So-net無料ブログ作成
検索選択

ホメオパシーにまつわるエトセトラ [疑似科学総論]

 「ホメオパシーは副作用のあだ花」のコメントもぐんぐん伸び、私も色々楽しく読ませていただいています(パソコンではじっくり話が追えないのでプリントアウトまでしちゃった)。
 それらにすぐに答えを述べられるほど私は聖徳太子でないのが申し訳ないので、その代わりインスパイアされて考えた事を、とりとめもなく書いてみる。
 あちらのコメント欄は雰囲気的にはひと段落した感じだけど、続くのならこちらのコメント欄に移動してきてくださいな。


【私のホメオパシーとの出会い】

 私が「ホメオパシー」という代替医療の存在を知ったのは疑似科学関連の本から。
 で、その時得た知識というのは「症状に対し、同じ症状を引き起こす物質をごくごく微量に投与する」という手法と、それによって「自然抵抗力を増す」というホメオパシーの目的と、実際は「希釈の程度がとんでもなく、ごくごく微量どころか物質は1分子も含まれない」という事だった。
 そうした疑似科学の本の著者は、大抵外国人だったので、『あちらさん(外国)では、変なものが流行っているなぁ』というのが正直な感想。


【日本にはホメオパシーは流行っているのか】

 実際、ここ日本に住む私は、未だかつてホメオパシーユーザーに実生活で会った事は無いし、それらしい広告も公共メディアでは見た事も無い。モチロン、注意すれば見つける事ができるのかもしれないが、逆に言えば注意しないと見つからないほど少ない、という事だろう。
 ネット界でも、少なくとも何の気なしに覗いたHPやブログの作者がホメオパシーユーザーである事をカミングアウトしてた、という事は今まで無い。モチロン、ググればそういう人のブログも沢山見つかるのだろうけど、それはグーグルくんの検索能力の賜物であり、ベースになる半端じゃない母数を考えれば、沢山見つけられても「身近なものになっている」とは言えない(自分と同姓同名の人を探すと結構HITするが、それは身近に同姓同名の人が沢山いる事を意味しない)。

※ この記事を作っている途中でcosiさんが使用していると述べていた。cosiさんはホメオパシーのエントリ以前からいらした方なので、たまたま出会った希有な例と言えるかな。

 ただ、ブログで勝手に付けられる広告の中には、代替医療系のものも見かけるような気はする。だけど、そもそも(占いやアダルトの怪しげな広告に混じっての話だから、真剣にチェックしてはいないが。

 ある意味、日本のネット界で最も積極的に「ホメオパシー」という概念を広めているのは、「ニセ科学批判」かもしれないね(ネガティブキャンペーンではあるけれど)。
 

【何故日本では流行らないのか】
  
 個人的な体験が根拠ではあるけれど、「現状では日本で流行っていない」と言っても異議を唱える人はあまりいないんじゃないかと予想する(「流行の兆しがある」とねじ込む人はいるかもしれないケド)。
 ひとまずそれを前提にして、その理由を考えてみる。

 やはり、病院が整備されていると共に、国民健康保険制度が強力だ、という事が大きいと思う。
 つまり、距離的にも金銭的にも病院にかかりやすい環境にあるという事。
 そのため現代の日本では「病気になったら病院に行く」のが”当然の常識”となっていると思う。
 多くの人間の多くの病気は、わざわざ病院以外の治療法を探すよりも、病院に行った方が早いわけだ。

 そんな中でも「病院嫌い」はいる。
 それには個々で色んな理由があるだろう。
 「多くの病気は安静と栄養で治る」というポリシー(あながち間違っていない)を強く持つ人は「病院に頼る」のを潔しとしない、とかね。
 他に「治すために何かしたいが、病院には行きたくない」というタイブの人もいるだろう。過去に病院で非常に嫌な思いをしたという個人的な体験による人もいるだろうし、田舎だとか、超貧困とか、あるいは何らかの理由で健康保険が使えない人もいるだろう。「忙しい」というのも、現代日本の社会人においては大きな理由になりそうだ。
 そんな中で、私が結構賛同できるのは「あの病人に満ちあふれた待合室で待たされるのは、病気にかかるために行くようなものだ」という捉え方。確かに病院に行くハードルは下がったけど、その分病院には患者が溢れ、待ち時間も長い。

 まぁ、理由はともあれ、「治すために何かしたいが、病院には行きたくない」人は、病院以外の選択肢を探すかもしれない。
 その時にホメオパシーに出会い...と単純にいくか、というとそれもなかなか難しい。
 市販の風邪薬は容易に手に入るし、代替医療に走るとしても、そこには「漢方」やら「民間療法」やらが既にしっかり根を張っている。日本においては新参者のホメオパシーに残されたシェアは元々僅かじゃないのかな。
 また、そのような状況だからこそ、ホメオパシー側としても普及活動に金をつぎ込めないだろう。


【日本の性格(?)に合わないのでは】

 そもそもモノは”薬”だ。
 あなたは、知らない人がくれる正体が分からないモノを平気で口にできますか?
 せいぜい、みのもんたとか芸能人が宣伝してから検討するとか、友達が使ってからとか、自分以外の「毒味役」を経てから自分も使う、という程度のしたたかさは多くの人が持っているだろう。
 
 あと、日本人って、どちらかというと「成分は多い方が得」というがめつい人が多いのではないかな(だから広告のキャッチフレーズが「タウリン1g」じゃなくて「タウリン1000mg!!」になっちゃうわけで)。
 そんな人達は、「物質は1分子も入っていません」と言われれば、逆に怒るよ。
 それと、そんな事を言われて一般の人が「これは科学的な効果がある」と錯覚してしまうと想定するのは義務教育の舐めすぎじゃないかな、とも思う。


【ホメオパシーは科学的に見えるか】

 これは、常々の私の疑問だ。
 ニセ科学批判の人に言わせれば「科学的と思い込んでいるから」となるわけだが、マイナスイオンや血液型性格判断みたいなのはともかくとして、ホメオパシーに関しては、それはほとんど無いと思う。

 少なくとも、私にとっては、科学の「か」の字も感じられない。だけど、それはもしかしたら私の「疑似科学」という先入観のせいかもしれない、と自省して読み返してもやっぱりダメだ。
 一つは、彼ら自身「科学」とは(表面上は)言っていないし、そもそも内容的にもオカルトに近い理論構成である。少なくとも、義務教育を普通に受けた人であればむしろ「反科学・非科学」と受け取るのではないのかなぁ、と予想する(甘い予想かもしれないけれど)。

 中には(た)さんが紹介してくれたような科学性を主張する論文も世に出ているのだろうけど、一般人がそこまで追ってから判断するか?とまず思った(むしろ、そういうので騙される人がいるとすれば科学者ではないかな)。
 そもそも、どんなオカルトでも、裾野が大きくなれば「科学的な実証」を主張する人は必ずと言っていいほど出てくる。霊しかり、超能力しかり。でも、それでも世間的にはそのオカルトはオカルトのままであったりする。

 モチロン、ユーザーの中に「科学的と思い込んでいる」人が皆無だなんて言えないケド、それは「科学的と錯覚したから信じた」のではなく、「それを正しい」と思うのが先にあり、それを補強するためにその人の価値観の中で最も依存度の高い「科学」に投影してしまうのではないかというのが私の見方。

