22.4.21(水) 熊本県警剣道部員いじめ自殺訴訟(2)
             証言台の警察官は、真実を証言したのか

熊本県警いじめ自殺訴訟については
22.3.23(火) 熊本県警剣道部員いじめ自殺訴訟(1)
               亡真徳は、本当に自殺したのか
に掲載した。
 平成22年3月17日、熊本地裁で熊本県警剣道部員いじめ自殺訴訟の第7回の口頭弁論が開かれ、自殺したとされる剣道部員(当時22歳)の高校時代の恩師、県警の剣道部の監督や当時の県警剣道部の部員ら警察官7人が証言台に立った。
 当日は、傍聴席はほぼ満席、女性の姿が目立ったが、中には警察関係者ではと思われる人物が数人。
 記者席には5人の記者、フリーのジャーナリスト数人は傍聴席に。
 原告席には、原告の山田夫妻と代理人の市川守弘弁護士。
 被告席には、被告代理人高島剛一弁護士など5人。
 午前10時10分、長谷川浩二裁判長ら裁判官が着席、午前中3人、午後6人の証人尋問が始まった。
 筆者(原田宏二)は、これまで多くの国賠訴訟等で警察官の証言を傍聴した。
 警察官は、よほどのことがない限り、警察に不利になるような証言はしないのが通例である。
 警察官は、事前の打ち合わせに従って、警察の方針に反しないように忠実に証言する。警察にとって都合の悪い質問に対しては、曖昧な答えを繰り返し、「記憶にありません」
を連発する。
 ときには、虚偽の証言をして偽証罪に問われた警察官もいた。
 この事件の熊本県警の結論は「いじめはなかった」である。
 果たして、若くして逝った真徳君の訴えに、証言台の警察官は、良心に従って真実を述べ、何事も隠さず偽りを述べなかったのだろうか。
 今回の警察官証人は、警察剣道の真髄「正々堂々」、「剣徳正世」(剣の徳をもって世の中を正す)をモットーに剣の道に精進した者たちばかりである。
 彼らの証言が、真実であることを信じたい。
 以下、証人の陳述書と証言内容の主要な部分を要約して紹介する。
 ( )内の記述は、冒頭の( )が代理人弁護士の質問の要旨、文途中の( )は筆者の注釈である。

午前中の部
亡真徳の高校時代の剣道部顧問N.T氏
@ (陳述書に、真徳君に「お前に厳しくしているのは誰だ?」と聞いたら、真徳は熊本県警の剣道部のM・T・I・Uの名前を挙げたとあるが、この4人の名前が明確に出たのか)はい、出た。
(厳しくというのは、意図的に傷を付けるような練習という意味か)はい。
A 平成16年4月以降、自分のところに練習に来るようになった真徳の首筋に剣道の「突き」による独特の裂傷が数ヶ所見受けられ、剣道部に厳しくされていると直感した。
(傷の形状からみて)明らかに故意的にやられているというのはもうはっきり分かった。
「突き」についてN.T氏の陳述書から
@「突き」は危険な技であることから、高校生から使用が認められている技である。
A危険かつ難しい技であるため、同じ相手に何度も繰り出すことはほぼない。
B難しい技であるがために、防具から外れ首に直接竹刀の先端が入ることが多い。
C外れた際はとっさに竹刀を引いて相手のダメージを軽減するのが慣例。
D繰り出した際は無防備な体勢となり、逆に一本を奪われるリスクが高い。
Eリスクが高い技を連続して繰り出すことは通常では考えられない。
F連続して繰り出す場合はほぼ制裁を加えることを目的とする。
G制裁(ダメージ)を加えることが目的で繰り出す場合は上記Cの処置を行わず、逆に突き上げる。
H突き上げるために首には大きな独特の裂傷が残る。
I互角稽古の場合は避けることが可能なので裂傷は一ヶ所に止まる。
J制裁を加える際の多くは互角稽古ではない打ち込み稽古で行われるため基立ちが繰り出す「突き」を避けることができない。

B (真徳君は、警察官を止めたいといったのか、剣道部を辞めたいといったのか)警察官を辞めたいと言っていた。とにかくやっぱり辛いと、先輩たちとほかの部員からの自分に対する対応がとにかくやっぱり冷たいということを言っていて、それでもう辞めたいと言っていた。
C (陳述書で特練を辞めたら首席師範である父親に迷惑がかかる、警察を辞めたらもっと迷惑がかかる。それこそ先輩の思うつぼになると、真徳君がほんとうに言ったのか)はい。
D (死ぬ直前あなたと話しているが、真徳君は何で死んだと思っているか。)
やっぱりいじめを苦にして自殺したとしか考えられない。もう多分本人としては死ぬ以外の選択がなかったと、逃げ場所がなかったのだろうと思う。

