2010年04月24日

養老、桜のとき

岐阜県養老へ遊びに行きました。

ザ!天命反転地.jpg

図書館でたまたまお連れ様が手に取り、見せてもらった建築の本。そこには世界中の名・珍・建築が並び、よくもまあこんなものを作り上げたものだとため息をつくばかり。中で一際目を惹いたのが、すり鉢状の土地をまるまる遊び場にしてしまった、その名も「天命反転地」。そこは、現代美術家荒川修作とパートナーで詩人のマドリン・ギンズによる、現代アートでありテーマパークで、危険を体験することで知覚や身体感覚、行動を見つめ直すと言うのがコンセプトだそう。命が、運命が反転するとき、頭立ちで世界を見るような安らぎを得られるのではないかと。そこで、4月のはじめに、はるばる岐阜県養老まで出かけてきました。

PICT0084.jpg  PICT0057.jpg
大垣駅から養老列車で片道400円。食券みたいな販売機で買った切符を駅員さんに見せると、ぱくっと挟んでスタンプしてくれました。このやり取りはいつからなくなってしまったかしら。小さい頃は、切符をパチンと切る駅員さんがいましたね。私はアレが大好きで、よく実家の門の上にまたがっては、友達が居ても居なくても、いろんな紙を切って真似事をしました。(ローラーを転がして点線を作り、ぴりぴりと切り取る道具も好きでした。)懐かしい、タイムスリップしたかのようです。

PICT0118.jpg

2両の電車に揺られて15分ほど、養老の地に降り立ちました。養老は静かで、町は人の手で丁寧に美しく作られていました。狙ってきたわけではなかったのですが、桜が見事に満開で、町のあちらこちら、養老公園、そして山の上の方まで、至るところがピンクに染まっており、そこはまるで桃源郷。小さな養老の町は、にほん昔話に出てくるような、平和でのどかな所でした。同じ時代とはとても思えません。

ここはまるで桃源郷.jpg

しかしお天気が悪かったせいかほとんど人は歩いておらず、養老公園では満開の桜をほとんど独占状態。(お爺さんが一人いらっしゃったのですが。)とても幻想的で、自分が何者でどこに居るのかわからなくなります。駅前には、親孝行の養老瓢箪伝説の(山で老父のために汲んだ水がお酒に変わった樵の話)人の像がありました。忘れ去られた道徳観と言うか、何と言うか、少々退屈なような不安なような、そんな気持ちになりました。美しい桜の道に横たわり、時間を忘れて眺めていると、「やっぱり写真を撮るにはここが一番か?」と声が。

振り向くと、先ほどから、誰もいないと思っているとふと風景に入り込むお爺様がそこに立っていました。「今年は不思議な天気だ。山の方に咲いている桜、あれは人間が植えたものではなく、風の運んだ自然の桜なんだが、普段は下の桜が終わった頃に花をつける。下から上まで桜が満開なんてのは、今年が始めてだ。」と言うような内容の話をひとしきりした後、「自分は瓢箪を作り続けている、私はほら吹きだが、試しに見に来るかい。」と言った運びになり、いよいよ化かされる、とわくわくしながら、この日は天命反転地をさらりと諦めて、帽子の後ろに「田中」と書いてあるじい様のお家へ伺いました。

ひょうたん仙人現る(北野武さん似).jpg

して、着いてみると、ずらりと並んだ瓢箪部屋!6畳の間4部屋分!そこは本当に瓢箪仙人の棲家なのでした。

曰くこれがわたしの足跡.jpg  招かれたお宅は….jpg  

仙人の亡くなった奥様と私が同じ名前だったからか、パートナーが作り手で馬が合ったからか、瓢箪の作り方、絵の描き方、国体に出た話、戦時中のこと、とにかく随分といろんな話をしてくれ、もんのすごく鋭い本物の日本刀を見せられ(大丈夫かしら!)、最後には瓢箪を一つ頂いてしまいました。薄く、丈夫で、乾いたイイ音がし、抱っこすると赤ちゃんのようにほっこり腕に納まる、温かく素晴らしい瓢箪。しかし例によって「格好のいい規格どうりの物じゃないと売れない」話も聞き、うんと切ない気持ちに。だけど「こんなことやり続ける私みたいなキチガイは他にいない、本当に楽しい」と言う仙人に、切なさよりも幸福と希望を教えてもらった心持ちです。

