・「ほう、なるほどねぇ」というか、
「へーえ」と思うようなことを聞きました。
「いまの若い人は、ひとりで食事をできない」って。
学生食堂なんかで、ひとりで食事をしているのを、
見られるのがイヤ、と、そういうことらしいんですね。
食事の仲間のいないひとりぼっちの人、
というふうに見られるのが、いやなのでしょう。
こんなことの延長線上に、
「家から出られなくなる」とかもある、らしい、とも。
そういう話題というのは、
けっこう大げさに語られることも多いので、
たいてい、流しちゃうのですが、
思えば「おれにも、そういうところある」わけです。
「食事をひとりでするのって、さみしい」とは、
よく言われるせりふですけれど、
じぶん自身が「さみしい」のと同時に、
「さみしいやつと思われそうでいやだ」という要素も、
量の多寡は別として、混じっていると思うのです。
ぼくも、根っこのところでは人見知りなので、
いまの若い人ではありませんが、
「ひとりで食事する」ことについて、
それなりに考えちゃったり、へたをしたり、
けっこう長年じたばたしてきたように思います。
そうして、なんとなく「ま、いいか」というくらいの
じぶんなりのスタイルを身に付けるわけです。
その話題にされている「ひとりで食事をできない」は、
ひょっとしたら、ぼく自身の姿だったわけで、
いまごろになってですね、
「なんで直ってきたのかなぁ?」とも思うんですよね。
最近の若いものはおかしい、と言われていることって、
そのほとんどが、昔のじぶんのなかに発見できます。
たまたま、「直ったほうがいい」と願ったことが、
直ってきたりしたのかなぁ、と思ってます。
まるっきり屈託なくって、すぐに人と仲よくできて、
どんなときにも明るくいられるような人間って‥‥さ、
いないと思いますよ、ほんとに。
今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。
けっこう待たれていた新しいグッズのニュースもあります。
「へーえ」と思うようなことを聞きました。
「いまの若い人は、ひとりで食事をできない」って。
学生食堂なんかで、ひとりで食事をしているのを、
見られるのがイヤ、と、そういうことらしいんですね。
食事の仲間のいないひとりぼっちの人、
というふうに見られるのが、いやなのでしょう。
こんなことの延長線上に、
「家から出られなくなる」とかもある、らしい、とも。
そういう話題というのは、
けっこう大げさに語られることも多いので、
たいてい、流しちゃうのですが、
思えば「おれにも、そういうところある」わけです。
「食事をひとりでするのって、さみしい」とは、
よく言われるせりふですけれど、
じぶん自身が「さみしい」のと同時に、
「さみしいやつと思われそうでいやだ」という要素も、
量の多寡は別として、混じっていると思うのです。
ぼくも、根っこのところでは人見知りなので、
いまの若い人ではありませんが、
「ひとりで食事する」ことについて、
それなりに考えちゃったり、へたをしたり、
けっこう長年じたばたしてきたように思います。
そうして、なんとなく「ま、いいか」というくらいの
じぶんなりのスタイルを身に付けるわけです。
その話題にされている「ひとりで食事をできない」は、
ひょっとしたら、ぼく自身の姿だったわけで、
いまごろになってですね、
「なんで直ってきたのかなぁ?」とも思うんですよね。
最近の若いものはおかしい、と言われていることって、
そのほとんどが、昔のじぶんのなかに発見できます。
たまたま、「直ったほうがいい」と願ったことが、
直ってきたりしたのかなぁ、と思ってます。
まるっきり屈託なくって、すぐに人と仲よくできて、
どんなときにも明るくいられるような人間って‥‥さ、
いないと思いますよ、ほんとに。
今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。
けっこう待たれていた新しいグッズのニュースもあります。