亡真徳の高校時代の剣道部監督S・T氏
@ 剣道部監督S・T氏の陳述書から
平成16年1月31日、稽古終了後、焼き肉店で食事をしながら、真徳から悩みを聞いたときに話してくれた。
1、地稽古(自由稽古)はいつも「(道場の)隅にいろ。」と言われ、相手にされない。
2、掛かり稽古には参加できるが、異常(ひど過ぎるくらい)に『向かえ突き』をされる(いつも)「鍛えられるのは(異常でも)構わないが、相手にされなかったり、仲間はずれにされるのが一番幸いです」と話す。
3、西日本対抗剣道大会の当日、熊本武道館が集合場所(時間)だったのに、他の部員とは違った‥この目は、もう一人残されていた選手でもある、A先輩(県警)の車に乗せてもらい、連れて行ってもらった・・・目に涙を浮かべていた。
4、試合後に先輩の稽古着・袴を一人でたたむ
「たたむのなら、本来は大将で出場されたI先生(鎮西高校)のを先にやるのが普通だろう」と尋ねた。‥・真徳もそれは解っているが「仲間はずれにされたり、いじめられるのが嫌だから」と答える。
5、T・Sさん(県警機動隊員)にも裏切られたと思うと残念「自分と同じ龍桜会(山田先生が指導されている)出身だというのに、他の部員と同じ事をするとは‥大変悔しいです。Tさんだけは信じていました」と言う。私は「Tも本心からの行為ではないかもしれないぞ。仕方なくやっているのかもしれないから‥」と話した。
A (真徳君に対する部員からの風当たりが強いことについて理由があるのか)
県警の剣道部員同志の会話で県警(元機動隊剣道特練員、警察学校教官)のM・Yが、真徳君が県警に入ったとき、親指を立てて「人質を預かった」というふうに言った。それは山田先生のことだと確信した。
B (県警内部にK派とか山田派とかそういう話しがあると聞いたことがあるか)ある。
C (陳述書に名前が出てくる剣道部のU君だが、後から叩かれると)はい。
  (どういう状況だったのか。)
おそらく、熊本武道館での稽古だったと思うが,先生にかかるときに後ろで待っているときに、自分の後ろから後頭部を竹刀でつつくことがあって、後ろを振り向いたら知らん顔されたと。で、また正面を向いて先生を待ってると、また同じようなことが繰り返しあったということで、それはだれだと聞いたらU先輩ですと言っていた。

亡真徳の剣道特練部監督k・K氏(現 警察学校校長補佐兼師範)
@ (K派と目される人から、グループに入るように誘われたことがあるか)先生一緒にやりましょうという話しがあったが、一緒にやっているじゃないかと言ったことがある。
A (会をやって下さいと言われたのは)監督を辞める平成16年2月の2、3年前だったと思うが、4、5人の部員から先生が指揮を執ってくれないかということを申し受けたが、(山田)師範を除いてはおかしいということで部員を説得した。
B その後(部員やOBの態度に)、ちょっとおかしいなという雰囲気はあった。若干形式的な挨拶というか、今までの挨拶ではなかった。Kさんの娘さんの結婚式に家内が行ったとき、部員が挨拶をしなかったということを聞いた。朝稽古への参加は自由かと当時のキャップテンに聞かれるようになり、参加する部員が少しずつ少なくなり、最後は(朝稽古は)なくなった。スムーズに監督としての仕事ができなくなった。
C (剣道で試合に行くようなとき、出張するときに、部員の旅費を預かったことがあるか)
監督(自分)は1回もなかった。預かったのはOBからの激励(金一封)だ。これは、部員の昼食会や激励会とかジュース代に充てていた。山田さんは、公費の旅費を預かることはなかったし、金一封を預かっても自分が帳簿をつけて、領収書もつけて、ちゃんとやっていた。
D 真徳君が入部して何箇月か経ってから、(真徳君)が(剣道部の)雰囲気がおかしいと言っていた。何か違うな、何かおかしいですよ先生という返事のやり方だった。何でかは私も判断できない。
E (平成16年3月か4月ころ、真徳君が辞めるという話しを聞いて(機動隊中隊長)Hさんに電話してるか)はい。
(警察官を辞めると言うのか、剣道部を辞めるというのか、当時のどう理解したのか)これは、内容は分からない。ちょっと判断していない。
F 首席師範と監督(自分)と真徳とH(機動隊)中隊長の4人で警察学校の当直室で話しを聞いた。真徳君は部員と何かとけ込めないとか、部員が何かおかしいとかと答えていた。
辞めないように説得したのを覚えている。監督(自分)と一緒に頑張ろうという言葉で言った。山田君は、ちょっと下を向いて、何かうなずく程度だった。その後は2人で話したことはない。

午後の部
「徹志会」の存在(訴状から抜粋)
本件における亡真徳の死亡は、「徹志会」という警察組織内の別組織の存在が深く関わっている。会則によると、同会は「会員相互の融和親睦」、「相互扶助」などを目的とし、「剣道部会員に対する激励援助」などの事業を行うとされている。
会長は、熊本県警剣道特練部OBの熊本県警察官のK警部で、剣道八段位を取得している人物だ。徹志会の「徹」は、Kの名前からとったとされる。平成14年5月の会員名簿によると、会員は25人、全員が熊本県警警察官で、うち11人が機動隊員、事務局は剣道特練部が所属する熊本県警機動隊に置き、事務局長は第2分隊分隊長となっていた。
熊本県警内には、剣道特練部のOBによって組織されている「剣道部OB会」があるが、徹志会はOBだけではなく現役の剣道特練部員も参加し、いわば県警内に別の組織を作るという形態をとっている。