 ニセ科学批判の人達が「一般人」をどう位置づけているか知らないが、一般人のひとりとして言わせてもらえば「科学的」であるという事は、「信じる対象」の一つでしかないんだよね。「オカルト」を信じてもいいし、「宗教」でも信じてもいい。あるいは「他人の経験」だって信じるに値する。

 「ホメオパシー理論」を科学を持ち出して否定する、というのはいいと私は思うけど、「それを信じる」事まで否定するのはおかしいんじゃない?
 そこまで踏み込んでしまう人は、「科学的」しか信じてはいけないと言うのだろうか。
 

【どんな人が使うのか】

 とまぁ、ホメオパシーが普及する事に対する様々な障害を挙げてみた(「流行っていない」前提の上での予想、という事は一応再度断っておく)。
 しかし、それでもホメオパシーユーザーになっている人がいるのも事実。
 今度は、それは何故かという事を、今までの考察を踏まえ考えてみましょう。

 先に述べたように、私達のすぐ側にはお手頃な「病院」というのが存在する。
 また、ホメオパシーは別に価格が非常に安いわけではないし、入手も非常に簡単なわけではない。
 でも、あえて「病院」より「ホメオパシー」を選ぶのはなんなのだろう。
 3つぐらいタイプを考えてみた。

A 「病院に行きたくない人」、ここでは『病院不信、病院薬不信』に限定しておく。
B 「病院に行っても治らなかった人」、完治が困難な慢性的な病気、あるいは死に至る病気。
C 「病院に行くほどではないけど慢性的な症状がある人」、つまり軽微な慢性症状に悩まされている人。

 なお、導入後に乱用するようになる(BやAに該当しない症状にも使おうとする)事は十分考えられるが、ここでは「導入の理由」のみ対象とするね。

 Aは、自分や身内の体験でそうなる人もいるだろうし、あるいはマスコミの「病院批判」の煽りに流されちゃった人、もしくはもう少しポジティブに「自然派指向の人」も該当するかもしれない。
 これはおう「価値観」であるから、とやかく言えるものではないだろう。「嫌だ」とハッキリ意思表示する人間を無理矢理病院に連れて行って医者が強制的に治療する、という事こそ人権蹂躙になってしまう。
 ただし、子供に関しては話は別で、それは親が判断すべきだ。中には、子供の命よりも、自分のポリシーを守る事の方が大切、という親もいるかもしれない。その場合は不幸な結末を生む危険性が高いが、それはどう考えても「親の問題」だろう。

 Bは、事実上「藁にもすがる」しかないわけで、何でもやるだろう。墓にお金は持っていけない。
 その姿を見て嘲笑できるかというと、私はできない。自分だってそうするだろうと思う。
 それを非科学的だからと取り上げてしまうのは、「おとなしく死ね」と言うようなものだろう。
 この層に関しては、おそらくホメオパシー批判者も矛先が鈍るようで、「終末医療は別の話」と逃げようとする人も多い。でも、代替医療利用者というのは、少なくともここ日本においては、このタイプの人が主流なんじゃないのかなぁと思うのだけどね。

 個人的な予想としては、今後伸びるとすればCの層だろう。
 現代人はストレスを抱え、しかも時間に追われている。 
 この層で特筆すべきは、「実際に治る事もめずらしくない」という事だ。軽微な症状はちょっとしたきっかけで治ったりする。だからこそ、乱用者や布教者が生まれる確率が高いのもこの層だと思う(必ずではない)。
 とはいえ、症状を抱えた人にとってはどんな理由だろうと(科学だろうとオカルトだろうと)、治る事が最大かつ唯一の目的のはずだ。で、治ったのに手段を問題にしようとするとおかしな話になる。
 
 治そうとしている人に「それは科学的でないから効かないよ」というのは意味のある助言だと思う。
 でも、「治った」人に「科学的でないから効くわけないはず」と言うのはおかしいだろう。
 「じゃぁ何かい、科学的に間違っているから、もう一度症状を元に戻せ、とでも言うのかい?」という感じ。

 どちらが正しくてどちらが間違っているという問題ではなく、実情としての話ね。

 
【プラセボ効果】 

 この言葉を皆さんはどう捉えているだろうか。
 「プラセボだから効かない」という主張を散見するけれど、それはちょっと違うぞと私は考える。
 「プラセボ効果」とは「プラセボ(偽薬)なのに効く」というものなんだよね。あくまで「効果」。
 
 偽薬を飲んでいても(のんでいなくても)自然に治る」事を指しているわけではないし、「気のせい」レベルの話でもない。例えば「何もしない場合と、偽薬を処方した場合では、後者の方が治る」という話である。

 ちなみに『心理学辞典 CD-ROM版』 (C)1999 株式会社 有斐閣 にはこうある。
 本来薬物としての効果がない錠剤などを「特別の効果をもつ薬である」と伝えて被験者に与えると,暗示的な作用が働いて,説明された通りの効果が得られることがよくある。このような効果を偽薬(プラセボ)効果とよび,そのニセの薬を偽薬とよぶ。新薬の真の効果を調べるためには,この偽薬効果を統制する必要がある。心理的介入にも偽薬効果は生じうるので,ある操作・介入が実質的な効果をもつか否かを実証するためには,偽薬効果を排除しなければならない。臨床実践においては,この効果を積極的に利用することもある。

 何故薬の開発に「盲検法」を使うのかというと、「薬の効果」を調べるためではなく、「成分の効果」を調べるため。
 いくら「有効成分配合」と言っても、配合した分の効果が無ければ意味はないし、下手すりゃそれが余計な副作用の原因になる。何らかの成分を配合する、という事は「リスク」を抱える事になるわけで、そのリスクに見合った効果が無いなら、配合しない方が良いから(偽薬効果の方がまだまし)、それを判断するために偽薬と比較するわけだと私は理解している。
 
 モチロン、「偽薬」を使用すれば必ず「プラセボ効果」が出るわけではない、という事は念押しするけれど、「プラセボ効果」というのは、れっきとした「治癒効果」である点も押さえて欲しい。

 生理心理学という分野があるんだけど、それをやっていると心と体は非常に密接に関係する、というのがよく分かる。だから、「プラセボ効果」についても、心の変化が「身体」という実体の変化に繋がっても、何ら不思議ではない。

 正直なところ 「プラセボ効果」のメカニズムはハッキリとは分かっていないが(多分)、科学的知見を元にモデルを作る事は可能。
 例えば、生理心理学、あるいは精神生理学の分野において、ストレスは一時的に免疫力を高めるものの、ある程度継続すると今度は低下に転じるという事が分かっている。
 「病気」というのは、まさに継続的にストレスにさらされる状態であり、長引けば長引くほど免疫力が低下するという悪循環に陥る。
 そこで偽薬でも何でも「これで治る」という暗示を与える事は「ストレス」の低減に繋がり、それにより免疫力が復元され、実際に快方に向かうわけだ。

 別に『プラセボ効果』の話をして、「だからホメオパシーも有効だ」と言いたいわけではない。
 その効果が得られるか否かは不確実であり、もっと確実に効果が出るものがあるのであれば、そちらを使うのが合目的的だろう。

