2006年04月24日
4月16日 売り ゲームラボ 掲載インタビューの抜粋 その2
おはようございます。
近況です。このところ予定が多く入っており仕事に追われ気味です。なんとも情けない状態です。新規の案件の開拓をしようということでイロイロと動き回っておりますが、なかなか苦労が絶えないですね。それと新規のスタッフ採用をしたいと思いまして、自分の人脈をフルに活用してイロイロな方にお会いしています。
そうそう、わすれてはならないのは、「柔道龍虎房」のチケット販売も促進中です。誰か買ってくれぇ〜(お願いします)。
さて・・・今朝MSNを立ち上げたら、「青田典子:バブルよ再び! へそ出しミニスカでソロデビュー」という記事が出ていました。・・・うーん「青田典子」さん好きだなぁ。
ボクのセックスシンボルですね(笑)
記事によると、タレントの青田典子さん(38)が23日、アーティスト「バブル青田」の名で19日に発売したソロデビュー曲「ジーザス」の発売記念イベントを開いた。90年代に人気を呼んだセクシーグループ「C・C・ガールズ」元メンバーである青田さんは、当時ディスコで流行したせんすを振ってデビュー曲を熱唱とのこと。
当時のメンバーのひとりだった「藤森夕子」さんが妊娠したこともあり、(旧メンバーで唯一の結婚、妊娠者、その他メンバーも既婚)青田さんの活動はイタイところもありますが、38歳にしてこの美貌は立派なものです。がんばってほしいものです。
あと、このところ気になる女性は「木村佳乃」「釈由美子」さんなどですが、やはり女性は30代になってからのほうが輝くような気がします。(あくまでも個人的な好みですが・・・)
さてさて、先週から掲載しております。ゲームラボ16日発売号に掲載されたインタビュー記事の抜粋2回目をおとどけします。(ご好評に応えて一部付加価値発言あります)
■風雲のギャガから波乱のセガへ・・・・始まり。■■■■■■■■■■■■■

■――ゲーム業界に狙いを定めて、じっさいに入社するところがすごいですね。
■黒川 いやいや。偶然ギャガ時代の知り合い(元マガジンハウス「ブルータス」の編集者だが、「平凡パンチ」時代からの友人)から「黒川さん最近どうしてんの?」って電話が掛かってきて、「いやぁ、ギャガ(当時はギャガからレントラックジャパンに出向していた。出向の目的は宣伝業務の立ち上げと社長室の広報業務の立ち上げなど)に戻るのもカッコ悪いし、かといって今の環境も、あまり前向きじゃないんだ」って話をしたら、紹介したい人がいるって言うわけ。それで、よくよく聞いたら、セガのクリエイターだったんだよね。
■――すごいタイミング…。
■黒川 それで後日、京急大鳥居(当時はこんな遠くまで行ったことがなく、地の果てというイメージだった)のセガまで行ったんだけど、受け付け(当時の受付のおねーさんたちはとても綺麗だった。なかでも「和田さん」はステキだったなぁ)で名前を告げると、そこのお姉さんが内線で「鈴木さんに来客です」って。しばらくたって、奥からニコニコした人が出てきたんだけど、それが鈴木裕さん(※4)だったの。
■――鈴木さんとはどんな話を?
■黒川 裕さんからは、「僕は今セガでこういうゲーム(ハングオン、アフターバーナー、バーチャレーシングなどで、やんちゃな青少年はかならず体験したことのあるゲームを開発)を開発していて、うまく宣伝してくれる人を探しているんです」みたいな話をされたはず。そのときに、いくつかのゲームも見せてもらったんだけど、見た瞬間にこれだと思ったね。映画の未来(簡単に言うとCGが映画のなかで活用されるような気がした。つまり「トイ・ストーリー」のような映画が当たり前のように出来上がる。またはインタラクティブ性をもった映画が出来上がると思った。後者に関しては未だに未実現)を見た感じがしたの。で、会話がひと段落したところで、裕さんが「今作ってるゲームを見てみます?」って言うから付いて行くとプロトタイプの『バーチャファイター』を見せられたんだよね。最初はとにかくビックリしたよ。ただのLEGOブロックみたいな人形がさ、痛みとか感じさせてくれるわけだもん。
■――ついにゲーム業界にやってきたわけですが、想像していたイメージとは違いましたか?