徹志会会長 k・T氏(現熊本県警教養課 術科指導室補佐)
@ (県警内に山田派とK派があると噂されているが、知っているか)知らない。K派というものはない。徹志会は平成14年4月27日以降に、後輩が剣道強くなりたい、先輩が強くしてやりたいということでできたと理解している。会長になったことがある。
A(元県警剣道部員Mの陳述書に「剣道特練部員は山田元師範に対して不信感を抱くとともに,剣道特練部員が将来に不安を感じはじめていた」ということが、みんなで集まりましょうと、徹志会を作った原因のようになってる。更に、K補佐は剣道特練部のことを真剣に考えていました。大会のたびに激励を頂いていましたと。それが、あなたが会長になった理由のように書かれているがそのとおりか)
   山田さんに対する不信が部員のなかにあったという噂はあった。(剣道が)なかなか強くならないという不安感あったのではないかと理解している。激励(金一封)は、大会のたびにではないが、たまにはやっていた。
B (剣道部というのは警察組織としてやっているが、あなたは剣道部とは何か関わりがあったのか)いえ、全くない。
C (剣道部をどう強くするかとか,部員をどう練習させて鍛えるかとか、それは警察組織が考えることで、個人として考えるっていうことと相入れないように思うが)
結局私たちが作った会というのは任意の親睦団体で、入るも自由、出るも自由で、その中で、先ほどから言っているが、先輩として頑張れということを思うのは当然だと私は思う。
D (元県警剣道部員MとIさんの陳述書に、徹志会というグループを作るに当たって、例えば昇任試験の問題、あるいはそういうグループでOBがいると、刑事課に引いてくれるんじゃないかとか、そういう希望を述べてるが)
それはM君とI君の陳述書であって、私のじゃないので、先ほど述べたぐらいしか私は推測できないので、それくらいしか答えられない。
E (皆さんが、(徹志会を作った)一番大きな理由を山田さんに対する不信感を挙げているが、それはあなたも聞いて知っていたと)
   知っていたというより、本人たちがそう言っているのだから、言っている本人に聞いていただきたい。私じゃ分からない。
    (ではどう言っていたか)どう言っていたか。
  (不信感について具体的に)指導があんまりしていただけないというような話しは若干聞いたことがある。あとは、特別なことはない。
F (山田さんにあなたは不信感を持っていたか)不信感というよりも、私は信頼していなかった。それは長年の付き合いの中でそういうふうに感じていた。
G  (平成14年4月の徹志会の名簿にあるが)機動隊と書いてあるのが(剣道)特練部    
  員で11名で特練部員の全員が徹志会に入っていた。徹志会は平成16年に入っすぐくらいまであった。真徳君は徹志会に入っていないと思う。
H(徹志会規約を示す。事務局を機動隊1小2分隊に置く。分隊長を事務局長とすると書いてあるが、機動隊という警察の組織の中に事務局を置くというのは、どうしてそういう取決めをしたのか)私が決めたわけじゃないので、詳細には分らないが、OB会の規約を参考にして、そういう文言になってるというふうに思う。直接そこで分隊長が活動等をやってたというふうには理解していない。特に(変だとは)思わない。
I (剣道部の朝稽古は途中でなくなっていく。だけど、時間をずらして徹志会のほうの朝稽古が始まっている。組織内に組織を作って、警察の指揮命令系統とは全く違う練習をしてたというふうに見えるが)
そうは理解していない。(徹志会は)任意で親睦団体だし、朝稽古というのを徹志会でやってたわけじゃない。その会員の何人かが、時間があれば行って一緒に稽古をやってたというだけなので、徹志会の朝稽古じゃない。そこに自分が呼ばれて行ったということだ。
J (そういうところで、例えば原告の山田さんに話したか)先ほどちょっと言ったような話が出たという記憶はある。あんまり指導していただけないというような話をしてたような記憶がある。それ以外にはない。
K (徹志会として亡くなられた山田君にいじめを行ったというふうに思うか)全く思わない。
L 原告の山田さんとは、何かいさかいが表面立ってあった事件があるのか)強いて挙げれば、私が特練部員を外れるときに、警察学校で朝から出勤したら、当時M補佐のほうがK教官ちょっと来てと言われまして、あなたは体力の限界で剣道部員の免除になってるよというふうなことを言われ、そのときは非常にショックを受けた。
(その当時原告の山田さんは)首席師範だったか師範だったかは覚えていない。
M (14年間の付き合いの中で山田さんへの信頼がなくなった具体的なエピソードはあるのか)具体的には一杯あるので、恥ずかしくて言えないので、先ほど長い経験の中で信頼関係がなくなったという表現した。この場で言えないことはないが一杯あるで、どれを取っていいか分らないので、今日は言いたくない。
N (徹志会の会長補佐のMさんかどうかは分からないが、徹志会で道場を作ろうというような話があったか)徹志会で作ろう(という話し)なんかない。
(あなたは昨年か一昨年、道場を作っていないか)はい、平成15年くらいに個人の道場を作った。

元機動隊剣道特練部員A・K氏(現 警察署総務係)
@ (いわゆる「徹志会」、その名前があるかどうかは別にして、そういうグループのよう
ものに誘われたという経験はあるか)宮城国体のときだから平成13年ぐらいだと思うが、一緒に行ったT君とM君に、「一緒にやらんですか」と徹志会か何かは分からないが、OB会みたいなやつに誘われたことはあるが、私はOB会に入っていたので、そのときは断った。
A (原告の山田さんのことについて何か言っていたか)山田先生のことについては、お金を使い込んでいるんじゃないかとか、大体そのような内容だが、私は総務係もしているので、システム的にそういうことはできないからということで一喝した覚えがある。
B (結局、その誘いを断ったがその後周りで何か変化は起きたか)いや、あんまりない。
C(西日本対抗剣道大会のとき真徳君をあなたの車に乗せて会場まで行ってますが、場所はどこで真徳君を見付けたのか)私は副将の部だったので、副将・大将の部4人組で一緒行きましょうということで武道館で待ち合わせをしていた。真徳君が出発間際に来たので、どうしたのと聞くと機動隊に行ったがだれもいなかったのでこちらに来たということだったので、私の車を出して真徳君を乗せて大分まで行った。
私の推測だが、機動隊が待ち合わせ場所だったんだけど、行ったらいなくてこっちに来たのかなと思ったということだ。
(真徳君はなぜ機動隊に行ってもだれもいなくてこっちに来たか、その理由について)いえ、(真徳君は)言ってない。行ったけどもだれもおりませんでした、とは言っていた。私たちの推測で、(機動隊が)多分待ち合わせ場所だろうなとは思ったけども。