曰くホラ吹き続けて30年.jpg

最後に「生きている間のどこかで、こう言う男を参考にするといい」と言う格好いいお言葉と「明日は花びらの嵐を浴びられる、気持ちいいよ」と言うお知らせを頂いて、ひとまずこの日は帰ったのでした。

長くなりましたので、このへんで。
posted by Yoshiko at 09:34| 東京 霧| Comment(0) | 日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月08日

孤独の夜の贅沢

image/2010-04-08T01:47:391  image/2010-04-07T19:36:362
夜、お店やさんのバイトが終わって帰途につくのは1時。
吉祥寺から芦花公園の井の頭線終電は12時7分だから、間に合わない。
だから、富士見ケ丘で降りて、歩いて帰る。だいたい30分くらい。
大変だねなんて言ってくれる人もいるが…、
大変どころか、この時間はほろ酔いで最高に楽しい。

日に日に桜が、咲きたくて蕾をぱんぱんに膨らませ、
なんだかポップコーンのようにぽんぽん花をつけてゆく様は、
はじけんばかりの十代の女の子を観察しているようで、妙にエロティックで楽しかった。

ここのところは、花びらが舞い散る。本当に雪のように。
感じ入ってしまう。

今夜は冷たい。鼻水が止まらない。
だけど桜が散るのを遅らせてくれてるみたいで、ちょっと嬉しい。
このあたりはまだまだ満開に近い。贅沢な時間。

今日、嬉しい電話があった。
以前、行き詰まって、居場所を求めて千葉県は香取郡多古に赴いた時のこと。
これまで共同体意識を取り戻すためにたくさん力を使ってきたから、
頼りにできると思っていた親戚の複雑なお家事情、
プチ金持ち商人の町がそもそも持つ排他的な態度にあてられ、
絶望的な思いを抱えて東京へ帰ろうとしていた道すがら、偶然に出会った二人の男性。
廃バスでピザを焼くデンマーク人のおじさんと若くして三人の子供を持つ青年。
最高にハッピーな、未来を一緒に作る話ができ、救われた気持ちで東京へ戻ることができた。

その時の、当時はむちゃくちゃとも思える提案を、青年はちゃんと覚えていてくれて
絶妙なタイミングで電話をかけてきてくれた。
嬉しかった。

つながっている。
なにかとても正確なことが起ころうとしていると思える、そんな春の夜。
携帯からの初投稿。

写真
左:さすがに夜桜はうまく撮れず…。見上げ。
右:昼のお散歩写真。ピンクの絨毯。
posted by Yoshiko at 02:19| 東京 不明| Comment(0) | 日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月04日

みずからゲシュタルト崩壊を起こす

PICT0003.jpg

突如かなしみに襲われて、わあっと泣き出したくなり、
そしてびーんと泣いたら、なんだかとってもすっきりした。
泣くことは健康に良いと言いますが、大声で泣くのは気持ちの良いものです。
(韓流ドラマが流行ったのは、一つには思い切り泣けるからだと言いますね。
 泣きツボを押さえたストーリー、演出。…もやは「道具」ですね。)
泣いて、熱くなってぼおっとしていたら、なぜか、もしもしカメさんの歌が口をついて出てきました。
カメさんの歌は、わたしこどもの頃、こんな風にうたって遊んだものです。

しもしかめよか めさんよせ〜 かいのうちでお まえほどあ〜
ゆみののろいものはーないど〜 うしてそんなにのろいのかもっ!

