子育て

文字サイズ変更
はてなブックマークに登録
Yahoo!ブックマークに登録
Buzzurlブックマークに登録
livedoor Clipに登録
この記事を印刷

きっと、だいじょうぶ。:/1 勇気の言葉=西野博之

 ダイキチは3歳で白血病と診断された。無菌室で長い時間を過ごし、骨髄移植手術を受けた。退院後も、抵抗力・免疫力が弱いという理由で、外出を禁止された。小学校の入学が近づいたころ、医師の外出許可がおりた。

 母が「フリースペースえん」に相談に訪れたのは、ダイキチが小学2年の時だった。先生とのトラブルがきっかけで、学校を休みがちになっていた。母は「思いきり泥遊びをさせたい」と言った。雑菌が入ることを恐れ、土に触ることさえ禁じてきた。小さな息子を守るためのダメ出しがストレスを積み重ねたのではないかと案じていた。

 数日後、ダイキチが母に連れられてやって来た。彼は開口一番、「忍者学校に入りたい」と言った。そのころ僕は忍者ごっこのお頭として、各地の保育園や児童館に呼ばれていた。それを母から聞いたのだろう。幸い「えん」は、敷地が1万平方メートルの川崎市子ども夢パークの中にある。走り回れる土の山も、隠れるには絶好の木々やトンネルもある。

 さっそくダイキチの忍者修業が始まった。ため込んだエネルギーが一気にあふれ出したかのように、日がとっぷり暮れるまで仲間と遊んだ。昼ごはんもペロリと平らげた。ダイキチの笑顔とパワー全開の日々を、母も僕らもほっとした思いで見守っていた。

 そんな矢先、今度は母の体に異変が起きた。がんだった。一時は回復し、ダイキチと二人で石垣島を旅したが、病の進行は止まらなかった。ダイキチが中1になった昨春、母はホスピスに転院した。「自分の思いをすべて息子に伝えたので、もう思い残すことはありません」。そう言って、静かに息をひきとった。

 それからわずか半年あまり。今春のフェスティバルのステージには、誰よりも長くダイキチの姿があった。アフリカの太鼓やオカリナの演奏、創作劇では堂々と主役を演じ、仲間と掛け合いで司会もこなした。「すごいダイキチ」「良かったよ」。あちこちから声がかかった。

 何がここまで彼を突き動かしたのか。ダイキチは「母さんから勇気の言葉をもらったんだ」と話してくれた。「失敗してもいいから、なんでも挑戦してごらん」。亡くなる1週間前に遺(のこ)した母の言葉を聞き、僕は胸が熱くなった。

 これからもいろんな試練が待ち受けていることだろう。でも、たくさんの仲間がつながっている。きっと、だいじょうぶ。母さんはちゃんと天国で見守っていてくれるよ。(NPO法人フリースペースたまりば理事長)=次回は25日

毎日新聞 2010年4月11日 東京朝刊

子育て アーカイブ一覧

PR情報

 

おすすめ情報

注目ブランド