■黒川 セガに関して言えば、すごく宣伝販促の意識が低いなって感じたね。入ってすぐに「こりゃ勝てる」と思ったもん。だからこそ、僕が今まで培ってきたノウハウや人脈をすべてを使って、この『バーチャファイター』を、そして裕さんをトップクリエイターにしようって考えたね。あと、それと同時にね、僕自身も1つ目標を立てたんだよね。3年でセガの役員になるっていう。
(簡単に言うと「匿名性の高かったゲームクリエイターにスポットを当てて、クリエイターの思っていることを正確にメディアを通して伝えることが使命だと思った。それによってコンテンツのバリューが上がると思った・・・事実その通りになった。)
■――すごい野心を持っていたんですね。
黒川 じっさい、1994年にセガに入ったときはノンタイトルだったんだけど、入って半年でマネージャーに、1年で副部長に、辞める少し前には部長(ただしAM宣伝部というとってつけたような部署だった)になれた。それでも当時は不満だらけだったよね。「こんな組織体系じゃダメです。ここはこうすべき、あそこはこうすべきだ」って自分で組織図を書いて上司に直談判もしたよ。もちろんその組織図のトップには、自分の名前を書いたし(笑)。
(実際には当時の中山社長にも提案したが「キミの提案はドラスティックだね」森専務にいたっては「ずいぶんとたくさん血が流れる提案なので受け入れられない」という回答だった)
■――セガ社内では、黒川さんに対する反発もあったのでは?
■黒川 あったねぇ。反発も異論も多かったね。セガは急速に発展拡大した会社だから、人手が足りなくなって“来るものは拒まず”という時期があって、当時のセガには「社員が使う年賀状のコストを、去年と同じに抑えることを仕事にしてる人」とか「パンフレットのコストを維持することが仕事の人」(実際にそういう人には翌日からゲームセンターに送り込んでもらった)とかいたもん。普通に考えてもおかしいよね。
■――ゲーム業界は未成熟な部分も多いから、いろいろな業界を知っている黒川さんは、相当イライラさせられたんでしょうね。
■黒川 未成熟と言えばメディアもそうだよね。僕はエンターブレインの浜村さん(※5)と、面と向かってケンカした数少ない人間だと思うよ。
■――なぜケンカしたんですか?
■黒川 サターン版『バーチャ』発売のときに、エンターブレインと集英社から攻略本を作らせてほしいって連絡があったんですよ。それはもちろん両方にOKしたんだけど、後日あらためて集英社から「『バーチャ』のパッケージのなかに解説本のチラシを入れさせてくれ」っていう連絡があったから、それも承諾してチラシを有償で同梱したんだよね。そしたら、発売日にエンターブレインの浜村さんから「あれはどういうことですか?」って電話が掛かってきてさ。「なんでウチのチラシを入れずに、集英社のチラシだけを入れるのか?」ってことだったんだけどね。
■――ゲーム業界には、とにかくエンターブレインを優遇する慣習がありますね。
■黒川 そんな慣習(最新のニュースはファミ通に出すという暗黙のおきてのようなものがった)はおかしいじゃん。僕は「集英社さんからオファーがあったから入れただけですよ」って言ったんだけど、あちらは「そりゃ間違ってる」っていうんですよ。僕も納得がいかないから「そちらが間違ってます」って言ったんだけどね。で、いろいろやり取りした挙げ句、浜村さんが「一度直接会って話をしたい」って言って会社まで来ちゃった。あのときは塩崎さん(※6)と2人で来たのかな。
(実際には映画「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」のMローク扮する刑事と若きチャイニーズマフィアのボスに扮するジョン・ローンの会話のように「そちらの時計が狂っているんだから合わせ直すのは当たり前だ」という会話がなされた。)
■――納得してもらえましたか?
■黒川 (実際には納得はしてもらえなかったと思う)でもさ、集英社がチラシを入れたいって連絡してきて、実費も負担するって言ってるんだから、そこで僕たちがエンターブレインに「集英社がやるから、そちらもどうですか?」なんて聞いてあげる筋合いはないじゃない。あっちは「ほかのメーカーは、やっている…」みたいな話をしてきて、僕が間違ってるみたいに言ってたけどね。
※4 鈴木裕
セガを代表するゲーム開発プロデューサー。代表作に『バーチャレーシング』『バーチャファイター』『シェンムー』など。
※5 浜村さん
浜村弘一。「週刊ファミ通」三代目編集長。現エンターブレイン社長。
※6 塩崎さん
塩崎剛三。「週刊ファミ通」二代目編集長。東府屋ファミ坊の愛称でも知られる。現アイスコメット社長。
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さて、続きは明日に・・・波乱のセガから、新風のデジキューブへ!