 なんか、ホメオパシー批判で『プラセボ効果』が”効果が無い”という文脈で使われるのがモヤモヤするんだよね。ホメオパシーの効果は絶対”ゼロ”でなければならない、というポリシーが、用語理解を歪ませているような気がするのよ。


【医療は科学的か】

 ホメオパシーを否定するために正統医療を持ち出される事が多いけど、それを読んでいると「ホメオパスが現代医学を信用しないってのもアレだけど、批判側の正統医療の認識も非常に歪んでいるなぁ」と思うことがある。
 さっきの「プラセボ効果」の理解の仕方もそうだけど、ホメオパシーを相対的に貶めるために、正統医療を過大に評価している感じがするのだ。
 
 ホメオパシーを批判する人間は、正統医療を科学の結晶みたいに扱い、得意げに「EBM(実証に基ずく医療)」という概念がある事を語ったりするケド、医者の米山公啓さんは『医学は科学ではない』でこう述べているんだよね。
EBMの考え方が広く行き渡っているとされる欧米ですら、現代の医療行為のうちEBMにもとづくものは多くて五割くらいと言われている。日本ではたぶんもっと低くなるのではないだろうか

 これだけでは単なる「受け売り」なので、私がもう少し私なりにその事情を説明する。

 この話が「さもありなん」と腑に落ちるのは、心理学と医学は似たところがあるから。
 だって、実証のためにやらなきゃならんのは「人体実験」ですよ、人体実験。

 科学的である事を自慢する理系君には分らないのかもしれないけれど、人間は好きなだけ分解できる機械でもなければ、純度99.99%に精製できる物質でもなければ、好きに掛け合わせたり遺伝子を組み替えできる生物でもない。

・ 対象が「個性バリバリの」人間である事
・ その個性を無くした状態で実験する事ができない事
・ ってか、倫理的な問題がからんで、なかなか実験も好きなようにできない事

 こういう条件下で、科学的な検証がどれだけ困難か、統計的な分析で意味のある結果を出すために必要なぐらいサンプルを募るのがどれだけ大変か、分かっているだろうか。
 
 まだ心理学は「健康な人間」を対象にしている限りは少し楽だけど、医学の場合はさらに「同じ病気」の人をかき集めなければならない。さらには「同じ病気」であっても、実際はその状況は個人で違ってくるわけである。
 それを考えると、この世にどれだけの病気が有るのか知らないが、それらすべてに対する対処の効果を一々「科学的に実証」できっこない、というのも納得するでしょう。

 そもそも実際に医師に望むべきは、科学という最大公約数的な処方ではなく、いち個人の医者における個々の症例に対する知識と経験ではないのかな。そして、「平均値的な人間」という十派一絡げなつかみかたによる医療ではなく、「個性的な身体に宿る固有の病」を理解した治療の方が大切なのではないだろうか。

 忘れてならんのは、病気は実際は個性的なものだという事。それを分っている医者が「名医」になり、どんな患者でも共通する症状であれば同じ処方をする”客観的で再現性の高い”医者は「ヤブ」になると思う。

 「科学でないのに科学的であると言う」事を批判しておきながら、そういう自分も「医療が科学的である」という信念で、過度に科学的であるかのように述べる、というのは、見ていて矛盾を強く感じる。

 てか、そこまで「医療が科学的」だと言っておいて、いざ自分が病気になった時に医者や病院を選ぶような事をしたら笑うぞ。
 本当に科学的なら、どこ行っても同じ確率で治るはずじゃないのかい?


【私のホメオパシー・ユーザー像】
 
 cosiさんには悪いが、私は「ホメオパシー」を毛筋ほども信じていない。
 だけど、信じたい気持ちは分かるし、使ってみる気持ちも分かる気がする。

 ニセ科学批判者は、ホメオパシー利用者を愚鈍の骨頂、あるいは悪の手先のように酷評する傾向があるけれど、私が想像するユーザー像はちょっと違う。
 
 例えば、ちょっと気分がすぐれない時、「どのレメディがいいかな」と選ぶのに、自分に合った洋服を探すようなちょっとした楽しさがあるんじゃないのか。その行為だけでも少しは気が紛れるんじゃないかな。
 それに、そういう時に「自分の身体の状態を把握しようとする」のも悪いことじゃない。
 おまじない、というか「儀式」みたいなものだけど、「だから意味が無い」というのは即物的な単純科学馬鹿のいう事。
 その事に意味付けすれば、モチベーションが上がり、覚醒も高まる。
 そしてそれは身体にも影響するんだね。

 私はそんな「個人的なささやかな楽しみ」ぐらいはあった方が生きやすいと思う。
 社会の代弁者気取りで針小棒大に害を唱える人達には、”そんな事”どうでもいいのかもしれないが。


【ホメオパシーのメリット】

 ちょっとひねくれた見方だけど、他の代替医療と比べた場合、ホメオパシーには大きなメリットがあるという話。
 それは、副作用が無いのもそうだけど、正統医療とバッティングしない、という事。
 こんな話を紹介しておこう。
 とは言いながら、自分の患者さんでも、もちろんそういうのに手を出される、もしくは手を出そうとする人は多い。そういう時、どうするか。
 同僚の圧倒的多くは、「EBMに反することで、百害あって一利なし」と、口を極めて患者さんを説得にかかろうとしている。ほとんど面子にかけて、という感じに近い。
 ただ、多くは旗色が悪い。それはそうだろう。こっちは、昨日今日担当医になった、多くは患者さんよりはるかに年下の、どこの馬の骨だか牛の骨だか分からん医者で、そういうたとえば健康食品を勧めてくれたのは、世話になっている叔母さんとか心配してくれている甥だとか長年の親友だとかである。患者さんがどっちの言うことを聞くか、勝敗の帰趨は見えている。勧めてくれた人は皆、善意であり、「患者さんのためを思っている」ことは、我々と同等以上であろう。科学、統計学、それがどうした。
 私が、真面目だが融通の利かないレジデントと一緒に回診をしていた時、ある患者さんが「知り合いから勧められているのですが……」と、複数の健康食品を出してこられた。ちょこちょこっとラベルをチェックして、今飲んでおられるのはどれ、これはこれから始めるつもり?では、これとこれは続けてもらっていいでしょう、これは、放射線治療している間はやめておいた方がいいな、これを始めるのは、これこれが終わってからの方がいいでしょう。それまで腐るようなものではないですよね・・・てなこと言って引き揚げた。レジデントが後で猛烈な勢いで、「先生、ああいうものが、効くと、お考えですか!」馬鹿かお前は。何勉強してきたんだ。効くわけないだろう。「だったら、どうして、これはいいなんておっしゃるんですか!」ちっとはものを考えろ。中身も見ずに、全部即刻やめろ、なんて言ったら、闇に潜るだけに決まっているだろうが。
 闇に潜られると悪いかというと、悪いのである。岐阜の先生からお聞きした話だが、そこの病院で同じ化学療法をやっていた患者さんのうち、ある特定の病室の人だけが副作用が強く出て、四人中三人が亡くなってしまった。遺族を問い詰めて、ようやく分かったのは、その地域で出回っている民間薬を、その病室の人たちだけが飲んでいたということであった。そしてその薬草は、ある抗癌剤の原料となるものであり、患者さんたちが飲んでいたというその根は、有効成分は乏しいが副作用(白血球減少など)はしっかりあるものだった。
 (里美清一著『偽善の医療』 新潮新書)

