April 30, 2010
Blog休眠にあたって(長野峻也氏との確執)
今回のBlog休眠は、そのまま閉鎖になる可能性を私自身自覚した上での措置です。ですから休眠にあたり、心のなかに引っ掛かっていた幾つかの事柄について自らケジメをつけておこうと考えました。
これは当然の如く私自身の失態でありますが、過去面識のない方々に対して、当方の推測によって批判的なコラムを書いた事が幾度かありました。実際に会ってその人物の人格なり技量を私なりに把握した上でならば如何なる文章であっても、それに対する批判には正面から臨む覚悟はあるし自分の文章に責任を持ちます。しかし面識なき相手に対し、礼を逸するコラムを書いた場合、それは如何なる理由があっても「短気だから」などの言い訳では済まず、私自身が反省しなければならない「罪」です。
物書きを生業にしている以上、自らの作品に対して全面的な賛同や評価を求めるのは身勝手な行為であり、それは時に傲慢さにも繋がる愚かな事です。そんな失態を私は幾度か繰り返してきた事は否めません。
極真会館館長の松井章圭氏は、「疑問や文句は直接言うのが礼儀」と言いつつも、「マスコミ関係者からの批判は、彼らの1つの見方であり、それについて明らかな誤認でない限り尊重すべき」とも話しています。私は1990年前後から松井氏の自叙伝制作をきっかけに親しい関係になりました。
とはいえ、私は何度か松井氏を批判する記事を媒体に書いてもきました。事実誤認による文章もありました。しかし松井氏は一度たりとも私を非難しませんでした。ただ個人的にはこの20年の間、2、3度つまらぬ理由で衝突し、数年間互いに秘書を通じて以外直接連絡をとらず牽制し合った時期もありました。それでも互いを知り抜いた「友人」だからこそ、自然と元の関係に戻ったものです。
極真会館のある師範は、「親友同士のケンカだから…と判りながらもハラハラした事もあった」と笑います。
面識のある、互いが相手を知っている関係ならばいいのです。過去、松井氏以外にも何らかの理由で関係が悪化し、しかしブランクを置いて関係改善に至った事例は少なくありません。しかし面識もない相手とのtroubleを改善する事は容易ではありません。直接相手の人間性が判らないが故に、事実誤認や風評を信じ、更に関係が悪くなる事態もあります。
この度、私が顧問弁護士を法定代理人としてNet上における事実誤認や風評による批判(誹謗中傷)に満ちたサイトや書き込みに対して本格的に刑事及び民事訴訟の手段を講じたのも、「事実」を明確にしたいという意図によるものです。
1995年、極真会館主催による第6回世界選手権の直前、八巻建志選手を誹謗する怪文書が極真関係者にバラ撒かれました。それがいつしか私の仕業という噂が流れました。後に小笠原和彦氏の協力により実行犯が明らかになりました。
しかし、当時の八巻氏の奥様や師である廣重師範と殆ど付き合いのない故に、長い間私の弁明は受け入れて貰えませんでした(現在では廣重師範含めご理解を頂いています)。
以上の意味から、このBlog休眠とNet関係への法的手続きを契機に、自分なりに懺悔するべきところは懺悔するべきと考え、過去私が面識もなく批判(または倅が批判した相手も含め)した数名に謝罪のmailを送りました。まずはmailまた手紙にて。そして電話でアポを取り直接面会したいと考えました。
これはあくまで、私の純粋な意図によるものです。半数以上の方(といってもmailを送った相手は5人だけですが)からは、私の謝意を受け入れて頂きました。