近況です。このところ予定が多く入っており仕事に追われ気味です。なんとも情けない状態です。新規の案件の開拓をしようということでイロイロと動き回っておりますが、なかなか苦労が絶えないですね。それと新規のスタッフ採用をしたいと思いまして、自分の人脈をフルに活用してイロイロな方にお会いしています。
そうそう、わすれてはならないのは、「柔道龍虎房」のチケット販売も促進中です。誰か買ってくれぇ〜(お願いします)。
さて・・・今朝MSNを立ち上げたら、「青田典子:バブルよ再び! へそ出しミニスカでソロデビュー」という記事が出ていました。・・・うーん「青田典子」さん好きだなぁ。
ボクのセックスシンボルですね(笑)
記事によると、タレントの青田典子さん(38)が23日、アーティスト「バブル青田」の名で19日に発売したソロデビュー曲「ジーザス」の発売記念イベントを開いた。90年代に人気を呼んだセクシーグループ「C・C・ガールズ」元メンバーである青田さんは、当時ディスコで流行したせんすを振ってデビュー曲を熱唱とのこと。
当時のメンバーのひとりだった「藤森夕子」さんが妊娠したこともあり、(旧メンバーで唯一の結婚、妊娠者、その他メンバーも既婚)青田さんの活動はイタイところもありますが、38歳にしてこの美貌は立派なものです。がんばってほしいものです。
あと、このところ気になる女性は「木村佳乃」「釈由美子」さんなどですが、やはり女性は30代になってからのほうが輝くような気がします。(あくまでも個人的な好みですが・・・)
さてさて、先週から掲載しております。ゲームラボ16日発売号に掲載されたインタビュー記事の抜粋2回目をおとどけします。(ご好評に応えて一部付加価値発言あります)
■風雲のギャガから波乱のセガへ・・・・始まり。■■■■■■■■■■■■■
■――ゲーム業界に狙いを定めて、じっさいに入社するところがすごいですね。
■黒川 いやいや。偶然ギャガ時代の知り合い(元マガジンハウス「ブルータス」の編集者だが、「平凡パンチ」時代からの友人)から「黒川さん最近どうしてんの?」って電話が掛かってきて、「いやぁ、ギャガ(当時はギャガからレントラックジャパンに出向していた。出向の目的は宣伝業務の立ち上げと社長室の広報業務の立ち上げなど)に戻るのもカッコ悪いし、かといって今の環境も、あまり前向きじゃないんだ」って話をしたら、紹介したい人がいるって言うわけ。それで、よくよく聞いたら、セガのクリエイターだったんだよね。
■――すごいタイミング…。
■黒川 それで後日、京急大鳥居(当時はこんな遠くまで行ったことがなく、地の果てというイメージだった)のセガまで行ったんだけど、受け付け(当時の受付のおねーさんたちはとても綺麗だった。なかでも「和田さん」はステキだったなぁ)で名前を告げると、そこのお姉さんが内線で「鈴木さんに来客です」って。しばらくたって、奥からニコニコした人が出てきたんだけど、それが鈴木裕さん(※4)だったの。
■――鈴木さんとはどんな話を?
■黒川 裕さんからは、「僕は今セガでこういうゲーム(ハングオン、アフターバーナー、バーチャレーシングなどで、やんちゃな青少年はかならず体験したことのあるゲームを開発)を開発していて、うまく宣伝してくれる人を探しているんです」みたいな話をされたはず。そのときに、いくつかのゲームも見せてもらったんだけど、見た瞬間にこれだと思ったね。映画の未来(簡単に言うとCGが映画のなかで活用されるような気がした。つまり「トイ・ストーリー」のような映画が当たり前のように出来上がる。またはインタラクティブ性をもった映画が出来上がると思った。後者に関しては未だに未実現)を見た感じがしたの。で、会話がひと段落したところで、裕さんが「今作ってるゲームを見てみます?」って言うから付いて行くとプロトタイプの『バーチャファイター』を見せられたんだよね。最初はとにかくビックリしたよ。ただのLEGOブロックみたいな人形がさ、痛みとか感じさせてくれるわけだもん。
■――ついにゲーム業界にやってきたわけですが、想像していたイメージとは違いましたか?