 こういう話を聞くと、「人は代替医療に走りがち」ならば、むしろ「ホメオパシー」に走ってくれた方がいいかな、と思ったりする。

 また、この話は、「相手の事を考える」というのはどういう事か、という一つの見本とも言えるでしょう。
 ホメオパシー批判者は、その人のため、社会のためと理由を付けるけど、どうもそれがうさんくさく見える。
 「正しいことを言うのが正しい」というのはポリシーだろうからまぁいいけど、それで「自分の行為が人を救っている」なんて気持ちになって欲しくはない。


【最後に】

 とまぁ、ホメオパシーについて考えたことをアトランダムに並べてみた。 
 ホントまとまりのない文章でスマヌ。
 まぁ、どれか一部だけでもなんかの思考の足しにでもなれば。
 
 んで、最後に私の少々ヒネクレたホメオパシー観を述べておく。

 多分、批判者が「詐欺」だなんだ言っているのは、「単なる水を不当な値段で売る」という感覚もあるんじゃないかと思うケド、その頭の中には「水そのものの原価」しか浮かんでいないんだろう。

 しかし、実際には(真面目にやっていればだけど)、最初に入れる物質、そして希釈するための多量の水、それをする人の人件費や機械・機材といろいろかかっているんだから、「単なる水」より高くなってアタリマエ。

 んで、そこで思ったんだけど、「わざわざ物質を加え、そしてそれを0にするため労力を払う」って、なんか前衛芸術っぽい。
 んで、ホメオパシーユーザーはそんな前衛芸術家のパトロンになるわけだ。
 そう考えると、ちょっとかっこいい。

 物質混入も希釈も振蕩もしない水を「レメディ」として売ったなら、それこそが「詐欺」だね。
 問題は、ビン詰めされた後では、レメディか単なる水か判断できない事だけどね。
nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

nice! 0

コメント 2

トンデモブラウ

>医療は科学的か

立派に科学でしょう。
自然科学=経験則=試行錯誤のデータの寄せ集め、なのでね。
まさに自然科学じゃないだろうか。

で、「EBM(実証に基ずく医療)」の難しいところは、アウトプットに客観的評価を与えにくいってことでしょうね。
所詮自己申告なので、第三者にどこがどう痛いのかなんて簡単なことでさえも伝えるのは難しい。
これはJudgementさんが【医療は科学か】で書かれている通り。
でも私の結論は違うんだなぁ。
医療は(少なくても心理学よりは)自然科学ですよ、信念じゃなくて。
でも、医者は科学者ではなくって、どっちかというと職人。
技術力に差があるのは当然、人間だもの。
同じ技術力であれば「どこの病院に行っても同じ確率で治る」と思いますけど。
言いかえると、程度の差が医者の技術力に影響されるけど、「EBM(実証に基ずく医療)」を受けるのであればどこの病院に行ってもほぼ同じ確率で治ると思います。

Judgementさんの言うように医療の科学性に対して懐疑的な見方をする人は、
>例えば、生理心理学、あるいは精神生理学の分野において、ストレスは一時的に免疫力を高めるものの、ある程度継続すると今度は低下に転じるという事が分かっている。
なんてのはOKな言い回しなんですか。
ストレスというのは、その程度(強度とか大きさとか、どういう単語を使うのか解りませんけど)が客観的に観測可能なものなんですか。
免疫力が高まる(低下する)、とは・・・
個人的な感想ですが、「EBM(実証に基ずく医療)」より眉唾な感じがしますね。

プラセボ効果に関しては、個人的には「気のせい」だと思ってます。
もう少し細かく言うと、私は、脳内の感覚の伝達なんかは、化学反応というか電子のやりとりなので、この部分に脳からの信号の伝達(感情とか)で電子伝達系の短絡や遅滞を『現実に起こっている物理現象』とは考えていません。
自分の感覚にしか作用しないしね。

>「わざわざ物質を加え、そしてそれを0にするため労力を払う」
見方の違いでしょうね。
私には、ほんの少しの原料さえ(例えばキナノキの樹脂1g)あれば、半永久的なユーザーへ供給できる薬が生産できる、って考えますけど。
レメディは水(砂糖)としても高価ですけど、薬としても安くはないですよ。(しかも、効かないのに。)
で前衛芸術じゃなくって工場生産ですけどね。
需要があれば、工業的に生産する場合原価はほぼ0ですよ。
しかも歩留まりも100近いんじゃないかな。
ぼろい商売じゃのぉ。

代替医療なんか個人的な嗜好と同じなんで、好きでやってるもまで批難することないじゃん、なんて意見はよく聞きますけど、本当にそうでしょうかね。
Judgementさんが引用された「里美清一著『偽善の医療』 新潮新書」の部分だけ見ても、第三者に影響してるし。
しかも強力に。
代替医療なんてなくなった方が「社会のため」になると思いますけど、どこがダメなのか解りませんね。
ホメオパシーだろうがカニトップだろうが、積極的にdisって行きますよ。
by トンデモブラウ (2010-03-21 14:24) 

cosi

Judgementさんの、このエントリーには、ほとんど異論がありません。
特に気に入った部分に、コメントさせてもらいます。

>症状を抱えた人にとってはどんな理由だろうと(科学だろうとオカルトだろうと)、治る事が最大かつ唯一の目的

激しく同意(笑)。

>なんか、ホメオパシー批判で『プラセボ効果』が”効果が無い”という文脈で使われるのがモヤモヤするんだよね。

私も、『抗うつ薬は本当に効くのか』のプラシボ効果についての記述を読んで、そういうことを考えていました。
また、MMAさんのコメントをきっかけに、『代替医療ハンドブック』を引っ張り出してきて読んだのですが、代替療法、補完療法の一つとして、「プラシボ効果」が取り上げられていたのを発見したのでした。
昨今は、プラシボ効果がネガティブなイメージで語られすぎのようです。

>そもそも実際に医師に望むべきは、科学という最大公約数的な処方ではなく、いち個人の医者における個々の症例に対する知識と経験ではないのかな。
>そして、「平均値的な人間」という十派一絡げなつかみかたによる医療ではなく、「個性的な身体に宿る固有の病」を理解した治療の方が大切なのではないだろうか。
>忘れてならんのは、病気は実際は個性的なものだという事。
>それを分っている医者が「名医」になり、どんな患者でも共通する症状であれば同じ処方をする”客観的で再現性の高い”医者は「ヤブ」になると思う。

柳澤圭子さんも、こういう考えを持った医師に早く出会えれていれば、少なくとも気持ちは救われていたはず。
そして、その「気持ちが救われた感じ」というのは、必ず、身体にも良い影響を及ぼすと思います。
「病気が実際は個性的なもの」というのは、私の患者としての経験からも思うことです。
ハーネマンは、そういう考え方をしています。
私がホメオパシーを「信仰」するようになったのは、この辺も大きいのかもしれません。
今の医療に抜け落ちがちな考え方だと思います。