元機動隊剣道特練部員I・Y氏(亡真徳の直属上司、剣道特練部キャップテン)
@ (剣道の練習で突き技で山田君を特別にいじめたことは)ない。(山田君を稽古のとき
にのけ者にしたり、無視したり、山田君だけを無視するとかは)ないし、できない。
A (山田君が機動隊にいる間に提出した作文について)添削したのは当時の副分隊長のU・T(巡査部長)が添削した。「なめるな」と書いたのはUだ。まじめに書いてないというようなかたちで指導をしたと思っている。
O (この陳述書2には、原告の山田元師範に対する不信感等が書かれるが、大きく言うと、 一つは金銭面に対するあなたの不信感があったということか)はい。
(ただし、はっきりどういうお金を、どういうことで不正に使ったとか使ってないとかそこまであなたが確認したわけではないということか)はい。
(そういうお金の使用状況、いろいろもらったり、旅費とかせんべつとしてもらう激励のお金みたいなものがどういうふうに処理されたのか、あなたたちに何か説明があったか)記憶にない。
C (平成15年の春の異動で、当時のキャプテンのMさんと副キャプテンのHさんが異動になって、これはあなたとしても非常にショックだったということか)そのとおりショックだった。
(あなたは無礼を承知のうえでJなんでこういうことになったのか、原告の山田さんに当時尋ねたか)
山田さんは、異動のことは知らないというようなかたちでお話した。
(原告の山田さんが、そういう剣道部員の異動について全く関知しないとかいうことがあるか)私は関知されてるというふうに思っている。
D (この徹志会を作るに当たっては,徹志会作りましょうとかいうことで中心で動いたのか)動いたとか、そういう記憶はない。
(ただメンバーの1人にはなってますよね)はい。
(もちろん入ったということか)はい。
E (この会は,何か会として、徹志会というかたちでの特別な活動が何かあったのか)
別に活動という活動をやったという記憶はない。会費については払った記憶はある。
F(あなたの言葉からすると、原告の山田さんは、相当憎かった存在だったということでいいか)不信に思っていた。言葉は悪いが、当時の師範を私は独裁的な指導者というかたちで思っていた。 
G (それまでの朝稽古を止めたあと、今度は時間をずらして同じ道場で朝稽古しているが、そこには(徹志会会長の)Kさんが来ている)はい。
H (首席師範と監督の練習よりも、Kさんの練習のほうがよかったということか)
師範がだめとか,監督がだめとか、Kさんがいいとかというよりも,剣道をするうえで基本的に尊敬する方、そういうような方たち、剣の道をやるうえで、自分がやっぱり剣の道を一緒にやっていくうえで尊敬する人というのを大事にしてるかと思うが、先ほども言いましたとおり、師範、監督には、私は不信を持っていた。
I (不信感を抱いた理由に旅費の問題を挙げているが・・・旅費の請求、精算などの手続きを知っているのか)どういう書類を作ったか覚えていない。
(旅費の支払方法で,精算払と概算払、二通りあるが説明してください。)
すみません、詳しく分からない。
(あなた旅費がどういうふうに請求して、どうやって精算されて、お金がどう使われるか知らないんじゃないのか、ただそれが、原告の山田さんに対する不言感の大きな根拠の一つになってる。重大な問題だ。旅費の支出の仕方も知らないあなたが、どうして山田さんが旅費を持ってると思ったのか)
現実に師範、監督から残金ということでお渡しになられてましたので師範若しくは監督が持ってられるという認識しかなかった。
(このことについて、どういう旅費手続があったのかは確認をしていないのか)確認していない。

機動隊中隊長 H.S氏(亡真徳の上司)
@ (陳述書で、問題は山田君が剣道部を辞めたいというのを申し出たというのが書いてあるが、平成15年12月24日ということで間違いないか)はい。
(これは本人から直接ではなく、K人事補佐という方から聞いたということか)はい。
(この場合、山田君は剣道の特練部を辞めたいというふうに聞いたか)そのとおりだ。
(まだ年が明ける前、12月のそれこそ終わりのころにあなたは山田君と直接面接というか意思確認をしたことがあるか)はい。
(そのときは、本人は剣道部を辞めたいと言ってたのか)そのとおりだ。
(警察官を辞めたいとは言っていなかったか)警察官を辞めたいとは聞いていない。
(剣道部を辞めたいという理由は山田君の口からはどういうふうな説明があったのか)
本人の口からは、具体的な理由を聞いいたが、人間関係で悩んでいるということしか開けなかった。(例えば、いじめられてるとかいうような説明はあったか)ない。
(あなたとしては、どういうふうに思ったか)剣道部という輪の中に溶け込めないというふうな印象を受けた。
A (平成15年12月27日、K人事補佐から話しを聞いた3日後にFさんという先輩剣道部員になぜ確認したのか) そういう話しが剣道部内で広まっているのかを確認するためにF隊員に聞いた。
  (Fさんという剣道部員に聞くこと自体が、先輩だからといって、火に油を注ぐとは思わなかったか)思わない。(今日、証人になった)A・KさんがFさんは(山田派、K派の)どっちにも属さないと言っていた。
B (徹志会名簿23番目、F、この人があなたの話したFさんか)そうだ。
 (徹志会のメンバーだった。今思えば軽率ではなかったか)いいえ。
 (剣道部内の人間関係で悩んでいるとKさんから聞いた。どういう中身かはよく分からない。山田とKで確執があるようだと。それにもかかわらず辞めたいと言っている理由をなぜ徹志会の会員に聞いたのか)
その当時は徹志会なるものがあることを私は知らなかった。(だから今知ったら、それは軽率だったと思いませんかって聞いてる)思わない。
C (乙第16号証(別紙2枚目)を示す。1月14日欄、ここでは徹志会なるものが結成されたが、うんぬんと、それから山田師範の息子をいじめてるのでは、という噂を立てられてうんぬんと書いてある。これは剣道部員全員と話をしてるときにそういう話が剣道部員から出のか)
そうだ。その前に当時の山田師範が隊長室に来られて、徹志会の名簿なるものを示された。それで初めて徹志会というのがあるのを知り2分隊の部員に聞いた。
D(そのいじめているのではということについての調査はしたか)うわさを立てられて困っているというふうな話を聞いただけだ。
(うわさが本当かどうかの調査はしてないのか)いじめは確認していない。
(調査はしたのか)その部員と話をして確認はしている。
(いじめているのでは、ということについて、具体的にどういういじめがあるとうわさされていると聞いいたか)聞いていない。
(だからうわさが本当かどうか調べたかという質問に対しては、じゃ、調べていない)そういううわさを立てられて困っているということなので、いじめ自体は私は確認していない。いじめがあったかどうかというのは確認はしているが、確認はできていない。
E (平成16年1月15日だと思うが、山田隊員と2分隊全員との協議、進行役はあなたか)はい、そうだ。
(なぜ、真徳君とそれ以外の分隊員、剣道部員を招集してこういう協議を持ったのか)
一度、辞めると真徳君が言ったもんだから、再び続けると言ったからにはやはり信頼関係を構築する必要があると考えたからだ。
(辞めると言っていた原因が剣道部内の人間関係だった。あなたそう書いてる。K補佐から言われたと先ほど証言もされた)はい。
(人間関係で悩んでいるその人たちと協議をさせたと。見ようによってはつるし上げのように見るが。今言った理由以外にあるか。更にどうして真徳君とそれ以外の部員とを面談させたのか)‥・真徳君は辞めると言ったそのまま会わせたのじゃない。辞めると言った後に再びおやじを超えたいというふうに決心を言った。それじゃ、みんなと会って信頼関係を構築して、みんなで一致団結して全国大会で頑張ろうじゃないかというふうな雰囲気を醸し出すためにこういうふうな会合を設けた。中には厳しいことを言う人間もいたけども、ほとんどの者が一生懸命頑張ろうじゃないかということで一致団結したというふうな雰囲気で終わった。
(人間関係で悩んでいたと、剣道部内の。それが解決したとあなたは思ったか)
私が感じたのは、自分の方で殻を作って溶け込めないということが人間関係で悩んでいるというふうに感じたものだから、みんなで一つの輪になって全国大会目指して頑張ろうじゃないかというふうな雰囲気を作るためにそういうふうな場を設けた。