■黒川 セガに関して言えば、すごく宣伝販促の意識が低いなって感じたね。入ってすぐに「こりゃ勝てる」と思ったもん。だからこそ、僕が今まで培ってきたノウハウや人脈をすべてを使って、この『バーチャファイター』を、そして裕さんをトップクリエイターにしようって考えたね。あと、それと同時にね、僕自身も1つ目標を立てたんだよね。3年でセガの役員になるっていう。
(簡単に言うと「匿名性の高かったゲームクリエイターにスポットを当てて、クリエイターの思っていることを正確にメディアを通して伝えることが使命だと思った。それによってコンテンツのバリューが上がると思った・・・事実その通りになった。)
■――すごい野心を持っていたんですね。
黒川 じっさい、1994年にセガに入ったときはノンタイトルだったんだけど、入って半年でマネージャーに、1年で副部長に、辞める少し前には部長(ただしAM宣伝部というとってつけたような部署だった)になれた。それでも当時は不満だらけだったよね。「こんな組織体系じゃダメです。ここはこうすべき、あそこはこうすべきだ」って自分で組織図を書いて上司に直談判もしたよ。もちろんその組織図のトップには、自分の名前を書いたし(笑)。
(実際には当時の中山社長にも提案したが「キミの提案はドラスティックだね」森専務にいたっては「ずいぶんとたくさん血が流れる提案なので受け入れられない」という回答だった)
■――セガ社内では、黒川さんに対する反発もあったのでは?
■黒川 あったねぇ。反発も異論も多かったね。セガは急速に発展拡大した会社だから、人手が足りなくなって“来るものは拒まず”という時期があって、当時のセガには「社員が使う年賀状のコストを、去年と同じに抑えることを仕事にしてる人」とか「パンフレットのコストを維持することが仕事の人」(実際にそういう人には翌日からゲームセンターに送り込んでもらった)とかいたもん。普通に考えてもおかしいよね。
■――ゲーム業界は未成熟な部分も多いから、いろいろな業界を知っている黒川さんは、相当イライラさせられたんでしょうね。
■黒川 未成熟と言えばメディアもそうだよね。僕はエンターブレインの浜村さん(※5)と、面と向かってケンカした数少ない人間だと思うよ。
■――なぜケンカしたんですか?
■黒川 サターン版『バーチャ』発売のときに、エンターブレインと集英社から攻略本を作らせてほしいって連絡があったんですよ。それはもちろん両方にOKしたんだけど、後日あらためて集英社から「『バーチャ』のパッケージのなかに解説本のチラシを入れさせてくれ」っていう連絡があったから、それも承諾してチラシを有償で同梱したんだよね。そしたら、発売日にエンターブレインの浜村さんから「あれはどういうことですか?」って電話が掛かってきてさ。「なんでウチのチラシを入れずに、集英社のチラシだけを入れるのか?」ってことだったんだけどね。
■――ゲーム業界には、とにかくエンターブレインを優遇する慣習がありますね。
■黒川 そんな慣習(最新のニュースはファミ通に出すという暗黙のおきてのようなものがった)はおかしいじゃん。僕は「集英社さんからオファーがあったから入れただけですよ」って言ったんだけど、あちらは「そりゃ間違ってる」っていうんですよ。僕も納得がいかないから「そちらが間違ってます」って言ったんだけどね。で、いろいろやり取りした挙げ句、浜村さんが「一度直接会って話をしたい」って言って会社まで来ちゃった。あのときは塩崎さん(※6)と2人で来たのかな。
(実際には映画「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」のMローク扮する刑事と若きチャイニーズマフィアのボスに扮するジョン・ローンの会話のように「そちらの時計が狂っているんだから合わせ直すのは当たり前だ」という会話がなされた。)
■――納得してもらえましたか?
■黒川 (実際には納得はしてもらえなかったと思う)でもさ、集英社がチラシを入れたいって連絡してきて、実費も負担するって言ってるんだから、そこで僕たちがエンターブレインに「集英社がやるから、そちらもどうですか?」なんて聞いてあげる筋合いはないじゃない。あっちは「ほかのメーカーは、やっている…」みたいな話をしてきて、僕が間違ってるみたいに言ってたけどね。
※4 鈴木裕
セガを代表するゲーム開発プロデューサー。代表作に『バーチャレーシング』『バーチャファイター』『シェンムー』など。
※5 浜村さん
浜村弘一。「週刊ファミ通」三代目編集長。現エンターブレイン社長。
※6 塩崎さん
塩崎剛三。「週刊ファミ通」二代目編集長。東府屋ファミ坊の愛称でも知られる。現アイスコメット社長。
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さて、続きは明日に・・・波乱のセガから、新風のデジキューブへ!
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この記事へのコメント
1. Posted by Takayukina 2006年04月24日 19:53
雑誌の内容より踏み込んでて、こっちの方がより過激な気がします。
2. Posted by くろ 2006年04月25日 10:00
そうですか・・・危険かなぁ。