>例えば、ちょっと気分がすぐれない時、「どのレメディがいいかな」と選ぶのに、自分に合った洋服を探すようなちょっとした楽しさがあるんじゃないのか。その行為だけでも少しは気が紛れるんじゃないかな。

そうなんです。気が紛れるのです。その効果は、私にはかなり大きいのです。

【naokoさん】
>その間の気の遠くなるような苦難の時間を耐え抜く上で、彼女が拠り所としたもののひとつに〝信仰〟があったのではないでしょうか。
>しかし、人は信仰によって救われながら、その後、宗教に惑わされ、苦しめられることもある

そのようですね。
何事も耽溺はよくない、ということなんでしょうか?
いろんな人と<対話>をすることで、耽溺は防げる気がします。

naokoさんのコメントには、私が考えていても能力的に言葉に出来ないことが、うまく表現されていることが、多々ありました。
naokoさんの考えは、私には共感できるものが多いです。
私のわかりにくい文章から、「語りたいこと」を受け取ってもらえたのですね。
ホメオパシーや<対話>に関して、私の考えを聴いていただいて、どうもありがとうございます。
また機会があれば、対話していただけたら嬉しいです。

【(た)さん】
>人間はよくもここまで科学を発展させてきたと驚くと同時に、「所詮は科学」という想いも募る
>科学の成果や技術を教えるのは簡単なんだけど、「所詮」の部分はどうしても教えきれない。

(た)さんの、「ホメオパシーへのいや~な感じ」は理解できましたし、納得もしました。
いわゆる科学教の信者とは、少々違う立場のようですね。
それは、「所詮は科学」という感覚を持てるかどうかで、違ってくるのだろうと思いました。

科学教の信者の教条は、「全ては科学で解明できるはずで、解明しなくてはいけない」ではないでしょうか?
それが時と場合によっては、「余計なお世話」だったりして、嫌がられる場合があることに気がつけない(笑)。

【トンデモブラウさん】
相変わらず、「医療の実際」に理解のないまま、突っ走っているような印象を受けます。
特に、プラシボ効果のあたり。
ホメオパシーの原料が少なくて済む事に関して、トンデモブラウさんは「ぼろい商売」と言ってますが、環境に優しいエコ、ともいえますよ(笑)。
原料をたくさん栽培したり、採取する必要がないのですから。
まあ、トンデモブラウさんは、エコも嫌ってそうだから、大差ないか(笑)。

【Judgementさんと皆様】
私もホメオパシーに関しては、言いたいことを書かせてもらった気がします。
しばらく忙しいので、コメントに来れません。
落ち着いたら、そして参加できそうな話題だったら、また来させてもらいますね~。
このブログは、本当に勉強になりますので。
これからも楽しみにしています。
by cosi (2010-03-22 02:07) 

トンデモブラウ

【cosiさん】

「プラセボ効果」というのは、信じていなければ起きないんですよ。
つまり、自分を騙しているだけのこと。
感染症に効果があったりするなら、私も考え直しますけどね。

で、私が『「医療の実際」に理解のないまま、突っ走っているような印象』というのはどういう意味でしょうか。
怪我や病気で医療にかかったことがないとでも?
「医療の実際」に理解がないのは、代替医療推進派でしょうに。
医療の一部の瑕疵には焦点を当てるけど、代替医療には効果があったものだけ見てる、という感じにしか思えませんけど。

naokoさんの引用した柳澤圭子さんのケースもそう。
これが、代替医療や超常現象でよくなるものだと思うんですか。
「プラセボ効果」も効かないケースだと思いますけど。(まさか「プラセボ効果」が万能だと思ってます?)

強い願い(精神力)が実際の物理的効果に影響する、という考えは、どちらかというと前時代的精神論と同じじゃないかと思いますけど。
効果がないのは、願いの強さが足りないからだ、という負の精神論と表裏一体ですよ。
それこそ、鬱病が発見されていない時代の「貴様は根性が足らん!」と怒鳴って鉄拳制裁する体育教師と一緒ですね。
太平洋戦争で開戦に突入した軍部、ミッドウェー海戦の机上演習で結果を操作した宇垣纏参謀長とか、神風特別攻撃を実行した大西瀧治郎海軍中将とかを批判できないんじゃない。

人体実験は試行数が多くないといい結果を得られないのよ。
代替医療が入り込まない方が、医療の発展には間違いなく有効。
by トンデモブラウ (2010-03-22 14:17) 

naoko

感想なんだけど、(た)さんのコメントの後に、トンデモブラウさんのコメントを読むと、やはりニセカガク批判原理主義という感じはいなめないなあ。

cosiさんの言う「医療の実際」というのは、それぞれの患者の味わっている主観・実情も含めて言っているんで、その辺は、今までのcosiさんのコメントを読めばわかるはずだよ。

たとえば柳澤さんのケースにしても、〝信仰〟が彼女を救ったと言えない事はないんだよね。自ら命をたつ前に「科学技術の進歩の成果」と「新しい医療」にめぐり合えたのだから。それで完治したわけではなく、あくまでも症状を奇跡的に抑えることができるようになっただけなのだけれども。

思考や行為が徹底的に科学的であってもいいのよ。ただ、その根底に、〝生身の人間(←身体も心もまるごと含めて)〟への配慮があれば。
逆に、徹底的に精神論や〝信仰〟中心でもいい。同じように、〝人間を生かすこと〟をベースに実践しているのであれば。
どちらにしても、せいいっぱい〝現実〟に向き合っていることにかわりはないのだから。
そういう人たちには、自分のぶち当たっている生身の現実は、最良の教師になる。
彼らには〝ひとりよがり〟になる余裕は与えられないから。

机上でのみああだこうだと考えている人は、科学的・論理的思考だろうが精神論・信仰だろうが、いずれにしろお話にならないよ。

それから、宇垣さんが根拠なく不敗皇軍の甘い希望的観測にたよったのと、大西さんが当時の航空兵力の実情から神風に踏み切らざるを得なかったのとは、まるっきり別の話だとは思うけど。
大西さん自身はまるっきり精神論ってわけじゃなかったと思うよ。(その後に彼の方針に右へ習えしてつづいた無責任な連中とは違って。)
by naoko (2010-03-22 15:19) 

トンデモブラウ

なんだか「対話のある社会」というのを実感できませんねぇ・・・
重要な質問はスルーされてるし、重要だと思って反論した部分にはイエロー・カードが出されるし。
一方的に自分以外がダメだなんて気持ちはなくって、「対話のある社会」を実践することがいかに困難かを実感した次第です。
私の杞憂は、杞憂じゃなかったってことですね。

もぅ、ホメオパシー推進派に直球で聞きますよ。
正統医療で埋まらない心の隙間をうめるためには、医療現場にホメオパシーを導入することは有効だ、という認識でOKですか。
しかも、ホメオパシーのレメディは、ただの水(砂糖)なので、それ自体に病気に対する効果がないことは、利用者も解っているということですね。
ホメオパシーの利点は「プラセボ効果」である、と。
であれば、