一文字ずらしです。これができたら、次に二文字ずらして歌います。

もしかめよかめ さんよせか〜 いのうちでおま えほどあゆ〜
みののろいものはなーいどう〜 してそんなにろのいのかもしっ!
・・・と言う具合に。

言葉が意味を失って音になってゆくのを楽しんだのか。
脳みそとカラダがどっちがどっちかわからなくなる感じを楽しんだのか。
一文字ずらして最後に最初の「も」の字で終わって歌えたとき、
二文字ずらしだったら「もし」で終わって歌えたとき、
えもいわれぬ、なんと言うか、恍惚感のようなものを感じるんですね。
ところで、思い出したと同時に突然歌ってみたら、
あまりに上手にできたので、わたし才能があるんじゃないかしらと思ったのですが、
しかし、できたのではなく、単に覚えていただけのようです。
なぜって、子供の頃に飽きてそれ以上やらなかった三文字ずらしは歌えなかったのですから。

ともあれ、自分のなかで歌をうたうと言うのは、きっと何か
当たり前にポジティブな作用を起こしているのだと思いました。
どうしようもなく緊張したり、怖かったり、不安や悲しみがあるとき、
思いっきり泣くか、全く意味の無さそうな遊びで自分の内側を動かしてみるのは良いです。

写真:
月曜に作品のモデルになってくれる女性が見えるため、撮影用の部屋の床を安全にしておく。
パテを塗って、やすりがけ。最近は何でも自分達でまかなう。
が、元のパイン材の色と違い過ぎ!
posted by Yoshiko at 13:04| 東京 曇り| Comment(0) | 日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月01日

未来を教えてくれる物語

楳図かずおさんの『漂流教室』が大好きです。
彼の中に完全に物語世界と、その始まりと終わりとがあって、
それを取り出して見せただけかのような作劇の素晴らしさと、
(こう言う漫画は大抵10巻前後の尺である気がします)
感情的には哀しすぎる、しかし実際にはものすごく希望に溢れる最高のエンディングに、
わたしは何度も声をあげて泣きました。

極限の状態で絶望を突きつけられた時、
「僕らは未来に蒔かれた種なんだ」と言ったこどもの素晴らしさ、エロスの塊たち。
子供を信じ続け、そして自分の生きているうちにはもう二度と会えないと言う、耐え難く淋しい結末を、
正常に受け容れ、理解し、永遠に子供を信じて未来に貢献した母親の素晴らしさ。

わたしは子供を生みたいです。ですが、生めるのに生まない、と言う選択肢があります。
人間は、いつからこんな怖い存在になったのだろう。
少子高齢化なんてさらりと5文字で済ませられる問題なのでしょうか。
現実に存在している人は過去になりつつある人でも必死で助けるけれど、
まだ見ぬ、生まれていない未来の希望たちは殺してもいいのか。
赤ちゃんを殺す若者のニュースがすごく多くて、もちろんそれは恐ろしいことですが、
それよりも「だったら生まなければいい」などと言う意見が平気で交わされると、
ドキッとして、背筋が凍りつくような恐ろしさを感じます。
人間は、社会の倫理と、見えている存在だけにしか、心を動かすことができなくなってしまったのか。
作って壊すはいけないが、作らないは良い、バトンタッチせずに、
今見ている世界だけを素晴らしいとして、自分達だけで享受しよう。そう言うことかしら。
かく言うわたしだって子供を生んでいないし、結局まだまだ選択できる気でいるのです。
怖いことです。

こんなことを書くと女性は苦しく、女性を傷つけます。
本当に生めない人もいるし、時代状況から選択させられた人もいます。
生めなくても女性と言う性を愛して女性らしく生きている人はいつの時代にもいるし、
それはやはり存在として素晴らしいことです。
生まないことが悪いと言う単純な話ではなく、その選択権を与える
シャカイの歪みについて感じることを書いています。

だから男性に、希望と共に、読んで欲しいです。
経済力云々よりも子供の方が大事。
男女共にその理解と、家族や親戚、友人知人の協力、助けを求め合うことが
本当に必要だし、みんなそれをわかってできるとこまで来ていると思います。
社会的強弱で男性を傷つける愚かな女性はもう居ません。少なくとも私の周りには。

漂流教室な世の中になってきました。
自分が生まれ、死ぬまでのちょっぴりの時間だけでなく、
宗教が様々な形で扱っているような、もっと大きな生命のサイクルや存在や
自分の役割なんかを考えられるゆとりはあるのですから、桜の木の下で、
そんな事に思いを巡らすのも、苦しいと同時に、真を感じられる澄んだ時間だと思います。

