米国に定着した「伝説的脱北者」が自殺、なぜ?(下)

06年に妹と脱北、2年後には母親も米国に連れて来たシンさん

 シンさんの母親は、「A氏に、“子供が送ったお金を下さい、脱北者のために募金をしたい”と言うと、数日後、1000ドルを渡された。自分から言い出したこともあり、実際に受け取ってから、そのまま募金した」と語った。

 妹は、「やっとのことで稼いだのに、貧しい脱北者の貴重なお金を勝手に着服するなんて、話にならない」と怒りをあらわにした。母親は、「2年後、米国で脱北者を支援する非政府組織(NGO)『LiNK』の助けによって米国に来ることができた」と語った。

 妹は、「わたしたちにここまでひどい仕打ちをしておいて、母親が米国に来たら、“自分が連れて来た”と公然と言いふらしていた」と語った。A氏は当時、「1ウォンたりとも金は受け取っておらず、受け取ったという金が出てくれば、民事・刑事処罰を受ける」とホームページで主張していた。

 最後は、身元の公開問題だ。米国に入国した後、シンさん兄妹は無差別に写真や映像を撮影された。妹は、「A氏に対し、“北朝鮮に家族が残っているため、公開撮影はしないでほしい”と要請し、“モザイク処理をする”という確約を交わしたが、メディアにはわたしたちの写真や映像がそのまま出ていた」と語った。

 遺族は、「本当に驚いてA氏に抗議したが、“記者が勝手に撮ったためどうすることもできない”という答えしか返ってこなかった。ひどいことに、A氏本人も自分の団体のホームページにわたしたちの映像や写真を堂々と掲載していた」と語った。

 遺族によると、この件があってから、北朝鮮の幹部クラスの家族を含め、平壌に暮らしていた親せき12人との連絡が途絶えたという。身元が公開されたことで、残っていた家族の情報が判明し、処罰されたというわけだ。

 シンさんの母親は、「わたしたちがA氏の団体のホームページに抗議文を書き込むと、A氏は口にすることもできないような暴言を吐いた。こうしたひどい仕打ちや脅迫を受ける中で、誠実に生きていこうと苦心していた息子はうつ病に苦しみ、この世を去った」と語った。自殺の直前にもA氏を非難し、胸をたたきながら起き上がり、トイレに向かう後ろ姿が、母親が見たシンさんの生前最後の姿だったという。

 これに対しA氏は、「一から十まで徹底してウソ」と反論した。A氏は、シンさんの妹に対する性的暴行について、「わたしたちに反感を持った脱北者が、シンさん兄妹とでっち上げた虚構にすぎない」と主張した。金を横領した件については、「ロサンゼルスのある教会を訪問すると、現地の人たちが1万2000ドルの募金を差し出したため、脱北者6人にそのまま渡した。わたしは何の対価も望まず、米国に連れて来たが、今になって金を横取りしたなど、話にならない」と興奮気味に語った。

 さらに、身元を公開したことについては、「兄妹の許可を得て、ロサンゼルス・タイムズの記者が撮影したもの。当時北朝鮮に残された兄妹の母親を後に脱出させる手助けまでしたのに、どの家族が消えたと言うのか」と問い返した。またA氏は、「助けた脱北者が背を向けるケースがあまりに多く、その度に釈明するのもくだらない上、何か論評したいとも思わない」と語った。

朴鍾仁(パク・ジョンイン)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

このページのトップに戻る