『「チチンプイプイ、痛いの痛いの飛んでけぇ~」と「ホメオパシー」の違いは何ですか?』

それに対する私の考えは、「ホメオパシーに何か不思議な力があるからだ。」と思っているからじゃないかということです。
「科学で解明できていない不思議な力」というのは、いくらでも存在しますよ。
例えば、「重力」。
でも、「体感できない不思議な力」というのは、心の中にしか存在しません。
何度も言うように、オカルト超常現象研究会OBとしては、手品、奇術や錯視、騙し絵なんかは大好物なんですよ。(色覚異常なので巧妙な騙し絵には気付かなかったりしますけど・・・)
でもタネも仕掛けもあるし、なにより体感できる。
解っていても手品師のセカンド・ディールなんてのは見えませんからね。

ここで二つ目の質問。

『ホメオパシーに特別な効果を謳ってただの水(砂糖)を高価な値段で売るのと、霊感商法で壺や印鑑を売る行為との差別化はどこで行われるのですか?』

善意で勧めるものには悪いものはない、とは誰も考えていないでしょう。
善悪を判断するのもその人の主観だからね。
でも「プラセボ効果」を発揮するためには、治療に有効であるということを信じていなければいけませんよね。
水(砂糖)に特別な効果がないことは常識で判断できること、らしいので、だとすると「プラセボ効果」の機序が全く解りませんけど。
というか、私は解っているつもりです。
だから、詐欺行為じゃないかと言っているわけで。
正統医療で埋まらない心の隙間を埋めるためには、詐欺の片棒を担いでもかまわない、ということであれば納得できないなぁ。

Judgementさんは、ホメオパシー側が特別な効果を喧伝していない、つまり利用者が勝手に(というか積極的に)騙されている(思い込んでいる)だけだ、というスタンスのようですが。
とすると、常識の範疇というよりは、やっぱり科学リテラシーに食い込んでいる感じがしますけどね。
こういう巧妙な詐欺の手口こそ、心理学の出番じゃないか。

最後に「強い気持ちが現実に作用する」と考えられている方に聞きたいのですが、
『「世界が平和になりますように」という願い、もしくは「日本が戦争に勝ちますように」という願い、どっちも実現されませんでしたが、何が足りなかったのでしょう?』



by トンデモブラウ (2010-03-24 09:02) 

naoko

>「強い気持ちが現実に作用する」
これ、〝信仰〟における絶対の真理です。

>なぜ「世界が平和になりますように」という願いが実現されないのか?
心底願っている人の絶対数がたりないのでは(笑)?

「戦争は人の心の中で始まる。人の心の中に平和の砦を築かなければならない」というのはユネスコ憲章だけど、心の中に闘争の神が宿ったり、嫉妬・恨み・憎しみに心を支配されてしまうと、争いごとが絶えない。自己本位の欲望は、そうした負の感情に拍車をかける。
人の願いの力を妨げるのは、社会の充満するそうした負の想念です。
だから、心の修行って大切。

>「日本が戦争に勝ちますように」という願いが実現されなかったのは?
これは神様が、日本の勝利を許さなかったのでしょう(苦笑)。

思うに、大正から昭和初期にかけて、もともと謙虚だった日本人の〝思い上がり〟と〝ひとりよがり〟が、ひどくなり、自分勝手な欲望から大陸進出に拍車がかかっていった。
 当時の日本の動きを一人の人間にたとえると、頭は硬直した日本教にとらわれてしまい、身体は身勝手な欲望にむかって勝手に突き進んでいった。その先にあるのは破滅。
 もちろん、そうした動きに逆らおうとした人たちもいる。大西中将の心の中にも、そのような心の葛藤はあったと思う。

 結局、欧米への強烈なコンプレックスと、その反動としての日本教の絶対化が、近代の日本の情念を支配し、もともと日本人が持っていた、しなやかな寛容の精神を失わせたように思う。

 現在のニューエイジ的新興宗教の興隆や、その反動としてのニセ科学批判の動きの中にも、同様の精神の硬直を、わたしは感じる。
by naoko (2010-03-24 11:22) 

naoko

ここでわたしは〝精神の硬直〟と言っていますが、これは頭と腹がてんでばらばら、その連絡回路が遮断されているような状態です。

頭では「対話」を望み、自分は相手に対して向き合っている、と思っている。ところが、腹(からだ)は相手に対して開かれていない(←つまり、実は対話を望んでいない。むしろ、相手を自分に従わせたいという身勝手な欲望を抱えている)。

MORIXさんは、自分のそのような状態に、対話を通して気づかれた。
その〝気づき〟が、彼の叡智の顕現だったとわたしは思う。

by naoko (2010-03-24 11:46) 

(た)

cosi さん、
もう見てないかも知れませんが、

> 科学教の信者の教条は、「全ては科学で解明できるはずで、解明しなくては
> いけない」ではないでしょうか?

えーっとね。もし、「現在の科学で」という前提が付かないんだったら、それは科学者の信念でもありますよ。信念というか究極の目標というか夢というか。これに関しては、例え

> それが時と場合によっては、「余計なお世話」だったりして、嫌がられる場合が
> あることに気がつけない(笑)。

と言われようが、マッドサイエンティストと言われようが頑張る (まぁ、無理そうだな、というものは勿論ありますけどね)。もっとも、これは言葉通りに受けとったらそういう返事になるという意味で、cosi さんがそうおっしゃる気持ちは良くわかります。「あなたのこと全て知ってる」なんていう超能力者がいたら私もできたら近寄りたくない。


naokoさん、
> 感想なんだけど、(た)さんのコメントの後に、トンデモブラウさんの
> コメントを読むと、やはりニセカガク批判原理主義という感じはいなめ
> ないなあ。

どうでしょ。
私も原理主義かも。
何があっても譲れない、というものもあるので、その時は原理主義でも宗教戦争でもなんでもいいからとにかく頑張る・・・かも知れない。トンデモブラウさんにとっては「インチキ」ってところが譲れない一線なんだろうなと想像してます。というか、トンデモブラウさんの割り切り方に私は結構憧れてるカモ。私はもうちょっといいかげん。

私も『「科学的に正しい」ものは「正しい」』と考える人間です。もちろん、私にとっての正しさ、ですよ。ただ、

正しいことばっかりしてられるか〜!!

とも思いますけどね。そこがいいかげんな所なのかも知れない。

でも、間違うからこそおもしろい。
気付かずに間違った前提から出発しておもしろい結論を得るなんて、科学の研究では良くあることです。見たいものだけを見てたおかげで発見できた、とかね。神の視点には立てない人間だからこその楽しみ。科学にはそういったことも含めて人間くさくていいかげんなところがあって、私は科学が大好き。

> これは頭と腹がてんでばらばら、その連絡回路が遮断されている
> ような状態です。

この辺りが良くわかりませんでした。「本音と建前」というのとは違いますよね。裏の本音があるという感じ?あるいは自分で本音に気付いてない、とか?