物語はいつも、未来を教えてくれます。
困ったとき苦しいとき、人間の本能、本性を示してくれます。
知っていれば戸惑わない。ありがたすぎます。
しかし様々な時代状況の中で、社会倫理の中で、
物語を作り上げた作家達の苦悩は大変なものだったでしょう。
それを次から次へと味わえる奇跡に対して、
もっと真面目で、もっと真剣でないと、罰が当たるなと思うのでした。

私のまわりには、この世界に、強烈な恐怖を感じる男女がますます増えています。
優しくてまともな人ほど病気になっていきます。
パートナーはこう言いました。「恐怖の原因は、僕らの肉体と未来に対する冒涜だ」と。
なんとか、大切な人々が恐怖に陥らず、自然に生きられるように、
助け合える場が少しづつでもいいから広がっていかないものか、と
模索する日々であります。
posted by Yoshiko at 13:26| 東京 曇り| Comment(2) | 日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月23日

遊びを作る、避難所

久しぶりにこんな時間までこつこつ制作しとりまっせ。
もんのすごい技術力を駆使して、もんのすごいインモラルなものを
作っとります。しかしきわめて上品に。

やはりこうでなくてはなりません。
と、私はいつも応援したり怒声を飛ばしたりしているだけで、
なんもせず、イヤな女だなあとしょげてしまいそうになりますが、
力のある人がエネルギーを蓄えて使えないでいると、切なくなるし、
そんなことにつきあっていると、本当に生きるための女としての時間が
磨り減っていくし、仕方ないのです。
わたしのヒステリックな要求にきっと苦い味を感じながらも、
みんなを鼓舞した希望担当役のプランナーの言葉を受け、
生産的な一日を作り出したチームメイトたち。
結局わたしは、みんなが凄いなとぽかんとしているだけでした。
わたしは未来をつくる男性の力を心底信じております。

さて、今チームでは、業界からスピンアウトした能力のある制作者たちの避難所
(それはユートピアではなく、現実に人間らしく、作り、生活できる場)を
実現しようと動き始めています。
ただでさえ、間違いに巻き込まれたら死ぬ可能性もある業界、
そして今は末期、嵐が吹き荒れています。
しかし晴れ間が見えるまで、本質的な成長を止めずに作り続け、
生き抜く方法があるはずです。農と補完通貨が鍵になると思います。
あるものは、モノも知識も技術も全てシェアするつもりです。

少しづつ制作や活動の様子を伝えていきたいと思っていますが、
今のところ手一杯なので、私の個人ブログに少しづつ漏らしておきます。

手伝ってくれる人は、いつでも大募集中であります♪
興味のある方はメールくださいね。
posted by Yoshiko at 22:45| 東京 曇り| Comment(0) | 制作 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月20日

はじまりの春

 
PICT0007.jpg      PICT0001.jpg

ブログ再開しました!
制作チームの方で何やら動きが始まりそうなので、
これからお近づきになる皆様に身の証をするために。
個人の名刺も作ってます!
迷惑メール拒否のいたちごっこに疲れ、携帯電話も変えました。

ずーっとお休みしていた踊りのレッスンも4月から再開します。
大人気ですでにいっぱいになってしまっているのでは…と心配した
MishaalのスクールDevadashiStudioの火曜夜Nourahクラスに
カムバックできることになり、もう本当にわくわくしています。
Nourahさんのビヨンドベーシッククラスは、遥かな世界と接近できるような
不思議な刺激を得られ、大好きです。

大変なことばかりでも、下を向いて歩きたくても、
とにかくじっとしてはいられない!
なんでもかーでもやってみたくなる。
そんな、春・爛漫に、心から感謝です。

写真左:咲き過ぎの木、逆光気味……写真になってみるとまだ寒そう。
写真右:カラスがわんさと集まってくる木。脅威。
なんだかどちらも色が渋くて、おじいちゃんが撮った感じの写真です。
posted by Yoshiko at 17:55| 東京 晴れ| Comment(1) | 日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月16日

雪椿の天ぷら?

