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【格闘技】

吉田秀彦が引退試合で判定負け 愛弟子・中村に魂伝授

2010年4月26日 紙面から

リングで最後の10カウントを聞く吉田秀彦=日本武道館で(由木直子撮影)

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◇吉田秀彦引退興行〜アストラ〜

▽25日▽東京・日本武道館▽観衆1万2093人

 柔道王、涙の引退−。吉田秀彦がまな弟子・中村和裕との引退試合に臨み、0−3の判定負けを喫した。満身創痍の体でリングに上がり、中村の一方的な攻撃にさらされながらも、最後まで心は折れなかった。引退のあいさつでは、たまらず大粒の涙を流した。

 一本負けだけはしたくなかった。吉田が最後の意地を見せた。最終3回、土壇場で中村が腕ひしぎを狙いにきたが、吉田は必死に耐え、終了のゴングを聞いた。

 開始から、ほとんどが打撃戦だった。吉田はスピードに勝る中村の容赦ない攻めにさらされた。左のジャブにボディーブロー。吉田の顔は見る見るはれ上がっていった。3回、柔道着の上着を脱ぎ捨てた。そして、やるかやられるかのノーガードの打ち合い。自分の顔をたたきながら「打ってこいよ!」と弟子にゲキを飛ばした。

 生き様通りの引退試合だった。プロ転向は33歳を間近にした02年8月。決して若くはなかった。一部上場企業の社員だったが「会社勤めは性に合わない」と安定を捨てた。明大柔道部監督もやめた。バルセロナ五輪金メダリストとして輝かしい実績もあり、柔道界に残っていれば将来は約束されていたはず。なのにイバラの道を選んだ。愛した柔道がどれだけ未知の総合で通じるか試したかった。

 総合格闘技転向後も決して逃げなかった。大会の主催者から提示された対戦相手を拒否したことはない。PRIDE、戦極時代、世界のトップファイターで対戦が実現しなかったのは、ヒョードルとノゲイラぐらい。だから故障も絶えなかった。04年の豪腕ハント戦で左肩が壊れ、医者に引退を勧告された。大阪ドームで行われた05年の2度目のシウバ戦では、壮絶な打撃戦で脳にダメージを負った。病院で検査を受け、ホテルに帰ってベッドに横たわると、天井がグルグル回った。そして、しこたま嘔吐(おうと)した。06年大みそかのトンプソン戦後は病院送りとなり、のちに内臓疾患で入院した。そして、昨年大みそかの石井慧戦では、太ももを肉離れ。3年でやめるつもりが8年も続いた。リングの上で味わう喜びや悔しさがたまらなかった。いつも、勝負に飢えていた。

 「絶対泣かないと思ってたけど、両親の顔を見ると涙が出てしまいました。8年間、総合格闘技をやってきて悔いはありません。腹いっぱいやりました。これから、柔道に戻って、柔道に精進していきます」。試合後、リング上であいさつした吉田。柔道王は最後の最後に男泣きした。 (竹下陽二)

 

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