ニセ科学批判を見てて気になるのは、何人もの批判者が同じようなことを同じように繰り替えしてると感じる時があることかなぁ。自分もそうなんだろうと思うけど。「科学教の教徒が念仏唱えてる」という程の強い意味ではないんだけどね。言うことが画一化されてるように感じることがあって、それが心にひっかかる。科学的事実は踏まえるにしても、それぞれ個々が個々の価値観を表明してるはずなのに。
by (た) (2010-03-26 21:22) 

naoko

>頭と腹がてんでばらばら

自分で本音に気づいていないって方ですね。あるいは、その本音の〝傍若無人さ〟に気づいていない。
それを身近な人に指摘されることって、実生活においては、よくあることだと思うけど?
少なくとも、わたしはけっこう経験してきたな。
それなりの〝痛み〟をともなってね。

by naoko (2010-03-27 02:14) 

cosi

(た)さん、もう見てないかもしれませんが(笑)、少し、具にもつかないことを、コメントをしたいと思います。

ホメオパシーや、代替療法を批判する人は、たくさんいます。
でも、私にとって気に障るタイプと、気に障らないタイプに、大きく分けられる気がします。
後者だと、気に障らないどころか、「そうだよね~。そういう点は問題だよね。」と納得させられることすらあります。

(た)さんのような人は、そういう、気に障らないタイプです。
サイモン・シンやきくちさんは気に障るタイプ。
(トンデモブラウさんは、どちらでもない。)

違いはなんだろう、と考えてみました。
気に障るタイプは、「科学的」にこだわりすぎるせいで、その他の諸事情を無視するからかな。

諸事情を無視して、「科学的」なことのみ言及するため、関係者の人達(例えば鍼灸師など)の気持ちを害する。

最近は、諸事情を無視するのは、悪意があってではなく、単に、そういう配慮ができないからなのかなと、思えてきました。

例えば、(た)さんの前回のコメントにある、

>もっとも、これは言葉通りに受けとったらそういう返事になるという意味で、cosi さんがそうおっしゃる気持ちは良くわかります。

この文のような、相手への配慮が、できるかできないか。

科学者とか、理系クンには、この手の配慮ができない人が多い気がするのです。いつも一言足りないというか。これは今まで出会ってきた理系クンたちからの、個人的感想にすぎないのですが。

まあ、でも、Judgementさんが「安い知識自慢」のエントリーで書かれていましたが、理系クンに限らず、ちょっとした配慮ができない、相手の立場に立って考えられないオジサンは、たくさんいますね。

by cosi (2010-04-22 16:20) 

cosi

naokoさんのコメントで、すごく共感した箇所を、長く引用させてもらいます。
(ずっと忙しくて、感想を書きたくても書けなかったので、今頃になって書いています。)

>思考や行為が徹底的に科学的であってもいいのよ。ただ、その根底に、〝生身の人間(←身体も心もまるごと含めて)〟への配慮があれば。
>逆に、徹底的に精神論や〝信仰〟中心でもいい。同じように、〝人間を生かすこと〟をベースに実践しているのであれば。
>どちらにしても、せいいっぱい〝現実〟に向き合っていることにかわりはないのだから。
>机上でのみああだこうだと考えている人は、科学的・論理的思考だろうが精神論・信仰だろうが、いずれにしろお話にならないよ。

全く同感です。

通常医療だろうが、代替医療だろうが、何も効果がない時があるし、死ぬ前には必ずそういう時が来る。その時、最期まで見捨てず、向き合ってくれるということが、一番重要だと思う。現実に向き合ってくれるのかどうか。

サイモン・シンやきくちセンセイへの不快感は、「批判するだけして、結局あんた達、患者や病気ってものに、最期まで向き合うことなんてできないくせに」という点が大きい。
鍼灸だのホメオパシーだのを、批判するだけして、代わりに何らかの救いの手を差し伸べるってことはやらない。そこが無責任。お話にならない。

だから、「ニセ科学」なんて概念を出してきたのも、社会の為なんかじゃなく、自分を売り出したいだけなんじゃないの?って思ってしまうのであります。「クオリア」「アハ体験」みたいに売れたいだけなんじゃないの?って、ヒネた見方をしてしまいます。ホメオパシーをニセ科学としちゃうあたりも、よくわかってない感丸出し。
本気で医療に口出ししたいなら、通常医療にだって批判すべき点はあるわけで、そっちもしっかり批判すべきでしょう。抗うつ剤の件とか、金儲けに走ってインチキっぽいことがあるのに。結局は、医療のことをよく知らないだけ、なんだろうけど。

Judgement さんのコメント、

>「プラセボ効果」の理解の仕方もそうだけど、ホメオパシーを相対的に貶めるために、正統医療を過大に評価している感じがするのだ。

そういうことなんでしょう。
現実は、Judgementさんの「実はダウン中だったりした」のエントリーにあるように、

>EBMっちゃどこの世界の夢物語なのさ。

な状況なわけですから。公平に客観的にやってくれよ!それが無理なら、無責任なことを垂れ流さないで欲しい。代替療法で、つかの間でも救われている病人が、マジで困る。
最後は愚痴でした。
by cosi (2010-04-24 21:25) 

トンデモブラウ

う~ん、どうだろう。
サイモン・シン氏やきくち教授が、患者や病気に向き合う必要はないと思うなぁ。
医者でもないのに。
批判者や評論家が的外れであればそこを指摘するだけで充分であって、「○○したことないくせに」とか「当事者じゃないのに」なんてのはあさっての反撃じゃないかと思いますけど。
ダメだと思えるものをdisるのに資格は不要だと思いますね。

で、ホネオパシー信者は、「プラセボ効果」を得るためだけにホメオパシーを利用しているんですか?
そこに本当に「現実と向き合っている」といえるものがあるのかどうだか・・・
だって、現実と向き合っているなら「プラセボ効果」はないでしょう。

なんだか、正統医療を批判する人は、一部のダメな医者が批判対象なのに、それを正統医療全体に拡大解釈して全て敵認定しているように思える。
まともな医者に一人も出会えていないなんて不幸な・・・とびきり健康なのか?
まぁインチキ代替医療は、人の善意を食い物にしているので、そりゃあ口当たりはいいしょうけどね。
無口で無愛想な詐欺師なんてあんまり聞いたことないし。

「科学」には、感情や人情は全く含まれていませんので、「科学的じゃない」ものに情状酌量する余地はありません。
だって「科学」って実際の現象を言い換えただけのもんだし。
「科学」に照らして、実際に科学的根拠の全くないものをいかにも凄い効果のあるものとして宣伝してたら、「科学的じゃない」として叩かれてもしょうがないんじゃなかろうかと思いますけど。
その人がどんな聖人君子であったとしても。

最近思うのは、ニセ科学信奉者や擁護者がよく使う、パラダイム・シフト(例えば、天動説から地動説とか、ニュートン力学から量子力学)なんか妙な感覚で捉えているんじゃないかと思うなぁ。
今の科学で「今の科学的」に解ってないことは一つもないんですよ。
未だに解っていない事象はいっぱいあるけど、重力にしろなんにしろ。
で、未知の現象が解明されて今までの「科学」が全くダメダメだったとしましょう。
でも天地がひっくり返るわけでもないし、朝になると太陽は東から昇ってくるんですよね。
なんら変化はない。
当然ですね、「科学」は事象を言い換えてるだけなんで。
いきなり感情が物理的に作用し始めることもないわけです。
逆に、「科学」で否定されたからといって、現実に起こっていることがなくなるってことでもない。
「科学」だの「科学的」だのってのは、そんなもん。
ただ、そんなもんだけど実際の現象が証人なので、非常に強固なものですよ、「科学」って。
だから「科学的じゃない」というのは、それだけで「ねぇよ、そんなの」とイコールなわけです。
批判者が「科学的じゃない」ものに情状酌量しなくてもいいんじゃない。
by トンデモブラウ (2010-04-25 22:19) 

naoko

科学は単なる現実把握の手段の一つに過ぎないから、「科学的」手段で把握できないこと(現実)なんて、世の中にいくらでもある。
そういう現実を、批判者が「科学的手段で把握できない=インチキ」と批判するのが、間違っている。
つまり、その場合は科学の問題じゃなくて、批判者の科学を用いた批判という方法・行為そのものが間違っている。
それは、例えば「スピリチュアルなもの」を科学を用いて擁護するのと、全く等価のお馬鹿な間違いです。
by naoko (2010-04-26 04:03) 

