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【あの人は今こうしている】

MAYAさん

【芸能】

2010年04月08日 掲載

「赤とオレンジのリュウキンの入れ墨をしたの」

 プロレスのマネジャーは今やレスラーと同等の登場人物。その存在感によって、プロレスの熱気はさらにヒートアップする。きょう登場のMAYA嬢はかつて「IWA JAPAN」の女悪役マネジャーとして名をはせ、肝心のプロレスラー以上の人気を誇った。今どうしているのか。

●「いっぺんにアドレナリン全開になっちゃった」
 MAYA嬢と会ったのは北千住駅前の喫茶店。生まれも育ちもこの界隈。ママチャリに乗っての買い物が日課だという。
「歩いてすぐのマンションで独身生活を楽しんでるわ。同居人? いるわけないじゃない。アタシ、誰にも束縛されずに生きたいの」
 朝起きると缶ビールをグビッ。これがお茶代わりで、掃除・洗濯が終わったら、またグビッ。1日5、6缶は空けるとか。
 さて、「IWA JAPAN」の女悪役マネジャーで知られるMAYAさんだが、その前は「扇まや」なる芸名でSM系AVの売れっ子だった。
「AVは400本以上出てるわね。あと、ポルノ映画、ストリップ、キャバレーのショーダンサーと、基本的に来る仕事は拒まずだった。ただ、ちょっとワケあって、最近、AVの出演オファーが減って、その代わり、台本を書いてくれって頼まれることが多いの。以前、ゴーストライターやってたし、官能小説を書いたこともあるから、お安いご用よ」
 その「ワケ」とは……。
「実は4年前に入れ墨を入れたのよ。ワタシ、小さい頃から般若の入れ墨をしたいなんて言ってたヘンな子供でね。母親に“前も後ろも般若じゃシャレにならない”って忠告されてたのを思い出して、右の脇の下からお尻にかけて赤とオレンジのリュウキンを入れた。2匹の金魚を背負ってちゃ、堅気の人妻さんは絶対無理よ」
 広島県呉市の彫師の手による入れ墨で、仕上がりを姿見で確かめた瞬間、感動のあまり落涙、また落涙だったそうだ。
 マネジャーとしてリングに上がるようになったのは97年のことだ。
「これもオファーがあったの。ところが、“女がピンヒールでリングに上がるとは何事だ”って最初は身内のプロレスラーからもバッシングがすごかった。ワタシは叩かれれば叩かれるほど燃える方で、かえって燃えたわ」
 1年、2年とマネジャーを続けるうちに拍手が大きくなり、「MAYAさまコール」が連呼されるようになった。
「2002年に引退するまで大型バスで日本中を回ったわ。練習生たちがリングを組み立ててる横で、ワタシはパイプ椅子を並べてお手伝いする。懐かしい思い出ね」
 去年5月、「IWA JAPAN」旗揚げ15周年記念興行があり、サプライズゲストとして招かれた。
「以前のように17センチのピンヒールでリングを闊歩(かっぽ)できるんだろうか? それだけが心配だったけど、体が覚えてた。ワタシが登場するや、“MAYAさまコール”が起きて、いっぺんにアドレナリン全開になっちゃった」
 去年12月に初めてフランス喜劇に挑戦した。
「自分の経験値を高めたかったの。また機会があったらお芝居に挑戦した~いって欲が出てきたわ」
~2010年04月08日以前の記事~