元機動隊剣道特練部員M・R氏(機動隊第1小隊第2分隊)
@ (第2分隊の機動隊としての訓練,これも非常にきつかったか)はい、そういう訓練もきつかった。
(機動隊の中の第2分隊は剣道特練部の部隊ですから、第2分隊はそういう上下関係、剣道を前提にした上下関係というのは非常に厳しかったか)はい、厳しかった。
(新入隊員だったときもあると思うんですが,先輩からけいこをつけられるのは非常につらかったという思いはしたか)はい。
(本心で、もうこの練習について行けない、やめたいというような気持ちになったこともあったか)はい、ありました。
A (平成16年3月1日から3月5日に東京のほうに出張したことがあるということだが、このとき,山田君だけをひとりぼっちに置き去りにしたとかね、山田君だけを無視したとかいうことはあったか)いえ、それはない。
(学校や武道館の練習で、山田君だけを無視したり仲間はずれにするとかいうことはあったか)いえ、それはない。見たこともない。
(あなたは徹志会の会員ですね)はい。
(いつ頃入ったのか)平成14年ぐらいだと思うが詳細には覚えていない。
(だれが誘ったのか)だれが誘ったというのはなかったが、このような会ができるけん、入ってみらん、て言われたと記憶している。
(だれかは覚えてない)はい。
(真徳君は入ってたか)いえ、入ってなかったと思う。
(だれかが誘うということはなかったのか)はい、なかったと思う。
B (平成16年1月14日、真徳君が剣道部をあるいは警察を辞める、どっちかはおいといて辞めると言い出した後、濱田さんから集まるようにという話はあったか)はい、あった。
(集まっていろいろ話したようですけれども、その中で微志会の話が出たようだが、どういう話だったか覚えているか)いえ、覚えてない。
(山田師範の息子をいじめているのではといううわさを立てられて非常に肩身の狭い思いをしていると、そういう話も出たということだが、それは覚えてるか)はい、覚えてる。
(まず順番に聞きます。どこでそんな噂が出てるんだという話はあったか)いや、それはなかったけど、風評でそういうふうにいじめてるといううわさを聞いたというところだ。
(なんでそんな噂を立てられるんだと、そういう話はしたか)そうですね、したと思う。
(どういう話になったのか)内容までは覚えてない。

元機動隊剣道特練部員K・K氏(機動隊第1小隊第2分隊)
@ (山田君だけを特別に何かいじめの対象として突きをわざと故意にやるとか、練習のときに無視をするとか、何かの片付けを一人でやらせるとか、そういうことはしてないか)はい、ない。
(あなた自身が加わっていじめたこともなければね、そういう場面を見たこともないか)
はい、ない。
A (機動隊の第1小隊第2分隊にもあなたや山田君は所属していたが、機動隊での訓練も厳しいものだったか)はい、厳しかった。
(陳述書に、山田さんはけいこ日誌の書き方で新隊員が怒られたとき、私に、きつかね、とか父親がおるけんねと言っていましたと、こういう言葉を山田君が言ったというのはちゃんと記憶にあるのか)はい。
(あなたは、山田君がそういうふうに言ってるのを聞いてどう思ったか)特別な感情というか、思いがあるんだなと、感じ取り方が私は違うなと思った。やはり山田先生がおられるということで、特別に自分だけ怒られているとか、そういうのを感じられていたんだなと思った。
(あなたの目から見て、山田君だけが特別に厳しく、ほかの新隊員と比較して怒られてたというふうには思えなかったか)はい。
B (第19号証を示し、県下段別選手権大会の応援状況と、荒尾市であった大会が開催され、あなたも参加した、山田君も参加した。覧席には、山田君を応援するあなたたちと山田君の相手方を応援する人たちが同じ観覧席にいたということか)はい、そうだ。
(山田君から見たら、何か相手方ばっかり応援してるように見えたかもしれないけど、決してそんな応援をしてないということか)はい。
(場所がそうなったから仕方なかった)はい。                以上

