私のスタイル

文字サイズ変更
はてなブックマークに登録
Yahoo!ブックマークに登録
Buzzurlブックマークに登録
livedoor Clipに登録
この記事を印刷

三菱総合研究所シニアエコノミスト・武田洋子さん

 ◇民間の立場で政策提言

 「セントラル・バンカー」としてのキャリアを生かし昨年4月、シンクタンク・エコノミストへと転身した。現在は経済予測が仕事の中心だ。最近はテレビの報道番組で、経済情勢から民主党の政策まで、幅広くコメントを求められる機会が増えた。「経済予測にとどまらず、政策を評価し、提言するエコノミストになりたい」と力を込める。

 仕事の基本となる経済・金融市場の分析力は、日銀時代の14年間で培った。毎月の金融政策決定会合の前提材料になる海外経済や国内外金融市場の調査、為替市場のモニタリング、日銀保有外貨資産の運用などを担当。日本の金融政策を支える一員として働く毎日だった。「同僚に恵まれ、充実していた」という。

 だが、07年に転機が訪れた。夫が米ワシントンDCにある国際機関へ転勤。悩んだ末、現地での同居を決意し、退職して渡米した。

 その後、現地での生活は予定外の方向に。「夢中で働いてきた生活から立ち止まり、目標を見失ってしまった」と言う。新たな目標を求め、大学院への進学を決意。数カ月間、受験勉強に没頭し、ジョージタウン大公共政策大学院への入学を果たした。

 大学院では、今につながる出会いと発見があった。かつて米連邦準備制度理事会(FRB)の副議長を務め、グリーンスパン前議長を支えたアリス・リブリン教授から、同大学院でただ一人、修士論文の個人指導を受ける機会に恵まれた。

 教授は、一線を退いてからも議会の公聴会などで政策提言を続け、今も米国の経済政策に強い影響を与えている。その活躍を間近で見て、「米国の政策実行プロセスの中で、政・官・民が政策を提言し合い、チェックし合い、人も行き来する仕組みが定着していることを知った」と言う。そして、「日本でも、中立的な第三者が政府に政策を提言し、生かす仕組みを定着できないか」という意識を持つようになった。

 1年半で帰国してシンクタンクに就職したのも、その目的を果たすためだ。折しも昨年、日本でも政権交代が起きた。「今後は日本でも、民間の意見を積極的に取り入れ、政・官・民の垣根は低くなるのではないか」と期待を込める。

 米国方式の良い部分を取り入れられるよう、民間の立場で政策のチェックと提言を続けるつもりだ。【秋本裕子】

==============

 ■人物略歴

 ◇たけだ・ようこ

 東京都生まれ。94年早大政経学部卒、日本銀行入行。国際局などを経て07年退職。08年米ジョージタウン大公共政策大学院修士課程修了。帰国後、09年4月から現職。38歳。

毎日新聞 2010年2月1日 東京朝刊

私のスタイル アーカイブ一覧

PR情報

 

おすすめ情報

注目ブランド