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【芸能・社会】ありがとう歌舞伎座 1951年開場“4代目”千秋楽2010年4月29日 紙面から
さようなら、歌舞伎座、ありがとう“4代目”−。建て替えのため今月いっぱいで閉場する歌舞伎の殿堂、東京・銀座の歌舞伎座で28日、昨年1月から続いた「さよなら公演」の掉尾(とうび)を飾る「御名残四月大歌舞伎」が千秋楽を迎えた。舞台上では市川団十郎(62)をはじめ、そうそうたる歌舞伎俳優が万感の思いを込めた熱演を披露。満員の観客席からは拍手喝采(かっさい)と掛け声が飛び、江戸歌舞伎の魅力を今に伝える愛着ある劇場との別れを惜しんだ。 (竹島勇) シャン、シャン、シャン、シャン…1分、2分、3分。歌舞伎ならではの定式幕は閉まったが拍手が鳴りやまない。「これを持ちまして…」と終演を告げるアナウンスがかき消される。団十郎が江戸の男だての総本陣・助六を演じた最後の演目「助六由縁江戸桜」の幕切れ。だが助六も坂東玉三郎(60)演じる花魁(おいらん)の揚巻(あげまき)も姿を現すことはなかった。“いつもどうりに”が団十郎の考える“粋”だったのだろう。 その分、歌舞伎ファンと役者の思いを存分に舞台で表現したのが中村勘三郎(54)。お遊びのせりふが許される通人里暁役で「さよなら公演でずいぶん(お金が)かかったね!(笑い)。(自分も)歌舞伎座には思い出が詰まってる。さびしくなっちゃうけど、新しい歌舞伎座で夢を見せてもらいましょう! しばしの間、歌舞伎座からはサヨナラ!!」と叫んで大喝采(かっさい)だ。 ついに迎えた千秋楽のこの日、歌舞伎座前は当日券を求める長い行列と建物を写真に収めようとする人でごった返した。 夜の第三部を着物姿で観劇した台東区の主婦斎藤幸子さん(68)は「母に連れられて開場間もないころから通っています。母の着物で来ました」と感慨深げ。杉並区で日本舞踊を教えている花柳寿奈輔さん(68)と友人の主婦日置祐子さん(58)は「どうしても千秋楽の盛り上がりを体験したいと桟敷席を苦労して手に入れました」「この歌舞伎座がなくなるのは寂しいですが新しい歌舞伎座が楽しみです」と話していた。 1年4カ月続いた「さよなら」公演は、歌舞伎十八番をはじめ、人気演目を魅力的な役者陣でみせたこともあって、「驚くほど多くのお客さまに来ていただいた」(松竹・演劇本部長の我孫子正専務)。あらためてファンの歌舞伎座への愛着の深さを示した。 もちろん歌舞伎俳優たちの思い入れも深い。勘三郎は「踊っていて『この柱をここで見る』と体に染み付いている。なくなるのは残念」と公演前に語っていた。
歌舞伎座は5月以降、新築工事に入る。 新しい建物は劇場とオフィスビルを併設したものとなる。地下4階地上29階、塔屋2階で、歌舞伎座は低層部になるという。外観は今の歌舞伎座と同じ和風で、銀座の街並みに融合するものを目指す。 また、客席数は今の歌舞伎座(1866)と同程度だが、客席寸法の改善やバリアフリー化、トイレの増設などを計画しているという。開場は2013年春の予定だ。 ◆あす「閉場式」歌舞伎座は29日に関係者による「歌舞伎座修祓式」、30日に観客を入れた昼夜2回の「歌舞伎座閉場式」を開催してその役目を終える。「閉場式」は、坂東玉三郎(60)らによる「京鹿子娘道成寺」などの舞踊や中村芝翫(82)らの口上、手締め式が行われる。 ◆ブームつなぐために“5代目”誕生までの3年間が大切16カ月に及んだ「さよなら公演」は、歌舞伎の代表的な演目、豪華な配役が続き、観客には、今見ることが出来る最高の舞台に接する機会になった。松王丸・幸四郎、梅王丸・吉右衛門、桜丸・芝翫、それに時平を富十郎が務めた今年正月の「車引」。若手花形で演じられることが多い狂言に、これだけの幹部が並んだ舞台には圧倒的な存在感があり、歌舞伎という舞台芸術の奥深さと重みに思わず身震いした。 最後の演目「助六」も団十郎を中心に菊五郎、仁左衛門、左団次、玉三郎、勘三郎、三津五郎という超豪華版。「最後だから」と初めて歌舞伎座を訪れた観客は、いきなり夢のようなオールスターキャストを目の当たりにしたことになる。「最後」をきっかけに社会現象的な盛り上がりを見せた“ブーム”を、今後どうつないでいくことができるのか。 東京では、新橋演舞場が本拠地となり明治座やル・テアトル銀座などでの公演が予定されている。大阪、名古屋をはじめ地方での公演が増えるということは、それだけ歌舞伎に接したことのない人の目に触れるチャンスでもある。 この先3年間の充実した舞台こそが「新しい歌舞伎座」が殿堂となるための糧になる。5代目歌舞伎座開場へのカウントダウンは、もう始まっている。 (本庄雅之) ◇歌舞伎座は、1889(明治22)年11月、当時の木挽町(現在の場所)に開場、外観は洋風の建築だった。建て替えられて、第2期の歌舞伎座は純和風で、1911(明治44)年11月に開場。漏電による焼失などを経て、第3期の歌舞伎座は1925(大正14)年1月開場。第二次世界大戦が激しくなると興行もできなくなり、1945(昭和20)年5月の東京大空襲で焼け大屋根が落ちた。1951(昭和26)年に開場した現在の歌舞伎座は“4代目”。 外観は和風桃山様式で2002(平成14)年には国の登録有形文化財(建築物)に登録された。 舞台は高さ6.36メートル、間口27.57メートル、奥行き20.68メートル。客席数1866(幕見席90除く)。
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