これは当然の如く私自身の失態でありますが、過去面識のない方々に対して、当方の推測によって批判的なコラムを書いた事が幾度かありました。実際に会ってその人物の人格なり技量を私なりに把握した上でならば如何なる文章であっても、それに対する批判には正面から臨む覚悟はあるし自分の文章に責任を持ちます。しかし面識なき相手に対し、礼を逸するコラムを書いた場合、それは如何なる理由があっても「短気だから」などの言い訳では済まず、私自身が反省しなければならない「罪」です。
物書きを生業にしている以上、自らの作品に対して全面的な賛同や評価を求めるのは身勝手な行為であり、それは時に傲慢さにも繋がる愚かな事です。そんな失態を私は幾度か繰り返してきた事は否めません。
極真会館館長の松井章圭氏は、「疑問や文句は直接言うのが礼儀」と言いつつも、「マスコミ関係者からの批判は、彼らの1つの見方であり、それについて明らかな誤認でない限り尊重すべき」とも話しています。私は1990年前後から松井氏の自叙伝制作をきっかけに親しい関係になりました。
とはいえ、私は何度か松井氏を批判する記事を媒体に書いてもきました。事実誤認による文章もありました。しかし松井氏は一度たりとも私を非難しませんでした。ただ個人的にはこの20年の間、2、3度つまらぬ理由で衝突し、数年間互いに秘書を通じて以外直接連絡をとらず牽制し合った時期もありました。それでも互いを知り抜いた「友人」だからこそ、自然と元の関係に戻ったものです。
極真会館のある師範は、「親友同士のケンカだから…と判りながらもハラハラした事もあった」と笑います。
面識のある、互いが相手を知っている関係ならばいいのです。過去、松井氏以外にも何らかの理由で関係が悪化し、しかしブランクを置いて関係改善に至った事例は少なくありません。しかし面識もない相手とのtroubleを改善する事は容易ではありません。直接相手の人間性が判らないが故に、事実誤認や風評を信じ、更に関係が悪くなる事態もあります。
この度、私が顧問弁護士を法定代理人としてNet上における事実誤認や風評による批判(誹謗中傷)に満ちたサイトや書き込みに対して本格的に刑事及び民事訴訟の手段を講じたのも、「事実」を明確にしたいという意図によるものです。
1995年、極真会館主催による第6回世界選手権の直前、八巻建志選手を誹謗する怪文書が極真関係者にバラ撒かれました。それがいつしか私の仕業という噂が流れました。後に小笠原和彦氏の協力により実行犯が明らかになりました。
しかし、当時の八巻氏の奥様や師である廣重師範と殆ど付き合いのない故に、長い間私の弁明は受け入れて貰えませんでした(現在では廣重師範含めご理解を頂いています)。
以上の意味から、このBlog休眠とNet関係への法的手続きを契機に、自分なりに懺悔するべきところは懺悔するべきと考え、過去私が面識もなく批判(または倅が批判した相手も含め)した数名に謝罪のmailを送りました。まずはmailまた手紙にて。そして電話でアポを取り直接面会したいと考えました。
これはあくまで、私の純粋な意図によるものです。半数以上の方(といってもmailを送った相手は5人だけですが)からは、私の謝意を受け入れて頂きました。
ただ長野峻也氏からは、逆に更なる私への侮蔑と、私からのmailについて返信mailを公開するという返事がありました。基本的にmailも手紙同様、私信であり、それを批判材料として公開するのは控えるのが常識だと私は認識します。
長野氏の行為により私の真意が歪曲されてしまう懸念もあります。ですので自らの名誉の為にも、長野氏とのやり取りを明らかにしておきたいと思いました。
まず、以下は長野峻也氏に送ったmailです。
初めてmailをさせて頂きます。
もう1年以上になりますが、長野様に対して、その人となりや技量も知らない私が、勝手につまらない事を理由に自らのBlogにて長野様を批判する記事を書きました。
