではなく、その内容はとても面白い。
生きるために肉食しかできない氷の世界の人びとの暮らし、どうやって恋を語るか、残酷感の違い、次に訪れる一度も見たことのない人のために小屋に食糧と薪を必ず残して去る狩人の話。
定住を堕落として、誇り高く厳しい遊牧生活をする人びとの暮らし、星の大群やいろいろの乳製品の話。砂漠やオアシスでの暮らし、砂漠で冷やしスイカを食べられるか、厳しい自然に嘆くのか楽しむのか、砂が動き出し廃墟となるオアシスで子に無常を伝える父の話。
世界のいたるところで大地をたがやす人びとの暮らし、文明として農耕を取り上げる前にバナナやイモがどこで作られたか、アフリカではじまった農業などの話、これもこの本独特です。そして、絵や彫刻や建築物、文学や音楽や古墳などを文化遺産と考える前に「栽培植物は、人間社会がつくりあげた、いちばん重要な文化財だ」と語りが入り。
南太平洋に住む人びとの暮らしは、それ自体を取り上げる前に、「第五福竜丸」を例に、まるで無人島かのように核兵器の実験が行われた話が挿入されます。その善悪を伝えるためではなく、過去と現在を繋げ、人びとの暮らしを繋げ、読む側がダイナミックに大きな視点で物事を考えられるように工夫しているようです。
そして、モザイク列島日本の章では、日本語のルーツに迫り、どこからでも人や物が入って来られる中で、日本がどんな文化をかたちづくっていったかと締めくくります。
二巻からはじまる世界と日本の歴史の壮大な序章です。
ちなみに、二巻以降は、きちんと四大文明や歴史上名だたる英雄達が出てきます。しかし、歴史学とは「あくまでも文字で書かれた記録を元に過去を明らかにする学問」であると注釈して、公平さを失わないよう細心の注意を払っているように思います。(また、古代のインドには戦いの歴史があまり残っていないことから、宗教の話もいよいよ出てきます。)
この本を読みながら、例えばスパルタカスの話が出てきたら、キューブリック監督の彼の大スペクタクルを観る等、大変ぜいたくで楽しい勉強をしています。興味がわあっと湧くような本の内容のおかげだと思うのです。
現代の巻がどのようになっていくかわかりませんが、こう言う本を書く人たちは、本当に偉いなあと素直に思ってしまうのでありました。
追記:
ちなみにこのように偉いなあと思った人に、ガンダムのサイドストーリーである『ポケットの中の戦争』と言う作品を作った方々がいます。主人公の子どもがかっこいい憧れの世界として見た戦争の「ほんとう」を知って、人知れずおとなになる物語に、私は何度泣かされたことか…。新しい価値観、先をゆく思想、そう言った世界を引っ張っていく作品は本当に凄いと思いますが、まずは誠実に、作家の主張よりも見る側に考えさせる、そんなフェアな思いで作られた作品もまた、大変にありがたいものだなあと思います。
追記2:
写真にあるように、表紙の絵や挿絵もとても面白い。右は雪の小屋つくりの様子、雪を表す言葉が30近くあるそうです。必要からも言葉は作られたんですね。
posted by Yoshiko at 00:00| 東京

|
日々
|

|