アイルランド、ドイツなどで次々と暴露されるカトリック神父による性的虐待事件。カトリックから11世紀に分裂した東方正教のギリシャ正教会はどう見ているのか。アテネの神父たちは「問題の根に神父の独身制がある」「純潔を優越とみなす思想に無理がある」と非難した。【アテネで藤原章生】
性的虐待についてローマ法王ベネディクト16世は今月中旬、マルタで幼少期に虐待を受けた被害者に面会し涙を流した。また、21日には、バチカンのサンピエトロ広場で、信者らに向け「(虐待に対して)行動を起こす」ことを約束。この問題について初めて公式にコメントし、前向きな姿勢を見せてはいる。
ギリシャ正教はアテネ大主教イエロニモス2世を最高指導者に内外に約1000万人の信者を抱える。主教ら重職にある者は生涯教会に尽くすという便宜的な理由で独身を貫くが、一般の司祭や神父の妻帯は許される。
大主教の側近、ディミトゥリオス神父(69)は「カトリックは法王から修道士まで全員に独身を強い、生き方を硬直させている」との見方を示した。
キリスト教は十二使徒の一人、ペテロの妻帯をはじめ、初期は修道僧を除き、結婚が許されていた。だが、血縁主義による腐敗が広がり、11世紀の宗教改革で独身制が敷かれた。「16世紀ごろまでは、どうにか保ってきたが、宣教師が布教のためアジア、中南米など異文化世界と出合うようになり、聖職者の性の問題が広がり始めた」と神父はみる。
現在問題になっている性的虐待は未成年者への性愛に焦点が絞られ、バチカンも「特殊な病を抱えた聖職者の問題」(ローマの神学者)と独身制とは切り離す風潮がある。だが、ディミトゥリオス神父は「未成年者に向かうのは口封じしやすいためだ」と語る。
別の修道僧(45)は「公的立場にない」との理由で匿名で「家族や性の相談を受ける教区の神父こそ家族を持つべきだというのが私たちの考えだ。妻帯の神父も離婚または妻を失えば主教になれる。つまり、聖職者に大事なのは魂の純粋さであり、肉体の純潔(童貞)に意味はない」と断言する。そして「カトリックは肉体にとらわれ、童貞こそ神に近いという根拠のない優越意識を信徒に押しつけている。その結果、普通に性生活を送れば高潔になれた人がねじ曲がり、体罰や地位を利用した性に走りやすい」と指摘している。
毎日新聞 2010年4月29日 東京朝刊