トンデモブラウ

>naokoさん

いや全く等価じゃないよ。
科学の問題を科学として批判しているだけ。

で、「科学的」手段で把握できない現象ってのは、実はそんなにない。
もはや、「科学的」手段で観測できないようなものに、実感できる現象なんてのは空想の中だけじゃないかな。
実感できる物理的現象であれば、物理量(例えば熱とか電磁波とか)が当然発生するので、測定できないものはほぼない。

ただ、医療の問題では、個人の主観がデータの元にかなり影響している感じなので(私は素人なのであくまで個人的な思い込みかもしれないけど。)、そこの部分は揺らぎが大きいかもね。
どう処理しているかは知らないけど。

一方、スピリテュアルなものの実際の効果ってのは、「プラセボ効果」でしょ。
それを信じ込ませる(プラセボ効果を起こさせる)のは宗教の問題かもしれないけど、「プラセボ効果」しかないのは「実効ゼロ」ってことですよ、というのは完全に科学の領分じゃないか。
「プラセボ効果」ではない「実効」的なものがあるなら、検証すればいいだけの話。
そこで「今の科学ではダメだけど、将来検証できるハズ」なんてのは、インチキ以外の何物でもないよね。

それらを一緒にするのは、全くお馬鹿な間違いですよ。
by トンデモブラウ (2010-04-26 08:40) 

naoko

【トンデモブラウさん】
はいはい、わかりました。

【cosiさん】
ネパール人の友人が言ってたんだけど、自分とこの田舎の人に人類は月まで行ってるんだよ、と言っても絶対信じない。スペースシャトルのこととか話しても無理だって。頭から馬鹿にされるって。

結局ね、そういうことだと思うんだよ、cosiさん。
色盲の人に色の話をしてもわからない。

ところで、心訳「般若心経」読んだ?
by naoko (2010-04-26 14:50) 

cosi

トンデモブラウさん
>いきなり感情が物理的に作用し始めることもないわけです。

ブードゥー教で、呪われた人が恐怖のあまり死ぬことがあるらしいですよね。
感情は物理的に作用することがあるってことです。
恋愛して、お肌つやつやになる女子とか。
ホメオパシーにはまって、憑き物が落ちたように綺麗になった沢尻エリカとか。GLAMAROUSという雑誌の巻頭の写真とインタビューを立ち読みしたのですが、「別に・・」の頃からすると、まるで別人のよう。
ストレスの多い芸能人人生、ドラッグにはまるより、鎮痛剤や精神安定剤依存に陥るより、ホメオパシーにはまる方が安全なので、良かったねと思います。

>「科学的」手段で把握できない現象ってのは、実はそんなにない。

そうかな?人の心に関係することってのは、科学的手段で把握できないことの方が多いのでは?魂の問題も。そして、その魂とか心のありようとかが、実は人生で一番重要な気がします。

脳科学ってのも、まだまだ発展途上なんでしょう?
例えば、多くの人の心を動かせる人と、そうでない人がいますが、そういうのも、科学的手段で把握できるのでしょうか?
できるんだったら、ニセ科学批判においても、科学的手段で把握できている、その手法を使えば簡単じゃないですか?
実際は、ニセ科学批判は一般大衆の心をつかんでいるとは、お世辞にも言えない状況ですよね?
やっている人たちは、それが何故かもわからない、というのが実情でしょう?

>「プラセボ効果」しかないのは「実効ゼロ」ってことですよ、というのは完全に科学の領分じゃないか。

プラセボ効果は実効ゼロではないですよ。何もしないよりは、効果があります。

きくちセンセイやサイモン・シンが、無責任というのは、「高みの見物」に見えるから。
意外に、臨床をやっている医師というのは、他の医師や代替療法のやり方を、少なくとも「効果がない」という言い方では批判しないようです。
もちろん、ぶつぶつと内輪で愚痴るのは見たことはありますが、本まで出す暇な人はいない。もしいたら、変わり者の部類。
それをやると、「じゃあ、お前は治せるんだな?」と切り返されるからじゃないでしょうか?臨床やっていれば、もちろん科によっても状況は異なるけれど、どんなにEBMやろうが、誠実にやろうが、治せずこじれる一方、なんてケースはごろごろしている。予想外の副作用に右往左往したり、結局対症療法しかなく、自然治癒力頼みだったり。
それでも逃げずに、患者が逃げていかない限り(笑)、自分のできるベストを尽くし、向き合い続けるというのが、良心的医師というものではないかと私は思います。

だから、他を「効果がない」と言って、批判している暇はない。
なぜ、臨床の難しさをわかってない人たちが、実験のデータ解析だけで「この療法は効果がない」などと言い、本まで出すのだろうか?
現実に、鍼灸院などに通って満足している人がいるんだから、それで良し、ではないだろうか?不満足なら、わざわざ金払ってまで行かないだろう。
わざわざ「実験の結果、鍼灸の効果は有意とはいえない」などと言って、誰が得するのか?言い出した科学者が、目立てる、有名になれる、印税が入るということくらいしか、思いつかない。
まじめに鍼灸師として生きてきた人は、そういう科学者のために、不安な気持ちになり、効果を証明しなければと、追い詰められたりする。

サイモン・シンや、きくちセンセイのような人達は、「僕らって、みんなが気付かなかったことに気付けるんだよ。頭いいでしょ!」「物理学ができる僕らからしたら、医療なんて、ちょちょいのちょいだ!」って言っているように感じて、私は不快。

金払って通院する人がいるということが、なんらかの効果(心理的なものも含めて)があるという証明になる、ということでOKじゃないかと思います。
by cosi (2010-04-26 16:08) 

cosi

【naokoさん】
はい、「生きて死ぬ智慧」購入して読みました。
生命科学者ならではの表現もあったり、また、
36年病床にいた人ならではの訳だとも思いました。
特に、

「苦しみも 苦しみの原因も
苦しみをおさえることも 苦しみをおさえる方法もない
知ることもなく得るところもない」

この部分からそう思います。

絵も素晴らしく、堀文子さんの生き方も尊敬しているので、
二人の尊敬する女性の本ということで、座右の書になりました。
naokoさん、紹介してくださって、ありがとうございます。
Judgementさんのおかげでもありますね。

トンデモブラウさんも読んでみたらいかがでしょうか。
短いですから、立ち読みでもすぐに読めますよ。
トンデモブラウさんに関して、naokoさんみたいにあきらめていない私(笑)。
by cosi (2010-04-26 16:32) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:

トラックバック 0

この記事のトラックバックURL:
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。
メッセージを送る