4月21日の第8回の口頭弁論の証人尋問の結果は、追って掲載する。

22.3.23(火) 熊本県警剣道部員いじめ自殺訴訟(1)
            亡真徳は、本当に自殺したのか

 このところ、九州各県警の警察官で編成されている九州管区機動隊の福岡県警の隊員3人が、小隊長(警部補)から暴行などを受け、このうち20歳代の巡査長が自殺を図った(1月23日 大分合同新聞)、神奈川県警の警察署の課長(52歳 警部)が自殺したのは、元上司によるパワーハラスメントが原因だとして遺族が訴訟を起こす(2月16日 朝日新聞)と警察官の自殺をめぐる報道が続いている。
 そうしたなか、3月17日、熊本地裁で熊本県警剣道部員いじめ自殺訴訟の口頭弁論が開かれ、自殺したとされる剣道部員(当時22歳)の高校時代の恩師、県警の剣道部の監督や当時の県警剣道部の部員ら警察官7人が証言台に立った。

 熊本県といえば、古くは聖剣宮本武蔵が晩年を過ごした地とされ、近年ではロサンゼルスオリンピックの柔道金メダリスト山下泰裕を輩出したことでも知られ、剣道、柔道が盛んな土地柄である。
 当然のことながら、熊本県警も全国の警察の中でも武道の盛んな県警とされている。
 志を警察剣道に求めた熊本県警の22歳の若い警察官が自殺に追い込まれた。
 訴状によると、その背景には、熊本県警の「術科・体育指導室」首席師範だった父親の排斥を狙った陰湿で組織的ないじめがあったとされる。
 閉鎖的とされる警察内部で何があったのか。
 警察剣道の真髄「正々堂々」、「剣徳正世」(剣の徳をもって世の中を正す)の精神はどこへ行ったのか。
 今回はこの訴訟の内容を紹介する。
熊本県警剣道部員いじめ自殺訴訟
 この訴訟は、平成16年5月24日、熊本県警機動隊の待機宿舎(誠和寮)で、原告の
長男の山田真徳君(当時22歳)〜以下「亡真徳」という〜が、「迷惑かけてごめんなさい。僕は死にます。先輩たちのせいではありません。・・・・」と書き残し首つり自殺したのは、熊本県警の警察官らによる「いじめ行為」によるものだとして、父親の山田博徳さんと母親の山田真由美さんが、平成19年4月5日、札幌市の市川守弘弁護士を代理人として、熊本県(県警)を相手取って、それぞれ約3180万円を支払うよう求めた訴訟である。
 亡真徳は、平成13年3月、熊本県警巡査に採用され、当時、剣道4段、熊本県警機動隊第1小隊第2分隊に所属、県警本部長から「剣道特別訓練部」(剣道特練部)の部員に指名され、剣道の技能向上に向けて訓練に励んでいた。

原告は、元熊本県警の「術科・体育指導室」首席師範
 原告 山田博徳は、昭和41年熊本県警に警察官として採用され、一貫して剣道に携わり、全日本剣道選手権大会や世界剣道選手権大会で優勝、平成16年には剣道範士の位を取得、平成19年3月、熊本県警警務部教養課「術科・体育指導室」の首席師範の職を最後に、定年まで1年を残し退職した。
 警察における術科とは、剣道だけではなく柔道、逮捕術、けん銃操法、救急法、教練等、体育と幅が広い。
 術科は、警察官が職務を遂行するに当たって必要な強じんな気力と強健な体力を身につけさせるために行われるとされる。
 原告は、この術科訓練における熊本県警の最高責任者であった。
 原告は途中から身分を警察官から「技術吏員」に変わったが、首席師範は警察官の警視待遇職である。

「徹志会」の存在(訴状から抜粋)
 本件における亡真徳の死亡は、「徹志会」という警察組織内の別組織の存在が深く関わっている。
 会則によると、同会は「会員相互の融和親睦」、「相互扶助」などを目的とし、「剣道部会員に対する激励援助」などの事業を行うとされている。
 会長は、熊本県警剣道特練部OBの熊本県警K警部で、剣道八段位を取得している人物だ。
 徹志会の「徹」は、Kの名前からとったとされる。
 平成14年5月の会員名簿によると、会員は25人、全員が熊本県警警察官で、うち11人が機動隊員、事務局は剣道特練部が所属する熊本県警機動隊に置き、事務局長は第2分隊分隊長となっていた。
 熊本県警内には、剣道特練部のOBによって組織されている「剣道部OB会」があるが、徹志会はOBだけではなく現役の剣道特練部員も参加し、いわば県警内に別の組織を作るという形態をとっている。

原告博徳(首席師範)への村八分・社会的抹殺(訴状から抜粋)
@平成12年頃から、原告博徳に対し、徹志会会員(当時は徹志会の存在は知らなかったが、名簿発見後に会員であったことが分かった)が、自ら挨拶をしなくなった。
A 原告博徳から話しかければ応対はするものの、顔は引きつり、誰かに監視されているかのような振る舞いであった。
B首席師範の原告博徳に対し、誰も稽古を「お願いします」と言ってこなくなった。勤務時間外に一般人とともに行う熊本武道館での稽古にいたっては、県警内からの参加者はすべて原告博徳との稽古を避けていた。一般の参加者らは、同じ警察官同士でありながら、原告博徳と口をきかず、稽古も一緒にしようとしない警察官らの異様さを指摘していた。
B 徹志会会員の剣道特練部員の結婚式に、原告博徳は招待をされなかった。この結婚式は、徹志会会員である剣道特練部のOB、現役が招待されるとともに、会員ではない原告博徳、監督のK、そして亡真徳のみが招待されず、原告博徳を社会的に孤立させようと図っていたことが明らかであった。
C 徹志会会員からの年賀状(平成13年正月以降)などの社会的儀礼は一切行われなくなった。

