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◆吉田秀彦引退興行「ASTRA」 ○中村和裕(判定 3―0)吉田秀彦●(25日、日本武道館) バルセロナ五輪柔道78キロ級金メダリストの吉田秀彦(40)=吉田道場=が総合格闘家生活にピリオドを打った。無差別級ワンマッチで道場の一番弟子でもある中村和裕(31)と対戦したが、相手のスピードある動きについていけず3回0―3の判定負け。思わぬ黒星での締めくくりにも「悔いはありません」と涙。今後は柔道家として後進の指導、底辺の拡大に取り組む。
男の生き様を見せつけた。肩で息をするほど苦しかった最終3回。こだわりを持つ柔道着を脱ぎ捨て、吉田は中村に向かっていった。打ち合いからテークダウンを許し2度も右腕を取られたが、決してタップしない。0―3の判定負け。力を出し切ったからか、試合直後はさわやかな表情を浮かべたが、両親から花束を贈られて感極まった。「絶対に泣かないと思っていたけど、両親の顔を見たら涙が出てしまいました」と、目を赤くした。
2002年8月、国立競技場に10万人近い観衆を集めたホイス・グレイシー戦で総合格闘技デビュー。シウバ、小川ら強豪との戦いで頑丈な体は故障にむしばまれていた。04年のハント戦で左肩を亜脱臼し、医師は引退を勧めた。06年のトンプソン戦後は過呼吸に襲われた。「あのときは…」と、事務所社長として吉田を支えてきたJ―ROCKの國保代表もさすがに引退を考えたという。さらに主戦場のPRIDEが消滅し「つらかった」。それでも、吉田はリングに立ち続けた。
「柔道界に戻ります」とファンに宣言。柔道選手として最後の舞台となった日本武道館で格闘技生活を終えたのも何かの因縁か。「4月25日は古賀先輩が引退した日。こういうのが重なったのかな」。全柔連の規定変更により引退後1年で指導者、3年で現役登録できる。「壁をどんどん乗り越えていきたい」。今後は6月の全日本実業団体対抗(東京武道館)に初参戦するパーク24を指導する。「柔道界が盛り上がるのだったら」と、現役復帰もする覚悟。頂点に立った五輪で、今度はコーチとして金メダルをつかむ夢もある。リングから再び畳の上へ。吉田はさらに輝きを放つ。
◆吉田 秀彦(よしだ・ひでひこ)1969年9月3日、愛知・大府市生まれ。40歳。小学4年から柔道を始め、柔道私塾・講道学舎に入門。世田谷学園高、明大卒。92年バルセロナ五輪柔道78キロ級で金メダル。99年世界選手権90キロ級で金メダル。2002年に引退してプロに転向し吉田道場を設立。同年8月、ホイス・グレイシー戦で白星デビュー。09年大みそかには、北京五輪柔道100キロ超級金メダリスト・石井慧のデビュー戦の相手を務めて判定勝ち。180センチ、113キロ。
(2010年4月26日06時00分 スポーツ報知)
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