1438423424_207.jpg

一日遅れで確定申告を済ませようと、自転車で東松原の税務署まで行ってきました。電車だといろんな駅で降りられないけれど、自転車だと気の向くままにいろんな駅の商店街や道路沿いのお店に立ち寄れて、今日みたいに暖かな日は楽しいです。

今日の一番の収穫は、下高井戸の商店街でとても充実したこだわりのある素敵な古本屋さんに出会ったことです。調布から新宿まで、京王線沿線には大好きな古本屋さんが何軒かあったのですが、ここ数年でばたばたと潰れてしまって、寂しくもつまらなくも思っていましたから、この嬉しさを何と伝えたら良いか。

お店のじいさんとお客のじいさんが「今日はシャツ一枚脱いでも平気だ」「だけど明日は真冬並みの気温に戻るってよ」「今日のうちに日大に言ってくら」とか話していて、お客のじいさんが帰るとお店のじいさん、おばあさまに店番を頼んでどこかへ出かけました。(しかしどこの商店街にもじいさんばあさんしかいないなあ…。)

50代くらいの真っ黒の髪の毛をきちんとまとめたスーツ姿のサラリーマンのおじさんが、薄茶けたカバーのない厚めの岩波文庫をぱらぱらと読んでいて、それがとても自由に見えました。おじさん、ふとレジ前の見事な椿の鉢植えに目をやり、おばあさまに「何年ですか?」と聞くと、おばあさま、「割り箸くらいの頃から育てているからもう15歳なのよ」と。へえ、と私もお隣で聞いていると、嬉しかったのか「今年は葉が少し黄色いの。もっとつやのある深緑になる方がいいんだけど…」といろいろお話しし始めて、「こんな風に花びらが茶色くなってきたらすぐ取っちゃうのよ、木がダメになってしまうから」と、とても惜しそうに愛おしそうに言いながら、「ハイ!」と、ふわっとまるいお花を私の両手に乗せてくれました。花びらが次から次へと取れてこぼれ落ちるので私が焦って拾うのを、さも楽しそうに見ていました。「あげても仕方ないわね」とおっしゃるのを「しばらく眺めて、食べちゃいます」と冗談めかして言うと「椿の天ぷらは美味しいわよ」と教えてくれました。あっぱれ。

こないだ紹介した歴史の本の4巻以降、中世へ進めぬまま、ずっと古代を散歩しているわたしですが、『絵で見る古代世界地図』と言うとても面白い大判の本を買ってしまいました。絵や地母神の像などの写真がいっぱいで飽きません。もうしばらくは遠い昔の想像を楽しみそうです。

いつも税務署まで行くと寄る、東松原の全くしゃれっ気の無い昔ながらの美味しいパン屋さんに行き、キュウリとツナのサラダパンとカレーパンなどを買い、食べながらのんびり帰りました。
posted by Yoshiko at 00:00| 東京 曇り| 日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月14日

働くこと

今日、制作で使用していた携帯電話を一台解約するため、仲間とdocomoショップへ行きました。仕事に就いて一年くらいの若者が、美人のお姉さんに見張られながら対応してくれ、すんなり手続きが終了…と思いきや。なんと、解約金が9,500円かかると言われました。なんでも「ひとりでも割引50」をつけていたためとのことなのですが…。割引をつけていると一定期間以上使用しなければいけないのは知っていたけれど、電話はもう三年は使用しています。詳しい説明を求めると、この割引制度は二年ごとの自動更新で、割引を廃止したときに、もしくは自動で更新されるまでの一ヶ月間に解約しない以上、必ず解約金がかかるとのこと。「意味が全くわからない」と言った感じで聞いていると、若者は可哀相に、私を説き伏せようとするのではなく「僕も実はわかりません」と言った表情で、同じ説明を何度もしました。しまいには泣きそうでした。優しいような冷たいような仕方ないと言ったような目でお姉さんが見ていました。彼は、これから先いろんな人にこの説明をしなくてはならないのです。お年寄りにも、怖いおばさんにも、電話料金が払えず断腸の思いで解約に来た同じ若者にも。