原告が主張する「亡真徳に対するいじめ」(訴状から抜粋)
亡真徳は、剣道特練部の他の部員から、次のとおりのいじめを受けていた。
@ 地稽古(自由稽古で、誰が誰と組んでも良い稽古)の場合に、他の部員から「道場の隅にいろ」と言われ、誰も稽古の相手をしてくれない。
A 掛かり稽古(一人に対し、順次かかっていく稽古)では、稽古してもらえるが、いつも意図的に「向かえ突き」といって喉周辺を傷つけられる。つまり、稽古ではなく意図的にのど元周辺に傷害を負わせるのである。
B 同じく掛かり稽古の練習中に並んでいると、後ろから頭を叩かれる。
C 平成14年頃、西日本対抗剣道大会の当日、剣道特練部員から集合場所と教えられていた熊本武道館に決められた時間に行くと、他の部員全部は、別に行動していた。つまり、公務であるにもかかわらず偽の集合時間と集合場所を教えられた。このときは、同じ大会に出場するA(剣道特練部OBであるが徹志会には入っていない)に、その運転する自動車に同乗させてもらって、事なきを得た。このとき亡真徳は"泣いていた"。
D 上記の西日本剣道大会には、ともに出場した「大将」の鎮西高校のI先生の稽古着と袴をたたまずに、剣道特練部員である先輩の稽古着と袴をたたんでいた。剣道という日本古来の武道では、礼儀として若いものは上の者、つまり西日本剣道大会での同じチームの大将の稽古着などをたたむという慣例が存在する。しかし亡真徳は、この大将の稽古着ではなく、剣道特練部員の先輩の稽古着をたたんでいたのである。見かねた亡真徳の高校時代の恩師が理由を尋ねると「それは分かっているのですが、先輩の稽古着や袴をたたまないと、仲間はずれにされたり、いじめられるから。それが嫌だから。」と言っていた。
E 剣道の熊本県大会の決勝戦で、亡真徳が決勝進出し試合をしている最中に、剣道特練部員は、全員亡真徳でなく相手方を応援していた。

 以上は、主に職務としての剣道練習、試合などの上での肉体的、精神的いじめであるが、徹志会の会員は、剣道以外の警察官としての職務に関しても、いじめを行っていた。
@  平成13年5月頃、亡真徳は警察学校に入校したが、教官はMであった。亡真徳は、外泊で実家に帰った際、原告真由美由美に「俺はM教官に嫌われているもん。」「何で嫌われとっとか俺にもわからん。ばってん嫌われとっとたい。俺にはわかるもん。」
A 平成16年5月10日、「機動隊新隊員になって」という作文が、上司のI巡査部長から課題として与えられた。亡真徳は、日ごろのいじめのために、職務だけは負けまいとがんばっていたところ、提出した作文には、「なめるな まじめに書いていない証拠」などという、およそ何を言いたいのか不明な、ただ恫喝するだけの「添削」しか返ってこなかった。おそらくIが添削したものと思われる。亡真徳は、Iとの話の後、自宅で原告真由美に「母ちゃん、きつかー。もう顔も見たくない。Iにやられるかもしれん。もう辞めよごたる。」と言った。
* 原告ら代理人は、この作文を見たが文章は起承転結が明確な立派な文章で、地域課に所属したときの自らの経験から「直接住民と接することの大切さ」を説き、初心を忘れずに頑張りたいという抱負を書いている。なぜこれが「なめるな」という評になるのか、理解に苦しむし、この評は意図的に亡真徳を侮辱、嫌がらせをし、上司としてパワーハラスメントをしたものとしか理解できない。

以上の事実は、ごく一部に過ぎない。
亡真徳は肉体的・精神的にいじめにあっていたが、亡真徳自身は、剣道でいじめられることよりも、精神的に「無視され」、いじめられることのほうが辛かった。
彼は、高校を卒業し、警察官という新しい職に意欲を持って従事し、かつ剣道の上達のために日々練習していた22歳の青年であった。
そのような亡真徳が、あこがれていた警察という組織の中で、理不尽な嫌がらせを受け、「無視され」、パワーハラスメントを受け、同じ警察官には誰にも相談できずに悩みながら、孤立し、精神的に傷つき、死を選ぶように追い込まれていった。

不審な熊本県警機動隊幹部の動き(訴状から抜粋)
(1)先立つ自殺未遂事件
 亡真徳は、前記したとおり平成16年5月24日、熊本県警機動隊待機宿舎誠和寮の自室で死亡したが、この10日ほど前に自殺未遂事件を起こしていたことが、亡真徳死亡後に明らかになった。
 5月24日死亡した亡真徳の発見者は、亡真徳の警察学校時代からの友人であったY氏であった。
 死亡後にY氏が、「遺書が10日ほど前に自殺未遂したときに書いてあったものではないか」と発言したことによって判明した。
 自殺未遂事件のとき、Y氏は機動隊の上司に報告したが、機動隊から原告らには一切連絡がなかった。
(Y氏は平成21年11月27日付けの陳述書で、上司に報告した事実を否定している。)
(2)死亡時の状況
 5月24日、熊本県警から朝8時10分ころ連絡を受けた原告博徳は、同8時30分頃、誠和寮の亡真徳の部屋に到着した。
 部屋には布団が敷かれ、亡真徳がパンツ一枚しか見につけていない姿で寝かされ、その上に毛布が掛けてあった。
 原告博徳が、毛布の中に手を入れたところ、体はまだ曖かかった。
 部屋には制服警察官が、何かを物色、捜索をしている様子であった。
 原告博徳は、その場で、この警察官から亡真徳の携帯電話を渡されたが、携帯電話の着信、発信はすべて消去されていた。 
 寮の中には、寮に住む警察官が一人もいなかった。
 朝9時30分頃、亡真徳の上司に当たる機動隊長が現れたが、寮にいるはずの剣道特練部部員は、一切姿を見せなかった。
 遺体は、寮からその日に自宅に搬送され、仮通夜、本通夜を行い、27日告別式を行った。
 また、亡真徳死亡後、原告らが熊本県警から事情を聴取されることもなかった。
 ただマスコミで取り上げられた後の1カ月以上経って、原告博徳だけが形式的に聞き取りをされただけであった。