大分時間が開きましたが、私のBlogコラムによって多大なる迷惑を長野様におかけしたことをまず謝罪させて頂きます。
まずはmailにて謝罪をさせて頂きます。改めて口頭にて謝罪させて頂きたく存じます。もしお時間がございますときにでもお電話頂きたく存じます。
私の長野氏への謝意は口先だけではありません。mailには私個人の電話番号まで付記してあります。
勿論、長野氏がこのmailを如何に理解しようが自由です。繰り返しますが、私は自分のBlogを全面的に見直すに及んで、過去Blogで晒した自らに内在する傲慢さについて自分なりにケジメをつけようと思ったからです。
決して何かに屈した訳ではありません。何かを怖れた訳でもありません。
しかし、長野氏の文章からそう誤解する方もいるでしょう。長野氏が格技家、武術家であり、私のmailを「何かに屈したからだ」などと曲解されるならば、私はそれに対抗する準備は当然のようにあるという意思だけは表明しておかなくてはならないと判断しました。
決して長野氏が言う「強い相手や権威に屈した」からではなく、また「何かを長野氏に相談したい」からでもない…むしろ私は長野を強いとも権威者とも思っていません。また過去、長野氏の関係者や知人から一撃会稽古会への参加の申し出があった事も皆無です。
もう1つ私の真意を言うならば、こちらが挑戦めいた非礼な物言いをした事を詫び、その上で友好的な関係にて互いの技術交流(ケンカや勝負ではない純粋な意味での相互的な技術研究)を望んでいました。
謝罪mailを送付した他の方々にも同様な気持ちがありました。未熟ではありますが、私がこれまで学んできた技術は果たして有効なのか、私が信じてきた系譜に間違いはないのか!? 伝統と創作の配分は如何なるものなのか!?
それらについて、直に技術を見てもらい何らかの教授を頂きたいというのも本音の1つでした。
しかし長野氏には、その前の段階で私の謝意は一蹴されてしまった感があります。その大元の原因を作ったのが私の行為にある以上、長野氏を責める権利はないと自認してはいます。
ただ無用な誤解を避ける為にも、本来は道徳に反すると思いつつ、長野氏が私への返信を公開したように、私も長野氏に送った返信をここに公開し、私自身のケジメとさせて頂きます。
長野峻也様
mailを読みました。
倅の行為であろうが私に責任があると認識したからこそ、謝罪をしたく思ったのです。
今回、私は自分のBlogを全面的に改めるつもりです。それを契機に、過去私や倅が面識ない方々に対して犯した非礼だけ正したいと、純粋に思ったからこそのmailでした。
長野様が私のmailに対して如何に理解しようが、それは長野様の自由です。私の謝意は変わりません。
追伸
私は長野様が「強いとか権威者だから」謝罪をしようと思った訳ではありません。
私は決して自分が熟練した武術家などと思ってもいません。ただ、個人的に武術を研究する立場として、可能ならば長野様が修練した技術を拝見、研究すると同時に私が学んだ技術も如何なるものか、決して果たし合いなどのようなものではなく友好的なかたちで分析して頂きたいと思ったからです。それが勉強になると純粋に思ったからです。
今後の糧とするためにも、以前倅が書いた「決闘」と誤解される文脈をまずは謝罪しなければならないと思ったからです。
私は過去、一度たりとも権威に媚びたり、相手が強い弱いの判断で付き合った事はないと自負しています。例えるならば大道塾の東先生も新極真会の方々も実戦などで私がかなう相手ではないのは誰にも明らかなはずです。しかし私は私なりの主義によって東先生を批判し新極真会の三瓶先輩を批判してきただけです。
どこに変節がありますか?