後に打ち合わせが迫っていたので、とにかく何かお腹へ入れるため松屋へ行きました。パートナーが突然弱って肉・魚が食べられなくなったためこう言う場所は本当に久しぶり(彼はカレーライスを食べました)。ふと、ものすごく効率良くお皿を洗ったり水を入れてくれたりする若者がいて、わたしは冷たい水でピンクに染まった白い手が目の前で動くのを、ぽおっと見ていました。

以前、シャネル日本支社のフランス人の社長さんが書いた本を読んだのですが、彼はとっても日本びいきで、日本人よりも日本の良さを的確に言葉にするのになんとなく嬉しさを覚えたものです。彼は日本の文化や日本人の性質に対する憧憬や敬意を語る中で、こんな印象深い言葉をつぶやきました。「日本の良さはキヨスクに顕れる」。それはとても分かる気がしました。伝統芸能の担い手や日本を伝える様々な工芸などの職人さんと同じように、アカデミックな場に乗らなくても、松屋の若者の佇まいと手には、どこか職人らしい、日本に息づいた、清々とした美しさを感じたのでした。

しかし彼は、場所が変われば神聖視されるべく、また世界中で糧となってくれている牛や豚が、どのように扱われてここまで来ているか、松屋がそのわかりやすい象徴であることを、わからないような顔をしていませんでした。自分の美しい行為とその実際のギャップが、違和感から苦しみに変わるのはいつだろう…そう考えるととてつもなく切なく、それに加担した今日の行動をまるごと取り消したくなりました。私も変わったものです。

とにかく一生懸命まじめに働いて、お金を稼いで、と言われて育ってきた私たち。
労働の義務とは、一体なんだろうー。


と、ネガティブなことばかりをクローズアップしていては春の陽に怒られますね。どっちみち、いち早く崩壊し、0地点に立った私たちです。苦しみ抜いた同世代とその先輩達と手をつなげるよう、渦が巻き起こる前に、たくさんの面白と避難場所を準備しておこうと目論むのであります!
posted by Yoshiko at 00:00| 東京 曇り| 日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月10日

散歩は日課…でありたい

1433510657_181.jpg

1433510657_137.jpg   1433510657_109.jpg

朝日のスポットライトを浴びた木、踊り子がはかなく舞う白い舞台、
冬から春へと引かれた雨の道。

ショートスリーパーになりたくて、朝日の昇る前、
5時起きに挑戦している近頃。
雨の日も雪の日も、散歩は日課です。

・・・なーんて言えたらかっこいいけど!
現実は、5回も6回も目覚ましを鳴らしてやっと起きたあげく、
日になんじっぺんも平気で居眠りをする。
散歩はなにかと理由をつけてはサボり、
テンションでしか出かけられません。

朝はヨーガと踊り。昼から夕方まで制作。夜はお店。
パズルのような生活がちゃんと気持ち良くまわっていくのはいつぞや。
大肯定していたお店でのお仕事がここにきてネックに。
なんとか生々しく、しかし清々と、過ごしたいものであります。
posted by Yoshiko at 14:54| 東京 曇り| 日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

インド風の夜。。

今週末の土曜日、13日に、インド人のお友だちのラノちゃんがイベントをやります!ラノからまわってきたメールの件名がなんだか夜風が染みるような感じで素敵だったので、そのまま日記のタイトルにしました。

ラノは先日の海月鏡虫と一緒に踊ったイベントに来てくれて、お店を気に入って、早速スタッフの方にお話して決まったみたい。。。「イイ」と思ったらすぐ行動!でも急すぎるかな?!!そんな素直さが素敵なラノが、夜22時から朝まで、楽しさいっぱいの愛するボリウッドミュージックをかけ、インド映画も上映するそうです。

私は制作の仕事があり、残念ながら参加できないのですが、とっても楽しい夜になると思いますので、興味のある方、懐かしいみんなに会いたい方、ラノや素敵な音楽と踊りたい方は、是非遊びにいってくださいね〜。

日時:13日(土)夜22時〜朝まで
場所:西麻布のBullet's。
http://bul-lets.com/top.html
(ここはすっごく道がわかりにくい!
 お店のホームページで絶対に地図をプリントアウトして行ってください。)
チャージ:Free
posted by Yoshiko at 00:00| 東京 曇り| 日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする