図書館でたまたまお連れ様が手に取り、見せてもらった建築の本。そこには世界中の名・珍・建築が並び、よくもまあこんなものを作り上げたものだとため息をつくばかり。中で一際目を惹いたのが、すり鉢状の土地をまるまる遊び場にしてしまった、その名も「天命反転地」。そこは、現代美術家荒川修作とパートナーで詩人のマドリン・ギンズによる、現代アートでありテーマパークで、危険を体験することで知覚や身体感覚、行動を見つめ直すと言うのがコンセプトだそう。命が、運命が反転するとき、頭立ちで世界を見るような安らぎを得られるのではないかと。そこで、4月のはじめに、はるばる岐阜県養老まで出かけてきました。
大垣駅から養老列車で片道400円。食券みたいな販売機で買った切符を駅員さんに見せると、ぱくっと挟んでスタンプしてくれました。このやり取りはいつからなくなってしまったかしら。小さい頃は、切符をパチンと切る駅員さんがいましたね。私はアレが大好きで、よく実家の門の上にまたがっては、友達が居ても居なくても、いろんな紙を切って真似事をしました。(ローラーを転がして点線を作り、ぴりぴりと切り取る道具も好きでした。)懐かしい、タイムスリップしたかのようです。
2両の電車に揺られて15分ほど、養老の地に降り立ちました。養老は静かで、町は人の手で丁寧に美しく作られていました。狙ってきたわけではなかったのですが、桜が見事に満開で、町のあちらこちら、養老公園、そして山の上の方まで、至るところがピンクに染まっており、そこはまるで桃源郷。小さな養老の町は、にほん昔話に出てくるような、平和でのどかな所でした。同じ時代とはとても思えません。
しかしお天気が悪かったせいかほとんど人は歩いておらず、養老公園では満開の桜をほとんど独占状態。(お爺さんが一人いらっしゃったのですが。)とても幻想的で、自分が何者でどこに居るのかわからなくなります。駅前には、親孝行の養老瓢箪伝説の(山で老父のために汲んだ水がお酒に変わった樵の話)人の像がありました。忘れ去られた道徳観と言うか、何と言うか、少々退屈なような不安なような、そんな気持ちになりました。美しい桜の道に横たわり、時間を忘れて眺めていると、「やっぱり写真を撮るにはここが一番か?」と声が。
振り向くと、先ほどから、誰もいないと思っているとふと風景に入り込むお爺様がそこに立っていました。「今年は不思議な天気だ。山の方に咲いている桜、あれは人間が植えたものではなく、風の運んだ自然の桜なんだが、普段は下の桜が終わった頃に花をつける。下から上まで桜が満開なんてのは、今年が始めてだ。」と言うような内容の話をひとしきりした後、「自分は瓢箪を作り続けている、私はほら吹きだが、試しに見に来るかい。」と言った運びになり、いよいよ化かされる、とわくわくしながら、この日は天命反転地をさらりと諦めて、帽子の後ろに「田中」と書いてあるじい様のお家へ伺いました。
して、着いてみると、ずらりと並んだ瓢箪部屋!6畳の間4部屋分!そこは本当に瓢箪仙人の棲家なのでした。
仙人の亡くなった奥様と私が同じ名前だったからか、パートナーが作り手で馬が合ったからか、瓢箪の作り方、絵の描き方、国体に出た話、戦時中のこと、とにかく随分といろんな話をしてくれ、もんのすごく鋭い本物の日本刀を見せられ(大丈夫かしら!)、最後には瓢箪を一つ頂いてしまいました。薄く、丈夫で、乾いたイイ音がし、抱っこすると赤ちゃんのようにほっこり腕に納まる、温かく素晴らしい瓢箪。しかし例によって「格好のいい規格どうりの物じゃないと売れない」話も聞き、うんと切ない気持ちに。だけど「こんなことやり続ける私みたいなキチガイは他にいない、本当に楽しい」と言う仙人に、切なさよりも幸福と希望を教えてもらった心持ちです。
最後に「生きている間のどこかで、こう言う男を参考にするといい」と言う格好いいお言葉と「明日は花びらの嵐を浴びられる、気持ちいいよ」と言うお知らせを頂いて、ひとまずこの日は帰ったのでした。
長くなりましたので、このへんで。