きょうのコラム「時鐘」 2010年4月30日

 東京の歌舞伎座が建て替えのために閉鎖される。江戸歌舞伎の殿堂と思われているが、実は明治の新聞人が起した演劇改良の拠点だった

明治10年代後半、自由民権運動が盛んになるのと同時に、演劇改良運動も起きた。学校制度確立前の人々が歴史を知り社会を学ぶのには、大衆演劇や講談が最適であり、低俗化していた江戸演劇を改善しようとの文化運動だった

立ち上がったのは新聞人だった。東京では福地桜痴(おうち)という記者が歌舞伎の改良に取り組み、歌舞伎座の建設になった。最初は洋館風の劇場だった。大阪でもシェークスピア劇などを取り入れて、新しい演劇運動が起きていた

北國新聞の創刊者、赤羽萬次郎も演劇改良論に力を入れた新聞人だった。当時、大阪にいて近代劇の夜明けを見ていた。政論誌に「身近であり、分かりやすい演劇を」などの論文を次々発表し、今も研究の対象になっている

本社が赤羽萬次郎賞「ふるさとへ」の第1回テーマを「演劇」にしたのはそうした背景があるからだ。江戸歌舞伎に新しい命を吹き込んだのは明治の新聞人だった。その歴史も残しておきたい。