繰り返します。
私は、また倅も長野様に面識がなく、その人格も技量も直に知らないまま批判的な文章を記したことを反省しているに過ぎません。
そして願わくは、友好的な関係を築いたうえで互いに武術の研究をしたいと望んだに過ぎません。
決して長野様の権威や強さに怯んで謝罪をした訳ではないことを明記しておきます。
長野氏の行為により私の真意が歪曲されてしまう懸念もあります。ですので自らの名誉の為にも、長野氏とのやり取りを明らかにしておきたいと思いました。
まず、以下は長野峻也氏に送ったmailです。
初めてmailをさせて頂きます。
もう1年以上になりますが、長野様に対して、その人となりや技量も知らない私が、勝手につまらない事を理由に自らのBlogにて長野様を批判する記事を書きました。
大分時間が開きましたが、私のBlogコラムによって多大なる迷惑を長野様におかけしたことをまず謝罪させて頂きます。
まずはmailにて謝罪をさせて頂きます。改めて口頭にて謝罪させて頂きたく存じます。もしお時間がございますときにでもお電話頂きたく存じます。
私の長野氏への謝意は口先だけではありません。mailには私個人の電話番号まで付記してあります。
勿論、長野氏がこのmailを如何に理解しようが自由です。繰り返しますが、私は自分のBlogを全面的に見直すに及んで、過去Blogで晒した自らに内在する傲慢さについて自分なりにケジメをつけようと思ったからです。
決して何かに屈した訳ではありません。何かを怖れた訳でもありません。
しかし、長野氏の文章からそう誤解する方もいるでしょう。長野氏が格技家、武術家であり、私のmailを「何かに屈したからだ」などと曲解されるならば、私はそれに対抗する準備は当然のようにあるという意思だけは表明しておかなくてはならないと判断しました。
決して長野氏が言う「強い相手や権威に屈した」からではなく、また「何かを長野氏に相談したい」からでもない…むしろ私は長野を強いとも権威者とも思っていません。また過去、長野氏の関係者や知人から一撃会稽古会への参加の申し出があった事も皆無です。
もう1つ私の真意を言うならば、こちらが挑戦めいた非礼な物言いをした事を詫び、その上で友好的な関係にて互いの技術交流(ケンカや勝負ではない純粋な意味での相互的な技術研究)を望んでいました。
謝罪mailを送付した他の方々にも同様な気持ちがありました。未熟ではありますが、私がこれまで学んできた技術は果たして有効なのか、私が信じてきた系譜に間違いはないのか!? 伝統と創作の配分は如何なるものなのか!?
それらについて、直に技術を見てもらい何らかの教授を頂きたいというのも本音の1つでした。
しかし長野氏には、その前の段階で私の謝意は一蹴されてしまった感があります。その大元の原因を作ったのが私の行為にある以上、長野氏を責める権利はないと自認してはいます。
ただ無用な誤解を避ける為にも、本来は道徳に反すると思いつつ、長野氏が私への返信を公開したように、私も長野氏に送った返信をここに公開し、私自身のケジメとさせて頂きます。
長野峻也様
mailを読みました。
倅の行為であろうが私に責任があると認識したからこそ、謝罪をしたく思ったのです。
今回、私は自分のBlogを全面的に改めるつもりです。それを契機に、過去私や倅が面識ない方々に対して犯した非礼だけ正したいと、純粋に思ったからこそのmailでした。
長野様が私のmailに対して如何に理解しようが、それは長野様の自由です。私の謝意は変わりません。
追伸
私は長野様が「強いとか権威者だから」謝罪をしようと思った訳ではありません。
私は決して自分が熟練した武術家などと思ってもいません。ただ、個人的に武術を研究する立場として、可能ならば長野様が修練した技術を拝見、研究すると同時に私が学んだ技術も如何なるものか、決して果たし合いなどのようなものではなく友好的なかたちで分析して頂きたいと思ったからです。それが勉強になると純粋に思ったからです。
今後の糧とするためにも、以前倅が書いた「決闘」と誤解される文脈をまずは謝罪しなければならないと思ったからです。
私は過去、一度たりとも権威に媚びたり、相手が強い弱いの判断で付き合った事はないと自負しています。例えるならば大道塾の東先生も新極真会の方々も実戦などで私がかなう相手ではないのは誰にも明らかなはずです。しかし私は私なりの主義によって東先生を批判し新極真会の三瓶先輩を批判してきただけです。
どこに変節がありますか?
繰り返します。
私は、また倅も長野様に面識がなく、その人格も技量も直に知らないまま批判的な文章を記したことを反省しているに過ぎません。
そして願わくは、友好的な関係を築いたうえで互いに武術の研究をしたいと望んだに過ぎません。
決して長野様の権威や強さに怯んで謝罪をした訳ではないことを明記しておきます。
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