被告 熊本県(県警)の主張等
 被告熊本県(熊本県警)は、熊本地裁に原告の請求を棄却するように求めたほか、「徹志会」の存在については「不知」としたうえで、亡真徳が徹志会会員である警察官の陰湿ないじめを原
 
 被告側は、熊本地裁に警務部監察課長が作成した熊本県警察本部長宛の「■の自殺事案に関する調査結果について(報告)」なる文書を提出している。
 この文書は、「自殺の原因・動機について」をはじめ、全ての調査項目をマスキングしてあり、「いじめ等の非違事案について」には、その存在を確認することはできなかったものであると記載されている。

 原告代理人市川弁護士による「被告作成に係る亡真徳の検視調書」の文書提出命令の申立に対して、被告側は、本件の検視調書は非公開が原則とされる訴訟に関する文書に該当する等として、提出の必要はないとした。(平成19年12月4日 準備書面)
 ところが、平成20年7月10日の準備書面では、本件においては、死体取扱規則に基づき、いわゆる行政検視を行っており、死体見分調書に相当する「検視等結果報告書」が作成されているとし熊本県警の内部文書である「検視等結果報告書」を提出した。
 しかし、この文書も遺書の内容以外はすべてマスキングされている。

亡真徳は、本当に自殺したのか
 この訴訟は、亡真徳は自殺したことを前提に進められている。
 今年3月には、10年前に宮城県の自衛官(当時45歳)の死亡について、宮城県警が検視した結果、首つり自殺だとされていたが、実際は自殺を装った殺人だったことが明らかになった。 
 宮城県警は「誤認検視」を認めている。
 熊本県警は、亡真徳の遺体について、検視は行わず行政検視をしたとし、その結果は死体取扱規則による「死体見分調書」ではなく、内部文書である「検視等結果報告書」に記載したとしている。
 これらの手続きは、長く警察で検視業務に携わった者からすると明らかにおかしい。
 「変死者又は変死疑いのある死体があるときは、検察官は検視しなければならない」とされている。(刑事訴訟法第229条)
 「変死者」とは、医師によって明確に病死であると判断されず、かつ、死亡が犯罪によるものであるという疑いのある死体のことで、「変死の疑いのある死体」とは、医師によって明確に病死と判断されておらず、かつ、死亡が犯罪によるものであるか不明の死体である。
 「死体取扱規則」(国家公安委員会規則)には「行政検視」という名称はない。
 死体が犯罪に起因するものでないことが明らかである場合に、その死体を見分し死因を調査することで「死体の見分」である。
 見分の結果は「死体見分調書」に記載される。
 あくまでも行政上の手続きである。
 司法上の検視とは異なる。
 外見上首つりにより死亡したとみられる死体は、まずは他殺を偽装したのではないかと考えるのが、"いろはのい"捜査の鉄則である。
 つまり「変死の疑いのある死体」である。
 行政上の見分の対象ではない。
 (司法)検視しその結果を、検視調書に明らかにするべきである。
 
 死因に不審な点があれば、司法解剖の必要もある。
 平成19年6月に愛知県警犬山警察署が、大相撲時津部屋の序の口力士の急死事件で、「事件性なし」と判断し、検視をしないで行政検視をしたと説明し問題となったことがあった。
 この事件は、元15代時津風親方と兄弟子3人が傷害および傷害致死容疑で立件送致され有罪判決を受けている。
 愛知県警犬山警察署の判断は誤りだった。

 当時の熊本東警察署刑事第一課長Kは、その陳述書で、亡真徳の遺体の検視を行い、死因について「自殺と判断した」旨を原告博徳に説明したとしているが、原告博徳の説明によると、5月24日、熊本県警から朝8時10分ころ連絡を受け、同8時30分頃、誠和寮の亡真徳の部屋に到着してから、遺体が自宅送られるまでの間に検視が行われたことはなかったとしている。
 東警察署刑事第一課長Kは陳述書で、「行政検視」をして、その結果を「死体見分調書」に代え「検視等結果報告書」に記載したとしている。
 これも理解できないやり方だが、その「検視等結果報告書」に記載されている「遺書」の存在も、亡真徳の死因を自殺と断定した根拠になっているようだ。
 しかし、亡真徳が書き残したとされるA4版に書かれた走り書きの文章は、〜これが真実、亡真徳が作成したものかどうかも明らかではないが〜第1発見者のY氏の陳述書によると亡真徳が自殺を図り未遂に終わったとされる5月19日夜に書かれたものだ、となっている。
 となると、亡真徳が自殺遺体で発見された5月24日の直前に書かれてものではないことになる。
 つまり、遺書なるものはなかったことになる。
 (司法)検視の手続きを経ないで、亡真徳の死を自殺と断定したとしたら、熊本県警察の判断に重大な疑問を持たざるを得ない。
                                     (以上)

 3月17日に行われた、亡真徳の高校時代の恩師、県警の剣道部の監督、当時の県警の剣道部の部員だった警察官ら7人の証言内容については、次回、掲載する。
 なお引き続き、4月21日 午前10時10分から、熊本地裁で関係者の証人尋問が行われる。



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